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定例研究会 2016年度

2016年度 第2回『メインストリーム文化とLGBT』

2016年11月23日(水)実施

講師略歴 フレデリック・マルテル氏



作家、批評家、ジャーナリスト。社会学博士。パリ政治学院で教鞭をとった後、現在CERI(パリ政治学院付属研究所)研究主幹。複数の書評、文化サイトの運営に関わり、ラジオ番組「ソフトパワー」のプロデューサー兼司会者でもある。
著書に『超大国アメリカの文化力』(邦訳:岩波書店, 2009)、『メインストリーム:文化とメディアの世界戦争』(邦訳:岩波書店, 2012)、『現地レポート 世界LGBT事情』(邦訳:岩波書店, 2016)がある。
 
報 告:高馬 京子(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
 2016年11月23日、ジェンダーセンター2016年度第二回定例研究会としてフレデリック・マルテル氏『メインストリーム文化とLGBT』を開催した。
作家、批評家、ジャーナリスト、社会学博士であるフレデリック・マルテル氏は、パリ政治学院で教鞭をとった後、現在CERI(パリ政治学院付属研究所)研究主幹を務める。複数の書評、文化サイトの運営に関わり、ラジオ番組「ソフトパワー」のプロデューサー兼司会者でもある。国内でも『超大国アメリカの文化力』(邦訳:岩波書店, 2009)、『メインストリーム:文化とメディアの世界戦争』(邦訳:岩波書店, 2012)、『現地レポート 世界LGBT事情』(邦訳:岩波書店, 2016)といった翻訳書がすでに存在する。いずれの著書も十以上の言語に翻訳され、二十か国近くに流通し、また、最近ではデジタル時代の産業と文化について調査をまとめた最新刊『スマート』もある。本研究会では、LGBT文化について、インターネットやデジダルメディアがもたらす影響とは何かを中心に、LGBTの人権の問題とあわせご講演いただいた。
また、コメンテーターをお願いした砂川秀樹氏は、文化人類学者で、ゲイ・コミュニティに関する博士論文『新宿二丁目の文化人類学:ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』を本としてまとめられ、様々なご論考を発表されると同時に、ピンクドット沖縄共同代表としての活動家でもある。砂川氏には、日本のLGBTについて解説と、マルテル氏のご講演に対するコメントを頂き、最後には来場者からもマルテル氏への質問を受けつけた。フランス語でのマルテル氏の講演の通訳は、本学文学部根本美作子氏が担当された。
マルテル氏は、講演の中で、女性の人権、報道・言論の自由、市民のインターネット利用などの度合いによって塗り分けられた世界地図は、ゲイ解放の地図とほぼ一致すると指摘した。LGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)の権利は今や基本的人権として認識されはじめており、LGBT問題に対する各国の態度はその国の民主主義の成熟度や現代性を測る基準となるとしている。その一方で、同性愛が死罪の国は10か国、違法の国は76か国存在するとのことである。これら世界の傾向を約50か国の同性愛者たちのおかれている現状を取材しまとめた『世界LGBT事情』(岩波書店2016年)に基づき、LGBT文化とその権利の世界諸国の異なるそれぞれの状況について、横断的なレポートを映像資料ともにご講演頂いた。
また、取材した各国のメインストリーム文化と同性愛の関係にも触れられ、同性愛を拒絶するアジアや中南米の国でも、フィクションの世界では、ゲイは容認される傾向が強いと指摘された。近年は、クリエイター、企業家など「創造産業」の担い手として、また、情報感度の高い消費者として、LGBTの経済的な重要性も注目されているとし、日本においても、日本のクールジャパン戦略にLGBT文化を利用する有効性について提言された。そして、インターネットの普及がLGBT 解放にもたらした影響は計り知れないことも強調された。
コメンテーターの砂川秀樹氏からは、世界横断的に多様なLGBT文化を調査したマルテル氏の講演を受け、日本のLGBTと「ゲイ・コミュニティ」についてのコメントを頂戴した。日本では、LGBTという言葉が包括的に使われる傾向が近年若者の間でみられるが、実はLGBTそれぞれのコミュニティーやネットワークは基本的に別と指摘された。それらの動き、1970年代から2000年代にかけての日本、主に東京のゲイ・シーンの変化をメディア、対面的な場の中で通史的に考察していただくと共に、レズビアンやトランスジェンダー関連の動きも切り離しての考察を提示され、今後のLGBTと「ゲイ・コミュニティ」について、1)多面化、多層化、2)それぞれの国際化、3)LGBT内/「ゲイ・コミュニティ」内の差異の顕在化と摩擦(階層差感/意識、他の社会問題へのスタンス、民族主義、排外主義)を示された。
また、討論では、砂川秀樹氏のコメントのあと、会場から三橋順子氏からのコメントも提示され、LGBTという言葉に対する考え方、スタンスに関して、両者と、人権のためにLGBTという言葉を戦略的に使用するマルテル氏との相違点が浮き彫りにされた。今回、来場者95名、内アンケートに答えてくれたのは54名であったが、そこでは、上記した相違点に関する討論をもう少し聞きたかったという意見(その後マルテル氏はLGBTとゲイ/GAYという言葉についての見解を『世界』2月号で対談という形で発表している)、その他、LGBTをめぐる世界の情勢、日本の情勢がわかってよかったという意見が聞かれた。今回の定例研究会におけるグローバルな視点と日本の視点からのLGBTに対する現状、見解の提示、またLGBTという言葉に対する認識の相違の提示により、LGBTをめぐる諸問題、課題についてさらに今後考えていくきっかけになればと考える。

講演者 フレデリック・マルテル氏

コメンテーター 砂川秀樹氏

コメンテーター 砂川秀樹氏

2016年度 第1回『摂食障害からの回復—臨床社会学の観点から—』

2016年5月25日(水)実施

講師略歴 中村 英代氏



東京大学大学院修士課程修了、お茶の水女子大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。(博士:社会科学)
専攻は社会学。摂食障害ほか、薬物依存などの依存症をはじめとする現代社会の生きづらさと、生きづらさを生む社会環境を研究テーマとしている。著書に、『摂食障害の語り—〈回復〉の臨床社会学』(新曜社 2011 第11回日本社会学会奨励賞・著書の部受賞)、近年の論文に、「誰も責めないスタンスに立ちつつ、問題の所在を探りあてる—摂食障害・薬物依存へのナラティブ・アプローチ」(『ナラティブとケア 第6号』 2015)、「『ひとつの変数の最大化』を抑制する共同体としてのダルク—薬物依存からの回復支援施設の社会学的考察」(『社会学評論』 2016)などがある。
報 告:出口 剛司(東京大学大学院人文社会系准教授)
今年度第1回の定例研究会では、中村英代氏(日本大学文理学部准教授)をお迎えして、講演「摂食障害からの回復—臨床社会学の観点から」をお願いした。摂食障害といえば、女性特有の心の病というイメージがあり、ジェンダー論ともかかわりが深いと考えらえられている。中村氏の講演は、そうした従来型の研究スタンスに対する一つの挑戦である。これまで摂食障害をめぐる言説は、疾病の原因をジェンダー規範、ジェンダー規範を押し付ける社会、社会に抑圧される心理に求めてきた。こうした一連の言説を「病因の言説」と呼ぶとすれば、氏の考察対象は「回復の語り」である。
まず、旧来型の「病因の言説」とはどのようなものか。それは端的に「なぜ、摂食障害に陥るのか」という問いを立てる言説である。しかし、そうした問いは「治療者」の視点、「研究者」のまなざしから発するものであり、ときに当事者の身体を意味づけ、患者を病のループに閉じ込めてしまう。すなわち、病因論が描く病のストーリーによって、身体が意図せず釘付けにされ、当事者の身体が病の主体として定義されてしまう。しかも病因を愛情不足、つまり家族関係に求めることにより、当事者は「家族問題」という新たな問題を抱え込むことにもなりかねない。このような観点から見ると、摂食障害からの解放をめざしたはずの病因論と実際の「病からの回復」は、必ずしも直結しているわけではないことがわかる。むしろ、両者は相反する関係に立つこともある。これまでの研究とは異なる「当事者」の視点に立った、しかも病因ではなく「回復」に軸を置いた言説、伝統的なそして社会学もそれに寄与してきた病因論とは異なる言説があるのかもしれない。中村氏の研究は、こうした疑問に積極的に答えようとするものである。
むろん中村氏は、これまでの病因論的研究の成果を単に退けるのではなく、氏独自の方法で吸収し、新たな視点から書き換えることをめざす。それによると、私たちは摂食障害の原因=病因を「食べ物」への依存に求めがちではあるが、実際には「痩せた身体」(観念・イメージ)への依存であることが示される。こうした中村氏の病因論から示される第一の処方箋は、逆説的にも「食事を抜かない」そしてそのことによって可能となる「吐かない」ということである。
しかし、中村氏が徹底してこだわるのは、身体を回復へと意味づけた「当事者の語り」である。当事者は「なぜ病に陥ったのか」という問いから、当事者は「どのようにして回復したのか」という問いへと、問いの形式が抜本的に変更される。そこで浮かび上がってくる悪しきストーリーは、皮肉にも当事者が自己の身体を病として同定することによって循環構造に陥ることである。しかるに私たちが探求すべき語りとは、当事者が語りを通して人生の物語や意味づけを変化させ、別の身体を生きる回復の構造である。新しい意味づけの一つは、病を「私の問題」から「社会の問題」へと語り直すことである。しかし、もしそこにとどまるなら、疾因を社会に求める従来型の言説と変わりがない。原因が社会にあったとしても、すぐに社会は変わらない、ではどうするのか?
こうした観点から、氏は匿名性に守られた自由な語りの空間を構築することの重要性を強調する。語りはそれ自体で苦しみを緩和し、安心を提供する。そして自分自身を不安なく自由に語ることで、抑圧的な社会構造やジェンダー規範によって拘束された身体から自分自身の身体が取り戻される。それが自由な語りの空間の効果である。ここで留意すべき点は、摂食障害の研究——それらはすでに指摘したように「治療者」や「研究者」の視点からなされる場合が多い——もまた、身体を病へと隔離する力をもつことである。誤解を恐れず言えば、そして中村氏の主張を延長すれば、従来の社会学的ジェンダー論もまたこうした隔離に与してきた可能性を拭い去ることができない。しばしば、脱構築をめざす構築主義が、構築される社会構造を解明するというその身振りによって、抑圧的な社会構造そのものを生産・再生産する場面に出くわす。その意味で氏の臨床社会学は、実在論から構築主義へと展開した社会学が依然として解放の力を持ちえないことへの異議申し立てとも理解できる。なるほど、従来の病因を特定し解明する告発型のジェンダー研究からは、同調主義、心理主義との批判も向けられよう。しかし、言説による意味付けに注目し、回復への道筋を描こうとする氏の研究は、間違いなく臨床社会学の新たな可能性を切り拓くものである。詳細は氏の主著『摂食障害の語り—〈回復〉の臨床社会学』(新曜社)に詳しい。