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論壇 大学の国際化への一考察 監事 西﨑 誠次郎

明治大学監事として3年間、理事会や理事会研究会への出席を通じて大学経営の実態を掌握し始めている。大学長が世界に開かれた大学、個を強め、国際的に通用する人材の育成を目標設定の一つとしていることは、正鵠を射ている。この目標達成のため、大学は予算を決め、教員、職員を配置し、切磋琢磨している。これらの努力が効果を発揮し始め、明治大学に対する社会の評価が向上していると実感している。

創立者達が新興国日本の明治時代にフランスに留学され、先進国の社会制度、文化等を体得し、近代日本を背負う人材育成の為に、本学の建学までに至る献身とエネルギーには敬服するばかりである。そして130年後の今、明治大学は世界に挑戦できる人材の育成に舵を切っている。

世界への挑戦には色々の形態があるだろう。学者や芸術家たちは個人能力を研鑽して個を高め、世界一流の地位を確立するだろう。しかし、多くは政府や企業、国際機関など、組織の一員として世界に挑戦する事になるだろう。最近の日本は内向きの青年が多く、海外志向が少ないと嘆かれている。

それでは50年前はどうであっただろうか。戦後、日本は食糧も不足し、職場も確保されない貧困と荒廃の中にあった。人々は食う為に懸命に働き、やがて世界一の労働力の質を培い、創意工夫と技術開発によって輸出を増大させていった。国民が食っていける社会を構築したのである。輸出促進のため、商社もメーカーも人材を海外へ派遣した。政府も大使館等を通じて企業活動を支援した。まさに日本株式会社の誕生であった。日本の輸出が増大すると先進国は輸入規制をした。反ダンピング調査、監視制度など、非関税障壁も強化された。新興国は完成品の輸入禁止や数量規制をして資本、技術の自国への導入を誘導した。日本企業としては本格的に海外工場進出を嫌でも推進せざるを得なかった。また、多くの海外駐在員が派遣された。優秀な者が先に出ていく時代であった。斯くして日本は経済の高度成長に成功したが、最近の20年間は停滞している。昨年は40年余も守ってきたGDP世界第二位の地位を中国に譲った。新韓国株式会社の出現に次いで中国、インドも政府主導で株式会社化している。国際競争は熾烈を極めている。明治大学も他大学、経済界、政府と協同して「日はまた昇る日本」を再構築する推進力になりたいものである。

一つだけ提言するとすれば、日本留学を終えた外国人も海外留学から帰国した日本人も、その能力の品質保証に見合うチャレンジの機会を社会から温かく与えられるような人事評価制度の工夫を期待したい。

(元YKK代表取締役副会長)