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学長年頭所感 露堂々と(2017年1月1日)



明けましておめでとうございます。昨年は、明治大学にとって、飛躍の年でありました。新しい体制のもとで、大学全体が力を結集して、課題を克服してまいりました。文部科学省の「私立大学研究ブランディング事業」と「大学の世界展開力強化事業」に、明治大学のプロジェクトが採択され、着実に成果も上げることができました。今年も引き続きこの飛躍をさらに前へと推し進めて、明治大学を圧倒的存在にするために努力していきたいと覚悟いたしております。

年末に臨済宗相国寺派管長で金閣寺・銀閣寺のご住職である、有馬頼底さんにお会いしました。今年84歳で実に闊達でお元気でした。新年に向けて新しい干支の絵を描いて言葉を添えてくださる。500枚ほど描かれるということで、みな言葉が違います。今年は酉年なので、鶏とその雛の絵で、私への言葉は「露堂々」でした。有馬さんは「ろどうどう」と言われていましたが、飾らずまっすぐ堂々としていろ、ということでしょう。確かに、課題が多く越える山が高いほど、飾らずまっすぐ堂々としていなければなりません。そこに道もひらけるはずです。

今年は、大学教育の基盤を見つめ、大学における教養教育—リベラル・アーツを強化する方法を検討していく年であると考えています。

古代ローマのストア派の哲人・セネカは、「リベラル・アーツ」を世界市民(コスモポリタン)のための教育であると言いました。つまり自分の生まれた場所の習慣や言葉から解放されて、世界のうちの異なる文化と言葉にふれることで自分を自由にすることが、リベラル・アーツであると言いました。私は、昨年の入学式告辞でもこのことに言及しました。大学教育の根本は、この自由を胸いっぱいに感じることです。大学が異なる言語を教え、社会科学の学部学生にも物理学を教えるのは、世界の広がりと多様性を、そして宇宙のなかの人間を知るためです。そこに本当の意味での「グローバル(地球)人材」がいます。

それは、母国という鎧を脱いで、世界の誰とでも露わに堂々と語りあえる世界市民になることです。教養教育の意義はそこにあります。大学生としての知性と感性を涵養するために、大学は教養教育の骨格を確立する必要があります。そのために必要な施策を提案することで、明治大学の根幹を強化して、専門教育へとつなげていきたい。「露堂々」と、提案していきます。

新年をこの希望へとつなげるために、活発な議論をしましょう。共に地平に向かって。