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故・北島忠治ラグビー部監督のメモリアルコーナーが故郷の新潟県上越市に



北島監督の往時をしのぶ展示品の数々(新潟県上越市教育委員会 体育課 提供)

体育会ラグビー部の礎を築き上げ、同部、ひいては明治大学の精神でもある「前へ」の名言を今に残した故・北島忠治監督—。そのゆかりの品々を展示するメモリアルコーナーが3月12日、北島監督の故郷である新潟県上越市の「リージョンプラザ上越」に設けられた。

日本ラグビー界に一時代を築いた北島監督の功績をたたえるとともに、その存在を市内外に広く知ってもらうことを目的に、没後20年にあたり、上越市と市教育委員会が設置したもの。

メモリアルコーナーには、「前へ」と記された直筆の色紙、試合観戦時に着ていたブレザーや愛用の杖、写真パネルや表彰状などが並び、往時の北島監督をしのぶことができる。

この日行われた完成記念式典には、北島監督の長男・治彦氏や、ラグビー部の丹羽政彦監督、大六野耕作部長(政治経済学部教授)など、関係者ら約100人が出席し、テープカットも行われた。大六野部長は「このコーナーは、北島監督が掲げた精神を発信する起点となる」と祝辞を述べ、遺品の寄贈に協力した治彦氏は「“監督・北島忠治”の価値観を共有してもらえれば」と思いを語った。

北島監督の教え子でもあり、現チームを率いる丹羽監督は「創部90年を超えるラグビー部を67年間指導されたのは非常に大きいこと。先生が残したのは『前へ』だけではないので、それを学生に伝えていきたい」と次のシーズンを前に、決意を新たにしていた。