明治大学 平成17年度現代的教育ニーズ取組支援プログラム
広域連携支援プログラム-千代田区=首都圏ECM-
本プログラムは、文部科学省が公募する、平成17年度「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)に採択されました。」
現代GP採択関連講座
地域連携支援講座−地域経済比較−
[報告書]  PDFPDF版
開催日時:平成17 年11月21 日 参加人数:参加人数13人
講師:群馬県富岡市長 今井清二郎
はじめに
 『つる舞う形の群馬県』と呼ばれる群馬県ですが、私どもの市は西毛と呼ばれている地域ですが、里山が多く、平地はわずかです。田園地帯で山林も多いのです。経済的には発展が若干遅れている地域でもあります。しかしその分、自然がすばらしく、人情も穏やかで、地域性も安定している暮らしやすい地域というふうに考えております。これは群馬読売新聞の調査データにも出ております。「住みやすさ市町村ランキング」という5年に一回の調査で、1999年、2004年、と続けて群馬県の都市部で第一位となっております。
 私は現在、市長三期目。ちょうど半分が経過しましたので、10年ほど市長をやっております。50歳になった時に、市長に立候補してみてはどうかと薦められ立候補いたしました。一回目の選挙は、わずか36票差で落選をいたしました。しかし、私はその時落選したからこそ、現在の私があるものと前向きに考えております。それは、落選からの4年間、次の選挙までの間に、富岡こと、地域社会のこと、行政のことであるとか、そういうものの情報に自然に興味がわいてきます。そうしますと行政とはいったいどういうものなのか、あるいは今の時代はどう流れているのか、あるいは住民はどういうふうに物を考えているのかとか、そういう市長にとって必要な情報がどんどん集まってきたのです。そして、二回目の選挙に当選し、富岡市の市長に平成7年の9月21日に就任しました。
それで、私の初就任時からのスローガンが「市民が主役のまちづくり」ということを掲げながらやってきました。市民の意見によって行政をおこなうということで、これは第1期目から「市民対話集会」というのをおこなっております。これは段々形を変えてきております。最初の4年間は市民が運営委員会を設置して、当初は1.2ヶ月に1回市民対話集会をずっと続けて、そして平成12年からは10地区ほどある地区別の対話集会をおこないました。その後、平成15年からはボランティア団体であるとか障害者団体とかPTAとかそういう対象別の対話集会をおこなってきました。それらをできるだけ政策に取り上げていくということで、市政を進める基本にしております。
富岡市の政策
 私が市長に就任した平成7年は、日本がバブル崩壊後の厳しい時代で、全国的に行政改革しなければ行政はもっていかないという状況になっていました。それですぐ行政改革検討委員会を設置して、平成8年には改革案をまとめて、平成9年から「改革元年」とし、行政改革にかなり集中して取り組みました。
改革は歳出削減が大きな目的になるわけですが、その中でも市民のために何ができるかということを常に考えていかなければいけないのは当然です。そこで、「ハードからソフトヘの転換」という考え方で、ソフトウェアの事業を計画し、実施しております。その一つが子育て支援の「マタニティスクール事業」です。この「マタニティスクール」というのは実は全国で始めて富岡が作った学校なのです。これは、子どもはできるだけ早く人間の能力を身につけさせる必要がある。幼稚園では遅すぎる、という考えに基づいたものです。この一つに、「始めに言葉ありき」、赤ちゃんのときからしっかりとした言葉を覚えさせなければいけない。それはお母さんの役割なのだということで、そういうことをお母さんに教える学校が必要だということを学びました。こういう学校が必要だけど、日本にも外国にもまだないというので、富岡市でつくることにしたのです。今は非常にお母さん方に人気のあるスクールです。今年度は、新しい施設をつくって一年中開校できるような施設にしていこうとしています。
 また、「愛郷の郷づくり」。これは、富岡は自然が豊富なのですが、市民はあまりその良さを知りません。もっと郷土のことを知ろうということで、ハイキングコースの整備や「初日の出観望会」などのプログラムをつくりました。
 それから「5万人総ボランティア運動」。つまり、富岡市は人口が5万人だから、全員がボランティアをやろうというプログラムです。どなたでもボランティアできるという体制を作るためには、5万人の規模の都市でも専任のスタッフが30人位は必要なのではないかと思います。そうしますと膨大な運営費がかかります。方向は示してぜひやろうと6年前からずっと言い続けているのですが、これはまだ実現はしておりません。しかし一歩ずつ近づいて、来年オープンいたします「あい愛プラザ」という施設の中にこのボランティアの基地を作ろうということで、いずれ「5万人総ボランティア」の主旨が生きるようなそういうボランティア活動ができるのではないかと思っております。
 それから「発明工夫のまちづくり構想」。群馬県の知事が「一郷一学運動」というのをやっているのですが、その中で富岡市は発明工夫で行こうということで「少年少女発明クラブ」を作ったり、いろいろなコンテストの応募、そしてできれば全国規模の発明工夫展をやりたいということを目標にしながら進めているのです。
 「ふるさとの谷津田保全事業」。これは群馬県のプログラムを富岡が唯一取り入れた、富岡でなければできないようなプログラムなのです。里山整備を中心に小中学校の生徒さんたちが熱心に参加しています。
 「掃除に学ぶ会」の活動もしております。こちらは今までに、プレ大会を入れて全部で4回全国大会を開きました。それで今でも市の職員さんと一緒に月に二回の公衆トイレの掃除を私も欠かさずに朝6時から一時間やっているのです。そのほかに教育委員会が教育長を先頭に「教育委員会の掃除に学ぶ会」として、学校を使ってやっています。それともう一つは「自問清掃」です。生徒に掃除をさせる、しかも強制しない。自主的に掃除をさせる。市内全校取り組んでいるのは富岡だけなのです。そういうことで富岡は「掃除のまち」と言ってもいいのではないかと思っています。これから私は、街づくりの基本を「掃除」にしていこうとこんな考えでおります。
それから「田園工業都市構想」。富岡市は、田園地帯で自然豊富の土地柄なのですが、しかしここが意外と工業地域なのです。そのルーツは、富岡製糸場があり、シルク産業から工業化していったこと、戦争中も安全な地域だったので、疎開企業が定着したこと。もう一つは5期にわたる富岡市の工業誘致政策、工業団地造成が成功したことがあげられます。また、富岡にはIHIエアロスペースという宇宙ロケット工場があります。工場敷地は、48.5ヘクタールですから48万5千平米です。群馬県の工業敷地の中では二番目に大きい面積を持っています。ロケット産業の主要地になっております。それで群馬県内の11市の工業出荷額調査で、人口一人当たりに換算いたしますと太田市が一番、次は伊勢崎市、そして富岡市が三番目となっておりまして、富岡市は、田舎だけれども工業が盛んな地域というふうに言えます。地域経済をしっかりするためには、富岡市でなければできないものづくりをする工業をしっかりフォローアップすることです。合併も隣町の妙義町と平成18年3月27日にいたしますが、合併特例債を活用して、しっかりした工業政策を打ち出すための「工業センター」を作りたいということで、今、検討委員会を作って協議しているところです。
富岡製糸場の世界遺産登録について
 重点にお話をしたかったのが富岡製糸場の「ユネスコ世界遺産登録」のことです。官営富岡製糸場は必ず教科書に載っていますが、そこに使われているのが錦絵なものですから、現在は保存されていないと思っている方もいるのですが、極めて保存状態が良く現存しております。明治3年2月に製糸場の設立が決まり、そして5年の10月に操業開始。渋沢栄一が大きな役割を果たしていますが明治維新の顕官、陸奥宗光、大隈重信、大久保利通、伊藤博文、こういう人たちも富岡に訪れて実際に工場の運営をしっかり把握していただいたそうです。それから明治26年には民有化になりまして、三井家に払い下げられ、そして明治35年には原合名会社に譲渡、昭和14年に片倉工業が所有して操業をしておりました。
平成15年8月に群馬県の小寺知事さんが口火を切って富岡製糸場をユネスコ世界遺産に登録しようという運動が始まりました。群馬県と富岡市が今、協調してこの運動にあたっております。
 富岡製糸場への取り組み経過ですが、私は個人の運動としてもう20年も前からずっとこの運動に取り組み続けてきました。それで結果どうなったかということですが、それまで片倉工業株式会社という会社の社有地でありました。昭和62年まで製糸工場として稼動をしておりました。昭和62年3月に操業停止をして以来18年間、片倉工業さんはその工場を本当に見事に管理されてきました。工場内はきれいに清掃され、敷地内には心配された雑草もなく、実にきれいに管理をしてくれております。
それでユネスコ世界遺産に登録しようという運動が始まったので、片倉工業さんもこれは群馬県と富岡市が中心となってやってくれるならば、もう民間で持っている文化財ではない。官にお返ししようということを昨年の8月に決断してくれました。そして富岡市と群馬県と片倉工業さんと三者による協定が成立しました。その内容は、@富岡製糸場をユネスコ世界遺産に登録するための運動に協力する。A国の重要文化財の指定を受ける。B重要文化財に指定された後は、公有地化する。という3点で確認書として調印されたのです。
それで早速、富岡市では教育委員会から群馬県を経由して文化庁に最初に国の史跡指定の申請を出して、それが今年の7月に国史跡指定になりました。国の史跡指定になったということから、片倉工業さんは9月30日には史跡指定の地上物件、建造物すべてを無償で寄付してくれました。それで今、建物の所有は富岡市になっております。それから来年の1月には土地を富岡市が購入し、土地も富岡市が所有するという形に現在なっております。
 それで今後、富岡市が管理しながらユネスコ世界遺産登録に向けた運動に向かうわけですが、まず、第一段階は文化庁が作る世界遺産登録のための暫定リストに載せていただくことが一番です。その暫定リストに載りますと、調査研究後、本登録申請に進むわけですが、申請しますとユネスコ本部のイコモスという調査機関での現地調査とかいろんな審査がありまして、それに合格すると世界遺産というふうになっていくわけです。
 いったい世界遺産に本当になるのか、そんなに価値があるのかというふうに心配の声も上がっているのですが、実は世界遺産には文化系の遺産、自然系の遺産、もう一つのジャンルとして、やっぱり文化遺産という項目の中の一つですが、産業系の遺産が登録されているのです。その産業遺産としての価値があるのではないかというふうに今学者の方々にも言われており研究されております。私達は希望を持っています。
感想意見一部抜粋
・ 私の近所に西友というストアがあります。そこは甘楽富岡地区から毎朝直行で野菜が入ってきております。インショップ事業という富岡市のJAが始めたようですね。大変注目されている活動です。
・ 富岡駅前にレンガ造りの富岡倉庫というのがありますね。中に入ってみますとだいぶ痛んでいるようです。これは貴重な建物なのであれを補強して、例えば富岡の産業展示場にもなるのではないか。
・ 富岡は非常に良いところですね。群馬の上信電鉄という大変に郷愁豊かな交通機関で行きましたけれども、なんとなく韓国の慶州とか百済のあった扶桑とか、ああいうようなところのなだらかな丘陵に囲まれた地域。日本でいえばヤマトの国なのでしょうけども、そういうところに似ている。
・ 住民の人達に保存型の町並みのよさに気づいてもらうために、都会の人が行って「ああ、こういう街なみもいいね」というのを現地の人に伝えたりだとか、交流があるとまた住民の皆さんの意識も変わってくると思います。それはどうしても市長さんなり、上のリーダー的な方々がそういう意識づけをされていくというのは大事でしょうね。
・高速道路の横に「世界遺産をめざす富岡製糸場の街」とか、そういうちょっとしたPRとかがあるとだいぶ違うのではないかと思いました。


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