Go Forward

楠木は芽を吹いた後に古い葉を落とす。あたかも高校までの甘えを捨てた、新一年生のように映る。この堅実にして艶やかな生き方は、ひとつの範となる。

しかしこの木はプレッシャーに弱い。案の定この冬の大雪により、和泉校舎の枝も傷ついた。

それにしても、復元力は見事だ。今や当時のバランスを欠いた樹形は修復され、威風堂々の立ち姿を見せている。

折れることによって命を永らえるしたたかさには、畏敬の念さえ覚える。〈枝折れもどこ吹く風の鬼子母神〉である。

このような自然の営みに触れる時、人の世のレジリエンスという言葉が去来し、心が騒ぐ。

回復力と邦訳されるこの語は、身心の歪みや船の傾きを元に戻す意味のトリムと同義である。この視座を枝葉から根元へと辿ると、どのような志向が生じるのか。

向かう先は「柳に雪折れなし」「気に入らぬ風もあろうに柳かな」の身体化である。根幹はどっしり、 枝葉はしなやか、ということだ。回復力の根源には、楽観と忍耐という不屈の身がある。その要因の中にユーモアとスポーツが含まれている。道理である。