「文芸研究」総目次(第21号〜第30号)

「文芸研究」総目次(第21号〜第30号)

第30号(1973年10月31日) 品切
平野 仁啓 高市黒人の自然観
永藤 靖 古代人における「見る」ことと「知る」ことについて
水谷 洋 ヴェールテルの死
小副川 明 ネルヴァルと音楽家たち
後藤 光康 Shakespeare の作品に見出される基礎的難解語の分類
第29号(1973年3月31日) 在庫僅少
永藤 靖 人磨の詩的想像力─二つの遊猟の歌を中心にして─
増田 秀男 『老政治家』─T・S・エリオットにおける劇的なるものの極点
立野 正裕 ヴィジョンから悪夢へ─E・M・フォースター─
山口 美津枝 デイルズデイルの緋文字
水谷 洋 ヴェールテルの生
山田 恒人 訳 ギルバート・マリー「ギリシア悲劇における祭式形態(その二)」
曽田 秀彦 文化主義と民衆劇─「文化事業研究会」の設立と坪内逍遙─
小川 武敏 啄木の詩法と倫理─「弓町より」および「きれぎれに心に浮んだ感じと回想」を中心に─
第28号(1972年10月31日) 在庫僅少
平野 仁啓 柿本人麻呂の時間意識の構造
中山 和子 漱石と楠緒子
比護 隆界 山上臣憶良の出自─律令制度下の国司任官の実状に関連して─
渡辺 誠一 ヴィクトール・ユゴーの『諸世紀の伝説』に於ける《句切り》Coupes
佐藤 正紀 エリザベス朝の演技─その一つのタイプ─
橘 忠衛 訳 クルト・ジンガア「葛藤」(一)
岩見 祥子 語学教育の方法
第27号(1972年3月31日) 品切
池田 猛雄 カロッサの実践的世界
永藤 靖 菅原道真とその文学
山岡 捷利 コンブレ小論─個としてのコンブレについて─
水野 晴子 D・H・ロレンスの闇の意識─生と死の宇宙─
増田 秀男 E・M・フォースターのヒューマニズム
佐藤 正紀 「全体演劇」についての覚え書
山田 恒人 訳 ギルバート・マリー「ギリシア悲劇における祭式形態(その一)」
第26号(1971年10月31日) 品切
高田 勇 ロンサールに関するバロック説をめぐって
渡辺 誠一 ヴィクトール・ユゴーの『諸世紀の伝説』に於けるtrimetres三分区切り
中山 和子 漱石─初期における自然の意味─
曽田 秀彦 「民衆芸術」論争─その思想的性格─
増田 秀男 『カクテル・パーティ』凡庸なる精神の劇
水野 晴子 D・H・ロレンスの闇の意識─The Plumed Serpentを手がかりに─
根岸 力松 フランス語の自動詞と他動詞
第25号(1971年3月31日) 在庫僅少
水谷 洋 「ヒヤシンスとバラの花」─ノヴァーリス論(八)
永藤 靖 古代日本文学に現われた旅について─故郷と都の文学─
関口 功 ジーン・トゥーマー─その伝記的側面─
内海 利朗 騙す者と騙される者(承前)
第24号(1970年10月31日) 在庫僅少
増田 秀男 『寺院の殺人』と『一族再会』  エリオット的超人の劇
武田 臣功 「Die Schlafwandler」第三部(1918. Huguenau oder die Sachlichkeit)に於ける内容への一考察
岩見 祥子 プルーストの「夜の世界」  Le Monde de Nuit chez Marcel Proust
池上 秋彦 明治期における外国語の輸入について─特にhandkerchiefとinkの場合─
内海 利朗 騙す者と騙される者(1)
第23号(1970年3月31日) 在庫僅少
永藤 靖 万葉集・八代集の雪月花
野毛 孝彦 心敬、その数寄と道心と閑人について
水谷 洋 恐ろしい夢のよろこび─ノヴァーリス論(七)─
林 辰男 宮廷詩人 ロンサール─その出発点─
小川 茂久 「大旦那若旦那」と「オトー父子」
岩見 祥子 プルースト初期作品の形成
第22号(1969年10月31日) 在庫僅少
小川 茂久 「名人長二」と「親殺し」
小副川 明 ネルヴァル『ミルト』についての覚書
中島 勝 ゲーテとケラー
曽田 秀彦 「国民文芸会」の設立─芸術と政策─
佐藤 正紀 戯曲についての現代的観点
第21号(1969年3月31日) 品切
平野 仁啓 日本人の時間意識の展開─古代から中世へ─
水谷 洋 よろこばしい光のうつろ─ノヴァーリス論(六)─
高田 勇 『ラ・フランシァード』をめぐって
曽田 秀彦 「民衆」の登場─「民衆芸術論」再論─
池川 健司
立川 英明 訳
カール・フィーェトル「精神史としてのドイツ文学史─ひとつの回顧─」

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