「明治大学広報」
 
第557号(2005年6月15日発行)
論 壇: 改革の時代へ 
監事 福島 啓充
 4月7日武道館はニュー明大生とそのご父母の方々で溢れかえっていた。今年も学部6698名、大学院877名、法科大学院209名の新入生を迎えた。桜花爛漫の中、希望に燃えた顔顔。うれしそうな父母の顔。明治の教育に期待しての姿である。その姿を見るにつけて責任の重大さを感ぜざるを得ない。大学広報に書く機会を得たので、監事という立場を離れて一校友として日頃思っていることを述べてみたい。

 教学の中で大学の使命は教育か研究かという議論もあるようである。私はナンセンスだと思っている。私立大学の経営は、その大部分を学生納付金でまかなわれている。これは、教育のためにいただいた資金で大学のあらゆる費用がまかなわれているということであり、当然のことながらその契約上の債務は教育をすることにある。大学のすべての基盤は教育であり、それが大前提といえると思う。もちろん、研究活動は大学教員の使命であり、研究の功績によって母校の名が上がることは校友として誇らしいことであり是非頑張ってもらいたい。しかしその研究は常に学生の教育に還元されていくという基本的な考えを採らなければならないのではないか。そのような基本的な考えが基盤にあれば教育と研究の微妙な調和が図られていくのではないかと思う。常に研究成果は教育へ・教育へ、という姿勢が大事なのではなかろうか。

 ではどのような教育を目指すのか。門外漢ではあるが批判を恐れずいえば、卒業生を受け入れる企業などの考えは明らかに昔とは様変わりをしている。今は即戦力を求めている。それに見合う教育をしなければならないということになる。社会実務に役立つ基礎教育は、学部に関係なく一般教養教育の中で研修させるべきであるし、キャリア資格取得も専門職大学院に預けるのではなく学部教育の中で行うのがニーズであると思う。

 次に「ゆとり教育」について述べたい。ただしこの意味は学生のゆとり教育のことではなく、教員のゆとり教育のことである。大部分の教員は学生の教育、自己の研究、学内行政、各種委員会など極めて多忙な日常を送っているようである。教員にゆとりを持ってもらわなければ教育もままならないであろう。科目の種類によっては大教室で学部横断の授業。インターネット等映像を使った授業等を大胆に実施したらどうか。それらにより教員に時間的ゆとりを作り、能力別指導やゼミの活性化、クラブ活動の活性化など学生の大学生活の充実の施策を採ってもらいたい。

 先日、学長室の先生方が大胆かつ先鋭的な教育システムを検討していることを聞いてまことに心強く思った。いよいよ明治も具体的な改革の時代に入った。
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