「文芸研究」総目次(第121号〜第130号)

「文芸研究」総目次(第121号〜第130号)

第130号(2016年9月29日)
宮越 勉 志賀直哉「雨蛙」の世界を解読する—リアリズムとサンボリズムの融合体小説—
内村 和至 〈研究ノート〉 『通俗民権百家伝』の周辺—初期自由民権運動の一断片—
  玉井崇夫教授御定年退職にあたって (略歴・業績書)
玉井 崇夫 退職にあたって恩師を想う—二枚の名刺—
小島 久和 玉井先生のアンビギュイテ
大須賀 寿子 スタインベックの中国人描写の変化—『エデンの東』のリーに至るまで—
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(19)—「第十五巻」第七章~第十一章—
第129号(2016年3月26日) 到達から出発へ
Toru Ishii Transfer as Self  Pair-Merge
大山 るみこ 小説とマルチ・モーダリティ:W.G.Sebald の作品を通じて
Teruko Kajiwara Can Poetry Itself Be a “Wound-Dresser”?: Walt Whitman’s Personal and National Struggles in the Civil War
久保田 俊彦 計量文体論からみた英語版 Millennium シリーズの継続性
越川 芳明 「貧困」をブラックユーモアで笑い飛ばす—ジョン・ファンテ『バンディーニ家よ,春を待て』を読む
清水 あつ子 スペイン語母語話者による英語/s//z/と先行母音の音長
塚田 麻里子 「まだ終わってはいない」(“It’s not over.”)—映画『ロレンス1918』に関する一考察—
野田 学 演劇性という思考:ウィリアム・ハズリットのキーン評と開かれた自己
Jenny Holt “Happier than in Other Lands”:Seeking the Childlike in Nineteenth-Century Japan
大須賀 寿子 カリフォルニアの彼方に旅するオーキーたち—映画,音楽,オペラになった『怒りの葡萄』—
中野 里美 Who knows ‘the center of things?’ —John Dos Passos Manhattan Transfer—
Toru  Nishiura The Ideal of and the Reality of America:Ahab and the Images of Ancient Rome in Herman Melville’s Moby-Dick; or, The Whale
伊藤 左千夫 イーノックと「私」を探して
宇野 雅章 人間の生
江﨑 麻里 正義の女神がほほえむとき—裁きの物語『フランケンシュタイン』—
小峰 和子 我が聖地巡礼の旅  —物語の世界を訪ねて—
佐久間 桃 文学作品の舞踊化の可能性を考える— ブベニチェク振付 The Picture of Dorian Gray の場合 —
西尾 洋子 『夏の夜の夢』の劇中劇を問い直す—アカデミーコモンから発信するシェイクスピア・アダプテーション—
清水 勇樹 「私的歴史」の探求—谷崎潤一郎『吉野葛』における遊歩者的想像力—
神山 彰 私の見た英米戯曲
立野 正裕 ターナーの二枚の絵
堂野前 彰子 恋に生きる—小泉八雲の見た日本—
アイザック・バシェヴィス・シンガー 「カフェテリア」
大﨑 ふみ子 訳者解題 (「カフェテリア」)
ジョウゼフ・コンラッド 進歩の前哨基地
宮本 正治 訳者あとがき—「進歩の前哨基地」とコンゴ川の五〇〇年—
伊藤 龍哉 創造への出発点—オスカー・ワイルドの身振り—
第128号(2016年2月29日)
田母神 顯二郎 笑いと物質 —「ベルクソンとジャネ」(2)
内村 和至 宝洲と無能—『無能和尚行業記』をめぐって—
生方 智子 アーク灯の光,そして影—谷崎潤一郎『秘密』における分身のテクノロジ—
宮越 勉 敗戦後の志賀直哉—「特攻隊再教育」から「閑人妄語」まで—
萩原 芳子 悲劇の源泉を遡って—ムアワッドとギリシャ悲劇—
市川 孝一 1960年代末の若者文化—フーテン(族)とヒッピー(族)についての覚書—
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著 『プラトン神学 霊魂の不死性について』(18)— 「第十五巻」第一章~第六章 —
第127号(2015年9月29日)
宮越 勉 「灰色の月」を精読する—作品生成過程と主題描出方法を中心に—
田母神 顯二郎 ベルクソンとジャネ—創造性をめぐる二つの思考—
内村 和至 宝洲槃譚の事跡について
久保田 俊彦 Brinegar (1963) 再考
小島 久和 翻訳  マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(17)— 「第十四巻」第八章~第十章 —
第126号(2015年3月26日) 特集〈日本文学〉研究の新生面を開く
久保田 淳 これまでのこと、この頃のこと
中山 和子 「巣箱」そして赤芽槲のことなど
原 道生 熊野の牛王あれこれ
日向 一雅 今昔二十年
山﨑 健司 萬葉歌の類型的表現における表現性
山田 純 『日本書紀』「神代紀」における「注の注」の機能について
渡邊 淳子 伊勢物語の成立基盤考—「昔・・」という語り出しを手掛りにして—
渡邊 久壽 『蜻蛉日記』の「序文」再考
倉田 実 『源氏物語』の御簾
湯淺 幸代 玉鬘の筑紫流離─「后がね」への道筋─
袴田 光康 富士山とペンキ絵—三保の松原をめぐって—
佐藤 雅代 「心の鬼」考—歌ことばとしての一側面—
神鷹 徳治 日本伝存の漢籍資料—旧鈔本について—
牧野 淳司 春草と秋風—「恨賦」による哀傷表現と法会の場—
杉田 昌彦 宣長における『源氏物語』の総体的評価—〝師〟としての紫式部—
山下 則子 『絵本松のしらべ』の素材をめぐって—絵入り本の書誌・出版・解釈の総合的研究—
小野 正弘 語彙史における近代—広義と狭義と—
宮越  勉 志賀直哉が読んだ泰西文学—その受容と影響をめぐる考察—
池田 功 エッセイ 石川啄木研究について
吉田 悦志 研究ノート 明治大学関係歴史小説家4人—菊池寛・子母沢寛・佐々木味津三・五味康祐のこと—
生方 智子 生きられる心象風景—吉本ばなな『キッチン』『満月』における関係の様態—
深津 謙一郎 村上春樹「沈黙」論—内なる〈他者〉への想像力—
第125号(2015年2月26日)
内村 和至 宝洲評注『孝感冥祥録』について
生方 智子 谷﨑潤一郎『小さな王国』における共同体と権力
井戸田 総一郎 鷗外『曾我兄弟』とホーフマンスタール『オイディプス王』
——改作による過去と現在の架橋——
庄司 達也 書評 佐藤義雄著『昭和文学の位相1930—45』
Gayle K.Sato “Revisiting Hisaye Yamamoto, a Nisei Writer who Fed the Family”
久保田 俊彦 著者推定指標としての読点前文字と会話文
Jenny Holt “A Profound Contempt for the Laws of Perspective”:
 The Distortion of Size and Proportion in Nineteenth-Century Literary Depictions of Japan
寺澤 由紀子 クリティカルな露出— Tropic of Orange における日系アメリカ人の記憶の再考—
冨重 与志生 ルーモールの『料理術の精神』とヴィンケルマン
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(16)— 「第十四巻」第一章~第七章 —
第124号(2014年10月25日)
宮越 勉 志賀直哉の影響圏—太宰治の場合—
内村 和至 資料紹介 萩原乙彦編『再編/雅俗新聞』第一号
清水 あつ子 スペイン語母語話者における英語 /z/ の実現
久保田 俊彦 計量的著者推定と De Morgan 書簡
塚田 麻里子 《ウ・フロンティス》という語をめぐって—T・E・ロレンス『知恵の七柱』における“minor”の問題—
Anne-Élisabeth Halpern Faire apparaître la disparition : Fukushima en récit Retour d’Iwaki de Christophe Fiat et Les Évaporés de Thomas B.Reverdy
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(15)— 「第十三巻」 —
第123号(2014年3月26日)文芸メディア専攻特集 それは何か?〈よむ〉とは
野毛 孝彦  物語・始めの明大文学部
津田 洋行 私にとっての文芸メディア—専門的ならぬ批判的知性に向けて—
内村 和至 イントロダクション 文芸メディアの冒険—アルゴナウティカの行方—
柳町 時敏 紫上の存在感—玉鬘十帖から—
武田 比呂男 よみがえりと転生—『日本霊異記』をめぐって—
佐伯 和香子 お伽草子『一寸法師』を読む
内村 和至 文化五年本『春雨物語』読解—内破するテクスト—
飯島 満 弧絶—忠臣蔵六段目—
神山 彰 「芸談」を読み解く
飯田 年穗 小島烏水の『日本中央大山系横斷記』—山岳表象と翻訳—
玉井 朋 尾崎紅葉『多情多恨』まなざしの行方—写真・肖像画・ランプの意味—
柳澤 幹夫 谷崎潤一郎『秘密』論—〈映画〉的想像力/シネマティカル・トポロジー—
山中 剛史 超現実との照応—三島由紀夫「葵上」再読のために—
松下 浩幸 江戸川乱歩「目羅博士」論—模倣のサーキュレーションと主体化—
佐藤 義雄  大仏次郎「幻燈」評注ことはじめ
伊藤 氏貴  古典化する「現代文」—高校教科書における文学教材の現在—
市川 孝一 テレビ文化再考—テレビメディアの特性についての覚書—
中江 桂子  民謡・はやり唄・流行歌—メディアとしての「うた」と社会—
奥野 昌宏  そして『ローマの休日』は生まれた—ドルトン・トランボとその時代—
木下 和寛  首相官邸Facebookに見る安倍政権の「ことば」—第一期政権時のメルマガと比較して—
星野 渉 出版産業の変化を読み解く
井内 秀明  近代活版印刷史について—一九八〇年代末からの研究をたどる—
相良 剛  大切なことを目に見せる—『星の王子さま』という企画をよむ—
第122号(2014年2月28日)
伊藤 氏貴 中学校教科書における漱石教材の変遷
内村 和至 『待定法師忍行念仏伝』の世界—異形の念仏行者—
佐藤 義雄 堀辰雄 古典文学の受容一九四〇年前後
唐澤 聖月 志賀直哉「廿代一面」の一面—創作対象としての「友達耽溺」—
中野 正昭 澤モリノの浅草オペラ時代
市川 孝一 「街族」を再検証する—「六本木族」「みゆき族」「原宿族」—
木村 章男 核生権力とジェノサイドの意図
久保田 俊彦 Galbraith/Rowling報道と計量文献学
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(14)— 「第十二巻」 —
第121号(2013年10月25日)
神山 彰 雑誌『新演芸』に見る大正演劇
中野 正昭 翻刻 ローシー・オペラ 歌劇『椿姫』
内村 和至 資料紹介 萩原乙彦の俗謡本(三)—『相撲じんく』—
永藤 靖 三輪信仰の変容—古代から中世へ—
久保田 俊彦 コーパス言語学と統計検定
西浦 徹 "歴史を作る追放者—ハーマン・メルヴィルの「エンカンタダス,魔法をかけられた群島」における海賊"
小島 久和 "翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(13)  — 「第十一巻」(第五章~第八章) —"

上へ戻る

明治大学 MEIJIUNIVERSITY

© Meiji University,All rights reserved.