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明大をあとに「明治大学へのオマージュ!」

調査役 大野 友和

1970年代初頭、「よど号ハイジャック」「ビートルズ解散」「三島由紀夫割腹」「あさま山荘事件」「沖縄返還」など混沌とした社会状況、70年安保による学生運動の盛り上がりを引きずり、エポックメイキングな出来事頻発のころ、私は明治大学に就職しました。当時、大学内外とも騒然とし、まともな授業も事務も行う状況ではなく、“グローバル化”も“人材育成”も無縁の世界で日々を生きてきたような気がします。

以来40有余年、それでも明治大学はしっかりとかつ確固たる地歩を固め、この日本で、そして世界で存在感を示すほどになってきました。それは、何を隠そう私がのうのうとした日々を送っている間も、地に足を着けて明治大学を支えてきた多くの方々がいたからにほかなりません。そうした人々のお陰で私は郊外に小さな家を建て、3人の子供を学校に行かせ、生き続けることができたのです。感謝してもし尽せない思いでいっぱいです。

職員としては、図書館に長くお世話になり、その後、総務部、学術・社会連携部、大学振興部、経営企画部で仕事をしてまいりました。最後の1年は明治大学と系列法人化した新潟県南魚沼市にある学校法人国際大学に出向し、明治大学の新たなスキームである“世界トップクラスのグローバルユニバーシティ”に寄与すべく励んできました。

偶然、明治大学に拾われ、育てられ、支えられ生きてきて、これからも生きてゆきます。さしたる恩返しはできませんが、私は明治大学職員OBとして、校友として、“明治大学サポーター”であり続けます。