経営学部

フィールドスタディC(京都:佐々木先生)実施報告

2016年07月07日
明治大学

(株)川島織物セルコンを訪問(株)川島織物セルコンを訪問

オムロン京都太陽(株)にてオムロン京都太陽(株)にて

島津製作所本社・三条工場にて島津製作所本社・三条工場にて

島津製作所創業記念館を訪問島津製作所創業記念館を訪問

 
 テーマ  企業経営の歴史と現状-京都企業

 2016年6月16日(木)~18日(土)の3日間,京都に立地する3つの企業を訪問した。
 初日の6月16日(木)の午後は,(株)川島織物セルコン(左京区静市市原町)を訪問した。1843年創業であるから,170年以上の社歴を有する老舗企業である。「川島の三本線」の帯は知る人ぞ知るロングセラーの高品質品である。明治大学にも納入されている劇場用の緞帳(どんちょう),祭りなどの祭礼幕,関取の化粧まわしなども,綴織(つづれおり)の手法で,熟達した人の手によって織り出される貴重なものである。この他,カーテンやシェードなどの室内製品,事務用の椅子,自動車や新幹線の椅子,公共空間の内装も同社の仕事である。綴織の現場,緞帳の仕上げ作業,ジャガード織り(縦糸をコントロールする機械),カーテンなどの製造の現場を見学した後,川島発展の歩みを知ることのできる織物会館などで御説明をいただいた。現場での熟練作業の精緻さに,皆,圧倒された。歴史コーナーでは多くの芸術家(伊藤若冲,神坂雪花ほか)との関連,さらには第1次大戦中の染料不足下で品質にわずかな疑義が生じた際に当時の川島家当主夫人が切り裂いた「断機の戒め」(品質が不完全なものを世に出さなかった)は,今でも川島の品質に対する意識を感じさせる歴史的教訓であることを学んだ。
 2日目の6月17日(金)は,オムロン京都太陽(株)(南区上鳥塔ノ森上河原)と(株)島津製作所本社・三条工場(中京区西ノ原桑原町)を訪問した。午前中に訪問したオムロン京都太陽は,社会福祉法人の太陽の家の中村裕氏と,オムロンの創業者である立石一真氏との協力によって1985年に設立された障害者の働く会社である。重度障害者を含む方々が働く生産現場では,ソケット,センサ,交流を直流に変える機器などを製造している。一般企業では,障害者採用の2%の基準があるが,このオムロン京都太陽の生産現場で働く方々はみな障害者であり,障害者がその能力を向上させる取り組み,支障を取りはらう改善などがたゆまず行われており,障害者の生産現場によって高品質の製品を継続的に産出する取り組みや仕組みを学んだ。初期に初めて給与をもらった方が「税金によって補償されていた自分たちが税金を納めることができるようになった」と言われたという思いは,いかに普通に働くことが当時の彼らにとって貴重なことであったかがうかがわれる。社会の理解とインフラ整備がより進んで,そうした思いを抱くことのない職場を拡充することが今後益々求められよう。
 17日の午後に訪問した島津製作所も,1875年に初代島津源蔵が創業した老舗企業である。事業範囲は,分析機器,計測機器,医用機器,航空機器,産業機器など広範囲に及ぶ。今回は,医用機器の展示,計測機器と分析機器およびそれら機器に使用するプリント基板の製造現場を見学させていただいた。機器の製造現場では,大学で学ぶ「トヨタ生産方式」(JIT,混流生産)などの実際を観ることができた。また,プリント基板の製造では,表面実装から,自動はんだ,部分整備,そして後づけの手によるはんだ付けまでの一連の流れを観ることができた。
 3日目の6月18日(土)は,島津製作所創業記念館(中京区木屋町二条南)を訪問した。創業期から現代までの島津製作所の経営発展の歩みと,主要な製品群をさまざまな掲示物・展示物によって学ぶことができた。レントゲン博士がレントゲンを発明した翌年に当時の第三高等学校(京都大学)の教授との共同で開発したレントゲンを初め,その時代ごとの日本初という製品がいくつもあり,また理科教育の実験で使用した理化学教材も島津製作所の製品群の1つであり,学生にとっては,多くのことを再発見させられることになった。また島津の取り組みから派生した企業・産業があること,たとえば電池産業(GS湯浅のGは源蔵,Sは島津のイニシャル),理科の人体模型からのマネキン産業などがあるのも知ることができた。

 佐々木 聡 専任教授