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コミックマーケット準備会共同代表
安田かほる
1976年の第2回からコミックマーケットの運営に関わる。有明移転後の開催において、企業ブースの立ち上げを行う。2006年9月より、コミックマーケット準備会共同代表となる。よく言われる「安田かや」は愛称。
筆谷芳行
1980年代より、コミックマーケット準備会に参加。長くカタログ編集長を務める。2006年9月より、コミックマーケット準備会共同代表となる。本対談にもイラストを添えていただいたDr.モロー氏による準備会スタッフのキャラクター化は、故岩田次夫氏と筆谷氏から始まった。
市川孝一
1980年代より、コミックマーケットを中心に、様々な同人誌即売会の運営に携わり、2006年9月より、コミックマーケット準備会共同代表となる。また、2007年4月より始まった同人誌即売会COMIC1準備会の代表でもある。
森川嘉一郎
本学国際日本学部准教授。専攻は意匠論。2004年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において日本館コミッショナーを務め、『おたく:人格=空間=都市』展を制作。2005年よりコミックマーケットにサークル参加。2008年より現職。
○オブザーバー参加:
 里見直紀(コミックマーケット準備会)
○イラスト協力:
 Dr.モロー
第2部 コミックマーケットの見本誌閲覧
●第4章 コミケットの見本誌――保存・閲覧することの意義
森川 座談会の前半では、米沢嘉博記念図書館の実現のいきさつを、駆け足で振り返ってみました。その米沢さんが長く代表を務めてこられたコミックマーケット準備会では、これまでの話でもたびたび出ましたように、コミケで頒布される新刊同人誌の見本誌を、1975年の初回以来、一冊一冊回収し、保存されてきました。
  今やそれは、累計200万冊の、世界にまったく類例のない体系的な蓄積となっています。そしてその閲覧については、さまざまな関心や議論を呼んでいます。座談会の後半では、このコミックマーケットの見本誌について、話を進めていきたいと思います。
(見本誌倉庫)
市川 マンガ文化における資料の保存のひとつとして、どうやって同人誌を残していくかということは、米沢が生前の頃、いや、コミケットが始まった当初からコミケットでは考え続けてきたことでしたし、それは僕たちも受け継いでいます。
  何がどういう風に変遷してきたのか、誰がいつどのようにして生まれてきたのかというのは、ここに残っている資料でしかわからないと言って過言ではないわけです。今、商業誌で活躍しているマンガ家の半分近くに同人誌経験があるという経済産業省の調査もある。そうしたマンガ家の起源はどこにあるのかといえば、同人誌を見るしかない。研究する上でそこがわからないと、その作家の全てが見えなくなってしまいます。マンガ史において、同人誌活動は見過ごせなくなりつつあります。
筆谷 また、同人誌というものに理解を深めてもらう必要もあります。いくら一日あたり20万人がコミケットにやって来たとしても、日本の人口からすれば本当に限られた数でしかありません。しかし、その割には世間から取り上げられる機会はやたらと多く、マスコミの報道が誤解を与えることもあります。
  間違った見られ方を直すためには、ちゃんとした手段・場所での公開は重要です。今回、明治大学がこの米沢嘉博記念図書館や東京国際マンガ図書館(仮称)に意味を見いだしてくれたからこそ、こういう形で企画が実現するわけです。大学は研究・教育の場であるわけですが、研究をするためには資料が必要です。ところが、これまでサブカルチャーの研究というのは、いくつか類似した先行施設もありますが、個人の蔵書に依拠している部分が大きかったわけです。それが、こうした形で、東京に大学の施設として研究の基盤としての図書館ができるのは意義深いと思いますし、そこでコミケットの膨大な物量が有効的に活用できればと考えています。
本はみんなに見てもらうために出版されるものですし、隠すものではありません。良い形で、収集−整理−保存−提供できればと考えています。そもそも、コミケットをやっている意味というのは、自分の描いた作品や様々な表現を他の人にみてもらうことです。そのために、約35年間様々な会場を変遷しつつコミケットを続けてきました。図書館の中で同人誌を見てもらうというのも、即売こそありませんが、図書館の中でコミケットをやっているようなものです。そこで、新しく興味を持った人がいれば、有明の会場に足を運んでくれればよいと思います。明治大学で言えば、毎年何千人もの新入生が入学してくるわけで、マンガは読んでいるけれども、同人誌やコミケットを知らないという人が大半だと思います。そういう学生さんたちが、昔のマンガから今のマンガ、そして同人誌を読んで、興味を持って一歩踏み出してくれる機会になればとも思います。きっと楽しい人生が待っているはず(笑)。
里見 コミケットの見本誌にしか残っていない同人誌というのはたぶんたくさんあります。でも、コミケットの見本誌しかないわけで、全ての同人誌がここにあるわけではありません。一年間で開かれる同人誌即売会って、日本全国大小合わせて1700〜1800回ぐらいあるわけで、推測ですが、世の中の同人誌の半分くらいしかコミケットにはないでしょう。そうしたコミケットにない同人誌については、今後、個人のコレクションの寄贈等に頼るしかないわけですが、世の中に出ている同人誌の半分でも、固まりであればわかることもあります。何がいつどういう形で流行っていたのか、その流行の形――例えば、内容であり、表現方法であり、ジャンルであるのですが――はどういうものであったのか、その時代時代の現象面を多角的に把握しようとする場合、個人的に収集しているだけではとても追い切れず、「量」が教えてくれる。これは図書館という形式でなければ実現できないことだと思います。
森川 マンガ・アニメ・ゲームのようなサブカルチャーは、これまで大学や公共的な図書館などではほとんど収集されておらず、ご指摘のように、むしろ個人のコレクターによって収集と保存が担われているのが現状です。
  そうした個人コレクションには、フットワークの軽さというアドバンテージがある一方で、大きな弱点もあります。そのコレクターが結婚をしたり、病気になったり、他界したりすると、とたんにそのコレクションが危機に陥ってしまうわけです。そこにいかに貴重なものが含まれていたとしても、多くの場合、家族にとっては理解しがたいガラクタなので。その結果、切り売りをされたり、廃棄処分されたりして、コレクションが解体されてしまう。欧米では、多くの公共的な図書館や博物館が、個人の名を冠した形でそのコレクションを受け入れ、まとめて保存や運用を行っていますが、日本の施設は、主に空間的な問題から、そうした受け入れ方が難しい状況にあります。評価の定まっていないサブカルチャー分野のコレクションであれば、なおさらです。米沢嘉博記念図書館を第一歩として現在計画を進めている「東京国際マンガ図書館」(仮称)では、マンガに限らず、そうした個人コレクションを複合していける構造を持たせたいと考えています。
筆谷 作品というのは、コミックスになれば残りますが、時代の空気というのは雑誌を見なければわかりません。作品が縦軸なら、広告とかも含めた雑誌の様々な要素が横軸になります。縦軸だけでなく横軸もおさえることでとマンガの研究がより深まると思います。
  さらに、その時、同人誌ではどんなことが起きていたのか、というのも横軸のひとつと考えられます。 そのとき、何が流行っていたのか、研究対象のマンガ家が、そこからどんな影響を受けていたのか、あるいは、自分でどういう同人誌を作っていたのか、といったこともわかれば、さらに研究を深化させることができるのではないでしょうか? ところが、研究者でも、過去の同人誌を新たに探していくのは大変な作業です。コミケットの見本誌に研究に必要なものがあるかどうかはわかりませんが、こういう形で見本誌が閲覧できる場所ができることで、たどり着く手段のひとつにはなるわけです。ほとんどゼロだったものが「1」にはなるわけで、「米沢嘉博記念図書館」での見本誌閲覧でできることは限られるかもしれませんが、「1」を「10」や「100」にしていくのは、施設を活用する人たちのアイデア次第だと思います。
森川 筆谷さんがおっしゃるように、マンガの調査研究、たとえば作品論などをやろうとすると、単行本よりも初出雑誌を読む必要があります。マンガ家は、同じ雑誌に連載している他のマンガ家たちと人気獲得競争で凌ぎを削っているので、自分の作品の雑誌内のポジションの変動や、ライバル作品の展開に呼応して、テコ入れをしたり、新展開を仕掛けたりします。そうした呼応関係は、単行本を読んだだけでは決してわかりません。そして雑誌同士も部数獲得競争を繰り広げているので、同時期に刊行されているライバル誌の動きとも、強い相互関係があります。
  同様に、マンガやおたく文化の研究にとっては、同人誌も不可欠です。たとえば米沢さんと親交が深かった作家に、吾妻ひでおさんがいます。吾妻さんは、少女マンガ的な絵柄を性的なパロディにするという、後の「萌え」へとつながる美少女の様式を成立させる上で、非常に大きな影響を及ぼしました。そして、そうした影響を伝搬させた重要な媒体の一つに、70年代末から80年代初頭にかけて吾妻さんが参加していた同人誌、「シベール」があります。しかしこれを手にとって読むことは、今となっては非常に難しいわけです。「そういう影響があった」ということは間接的に語られていますが、今の研究者が一次資料に当たってそれを検証しようとしても、非常にアクセスしにくい。コミックマーケットの見本誌を閲覧することができるようになれば、大変な前進があります。
同人誌「シベール」Vol.1
(シベール編集部発行、
トビラ絵は沖由科雄)
筆谷 例えば、「レモンピープル」は商業誌ですから、まだ探しやすいですが、「シベール」がわからないと、コミケット16〜20くらいのサークルを知らないと、なぜ「レモンピープル」の初期の執筆陣がああいうメンバーなのかとか、吾妻さんの当時のアシスタントにどういう人たちがいたのかとか、そういうことがわからない。そういう深みを与えるためには、資料というかアーカイブは必要です。
「レモンピープル」
1982年12月号および1983年5月号
(あまとりあ社発行、
表紙絵はいずれも吾妻ひでお。
米沢氏は同誌創刊号から終刊号まで
同人誌の時評を連載していた)
森川 後の美少女の様式を成立させる上で、吾妻さんのスタイルとともに大きなイメージソースとなったのが宮崎駿さんによるヒロイン像だといわれていますが、こちらも「クラリスMAGAZINE」などの当時の同人誌が閲覧できないと、客観的な検証ができません。
同人誌「クラリスMAGAZINE」No.1および2
(クラリスMAGAZINE編集室発行)
市川 吾妻ひでおとその周囲の描き手とたちというような人間関係は、この時代に限った話ではなく、いつの時代にもあることです。後世からはなかなか見えにくくなりがちなのですが。
筆谷 ともかくアプローチの手段が増えるというのはいいことです。古い雑誌や同人誌を見たことのない学生さんたちが、それを目にすることでまた様々な部分で研究や表現手段を見つける場所となり得ますから。ともかく同人誌というと過激な表現ばかりが取り沙汰されがちですけど、実際に読んでみれば本当に色んなジャンルがあることがわかると思います。
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