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東京西郊開発と明治大学−大正・昭和初年のキャンパス移転問題−
村松 玄太(大学史資料センター)
明治大学は都心型大学としての位置づけをより高めようと試みを続けている。まず1990年代に駿河台キャンパスの高層化に手をつけた。さらに近年、都心用地・建物取得を進め、学術情報拠点としての集積化を図っている。この動きは明治大学に限った話ではない。ここ数年、各大学キャンパスの「都心回帰」が顕著である。少子化を背景に各大学では学生の確保に力を注ぐ一方、社会人向け大学院や公開講座の充実を図っている。キャンパスが通学に便利な都心部に立地することは、受験生や社会人に対する大きなアピールとなる。その結果、大学が都心に校舎を設置する傾向が強まったのである。2002年に首都圏地域で大学の新・増設を制限する法律が廃止されたことがその流れに拍車をかけた。それ以降23区内への校舎の新・増設を決定した大学や大学院の数は30を超えるという(「大学 都心回帰に弾み」『日本経済新聞』2008年1月16日付)。
さて、昨今このように推し進められる都心回帰とは逆に、かつて多くの大学は都心の校舎を離れ、郊外に新しいキャンパスを求めた。とくに1970年代には筑波大学開学(1973年)、中央大学の多摩移転(1978年)などを象徴的な事例として大学郊外移転の大きな波が発生した。この時期の移転の主たる理由は、高度経済成長期以降に学生数の大幅な増大があったにもかかわらず、首都圏での校地拡張に厳しい制限が課されていたことにあった。同じ問題に直面していた明治大学がこの時期に郊外へと移転しなかったのは、「回帰」ばやりの今を思えば幸いというべきだろうか。
ところで大学郊外移転のうねりは、これが最初ではない。その第一次のピークというべき時期は大正末期から昭和初年まで遡ることができる。このときには明治大学でも郊外移転計画が検討された。
この移転ブームには、関東大震災の発生と西郊住宅開発とが密接にかかわっていた。明治末期、現在の東京都心にあたる地域(東京市・ほぼ山手線の内側である)は、ほぼ200万の人口を抱え、域内の土地開発もほぼ完了しつつあった。そこで大正初年あたりから徐々に、東京西郊の隣接町村である桜新町・目白などで宅地開発、分譲が開始されていた。
西郊開発を加速したのが1923(大正12)年9月の関東大震災の発生である。被害が甚大だった東京中心部の人口は急激に減少し、他方で復興事業として郊外開発が急ピッチで進められ、中心部から多くの住民や事業者が流入することとなったのである。その代表例としては震災翌年の1924年から宅地開発・分譲が開始された大泉学園、小平、翌年着工の国立、成城学園、1929年着工の玉川学園などを挙げることができる(『郊外住宅地の系譜』)。これらの住宅地に共通するのは西武・小田急といった民間鉄道会社の沿線にあり、学園町として構想された点である。多くの場合鉄道会社と一体となったデベロッパーにとっては、住宅街としての分譲はもとより、大規模校を誘致すれば学生の通学運賃収入も期待できるものであった。小平・国立では開発業者によって、関東大震災で壊滅的な打撃を受けた学校の誘致活動が盛んに行われた。その結果、東京商科大学(現一橋大学)が1926(大正15)年に神田一橋から国立に、津田英学塾(現津田塾大学)が1931年に麹町五番町から小平へと移転した。震災で駿河台の校舎がほぼ全焼してしまった明治大学も、1923年、学内に臨時に作られた復興審議会において国立・国分寺近辺への全面移転をいったん決定した。しかし商議員会・校友会は復興審議会の決定を認めなかったため、結局大学は駿河台にとどまって復興事業を行うことになる。全面移転計画は幻に終わった。
だが、すべての移転が中止となったわけではない。1934(昭和9)年、大学は代田橋にあった陸軍火薬庫跡地を購入し、駿河台にあった予科を同地へ移転開設した。これが現在の和泉キャンパスである。ここも民間鉄道である京王電鉄沿線にあり、予科の移転にあたっては、同社から融資や駅の移設などのバックアップを受けたのである。京王電鉄も西郊に伸びる鉄道であり、震災後の沿線開発を急ピッチで進めていた。和泉キャンパスも、震災と西郊住宅開発の影響下に生まれたものと考えてよいだろう。
京王電車沿線案内(部分。1935年頃。吉田初三郎画)。
和泉キャンパスが大きく描かれている。
M-style No.018(2008年5月20日発行)『大学史の散歩道』より
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