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「飯塚先生留魂之碑(るこんのひ)」を御存知だろうか。和泉キャンパス西門から壁際に少し南側、学生食堂「和泉の杜」のすぐ西側にそれはある。高さ2メートルほどの石碑だが、樹木に覆われていて気がつく人はほとんどいないし、案内板も立てられていない。

そもそもこの「飯塚先生」とは何者なのかといえば、1935年から37年まで明治大学に「配属将校」として派遣されていた飯塚国五郎陸軍中佐である。

当時は大学でも学生に対する軍事教練が行われていて、飯塚はその教官だった。日中戦争が勃発して、彼は連隊長として出征、38年9月に戦死をとげた。彼を偲んで、明治大学はその年の12月にこの石碑を立てた。

石碑は、知る人ぞ知るものとしてキャンパスの片隅にひっそりと存在しているが、こうした戦争遺跡は、生田キャンパスの登戸研究所関係の遺跡のように、積極的に大学内外に紹介し、そういった歴史があったということを多くの人に知ってもらった方がいいのではないか。

歴史を直視し、それを研究と教育に生かす。それが大学というものの役割ではないかと思う。