●第1期:ラシャーヌ!特集 ギャグへの華麗なる転身




No.00


No.00-1
魔夜峰央 自画像
1981年『花とゆめ』14号より


No.00-2
パタリロ!「プラズマ・パパ」
本編原画
1981年『花とゆめ』14号


魔夜峰央ボイスメッセージ(2018年)
※ケースNo.00の展示台にiPadを設置し、再生ボタンを
 タッチするとボイスメッセージが流れた




●壁ケース展示

《魔夜峰央作品ギャラリー》
No.01∼08
魔夜峰央関連書籍
 魔夜峰央のマンガ単行本(同タイトル別バージョン含む)をはじめ、魔夜作品をもとに派生した書籍、魔夜峰央が参加している関連資料などを並べた。現在290冊を超えるこのコレクションは、展示期間中に300冊を超える。マンガ作品を掲載した雑誌、『花とゆめ』等はのぞいているが、それらを含めるとどれくらいの冊数になるのだろうか。

No.01


No.02


No.03


No.04


No.05


No.06


No.07


No.08





《「パタリロ!」特集》


No.09
「パタリロ!」
1978年『花とゆめ』24号-連載中
 常春の国マリネラの国王パタリロ・ド・マリネール8世は10歳。人間離れした優秀な頭脳と身体能力を持つが、その能力は、お金儲けや度を越したいたずら(仕掛けられた側が死を覚悟しなければならないほど)にもっぱら浪費されている。

【魔夜峰央コメント】
「パタリロ!」誕生
「ラシャーヌ!」のあと、『花とゆめ』本誌で描くようになったんです。「ラシャーヌ!」の仕事を持ってきたKさんという編集さんからの依頼でした。「パタリロ!」の一本目「美少年殺し」は全然ウケなかった。半年後くらいにまたKさんから前後編の仕事が来たので、「美少年殺し」のキャラを使っていいですかと言って、今度はパタリロを主人公に、バンコランをライバルにして描いたのが「墓に咲くバラ」。その時はひとりで描いてました。『花とゆめ』本誌は月2回刊なので、計68ページをひと月で描いて死ぬかと思いました。最後の方はもう目がダメになってきてボヤーっとしか見えなかった。

しかし、この頃はパタリロが細いですね。キャラクターって長く描いているとどうしても丸くなっていってしまう。誰かが「重力に負けていく」と言っていたけれどパタリロもその通りになってる。特に意識していなくても自然と丸くなっていくんですよね。

【展示品】
『パタリロ!』1巻 単行本用トビラ
花とゆめCOMICS 1979年11月20日、白泉社

No.10

【展示品】
メモワール トビラ
1983年『花とゆめ』2号
花とゆめCOMICS 17巻単行本用トビラとして使用
※単行本では「バンコランvsバンコラン」の一部として収録

No.11

【展示品】
ジゴロ トビラ
1986年『花とゆめ』7号
花とゆめCOMICS 29巻単行本用トビラとして使用

No.12
二つ名の秘密
 「パタリロ!」「ラシャーヌ!」などのトビラ絵右枠外に書かれている文字に注目してみよう。掲載誌の著者名に添えられたキャッチ(二つ名)が、著者によるものだということがわかる。他のケースのトビラ絵の枠外にも注目してほしい。

【魔夜峰央コメント】
当時読者はみんな担当編集がつけているものと思っていたみたいですが、すべて自分でつけていました。

【展示品】
天使の兵隊 VOL.Ⅳ トビラ
1987年『花とゆめ』12号
花とゆめCOMICS 34巻単行本用トビラとして使用

No.13

【展示品】
宇宙翔ける関取 トビラ
1990年『花とゆめ』6号
花とゆめCOMICS 45巻単行本用トビラとして使用

No.14

【展示品】
積み木遊び トビラ
1992年『花とゆめ PLANET増刊』1月9日号
花とゆめCOMICS 49巻単行本用トビラとして使用

No.15

【展示品】
ドジスン トビラ
1993年『別冊花とゆめ』4月号
花とゆめCOMICS 53巻単行本用トビラとして使用

No.16
 「パタリロ!」には本編以外にスピンオフが何作かあり、単行本タイトルになっているものに「パタリロ西遊記!」「パタリロ源氏物語!」そして「家政婦パタリロ!」から始まる一連の家政婦シリーズなどがある。

【魔夜峰央コメント】
「パタリロ西遊記!」誕生
当時の白泉社社長、小長井さんから「明日、青森に行きませんか?」と突然電話がかかってきて、キリストの墓を見に行こうと言うんです。もともと美内すずえさんと萩尾望都さんを誘っていたのが、直前に萩尾さんが風邪でダウンしてしまって、私にお声がかかったようでした。行って見てみたら本当に「キリストの墓」とちゃんと書いてあったので、あれはキリストの墓にまちがいないでしょう。
その旅の夜に、小長井さんからキリストの話ではなく「西遊記をやってみませんか」と提案があって。じゃあ私が、となり、2~3か月後には連載がはじまりました。

【展示品】
「パタリロ西遊記!」 読者プレゼント図書カード用イラスト
2000年『メロディ』10月号




《「ラシャーヌ!」特集》


No.17
「ラシャーヌ!」
『花とゆめ』1978年増刊冬の号~1989年『別冊花とゆめ』秋の号
 インドに住むラシャーヌは、大金持ちの息子で、バラモンの血を引く高貴な血筋の美少年。富・地位・美貌を兼ね備えている。さらに頭脳も明晰で難事件を解決したりもするのだが、いかんせん性格はかなり破たんしており、異常に惚れっぽい。物語のラストは、いつも意中の人にフラれ涙することになる。

【魔夜峰央コメント】
魔夜峰央ギャグの誕生
『花とゆめ』の増刊で40ページくらいの仕事が来て。組織に兄を殺された主人公が復讐するというシリアスな話を漠然と構想していたんですが、全然まとまらなかった。
締め切りが迫って来た時に、街で青年向けのマンガ雑誌を偶然見て、そこに真面目な絵でギャグをやっている作品があった。たしか笠太郎先生の作品だった。これならできそうだな、と思って今の「ラシャーヌ!」の一本目を考えたんです。
描いてみたら、描きやすかった。そうやって「ラシャーヌ!」を始めましたが、最初はあまり評価されなかった。発表の翌年くらいに、白泉社のほかのマンガ家さんたちから「ラシャーヌ!面白かった」と言われて、これがいいんだな、となった。
「ラシャーヌ!」より前は、同僚のマンガ家から「この魔夜峰央ってやつは怪奇ものでコミックス1冊出たら消えちまうな」と思われていたようです。「ラシャーヌ!」が出てきたので今につながっています。

【展示品】
ラシャーヌ!14 「パリにて」 トビラ
1982年『花とゆめ』2月増刊号

No.18

【展示品】
ラシャーヌ!15 「恋愛遊戯」 トビラ
1982年『別冊花とゆめ』秋の号

No.19

【展示品】
ラシャーヌ!22 「エスピオナージ」 トビラ
1986年『別冊花とゆめ』春の号
花とゆめCOMICS 5巻カバーとして使用

No.20

【展示品】
ラシャーヌ!25 「ヒエンラ」 トビラ
1986年『別冊花とゆめ』春の号

No.21

【展示品】
ラシャーヌ!26 「猫ニャンニャンニャン」 トビラ
1986年『別冊花とゆめ』夏の号

No.22

【展示品】
ラシャーヌ!29 「逆ラブポーション」 トビラ
1988年『別冊花とゆめ』秋の号

No.23
 「ラシャーヌ!」本編最終話トビラ

【魔夜峰央コメント】
私が作品を終わらせるときは、絶対に編集から終了を告げられる時です。自分からは言い出さない。
「ラシャーヌ!」の時は、編集から「10巻を超えると売れなくなるからもうやめましょう」と言われました。
「パタリロ!」が始まっていたので、そちらに移行しようという意味もあったのかもしれません。
依頼された仕事も、基本的にすべて断らないようにしています。

【展示品】
ラシャーヌ!30 「約束の流れ星」 トビラ
1989年『別冊花とゆめ』秋の号

No.24
「PaPaラシャーヌ!」
1991年『花曜日』SUMMER号~1992年SPRING号
 ラシャーヌがパパになっている「ラシャーヌ!」の続編。妻は体が弱いため遠くにいてほとんど会えず、ラシャーヌはパパになっても相変わらず惚れっぽく失恋ばかりしている。

【魔夜峰央コメント】
「ラシャーヌ!」の続きをと求められて、そのままだと面白くないからパパにしよう、ということになりましたね。

【展示品】
PaPaラシャーヌ 4 トビラ
1992年『花曜日』SPRING号




《掲載誌など》


No.25
デビューの頃
 魔夜峰央は、「見知らぬ訪問者」が『デラックスマーガレット』秋の号に掲載され、デビューした。本作は、当時マンガ家志望者に定評のあった『別冊マーガレット』の「別マまんがスクール」第63回に魔夜が2度目に投稿し佳作入選した作品であった。このスクールには金賞受賞で正式デビューの決まりがあったため、魔夜はその後も投稿を続け、第67回「タロット」、第69回「魔界」が銀賞受賞。第71回の佳作受賞作「ヴァンコラン」(74年5月号)の選評には、すでにかなりのファンを持つことや、「魔界」がプロのマンガ家に混じって、投稿者に送るお手本の複製原画に選ばれたことが書かれている。

【魔夜峰央コメント】
「別マまんがスクール」は当時金賞を取ったら掲載という決まりだったんですが、私は金賞を取ってないんですよね。佳作で掲載されたのは私が初めてだったと思います。
その後「タロット」という作品が掲載されたんですが(『デラックスマーガレット』1974年夏の号)、それから2年くらいは何もありませんでした。

【展示品】
デビュー作「見知らぬ訪問者」掲載号
1973年『別冊マーガレット』秋の号

No.26
デビューの頃
 白泉社の新人マンガ賞である第2回HMCの銀のゆり賞を受賞し、1976年『花とゆめ』大増刊エヘヘ号に掲載された「やさしい悪魔」にて、魔夜峰央は白泉社でのマンガ家活動を始める。その多くは耽美で独特な短編怪奇ものであった。その後1978年にギャグ作品を描きはじめ、「パタリロ!」で大ヒットマンガ家になることは周知の事実である。

【魔夜峰央コメント】
「やさしい悪魔」は再デビュー作といえます。大学を辞めて2年間は食わせてくれ、と親と約束していたんですが、そのあいだスランプにはまってなにも描けなくなっていました。描きはしても、自分の絵に納得がいかなかった。
眼高手低というんでしょうか、鑑識眼だけ高くなって自分の絵のアラばかり気になってしまって。約束の期限が近付いてきて、仕方ないから納得いくまで描くのはあきらめて、白泉社に持ち込んだら掲載されたんです。

【展示品】
「やさしい悪魔」掲載号
1976年『花とゆめ』大増刊エヘヘ号

No.27
 1979年刊行の「ラシャーヌ!」1巻は初刷り時に巻数が入っていない。(最上段ケースに展示)。「ラシャーヌ!」も「パタリロ!」も、はっきりと続く形で始まったのわけは無かった。読み切りから始まり、シリーズ化し、ブレイクして巻を数える作品となったのである。

【魔夜峰央コメント】
「ラシャーヌ!」は初めて手ごたえのあった作品ですね。最初の単行本が出たときはうれしかった。初版が1万2000部で、すぐに増刷がかかりました。増刷がかかったということはそれだけ認められたということですから余計にうれしかった。そのあと、「パタリロ!」で初めて初版10万部にいってそれもうれしかったですね。

【展示品】
ラシャーヌ!第1作「カイヌンの眼」掲載号
1978年『花とゆめ』冬の大増刊号

No.28

【展示品】
ラシャーヌ!第2作「マドンナの涙」掲載号
1978年『花とゆめ』夏の大増刊号
本展示チラシにトビラ画像を使用

No.29

【展示品】
ラシャーヌ!第8作「青い人魚」掲載号
1980年『花とゆめ』18号

No.30

【展示品】
パタリロ!第1作「美少年殺し」掲載号
1978年『花とゆめ』24号

No.31
 「パタリロ!」第1作ではバンコランが主人公だったのに対し、第2作「墓に咲くバラ」以降はパタリロが主人公になっている。前編掲載時のトビラには「<美少年殺し>の第2弾」とあり、まだ「パタリロ!」として連載されることが決まっていなかったことがわかる。後編掲載の雑誌表紙に「大評判の」「美少年ブームの41ページ」とあり、ブームの兆しが見える。

【魔夜峰央コメント】
ある人に「「ラシャーヌ!」はボケと突っ込みをラシャーヌが一人でやっている」と言われて、なるほどと腑に落ちました。なにかやりづらいと感じていたんですね。
「パタリロ!」はパタリロとバンコランではっきりと役割が分かれていてやりやすい。このふたりの掛け合いなら何ページでも描けます。

【展示品】
パタリロ!第2作「墓に咲く薔薇」前編掲載号
1979年『花とゆめ』8号

No.32
「パタリロ!」の現在
 「パタリロ!」は現在、『マンガPark』で絶賛連載中である。掲載場所を紙からウェブに移したのは2016年5月20日配信のシリーズ第574話、「ミーちゃん引っ越し」から。そのため現在は紙媒体での発表は花とゆめCOMICSが最初である。「ミーちゃん引っ越し」は97巻収録。
 「パタリロ!」は、99巻の刊行時点でシリーズ第599話目。2018年11月20日刊行の記念すべき100巻は、なんと第600話からはじまるのである。パタリロ!シリーズのナンバリングは連載1回につきひとつではなく、続きものの場合は数話でひとつとなる。また、ナンバリングされていないスピンオフ作品も複数存在する。すべてを数えると何作のパタリロが描かれているのであろうか。恐るべきご長寿作品「パタリロ!」。そして、恐るべきマンガ家魔夜峰央!

【展示品】
パタリロ!第575作「ミーちゃん引っ越し」
2016年『花LaLa online』
5月20日配信




●壁展示

《ラシャーヌ!特集》

(右から順に壁01~08)

壁01

【魔夜峰央コメント】
ラシャーヌは最初はビシューヌという名でした。インドの美少年という設定は最初からだったのでビシュヌ神とかけたんです。

【展示品】
ラシャーヌ!2 「マドンナの涙」 トビラ
1978年『花とゆめ』夏の大増刊号

壁02

【魔夜峰央コメント】
この頃はペンタッチにすごくこだわっていました。当時の少女マンガは、ほっぺの線を太くふっくらとさせるのが一般的だったけれど、他の人と違うことをしよう、と逆にほっぺたを一番細く描いていた。そんな風にペンタッチを研究していた頃の絵ですね。

【展示品】
ラシャーヌ!3 「怪奇呪いの館」 トビラ
1978年『花とゆめ』増刊秋の号

壁03

【魔夜峰央コメント】
ペン先はカブラペンを使っています。丸ペンとかは使ったことがない。何本も用意して、細い線が描けるものを見つけて使っていた。いいのは6、7本に1本しかなくて、あとは全部捨てていました。それでも5~6枚描いたらへたってきてしまう。
一度だけものすごい良い品に出会って、55枚描けた。工業製品でなんであんなに違いが出るのか、不思議ですね。
そのペン先だけ、今もどこかにとっておいてあります。
この頃の服のシワは 「ゴルゴ13」 のシワを参考にして描いてますね。服のシワはさいとう・たかを先生を参考にしていました。

【展示品】
ラシャーヌ!4 「ローマにて」 トビラ
1978年『花とゆめ』4号

壁04

【魔夜峰央コメント】
「(画家の)ビアズリーはお好きですか?」とよく聞かれます。先日ある人から突然聞かれて、どうしてか聞いたら「ベタの使い方がそっくり」と。言われてみるとベタの黒の先にある見えない何か、闇や血の感覚がすごく似ているんだろうなと。
数年前にビアズリー展があって、コメントを、ということで原画をたくさん見たんですけど、自分と同じ匂いを感じました。空間恐怖症的な部分とか、曲線の使い方とか。彼の時代は電球が普及してない頃ですから、暗い中で描いていたのではないかと感心したものですが、思い出してみると、「パタリロ!」の最初の方とか、新潟の自宅で豆電球みたいな明りの、薄暗い中で描いていました。細かい絵を描くには薄暗い方がいいのかもしれない。明るすぎると目がやられてしまう。

【展示品】
ラシャーヌ!5 「貴婦人の唇」 トビラ
1979年『花とゆめ』6号

壁05

【魔夜峰央コメント】
薔薇の秘密
薔薇は初期以降は自分では描いていないです。苦手だったので。池田理代子さんの薔薇が好きで、洋風で鋭角的なバラを描いているのを参考に「これ描いて」とアシスタントに指示をしていました。イラストの構図決めはもちろん自分でやりますし、他の不思議な生き物などは下描きまで自分で書きますが、薔薇は「バラ」って文字で指定すると入ります。

【展示品】
ラシャーヌ!8 「青い人魚」 トビラ
1980年『花とゆめ』18号

壁06

【魔夜峰央コメント】
「あーい!」は最後のお約束のシーンとして描いています。ラシャーヌは性格が破たんしているけど、バラモンの家系で身分が高い美少年なので、毎回ラストはハッピーエンドで終わらないようにしていました。
これでうまくいったら、面白くもなんともないですからね。

【展示品】
ラシャーヌ!15
「恋愛遊戯」本編原画
1982年『別冊花とゆめ』秋の号

壁07

【展示品】
「PaPaラシャーヌ」2 トビラ
1991年『花曜日』AUTUMN号

(右から順にB壁01~03)

B壁01

【魔夜峰央コメント】
「飛ぶ星」というのは推理小説のブラウン神父シリーズの一編から拝借しました。ネーミングがかっこよくて。
内容は全然関係ありません。

【展示品】
ラシャーヌ!10 「飛ぶ星」 トビラ
1981年『花とゆめ』11号

B壁02

【展示品】
ラシャーヌ!8 「あなたにメリークリスマス」 トビラ
1981年『花とゆめ』24号

B壁03

【展示品】
左:『ラシャーヌ!』5巻
花とゆめCOMICSカバー(表2)

右:『ラシャーヌ!』5巻
花とゆめCOMICSカバー(表4)




●覗き込みケース展示

《パタリロ!特集》

(右から順にT01~04)

T01

【魔夜峰央コメント】
今まで一度だけ男性アシスタントに入ってもらったことがあります。鈴木光明(※)先生のまんが教室で知り合った子です。メカが描かれている絵は、男性のアシスタントが来ていた時のものですね。

※鈴木光明……1950年代から活躍したマンガ家。代表作に「もも子探偵長」がある。1970年代からは『別冊マーガレット』(集英社)、『花とゆめ』『LaLa』(白泉社)のまんがスクール審査委員、鈴木光明まんが教室を主宰するなど後進の育成に尽力した。

【展示品】
FLY ME TO THE MOON トビラ
1981年『花とゆめ』12号
花とゆめCOMICS 10巻単行本用トビラとして使用

T02

【魔夜峰央コメント】
感動ものについて
「パタリロ!」10巻前後の頃は、読者を泣かせてやろうと思っていた時期ですね。以前、土田よしこさんの「つる姫じゃ~っ!」に、日本流のお涙ちょうだい的な話があって、それが印象に残っていて。長い連載の味付けとしてこういったものもあっていいだろう、と描いてみた。やってみたらまあ難しい。泣かせる、感動させるという話をどうやったらいいか分からなかった。何本も何十本もストーリーを作って、自分で少しうるっとくる話だけを残した。ものすごい数の話を考えて、組み立てては崩しを繰り返して一本一本ができた。ストーリーを考えるだけで3日くらいかかりました。普段はネームも切らないのに、このあたりの話はネームを描きましたね。この頃のネームはずっと保管しています。それだけ思い入れがあるんですね。

【展示品】
FLY ME TO THE MOON ネーム
未発表

T03

【魔夜峰央コメント】
いや、これは覚えていないですね。おそらく当時担当だったHさんが作ったものじゃないかなぁ。10年担当でしたから。Hさんは、変な人ですね。白泉社が今の新社屋に移った時に、緊急避難用の滑り台みたいなものが設置されたんです。「このボタンを押すと滑り台が出てきて、消防にも連絡が行くから非常時以外は絶対押すなよ!」と言われていたんですが、Hさんが言われるそばからビッと押してしまって、大変なことになりました。聞いたら「押してみたかったから」と。そういう人なんです。あとは、美内さんが、「Hさんに原稿を渡して送り出して、猫を見たら、なんか違うなと思って。よく見たらヒゲがなかった」と言っていました。美内さん家の猫のヒゲを全部切って帰ってきちゃったらしいんです。

単行本用トビラ(単行本をめくってすぐか、2枚目にあるページ。総トビラとも)は、描き下ろされる場合もあるが、単行本に収録される話のトビラを再利用する場合が多い。この「パタリロ!」16巻単行本用トビラは、色々なパタリロをコピーしてコラージュした珍しいもの。制作者は当時の著者の担当者であるようだ。

【展示品】
花とゆめCOMICS『パタリロ!』16 巻 単行本用トビラ
1983年白泉社
手描きの原画ではない切貼りの版下

T04

【展示品】
ラフイラスト
未発表




●映像

T04

【映像】
『少女まんが入門』より抜粋
約5分
1984年