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毎日新聞大阪本社(社会部記者)  村上 正(2007年3月政治経済学部卒)

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 マスコミに関する研究室が明治大学にあることを知り、受験し1年生から入室しました。本格的に記者を目指したのは大学2年の10月、新潟県中越地震(04年)のボランティアに参加したのがきっかけでした。私は神戸出身で小学4年の時に阪神大震災を経験しました。当時、多くのボランティアに支えられたことから、「少しでも役に立てれば」という思いでした。
 ボランティアセンターで登録、支援物資の整理や仮設住宅建設のため空き地の整備に携わりました。そこで自宅を失った一人暮らしの高齢女性と話す機会がありました。生まれ育った古里が壊滅し、今後の生活に不安を抱えている様子でした。少しずつ話をしてくれ、神戸での震災体験も伝えました。最後は「少し元気になれた。ありがとう」と言葉をかけてもらい、表情は少し明るくなったようにも見えました。
 家屋が倒壊し、厳しい寒さのなか避難生活を送る人たちと触れ合うなか、「被災者の思いを伝え、震災の教訓を伝えていきたい」と思うようになっていきました。
 大学生活では出来るだけ、色々な人に会い話を聞こうと過ごしました。研究室では機関誌を製作し、マスコミだけではなく様々な業種で働く先輩たちと会い、話を聞かせてもらいました。
 振り返ると、研究室での4年間は将来の目標を考える重要な場所でした。入室したから、みんながマスコミ志望というわけではありません。就職活動では他業種を志望する室員もいます。それは、自分自身で「何がやりたいのか」を突き詰めた結果でした。仲間と語り合い、とことん自分の実現したいことを考えられるのは貴重でした。
 他にも研究室ではマスコミ業界の一線で活躍する人たちによる講義があります。「名刺1枚で、誰とでも会うことができる」と語る新聞記者の話に惹かれました。
 毎日新聞入社後は主に警察を担当しています。東日本大震災では、4回に渡り被災地を取材しました。丸1年を迎えた3月11日。宮城県気仙沼市の追悼行事に参加した人たちは共通の懸念を抱いていました。「これから震災が風化していくのではないか」と。不安定な生活は続くも二度とこのような悲劇を繰り返すまいと、「語り継ぎたい」という多くの被災者の話に心が突き動かされました。命が奪われることの重みを伝えるのは新聞の役割です。たくさんの人に会って話を聞きたい。学生時代に記者を志した当時の思いは自分の大切な初心となっています。