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興味本位で、明治から昭和初期にかけての、駿河台キャンパスの土地の歴史を調べたことがある。

たとえば現在リバティタワーやアカデミーコモンが立っている土地には、皇族である小松宮彰仁親王の洋館があった。

また、旧明高中校舎の土地には、西園寺公望の秘書も務めた原田熊雄男爵が住んでいた。

そのような華麗な一帯の中にあって、個人的に興味深かったのは、現在10号館や14号館が立っている土地である。そこに住んでいた熊本藩士の子弟の一人、藤島正健は、大蔵省の印刷局の創業に関わっている。

続いてそこに住んだ、同じく大蔵官僚の三輪信次郎は、凸版印刷の創業に与る。

やがてその土地には国税局の官舎と印刷機製造会社の建物が並んで立つことになり、官舎の方が現在の14号館に改装され、印刷機メーカーの方は取り壊されて本学の駐車場になるのだが、そこには紙幣印刷のために導入された西洋の印刷技術が、官から民へ流れて日本の出版を支えるという、日本の近代化の一端が刻印されていたのだった。