6つの視点:戦中派の声

戦後のある時期まで、マンガ家たちのほとんどが、戦争を生き延びた人たちだった。ここで紹介している作品の作者もそうした〈戦中派〉の人々だが、生まれた年が少しずれているため、兵隊として戦闘を体験した前谷惟光、水木しげると、民間人として終戦を迎えた手塚治虫、小松左京/石森章太郎とに分かれることになる。前谷はビルマ戦線などで、水木はラバウル戦線で左腕を失いながらも、九死に一生を得る。しかし、本土が安泰だったわけでもない。大空襲の標的となった大阪に学徒動員されていた手塚も、九死に一生を得たという意味では〈従軍者〉と同じである。そして、もしかしたら、戦中/戦後で180度世界が反転したことに最も大きな衝撃を受けたのは、終戦時、今でいう小学生だった石森だったかもしれない。

戦争の体験をどのように表現しているか、ということに注目してみると、〈自伝〉として描いた水木、手塚と、一種の〈ファンタジー〉として描く前谷、小松/石森とで分けられる。残酷な描写も含め、リアルな表現で描かれた水木と手塚の〈自伝〉作品は、生々しい迫力をもっている。一方、上質な〈ファンタジー〉は、現実をリアルに描いた時以上の批評性をもちうる。軍隊組織のバカバカしさを徹底的に笑った「ロボット三等兵」にそうした批評性を見出すことができるだろう。


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水木しげる
「総員玉砕せよ!」

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前谷惟光
「ロボット三等兵」

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手塚治虫
「紙の砦」

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原作:小松左京 作画:石森章太郎
「くだんのはは」


6つの視点:特攻

与謝野晶子の反戦歌をタイトルに採用した花村えい子の作品は、実際に特攻基地があった知覧の取材に基づいている。〈銃後〉の妻にあてた夫からの遺書が示される場面では、作者の想いと読者の感動が共鳴する。

里中満智子「積乱雲」は、三者三様の〈銃後〉の女性を描く。三人の愛情の形は異なるが、同じ特攻による愛しい人との別離が、タイトル通り重層的な〈ドラマ〉で織りなされる。

これに対し、本宮ひろ志「ゼロの白鷹」は、熱く燃えたぎる少年マンガの要素と若き特攻隊員たちの怒りや悲しみを重ねた一作。戦後世代の作者による〈男の子文化〉への創意工夫が見てとれる。

松本零士「音速雷撃隊」は、〈戦場〉を舞台としたシリーズの中でも数少ない特攻を主題とした作品。美しいフォルムをもち緻密な計器をまとう人間爆弾・桜花の姿は、機械であるにもかかわらずまるで生きもののように哀しく、ミリタリーファンの心に響く。
「生きては戻れない」特攻だからこそ、そして、教科書ではないマンガだからこそ、画一的ではない〈ドラマ〉が求められる。いずれの作品もそれに成功していると言えよう。


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花村えい子
「君死に給うことなかれ」

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里中満智子
「積乱雲」

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松本零士
「音速雷撃隊」

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本宮ひろ志
「ゼロの白鷹」

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特攻関連マンガ資料

このケースと右隣のケースは、特攻関連のマンガ作品資料である。右隣にはおもに少年飛行兵を描いたマンガ資料、このケースにはおもに特攻をテーマにしたマンガ資料を展示した。

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特攻関連マンガ資料


6つの視点:原爆

「原爆マンガの正典」として有名な「はだしのゲン」。『週刊少年ジャンプ』で連載開始した同作で、中沢啓治は自らの被爆体験を元に原爆や戦争の残酷さを「これでもか」とばかりに子供たちに伝えようとした。つまりこの作品は、史実や体験の〈伝承〉を強く意識している。
一方、その二年前に発表された「地獄」では、〈伝承〉よりも、戦争体験が戦後の人間に宿らせた「心の闇」をえぐり出すための〈物語〉に重心が置かれている。「劇画」の提唱者・辰巳ヨシヒロらしい、青年や大人に向けた異色の原爆ものだ。

他方、戦無世代の作品、こうの史代「夕凪の街」では、ある被爆者の女性が抱える「内なる声」と「忘れたい記憶」をマンガ特有の表現で視覚的に〈物語〉化し、読者の胸に深く突き刺ささるものとなった。

四作品中で唯一、ナガサキを主題にした西岡由香「夏の残像」は、日本人だけでなくアメリカ人や韓国人など、複数の立場から原爆の問題に迫り、国内外の若者たちへの〈伝承〉を試みている。

世界でも特殊な体験の被爆と、世界共通の課題である戦争。その双方をマンガに込めた情念と方法の幅を感受してほしい。


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中沢啓治
「はだしのゲン」

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辰巳ヨシヒロ
「地獄」

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西岡由香
「夏の残像」

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こうの史代
「夕凪の街」

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原爆関連マンガ資料

このケースと左隣のケースは、原爆を描いたマンガ資料である。このケースには「はだしのゲン」関連資料(『週刊少年ジャンプ』連載開始号や、「ゲン」の前に描かれた中沢啓治の原爆を扱った作品のひとつ「何かが起きる!」、『ジャンプ』後『市民』誌に連載された「ゲン」を紹介した。左隣は、ほかにもある原爆を扱ったマンガ資料である。手前の、最終ページを開いてみせてある作品は「巨人の星」のマンガ家・川崎のぼるが長崎原爆をテーマにして描いた短編「黙祷」。

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原爆関連マンガ資料


6つの視点:満州

1931年の満州事変と満州国の建国。それは帝国としての日本が大陸へと拡大していく過程でもあり、その後15年にわたる戦争の時代へと向かう第一歩でもあった。

〈ノンフィクション〉の軸でとりあげたのは、ちばてつやと上田トシコという、満州で育った二人のマンガ家の体験にもとづく作品だ。6歳で敗戦を迎えたちばの「家路1945?2003」は、過酷な日本への引き揚げの道程を訥々と、しかし〈戦争体験世代〉ゆえの生々しさをもって描く。一方、ちばよりも年長である上田が暮らした国際都市ハルピンを描き、やがて戦争の中で失われていくかつての満州の情景とそこで暮らす人々の息づかいを再構築したのが、〈戦後世代〉である村上もとかの「フイチン再見!」だ。

〈戦後世代〉である安彦良和の「虹色のトロツキー」と〈戦争体験世代〉である田河水泡「のらくろ探検隊」は、どちらも〈フィクション〉としての満州の物語だ。満州へと渡り、満人(羊)や漢人(豚)とともに活躍するのらくろ。それは読者である同時代の日本の子供たちへ向けて描かれた、幻想の満州の物語でもあった。それに対し、「虹色のトロツキー」のなかで蘇るのは、ノモンハンで満州国軍として死地へと向かう蒙古人少年兵のように、五族協和・王道楽土という満州幻想に翻弄されながらも生きた若者たちの姿だ。

戦争の時代のなかで多くの人々の欲望と希望と命とを飲み込み、日本の敗戦と共に消えていった満州国。それは日本にとってどのような意味を持つものだったのか??これらの作品は戦後を生きる私たちにそう問いかけてくるかのようだ。


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ちばてつや
「家路 1945?2003」

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田河水泡
「のらくろ探検隊」

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村上もとか
「フイチン再見!」

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安彦良和
「虹色のトロツキー」

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満州関連マンガ資料

このケースと左隣のケースは、満州を描いたマンガ資料である。このケースには、おもに引き揚げを扱ったマンガ資料、左隣にはおもに満州を舞台にしたマンガ資料を展示した。

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満州関連マンガ資料


6つの視点:沖縄

沖縄戦、それは軍人と民間人とを問わずすべてを巻き込んだ、この戦争でもとりわけ熾烈な戦場であった。『週刊少年マガジン』という〈メジャー媒体〉に掲載された三枝義浩の「祖国への進軍」は、沖縄にルーツを持つ日系アメリカ人二世の視点から、この沖縄を襲った「鉄の暴風」を描く。そのすっきりとした描線と対照的なのが、沖縄の〈ローカル媒体〉である『月刊沖縄』で発表された新里堅進「沖縄決戦」の、荒々しい筆致である。それは、地域差を超えて多数の読者へと向けられたメジャー誌と、地域の記憶と感情へと手向けられたローカル誌の違いでもあり、また一人の兵士を語り手とする前者と、主人公なく日米双方が戦場で泥にまみれ死んでいく後者との、沖縄戦を切り取る視点の違いをも示している。

沖縄戦で戦場に投げ込まれたのは軍人としての男たちばかりではなかった。〈男の戦争〉としての日米両軍の戦いに対し、〈女の戦争〉、すなわちひめゆり学徒隊として知られる少女たちの沖縄戦を描いたのが、今日マチ子「cocoon」と与那覇百子原作・ほし☆さぶろう作画「ひめゆりたちの沖縄戦」である。沖縄の出版社から出された「ひめゆりたちの沖縄戦」は、体験者の語りをもとに、素朴ともいえる筆致でもって地域の記憶を忠実に綴る。それに対し『エレガンスイブ』誌上で発表された「cocoon」は、ひとつの悲劇を、戦争という暴威と少女性の繭とが対峙する、繊細かつ普遍的な物語として大胆に描き直した。

沖縄を吹き荒れた「鉄の暴風」は、この地に残された痛ましい傷痕であり、そしてこの戦争の凄惨さの縮図でもあった。その両面をこれらの作品からうかがうことができる。


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ほし☆さぶろう
「ひめゆりたちの沖縄戦」

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今日マチ子
「cocoon」

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新里堅進
「沖縄決戦」

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三枝義浩
「祖国への進軍」

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沖縄関連マンガ資料

このケースと左隣のケースは、沖縄関連のマンガ作品資料である。このケースには、沖縄戦が掲載されている地元誌や、沖縄出身で沖縄戦について描いた作家の作品を紹介した。『コミックおきなわ』のアオリが"スーパーローカルマガジン"であるところなど興味深い。隣には、それ以外で戦争期の沖縄を描いたマンガを展示した。

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沖縄関連マンガ資料


6つの視点:マンガの役割

マンガという表現/メディアは、様々な〈役割〉や機能をもっている。そして、それぞれの役割はそれぞれの目的に対応している。ここではその役割を、目的に応じたふたつの軸で分類しているが、この軸は、「戦争マンガ」にも当てはまるだろう。

ひとつの軸=目的は、客観的な事実としての〈情報〉を正確に伝えることを目指すか、作者の主観的な〈メッセージ〉を主張することを目的としているか、という軸である。教科書の内容をわかりやすく理解するために発明された「学習マンガ」や、物語の中にしばしば、兵器の図解、数値による日本軍と連合国軍の戦力比較、「特攻による突入角度」といったミリタリーマニア的な情報が挟み込まれる「劇画太平洋戦争」シリーズは、〈情報〉志向のマンガと言える。一方、「戦争」というものに対する作者の態度がはっきり表明されている、小林よしのり「戦争論」と、百田尚樹「永遠の0」は、〈メッセージ〉志向を強くもった作品だ。

もっとも、それが〈娯楽〉であることを目指しているか、〈教育〉的な効果を目指しているかによっても、作品の意味が変わってくるだろう。〈娯楽〉であるということは、言い換えれば、読者にとっての快楽を提供するということだ。場合によっては、〈情報〉であっても〈メッセージ〉であっても〈娯楽〉になりうるということを、「劇画太平洋戦争」シリーズと「永遠の0」は証明している。


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菊池英一
「年代早覚え 日本史まんが年表」

R030
葉剣英
「神風特別攻撃隊」

R031
小林よしのり
「戦争論」

R032
原作:百田尚樹 作画:須本壮一
「永遠の0」