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明治大学の“女子力” 次代を拓く女性像とは

「専門部女子部」に始まり、各分野で輝く数多の女性を社会に輩出してきた明治大学。ジェンダーの枠を超え、時代を切り拓いてきた女性たちの歴史は、「前へ」と歩みを進めてきた大学の歴史とも重なる。気鋭のOG、女子学生、女性教員が集い、明治の“女子力”について語った。

2016新春座談

(写真左から)
▼進行役
情報コミュニケーション学部 教授
牛尾 奈緒美

フジテレビアナウンサーを寿退職した後、子育てをしながら大学院へ。1998年入職。明治大学ジェンダーセンター副センター長。研究テーマは「企業に働く人々がジェンダーの枠を超えて活躍できる場・方策を考案」。

(株)リコー テクノロジーセンター勤務
石塚 奈都子さん(2009年 大学院理工学研究科修了)

学部・大学院で電子工学を専攻。(株)リコーでは在学時の研究テーマでもあったモーター開発に携わる。技術者として画像システム開発本部に属し、コピー機のモータやセンサを制御する基板の設計開発を行う。

ヒラタワークス(株) 代表取締役社長
平田 静子さん(1969年 短大卒)

フジテレビに入社し、84年扶桑社へ出向。2000年には『チーズはどこに消えた?』をプロデュースし大ヒットを記録。同社初の女性役員を務めた後に退職。出版プロデュース業を中心とするヒラタワークス(株)を起業。

NHK 報道局記者
木村 祥子さん(1999年 農学部卒)

大学卒業後、NHKに入局。和歌山放送局、福岡放送局での記者生活を経て報道局社会部へ。現在は「報道局遊軍プロジェクト生活情報チーム」に配属され、雇用労働問題を追う。最近では地方創生にかかわる番組を担当した。

体同連女子ラクロス部 主将
松本 理沙さん(文学部4年)

「社会で活躍できるいい女になる」の理念のもと、日本一を目標に活動する女子ラクロス部の主将。2014年度の日本一、15年度の大学日本一に大きく貢献し、22歳以下女子日本代表にも選出された。総合商社に内定。



増える女子学生、華やぐキャンパス



牛尾 本日のテーマは「明治大学の女子力」です。皆さん卒業年度はいろいろですが、社会人として本学を見たときに、どんなイメージをお持ちですか?

平田 私は1969年の卒業ですが、その頃は男子学生が多いイメージが強く、質実剛健の大学でした。今は随分と雰囲気が変わって、女子学生も増えましたね。

石塚 私は2009年度の卒業ですが、女子にも開かれた大学というイメージです。

木村 私は農学部のある生田キャンパスで学んだのですが、生田にも女子が多くなったなと思います。しかも美しい女子学生が増えたなと(笑)。

牛尾
 私は1998年に明治に入職しているのですが、当時から現在を比べても、華やいでいると感じます。

平田 先日、女子校に講演にうかがったのですが、明治の女子学生は社会で活躍できる人材として評価が高く、就職率も高いと聞きました。

木村
 質実剛健は基本にありながら、女子も男子も洗練されてきましたよね。


女性25歳定年制を乗り越えて



牛尾 従来、日本企業の中には伝統的な価 値観に基づいた男女の役割分担がありましたが、近年は大きく変わろうとしています。女性の活躍を視野に入れた企業の人事モデルをつくっていかなければなら ないという、「ダイバーシティ」の考え方が進んでいますが、その流れを体現されてきた平田さんはどのようにお感じですか。

平田 私は明治大学短期大学を卒業してフジテレビに入社しましたが、当時、フジテレビは女子25歳定年制だったんです。牛尾さんがフジテレビに入社された頃はすでに撤廃されていましたよね?

牛尾 はい。それは「ジェンダー・マネジメント」の講義の中でもお話させていただいています。ほんの数十年前まで、フジテレビは女性だけが25歳定年制だったのですよね。

平田 そうなんです。当時は世間的にも、結婚したらなんとなく寿退社をするのが当たり前という風潮はありましたが、フジテレビは、男性は60歳、女性は25歳を定年とすると、明文化されていたんです。

木村 衝撃的ですね。

平田 そういう時代でした。しかも高卒と 短大卒しか採用していなかったので、明治短大卒業の私には、入社試験を受ける資格があったんです。ある意味でラッキーでしたね(笑)。入社面接では、くど いくらいに「25歳定年制のことはわかっていますか?」と念押しされ、「学生運動はしていませんね?」とも聞かれました。

牛尾 当時は学生運動が盛んな時代ですね。68年から69年には東大紛争もありました。

平田 私は「25歳になる前に、結婚して辞めます。学生運動もしていません。お友達にも学生運動にかかわっている人はいません」と可愛らしく答えたら、「友達がいないんですね」と(笑)。それくらい、ほとんどの学生が学生運動にかかわっていた時代です。

石塚 今では考えられない時代ですね。

平田 明治短大の1年後輩の残間里江子さん(プロデューサー)は、面接で「私は25歳になっても、絶対に残ってほしいと言われるような仕事をさせていただきます」と答えたら、不採用になったんです。

木村 意識の高い女性は採用されなかった…。

平田 そうなんです。でも、私が25歳になる少し前に、女子25歳定年制は撤廃されたので、私は60歳の定年まで勤められるようになったのです。

牛尾 1年前に入社していたら、その先の運命が違っていましたね。


男性と同等に働くということ

牛尾 木村さんも平田さんと同じように、メディアにお勤めですが、卒業当時の99年はどのような状況でしたか?

木村 NHKは全国に放送局があるので、転勤が可能かどうかを何度も聞かれました。当時はすでに、女性でも長く勤めてほしいという局の思いがあったのでしょう。ただ、転勤することについて、親は了承しているかを何度も聞かれました。

牛尾
 そのあたりはまだ、古い価値観が残っていたのですね。木村さんが最初に赴任されたのはどこですか?

木村 和歌山県です。私は事件記者からスタートしたので、和歌山毒物カレー事件の判決を見届けるまで和歌山にいました。

牛尾 男性も女性も関係なく、夜討ち朝駆けの事件記者ですか?

木村 そうです。私は女性記者第2号とし て和歌山に赴任しました。私は神奈川県出身なので、知縁、血縁、友達も誰もいない中で、一からの取材です。和歌山での5年間はカレー事件とともにかけぬけ ました。次に福岡に転勤となったのですが、子どもが犠牲となったいじめ自殺事件など悲しい事件を扱うことが多かったです。

平田 まあ。なぜでしょう?

木村 本当は福岡ソフトバンクホークスなど、スポーツを取材できると思っていたので、上司に「なぜですか?」と聞いたら、「きみは和歌山毒物カレー事件で、相当取材先に食い込んでいたと聞いたよ」と言われました。

牛尾 事件記者としての評価が高かったんですね。

木村 いえいえ(笑)。事件取材も大切。でももっと色々な分野も取材したいと思っていたので災害取材とか、あと福岡はお祭りとかも多いので「街ネタ」とかも追いかけていたんですよ。


働く女性の子育て環境は変化したか



牛尾 木村さんは現在、雇用労働問題を追いかけていらっしゃる。そのきっかけは何ですか?

木村 たとえば近年、妊娠・出産を理由とする不利益な扱い、いわゆる「マタハラ」で退職を迫られるようなことが問題になっていますが、急に仕事がなくなるということは、生きていく糧を失うことです。それは人間の本質的な問題ではないかと気づいたんです。

平田 私は23歳で結婚して、24歳で1人目を身ごもったときに、総務局長に話したら、「きみはホトトギスかね?」と言われました。

木村 それはどういう意味ですか?

平田 ホトトギスは托卵をする鳥なんです。うぐいすに自分の卵を託して、温めてもらってかえす習性があるんですね。そこで妊娠しても会社を辞めない私は、子どもを育てる責任を取らないつもりか?という意味だったんです。

牛尾
 すごい比喩ですね。今、そのようなことを言ったら大変なことになります。

平田 まったくその通りですが、当時は子どもを産んだら退職するのが当たり前という価値観だったんです。私は31歳で離婚するのですが、そのとき「働く」 ということに関する私の意識は変化します。つまり、私が大黒柱として子どもを育てていくという責任感が出てきたのです。

牛尾 平田さんはお子さんを預けながら仕事をされてきたわけですが、子育てをしながら働く環境についてはどう思われますか?

平田 私の長女は43歳で出産し、次女にも2人の子どもがいるのですが、保育所や待機児童の問題は、私が子育てをしていた頃とあまり変わっていないような 気がします。子どもはすぐに熱を出します。そんなとき、出張中だったらどうする?など、不安はいくらでもあります。働きながら子どもを育てる環境整備は、 まだまだ万全とは言えません。

牛尾 石塚さんはコピー機の商品開発をされていますが、研究開発分野における働く環境はいかがですか?

石塚 コンビニにあるようなサイズのコピー機であれば、100人以上のプロジェクトを組んで開発しています。その中でもメカ、化学など、さまざまな専門分 野の人間2~3人が各部署から集まって仕事を進めています。同じような仕事をしている人たちがチームで動いているので、どうしても避けられないような用事 があるときには、別の人に仕事を代行してもらうこともあります。子育てをしながら働く環境は、少しずつですが整ってきているのではないでしょうか。

牛尾 部門横断的なプロジェクトチームですね。働き方としては、自分自身のスケジュールと調整しやすいですか?

石塚 そうですね。仕事の納期によって忙しさの波がありますが、チームで情報を共有しながら働いているので、お互いに理解しながら対応しています。


社会に出て生きる明治イズム



牛尾 皆さん、さまざまな分野で活躍されていますが、明治大学で培って、今に生きていることは何でしょう。

石塚 在学中、理工学部の語学の授業は、電気科だけでなく、機械科や化学科など、他の科の人たちとの混合クラスでした。一緒に授業を受ける中で、他の学科 の人の勉強の仕方や価値観、考え方の違いを学ぶことができました。コピー機はより小さく、より省エネで、より静かな製品が求められているので、私の専門分 野である電気だけでなく、化学や機械の分野の人たちと協力し合いながら仕事をしなければなりません。そこに明治大学で学んだ「他者理解」の価値観が生きて いると思います。

牛尾 職場に同窓生は多いのですか?

石塚 そうですね。明治のネットワークがあるので、困ったことがあると相談できるのがありがたいです。しかも女性の先輩や後輩も増えていて、理系の女性の人数が多くなるのはうれしいことです。

平田 明治大学は真面目な学生が多いのではないでしょうか。私の在学中は特に質実剛健です。真面目で礼儀正しいという気質は、社会に出ても評価されることですね。

木村 事件がおきると記者は当事者全員に話を聞かなければなりません。当然、追い返されることもあります。でも、警察発表だけでは真実が見えてきません。 そこで諦めずに「自分は真実を知りたいのだ」という信念を貫いて相手にぶつかっていくと、最後は被害者の方も受け入れてくれるという経験をしました。その 気持ちは在学中のフェンシング部で培われたと思います。4年のときは女子のキャプテンを務めたのですが、チームとしてどう戦うのか、どうしたらチームがよ くなるのか、決断を迫られる場面もありました。駆け出しの記者として、どう相手と向き合うのかを判断する場面でも、フェンシング部でキャプテンを務めた経験が役立ったと思います。

牛尾 本日唯一の在校生、松本さんはラクロス部の主将を務めています。2014年度は女子ラクロスで日本一、今年もすでに学生では日本一になりましたね(12月3日現在)。

松本 ありがとうございます。ラクロス部はまだ、体育会ではなく体同連(体育同好会連合会)なので、練習場所もそれほど恵まれているわけではありません。助成金もないので、129人の部員がアルバイトをしながら頑張っています。

平田 129人のリーダーシップを取るのはすごいことですね。

松本 ほとんどが初心者でゼロからのスタートなのですが、それでも努力次第で日本一になれるという気持ちがあるから、頑張ることができるのだと思います。

平田 ぜひ、今後も頑張っていただきたいですね。


次代を切り拓く私たちの実感



牛尾 国の政策として、女性の活躍推進を提唱する中、女性である私たちが未来に羽ばたくために必要なことは何でしょうか。

平田 私は経営者として面接をする機会があるのですが、最近の女性は非常に優秀ですね。全員、女性を採用したくなるほどです。そこで女性が活躍するために は、国も、企業も、そして男性の理解も必要だと思います。女性だけが頑張っても難しいと感じます。さらに女子学生には、人生の中で結婚、出産など、女性な らではのさまざまなシーンがあっても、仕事を持って生きなさいと言いたいですね。経済的な自立はどんなときでも必要です。

木村 私は雇用労働問題を取材する中で、やはり平田さんのおっしゃるように、仕事を失うのは人生にとって大きなリスクであると実感しています。そこで職業 の選択ですが、ときにOG訪問を受けると「私は文学部なので、取材記者にはなれないのではないだろうか」という相談を受けることがあります。法学部や経済 学部でなければ採用されないのではないかというのですが、そのように自分の選択肢を狭めないでほしいと思います。挑戦してみたら案外大丈夫だったという経 験は、私にもあります。もしも先例がなかったら、自分が先例になって、前へ進んでほしいと思います。

石塚
 私は理系出身なので、“リケジョ”を集めたシンポジウムやミーティングに参加させてもらうことがあります。そこで男性にはない発想を生み出したり、 新しい製品開発に役立てたりしたいと思うのですが、ときどき“リケジョ”という言葉に抵抗を感じることがあります。将来は理系の「女子」とカテゴライズさ れないで、自由に仕事ができるようになるといいなと思います。

松本 私は商社の総合職に内定をいただいているのですが、そこでもまだ男女の差を感じます。まず、女性の総合職の数が少ないです。「商社マン」という言葉 はありますが、「商社ウーマン」という言葉がないのはなぜだろう?という疑問も感じます。まだまだ、商社で活躍する女性が少ないのだと思います。将来は 「商社ウーマン」という言葉が自然になるように、挑戦し続けていきたいと思います。

牛尾 教職員の立場からは、これから世の中で活躍できる女性を、どんどん輩出する大学でありたいと思います。皆さん、ありがとうございました。

対談の詳細は、広報誌「明治」第69号(2016年1月15日発行)でご覧いただけます