文学部紀要
「駿台史学」総目次(第71号〜第80号)
第71号(1987年10月)
論 説 | 羽田博昭 | 1920年前後における印刷工の労働・生活・意識とサンジカリズム | 1- 34 |
論 説 | 高田幸男 | 南京国民政府下の教職員運動—上海教聯を中心に— | 35- 74 |
論 説 | 阿部芳郎 | 縄文時代後期前葉型式群の構造と動態—堀之内1式と東北地方の型式群の関係について— | 75-105 |
論 説 | 松田 孝 | わが国工業の地域的変貌 | 106-127 |
研究動向 | 三宅 立 | グスタフ・ランダウアー研究覚書 | 128-156 |
第72号(1988年2月)千葉徳爾先生古稀記念 地理学特集号
論 説 | 千葉徳爾 | 遼河中流域における土壌浸食—旧満州5万分の1地図を資料として— | 1- 34 |
論 説 | 石井素介 | 西ドイツにおける「地域」概念の社会的基盤—地域主義・地域意識研究への道— | 35- 81 |
論 説 | 長岡 顯 | スペインにおける工業化の地域的不均等展開 | 82-114 |
論 説 | 小疇 尚 下川和夫 岡沢修一 |
東昆崙山脈カカサイジモン力山(中国)の地形と植生 | 115-157 |
論 説 | 藤田直晴 | アメリカ合衆国主要企業本社の立地特性とその現代的意義 | 158-174 |
論 説 | 谷島久雄 | 積雪山村住民の医療施設利用行動—新潟県上川村の事例— | 175-197 |
研究 ノート |
清水長正 | 加住丘陵西部の悪地地形と六枚屏風の形成 | 198-224 |
資料紹介 | 杉原重夫 叶内敦子 見世研一 柴野明彦 矢田部弘彰 |
アメリカ合衆国の第四紀テフラ研究の特徴とその紹介 | 225-250 |
第73号(1988年3月)
論 説 | 叶内敦子 | 福島県吾妻山・亜高山帯湿原の表層花粉の特徴と亜高山帯植生の変遷 | 1- 17 |
論 説 | 八田恵子 | 第一次世界大戦後の自作農主義—高落松男の農村振興策を中心に— | 18- 46 |
論 説 | 松崎つね子 | 湖北における秦墓の被葬者について—睡虎地十一号秦墓,被葬者「喜」と関連して— | 47- 72 |
論 説 | 近江吉明 | エティエンヌ・マルセル市民蜂起と民衆(上) | 73- 98 |
論 説 | 小杉 康 | 縄文時代の時期区分と縄文文化のダイナミックス | 99-124 |
報 告 | 海野福寿 | 朝鮮人軍夫の沖縄戦 | 125-141 |
追 悼 | 小疇 尚 | 岡山俊雄先生の御逝去を悼む | 142-145 |
第74号(1988年10月)
論 説 | 久保田宏次 | 青海省大通県上孫家寨一一五号漢墓出土木簡の考察—特に漢代の部隊編成を中心として | 1- 20 |
論 説 | 佐藤清隆 | エリザベス朝・初期スチュアート朝イングランドの居酒屋政策—議会制定法とその成立過程の検討を中心に— | 21- 83 |
論 説 | 石川日出志 | 縄文・弥生時代の焼人骨 | 84-110 |
論 説 | 澤口晋一 | 北上山地中部一杯森のアースハンモック—観察と実験— | 111-133 |
研究 ノート |
神崎彰利 | 近世農村における手間について—近江国伊香郡八戸村の事例— | 134-152 |
第75号(1989年1月)特集・日本古代史
論 説 | 下出積與 | 律令貴族層における仏教の位置—いわゆる万葉時代を中心にして— | 1- 24 |
論 説 | 中村英重 | 神主の形態と氏神・氏上 | 25- 47 |
論 説 | 栗林史子 | 養老律令の編纂・施行に関する諸問題—特に編纂主宰者に関して— | 48- 69 |
論 説 | 瀧音能之 | 国引き神話の北門について | 70- 88 |
論 説 | 三舟隆之 | 国分寺造営と地方豪族—国分寺系軒瓦の分布を中心として— | 89-109 |
論 説 | 宇佐見正利 | 『扶桑略記』の引用—『日本往生極楽記』の場合— | 110-129 |
論 説 | 根本誠二 | 行基伝承をめぐって—丹後国を中心に— | 130-149 |
第76号(1989年3月)
論 説 | 松橋公治 | 構造アプローチについての覚書—方法論的特質と,「地域構造論」との対比を中心に— | 1- 37 |
論 説 | 平野 満 | 蘭馨堂門人・衣関順庵 | 38- 67 |
論 説 | 矢沢利彦 | 西洋人の見た中国の茶 | 68-102 |
論 説 | 近江吉明 | エティエンヌ・マルセル市民蜂起と民衆(下) | 103-144 |
論 説 | 宮代栄一 | いわゆる貝製雲珠について | 145-173 |
書 評 | 竹浪隆良 | 堀敏一著『中国古代の身分制—良と賤』(汲古書院、1987) | 174-183 |
書 評 | 黒沢 浩 | 勅使河原彰著『日本考古学史—年表と解説—』(東京大学出版会,1988) | 184-186 |
第77号(1989年10月)
論 説 | 湯 浅 治 久 | 革嶋氏の所領と乙訓郡一揆—「惣国一揆」の性格規定にふれて— | 1- 41 |
論 説 | 阿 部 芳 郎 | 縄文時代早期における石器群の構成と生産活動—縄文文化の成立と展開を試考するための石器群の基礎的分析— | 42- 70 |
論 説 | 横 山 秀 司 | 長野県の山村・四徳の集団移住とそれに伴う社会構造の変化 | 71- 99 |
論 説 | HAYASHI, Yoshikatsu | A Study of the Development of Electric Illumination in the United States : General Electric in the Formative years | (1)-(35) |
書 評 | 高 島 緑 雄 | 木村礎編著『村落景観の史的研究』(八木書店,1988) | 100-119 |
雑 録 | 亀 谷 隆 行 | 1980年代後半,中国における明治維新研究の一面(教育改革) | 120-124 |
第78号(1990年2月)特集・新出土文書による中国古代史研究
論 説 | 堀 敏一 | 雲夢秦簡にみえる家と近隣—「中国古代の家と戸」補考— | 1- 26 |
論 説 | 重近啓樹 | 秦漢の商人とその負担 | 27- 59 |
論 説 | 西川素治 | 「漢代の遺言状」補説『先令券書』の釈文をめぐって | 60- 68 |
論 説 | 岡田 功 | 春秋戦国秦漢時代の貸借関係をめぐる一考察 | 69- 91 |
論 説 | 町田隆吉 | 使人と作人— 麹氏高昌国時代の寺院・僧尼の隷属民— | 92-108 |
論 説 | 石田勇作 | 吐魯番出土「擧錢契」雑考 | 109-129 |
論 説 | 竹浪隆良 | 「唐西州高昌県処分田畝案巻」について | 130-165 |
第79号(1990年3月)
論 説 | 平野 満 | 蘭馨堂門人・今井宗益とその父今井松庵 | 1- 26 |
論 説 | 沢田 勲 | 匈奴における「氏」の成立とその構造 | 27- 53 |
史料紹介 | 木下賢一 | お雇い外国人になったコミュナール | 54- 73 |
論 説 | 矢島國雄 | アラスカ・ホットスプリング遺跡の石器群について | (1)-(24) |
論 説 | 叶内敦子 | 群馬県小川島と山梨県鶴島における阿蘇4火山灰を挾む泥炭層の花粉分析 | (25)-(34) |
研究 ノート |
杉原重夫 小田静夫 |
伊豆諸島の八丈島・三宅島における鬼界—アカホヤ火山灰の発見と縄文遺跡編年上の意義 | (35)-(46) |
第80号(1990年10月)
論 説 | 安 秉直 (須川英徳訳) |
茶山の農業経営論 | 1- 38 |
論 説 | 鈴木直美 | 鳳凰山一○号漢墓出土史料から観た江陵社会 | 39- 76 |
論 説 | 岡倉登志 | イタリア占領前半期のエチオピア—ある報道を通して— | 77-107 |
論 説 | 上本進二 | 南関東の遺跡から検出された地震の痕跡と遺物・遺構の変位 | (1)-(18) |