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ジェンダーを学んだ先輩に聞く

情コミ卒業生による講演~ジェンダーを学んだ先輩に聞こう~「“女子力”に追われる現代女性」





【主催】明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター
【日時】2012年6月8日(金)17:00-19:30
【会場】明治大学駿河台キャンパス リバティタワー14階1143教室
【コーディネーター】細野はるみ氏(情報コミュニケーション学部教授)
【司会・コメンテーター】田中洋美氏(情報コミュニケーション学部特任講師)
【講演者】和田香織氏(情報コミュニケーション学部2010年度卒業生)
【参加者】約40名
報告:田中 洋美(情報コミュニケーション学部特任講師)

和田香織氏

 講演者の和田香織さんは、本学部卒業生(2010年度)である。ジェンダーに関わるテーマで卒論をまとめておられたことから、ご自身の卒論研究について現役の学生である後輩たちにお話していただいた。
 本センターにとって、学生を対象とする講演会を開催したのは今回が初めてである。企画した理由は二つある。本センターの存在と活動について学生への周知を図ること、そして同世代である先輩の話を通して学生のジェンダーへの関心を高め、理解を促すことである。初めての試みではあったが、蓋を開けてみると予想を上回る反響があった。
情コミ×ジェンダー
 和田さんの卒論研究(「”女子力”に追われる現代女性」)は、テレビドラマや女性誌といったメディアコンテンツの分析を通して、そこで描かれる女性イメージが過去数十年にどのように変化したのか、また「女子力」がキーワードとして大きく取り上げられる現在、どのような現代女性像を読み取ることができるのか、批判的に検討したものである。方法論的にはメディア分析(言説分析)とジェンダー分析を組み合わせているが、和田さんはこの「情コミ」(当学部の推進している「情報コミュニケーション学」)と「ジェンダー」という二つの視点を組み合わせたアプローチを「異種格闘技」と呼び、それが成立可能であることを本講演で示したいと冒頭で述べられた。
 和田さんの在学当時、本情報コミュニケーション学部の学生にとって情コミ的視点(「コミュニケーションをしようとしかける人から、それを受け取る人までの間をあらゆる情報が偏見や思惑を伴って飛び交う行為」に着目する視点)を身につけることは自明であったが、他方で「ジェンダー」というのは、「どうも面倒くさそうだな」と思う学生が少なからずいるという印象があったという。そんな中、和田さんはメディア論をジェンダー論と結びつけたテーマで卒論に取り組むことを決め、女性の生き方や女らしさというものがメディアによってどのように構築されているのかに焦点を絞った。そもそもはメディアへの関心からたまたまジェンダー分析をすることになった。「現代社会の潜在意識や時代の流れをいち早く読み取った言葉、流行語などから、メディアにおいてどのような現代社会の女性がどう扱われているのか見ていこうというスタンス」で分析することにしたのだという。

メディアに見る新しい女性像〜社会変化の可能性?
 講演では、メディアを通して一定の女性像がつくられ、広がってきたことが示されたが、これはジェンダー論が問題とする女らしさ、男らしさ、女性イメージ、男性イメージというものがメディアによって構築されており、またメディアから発せられるメッセージの受け手であるオーディエンスの意識に大きな影響を与えうることを意味する。ジェンダーの視点からは、社会的に作られたジェンダーバイナリー(人間の持つ多様なパーソナリティ、個々の特性、個性が男性的なもの、女性的なものの二つにカテゴライズされてしまうこと)がメディアにおいて今も大きな影響力を持っている点が気になる。例えば、近年「ガーリー」や「女子」ということばが流行する中、男性から「選ばれる女」であった女性たちが「選ぶ女」になり、女性として自信を持つようになったと和田さんは指摘した。自らの性を「肯定的に」捉えるようになったということをポジティブに捉えることもできるかもしれないが、それもあくまでジェンダーバイナリーの枠組みの中で起きている変化であるとも解釈できる。つまりそれがジェンダーバイナリーというもの自体を揺るがすほどの影響を持ちえているのかというと、必ずしもそうではないのではないかということである。
 こうしたジェンダー変容の限界を、「女子力」という一見とっつきやすい「女らしさ」に飛びつく女性たちのエージェンシー、すなわち社会変革のための行為力が限定的であることのみに帰することはできないだろう。


 「現代女性は、経済的精神的に自立することが求められてはいますが、「女らしくあること」は後ろ向きなことではないのだと考えるようになりました。そして自信をなくした世の男たちは、女性にステレオタイプな女らしさを求めています。」

 この和田さんの言葉からは、女性たちの生き方が男性のジェンダー観の影響も受けていることがわかる。つまり男女間のコミュニケーションがジェンダーイメージの構築において重要な役割を果たしているのである。社会のジェンダーをめぐる状況のあり方については、男性と女性、またさまざまなジェンダーアイデンティティを持つ人々も含めて、皆が共に考えて行く必要がある。

ジェンダーとジェンダー以外の社会的差異
 和田さんの講演では、ジェンダーと社会格差の関連について、またジェンダーとセクシュアリティの関連についても話題が及んだ。
 前者については、「負け犬」言説に関するものであった。30代以上、結婚経験なし、子どもなし、この三つの条件にあてはまる女性は「負け犬」だと自虐的に語ったのが、『負け犬の遠吠え』の著者の酒井順子氏であったが、講演では、その状況を笑いとばせるのは、酒井氏のようなキャリアも年収も人並み以上のバブル世代の一部エリート女性であることが指摘された。これは、「女性」について語られる場合に、女性という社会集団の内部に存在するさまざまな格差が隠蔽されてしまう危険性があることを意味しており、ジェンダー研究における「女性」カテゴリーと本質主義に関する議論とリンクしている。
 セクシュアリティとの関連では、メディアで取り上げられることも多くなったトランスジェンダー(男性から女性になった性同一障害の人々ないしトランスセクシュアルの人々、女装家といったクロスドレッサーの人々)について話が及んだ。こうした人々がブームになっているのは、「男」でもなく「女」でもなく、娯楽として安心して見ることのできるマイルドな立ち位置の存在であり、また長引く不況や震災などの影響で自信をなくした人々の気分を逆なでしない存在であるからではないか、という興味深い指摘がなされた。とはいえ、メディアで露出の多いこれらのトランスジェンダーのタレントには、女性らしい男性はいても男性らしい女性はほとんど見当たらない。ここにもジェンダーのアシメトリーを見ることができる。
 このようにメディアとジェンダーについて考えるときに、ジェンダーだけではなくジェンダーを階級・階層、セクシュアリティといった他の社会的差異と併せて考えることで、ジェンダーがいかに多層的・複合的に社会的差異を生産・再生産しているのかがわかる。今後、和田さんに続いてジェンダー分析で卒論を書きたいという学生の中から、このような複合的な分析に取り組む者が出てくることを期待したい。

参加学生の反応
 今回のイベントには、本学部の内外から性別問わず多くの学生の参加があった。学生が提出したコメントシートからは、「女子力」という学生の間でもよく使われている語についてのお話ということで、発表内容に対する学生の関心も高かったこと、またジェンダーにもともと関心があった学生にとっても、そうでなかった学生にとっても、意味のある機会となったことが伺える。
 例えば、本学部の学生の中には、ジェンダー視点の重要性に気付いたと書いた者がいた。


 情コミの授業の中にジェンダーに関する授業が多いのが、今回の講座を通して少し理解できた気がします。情コミの視点からジェンダーを分析していくことは、情報の受け手としてメディア の偏見や思惑に気づくことだということで、これからはジェンダーを学ぶ際に様々な背景を読み取りながらやっていきたいと思いました。(情報コミュニケーション学部2年)

 他学部の学生にとっては、情コミ視点による分析が初めてで興味深いという意見があった。


 他学部の私にとっては真新しいお話でしたが、「マツコDXの汎用性の高さの理由」についてのご指摘では、私の個人的な疑問が解決する思いでした。(…)「選ぶ女」「選ばれる女」という対比においては、私の専攻している日本文学、特に中世の文学史上の人物と結びつけながら拝聴し(まし)た(…)。社会会背景やメディアの違いから受ける影響も絡めてお話いただいたので、事前知識のない私にも理解しやすかったです。 このような形式での初めての催しということでしたが、他学部でも非常に有意義な体験ができました。(文学部4年)

 以上のような内容に関するコメントに加え、アカデミック・スキルについて学ぶ機会となったというコメントも複数寄せられた。具体的には、和田さんのパワーポイントを使ったプレゼンテーション方法や卒論研究の手法についてである。
 最後に、和田さんの卒論では、分析対象が「女子力」や女性イメージということで、女性や女らしさに関係するものであった。確かに長年メディアは男性よりも女性の新しい生き方やライフタイルについて取り上げてきたし、学術的なライフコース研究において、1980年代後半以降、男性の生き方はあまり変わっておらず、むしろ女性の生き方が大きく変わってきていることが指摘されてきた。また男性性の優位(覇権的マスキュリニティ)は今も社会のジェンダー構造を特徴づけている。とはいえ近年は、イクメンや草食系男子といったように、男性のライフスタイルの変化を表すような言葉がメディアで多用されるようになっている。将来的には、こうしたテーマについても卒論を書いてみたいという学生の登場を期待したい。また、自らの生き方と大いに関わるテーマを取り上げるジェンダー研究の面白さは、あらゆる「性別」に開かれており、そのことを伝える機会を本センターでも継続的に作っていきたい。