考古部門 Archaeology
考古部門では、50年以上にわたるそうした調査研究の成果を公開しています。いずれも戦後日本の考古学の発展を促した重要資料なのです。
展示内容
旧石器時代
岩宿遺跡の発掘による「原史世界の拡張」以後、列島で発見された旧石器時代遺跡のほとんど全ては、約3万5千年前から約 1万2千年前に遡る後期旧石器時代に相当し、今なお前期・中期に相当する最古の列島人類文化の探求がつづいています。
岩宿遺跡の発掘と原史世界の拡張
刃部磨製石斧
打製石斧
無土器時代、先土器時代とも呼ばれた日本列島の旧石器時代には、現在5,000ヶ所以上の遺跡が知られるようになりました。
最初の旧石器時代編年
槍先形尖頭器
ナイフ形石器
そして、ナイフ形石器文化から槍先形尖頭器文化につづく旧石器時代の最後の石器文化として、細石器文化が見だされました。これにより、列島旧石器時代の大枠が完成したのです。
旧石器時代のムラと文化の変遷
打ち割り工程の接合例
そうした遺跡群の一つである神奈川県月見野遺跡群では、近接する遺跡相互で石器の出土層位が比較されました。その結果、石器文化の新旧関係が明らかにされ、文化の変遷とその構造を研究する基礎となったのです。
石槍の文化と石材原産地
槍先形尖頭器未成品
槍先形尖頭器
黒耀石の採石と石器作りが盛んに行われた長野県鷹山 I 遺跡 S 地点のような遺跡が信州霧ヶ峰一帯に現れるのは、後期旧石器時代なかばに槍先形尖頭器(石槍)が登場してからです。
そのとき関東地方は黒耀石を通じて信州とつながり、黒耀石の一大消費地となりました。しかし、遠くから来た大切な石材なので、移動生活を送りながら少しづつ大切に使われたようです。
細石器文化の広がりと系統
湧別技法による細石核白滝型
矢出川技法による細石核矢出型
細石器文化の本来の文化圏は東アジア一帯にあり、幾つかある列島細石器文化の系統も大陸と連動していたと考えられています。
縄文時代
縄文時代の研究は、土器型式にもとづく編年研究を基礎にして、多様な生業や生産の実態の復原をめざし、さらには縄文社会の具体的な内容に迫ろうとしています。
夏島貝塚と縄文海進
尖底深鉢形土器夏島式
夏島貝塚の第一貝層が堆積したころはまだ陸続きでしたが、凡世界的に海水面が上昇した縄文海進極相期にあたる縄文時代前期には海中の孤島になったと考えられます。
貝塚に残された炉址や遺物、動物遺存体は、周囲の環境が変わるなかで夏島人が狩猟・漁労・採集などさまざまな活動をしていたことを物語ります。
縄文時代の生産活動-土器製塩-
法堂遺跡の「特殊遺構」における製塩土器の出土状況
当時、関東一円には製塩土器を多量に出土する製塩遺跡と少しだけ出土する集落遺跡が分布していたので、塩の生産と消費をめぐる人と塩の動きがあったことが分かります。
縄文時代の生産活動-黒耀石採掘鉱山-
多孔台石(左)と敲石(右)
両極剥離痕をもつ石器
1991年から行われている発掘調査によって、いくつかの採掘址から草創期、早期、後期の土器が出土しています。実際の採掘には「竪坑」と呼ばれる竪穴が地下に眠る黒耀石の鉱脈をねらっていくつも掘られていたことが分かりました。
縄文晩期の世界
注口付土器大洞BC式
遮光器土偶
また、先行する縄文時代後期に引きつづき、晩期でも土偶に代表される優美な呪具・装身具が数多く生み出され「亀ケ岡文化」の特色ともなっています。弥生時代への移行を目前にひかえた縄文人の精神世界の一端をかいま見ることができるでしょう。
弥生時代
考古学では、弥生時代を前期・中期・後期の3時期に区分します。前期の前に早期を考える人もいます。いずれにしても、弥生時代の動きを年代的にとらえるために区分しているのです。
日本列島における稲作の開始
壺形土器(板付1式)
稲作はまず北部九州に伝わりました。このときが弥生時代の開始時期です。そしてまもなく、急速に西日本一帯に広がっていきます。「遠賀川式土器」と呼ばれる土器様式の広がりは、初期の稲作の広がりを示すものと考えられています。
列島北部の稲作遺跡
砂沢遺跡出土土器(砂沢式)
再葬墓の「発見」
壺形土器(須和田式)
1961年、千葉県佐倉市の岩名天神前遺跡の発掘調査が行われ、壷の中から人骨が見つかりました。この発見によって、この種の遺構が墓であることが明らかになったのです。
また、骨を入れた壷の頸部が細いことから、何らかの遺体処理を行ったものと推測されたため、「再葬墓」という概念が出されました。
再葬墓とは何か
顔面付土器
こうした行為自体は「再葬」と呼ばれ、弥生時代に限らず、縄文時代から古墳時代、果ては現代にいたるまで行われています。再葬墓とは、東日本の縄文晩期から弥生中期にかけての時期に、壷を棺として埋葬した墓制のことを特にそう呼んでいるのです。
南関東の弥生時代
神奈川県伊勢山遺跡出土土器(宮ノ台式)
また、西日本からの墓制である方形周溝墓の出現や、石器から鉄器へと道具の材質が代わっていくのもこの時代のことでした。宮ノ台式土器の時代は大きな画期だったのです。
弥生時代後期になると、中期の環濠集落が解体し、地域社会が再編されたようです。環濠集落を含む集落は小型化し、内陸部へと進出します。土器の特徴も小地域ごとに違いが際立ってきます。
こうした様々な社会の動向が次の古墳時代への移行を準備したのです。
弥生後期の地域色
神奈川県二ツ池遺跡出土土器土器(二ツ池式)
弥生青銅器
武器形青銅器と銅鐸
銅鐸は近畿地方を中心に独自の発達を遂げます。鐸は祭りで使われる楽器でしたが、やがて音を出す機能を失い、儀式のための道具となりました。鐸も集団の祭器として地中に埋められました。
古墳時代
古墳は、本州・四国・九州において紀元後250年頃から600年頃まで作られました。考古学ではこの350年間を前期・中期・後期の3期に区分しています。また、前方後円墳の造営が終了した後の、7世紀代に造営された方墳・円墳・八角形墳などのことを終末期古墳と呼んでいます。
日本列島東部の古墳時代
三角縁神獣鏡
これまで古墳時代の研究は近畿を中心に進められてきましたが、近畿の外側から見直されようとしてきています。
古墳と古墳群
重圏文鏡
底部穿孔壺形土器
円筒埴輪の出土状況
円筒埴輪
古墳時代土器の研究
壺形土器
五領式土器
五領遺跡A区発掘調査風景(1962年)
五領遺跡出土土器には近畿の土器を模倣したものが比較的多く見られ、それらが在地の土器群に対して影響をあたえたことで五領式土器が成立したのです。
古墳の終焉
環頭
東日本では7世紀以降にも前方後円墳が継続して造られていましたが、主流になったのはやはり円墳・方墳であり、横穴墓なども盛んでした。また、近畿地方においては大王の墓であった八角形墳や上円下方墳が関東でも築造されています。この時代の近畿と地方との関係を物語る出来事といえるでしょう。