「文芸研究」総目次(第101号〜第110号)

「文芸研究」総目次(第101号〜第110号)

第110号(2010年3月10日)
伊藤 氏貴 こころの教え方 —高等学校教科書教材としての『こころ』の「学習目標」—
永藤 靖 古代人の<見えるもの>・<見えないもの> —「形見」「鏡」「貨幣」をめぐって—
山口 謠司 顏師古注所引『漢書音義』の撰者は「傅?」ではなかろうか
越川 芳明 翻訳 ゾラ・ニール・ハーストンの民話と短編小説(2)
  野毛孝彦教授ご退職にあたって 略歴・業績書
内村 和至 野毛先生と私 —知るも知らぬも逢坂の—
佐伯 和香子 野毛先生のこと
  牧野有通教授ご退職にあたって 略歴・業績書
亀山 照夫 牧野さんと宇宙
  小川武敏教授ご退職にあたって 略歴・業績書
永藤 靖 小川先生あれこれ —洒脱と韜晦—
池田 功 小川武敏先生のご業績
氣賀澤 芙美子 Y.ベランジェ、J.セアール、M.=C.トミーヌ=ビシャール編
『プレイヤード派の詩 遺産、影響、相続』
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(5)
—「第三巻」と「第四巻」—
第109号(2009年11月20日)
永藤 靖 『仁徳紀』の両面宿儺について —隠された英雄伝説—
金 任仲 古代日本と朝鮮渡来文化(1) —高麗神社と聖天院をめぐって—
越川 芳明 翻訳 ゾラ・ニール・ハーストンの民話と短編小説(1)
清水 あつ子 ヒスパニック系住民の言語
久保田 俊彦 論点発見装置としてのコーパスの可能性
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(4)
—「第二巻」第七章から第十三章—
森 真太郎 マルグリット・ユルスナールの散文論 —「声の肖像」について—
第108号(2009年3月26日)特集号 「トリプレクスとしての文学と思想と映画」
緒言 理論は芸術の旅人のための地図である
宮越 勉 映画のなかの志賀直哉
合田 正人 ベルグソンの暗室
堂野前 彰子 「日常」を描く
佐久間 桃 深淵なる「瞬間」
酒井 友加 精神のたたかい、光の可能性
神鷹 徳治 偶然の出会い
神岡 寿賀子 「死」への憧れから「生」へ
米川 和美 原作と映画の関係
塚田 麻里子 二人の脚本家からみた「アラビアのロレンス」
永藤 靖 日本の地霊(三)
川島 真紀子 詩人とマラソン
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(3)
第107号(2009年2月10日)
佐藤 義雄 自娯・適意・暢神—志賀直哉 我孫子のテキストを読む—
永藤 靖 伊雑宮・御田植祭の原風景—琉球のウンジャミ祭を視野にいれて—
川島 みどり 『瞽判事』と『錦染瀧白糸』をつなぐもの—原・『義血?血』を読む—
唐澤 聖月 志賀直哉「好人物の夫婦」論—夫婦をめぐる小説の誕生—
藤岡 阿由未 グランヴィル・バーカーによるアンサンブル演技の創造—伝統と革新のあいだのシェイクスピア上演—
  山田恒人教授ご退職にあたって 年譜・業績書
野毛 孝彦 「老兵は死なず」
佐藤 正紀 恒人さんとの日々
Michael Mandelartz Der Tatort und die Grenzen des Rechts
Der Fernsehkrimi als Ritual und als Kunst
小島 久和 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(2)
—「第一巻」第五章と第六章—
市川 孝一 戦後復興期大衆歌謡の再検証
Rumiko Oyama A Stylistic Analysis of Kazuo Ishiguro's Never Let Me Go:
Use of transitivity,modality and speech presentation in relation to characterisation
第106号(2008年10月29日)
武田 清 新劇とロシア演劇Ⅱ—八住利雄のこと—
中野 正昭 心座と三つの『トラストD・E』
—一九二〇年代の演劇にみる〈アナーキズムの美学/コミュニズムの政治学〉—
永藤 靖 ヒメコソノ神と幡—筑紫文化圏のネット・ワークから伝承を読む—
金 任仲 新羅僧元暁と義湘伝—『華厳縁起』を中心に—
山口 直孝 書評 宮越勉著『志賀直哉—暗夜行路の交響世界』
Gayle K.Sato The Cats of Murakami:The Art of War Memory in Karen Tei Yamashita's Tropic of Orange,
Murakami Haruki's Kafka on the Shore,and Linda Hattendorf's The Cats of Mirikitani
Jennifer Holt Filial Paradise:
Japan as an Exemplum of Social Order in Turn-of-the-Century British and American Educational Literature
田母神 顯二郎 『かつての私』あるいはネオ・モナドロジー —初期ミショーのもう一つの展開—
Laurence Nicolas Une pr?sentation du 《Harusame Monogatari》 de Ueda Akinari
小島 久和 訳 翻訳 マルシリオ・フィチーノ著『プラトン神学 霊魂の不死性について』(1)
—「序論」から「第一巻」第四章—
第105号(2008年3月26日)特集号 「越境と冒険のラプソディー」
緒言 異質のものがそこに存在している
恒川 隆男 生死の彼方に
神山 彰 「スピード」の時代
ジャック・レヴィ 妙な悲しみ
田母神 顯二郎 リンゴまで・リンゴの先へ
立野 正裕 虚無を見つめる勇気
佐藤 義雄 迷路の奥の〈夢の女〉
合田 正人 《越境のラプソディー》へのもうひとつの序
永藤 靖 日本の地霊(二)
神鷹 徳治 『文集』は〈もんじゅう〉か〈ぶんしゅう〉か
合田 正人 岸辺なき海の岸辺にて
第104号(2008年3月20日)
永藤 靖 『肥前国風土記』の山野河海 ─土蜘蛛説話を中心に─
田母神 顯二郎 〈断片人間〉とピエール・ジャネ ─アンリ・ミショー『夢と脚』の考察─
伊藤 真紀 日比谷野外能と「能楽歓興会」の設立 ─大正期の「デモクラシー能」─
  原道生教授ご退職にあたって 履歴書 業績書
山下 則子 「会長」の憂愁
合田 正人 廃墟の造形 ─ベルクソン/レヴィナス/ベンヤミン─
第103号(2007年9月22日)
武田 清 新劇とロシア演劇—オリヴァー・セイラーのこと—
小笠原 愛 リベレーションズ—モダンダンスの「異世界」が持つ可能性—
内村 和至 四方梅彦について—訂正・補遺(二)—
永藤 靖 『常陸国風土記』の〈常世〉
Kenjiro Tamogami L'inspriration n?o-jacksoniste dans la th?orie psychopathologique de Pierre Janet
Rumiko Oyama Visual Translation of Literare Texts: A Case of Hemingway's Cat in the Rain
Teruko Kajiwara The Success and Failure of Walt Whitman's Democratic/Feminine Text
Jennifer Holt ‘What did such a little black ape want in a sweet young lady's room?’
:Revisiting Kingsley's Water-Babies as a Human Right Text
Toichi Izawa Do You Know Anything of Shelley?:Adonais, a New Sorrow
第102号(2007年3月26日)特集号 「倉橋由美子の世界と反世界」
緒言 死者の記憶が遠ざかるとき、同じ速度で、死は私たちに近づく
嶋岡 晨 倉橋由美子の〈酔郷〉
合田 正人 岬と雑人
小副川 明 トスカの嘆き
津田 洋行 倉橋由美子 私感
陣野 俊史 精神的王族について
塚田 麻里子 「黙殺」に反して
  著書解題
  倉橋由美子略年譜
永藤 靖 日本の地霊(一)
佐藤 正紀 ジョーイー・ザ・クラウンとロバート・バイロン
梶原 照子 リーヤン・リー
堂野前 彰子 父性と言葉
第101号(2007年2月28日)
伊藤 真紀 神田孝平の「国学」論と「戯劇」—『国学ヲ振興スベキノ説』をめぐって—
内村 和至 四方梅彦について—訂正・補遺—
永藤 靖 〈異界〉から遠野物語を読む—流動化する世界像—
Teruko Kajiwara The Practice of Intersubjectivity in Li-Young Lee's Poetry
岩井 憲幸 『ムスチラフ福音書』における重出テクストについて—マタイ伝の場合—

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