駿風

そこにたどり着く手段といえば、十人も乗れば沈没してしまうようなボートだけ。悠々と流れるメコン川支流の水辺には、碧色をした水牛がのんびりと寝そべっていた。ようやく陸に上がって村の学校を訪ねると、校庭でアヒルの親子が隊列を組んで歩き回っていた。電気や時計はあるが、村の人々はそれに囚われてはいない。

「豊かな時間」とはなにか。これを探しに、古都ルアンパバーンから小舟にゆられること6時間。卒業旅行でゼミ生と行き着いた先がラオス北部の村落、ムアン・ゴーイだった。最貧国、内戦、難民。こびりついたイメージがこの国にはある。ただ、『ラオスにいったい何があるというんですか?』と村上春樹が書いたように、物質的な豊かさに抗う時間がそこには流れていた。

「旅」は旅行とは違う。旅は未知への挑戦だ。ガイドブックやネット情報を駆使して、日本人ならほとんど誰も訪れたことの無い土地、大学生ならではの行き着ける方法を必死になって探した。ゼミ生が「旅」という名の仮説を自ら立てて、それを自分の足で実証していく。「旅」には学問的な味わいがある。この過程のどの部分を切り取っても、学生には豊かな時間が流れていただろう。

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