「明治大学広報」
 
第544号(2004年9月1日発行)
◆藤田孝行さんを訪問して 総長兼学長 納谷廣美

 今年の3月20日に開催された明治大学体育会ホッケー部の創部80周年記念祝賀会において、多数の挨拶・祝辞の中にあって、ホッケー部のチャーターメンバーで現在101歳になって今なお札幌近郊で元気に暮らしているOB・藤田孝行氏(1928年法卒)からのメッセージということで、カセットに録音された挨拶を拝聴した。私も北海道出身であったことから、一度お会いして当時の話を聞いてみたい旨の意向を表したところ、たまたま当日出席していた同部OBの斎藤公美雄氏(札幌市在住)が藤田氏をよく知っているとのことで紹介を受けた。そのとき、札幌に行く機会があったら、藤田氏にお会いしたい旨を伝えていたところ、6月19日開催の校友会北海道支部総会に出席する機会を得たので、支部長の水野弘作氏に藤田氏との面談について相談したところ、快く実現に向けて、ご手配をしていただくことになった。

 翌20日は晴天。支部幹事長の秋山多平氏の運転する車で、水野支部長とともに藤田氏宅を訪問した。そこで斎藤氏も合流して、藤田氏から話を聞く機会を得た。

 藤田氏は若干耳が遠く、かつ視力も落ちているとのことであったが、外見からはとても101歳とは見えないほどお元気な勇姿であった。

 藤田氏は入学当初は、陸上競技の選手であったが、その後まもなくして誘われたホッケー部に入部して、その翌年には優勝し、ホッケー部の土台を構築したとのことであり、本人は他大学の選手とともに在学中に、中国の上海まで遠征した。このこともあって上海所在の会社に就職する予定でいたところ、札幌に住む母親の懇請を受けて、道庁に勤めることになったとのことであった。拓殖事業にかかわり、知事の代理として弁護士とも渡り合った(その例として、旭川の大塚弁護士旭川の名門法律事務所で現在はご子息様が継がれているとの間で土地境界をめぐる事件を担当したとのこと、その記憶は素晴らしい)。なお、その話の時に私の出身校・旭川東高等学校の前身である旭川中学を、藤田氏の兄も卒業していることを知り、あまりの奇遇に驚いた次第である(そのとき、水野支部長が札幌二中の出身であると告げると、藤田氏も同校の出身であることがわかり、縁の深さにこれまた驚いた次第であった)。大戦後は、厚生省などで結核予防関係の仕事でご活躍したが、この間ずっとホッケーを愛し、最近まで後輩を激励してきたとのことでもあった。藤田先輩の祝賀会でのメッセージが効いたのか、久しぶりに本学のホッケー部が春季リーグで優勝した旨を告げると、満面に笑みをたたえて喜んでおられた。自らの人生をいろいろと語る中、母校・明治大学に対する思いは大変に強く、101歳を感じさせない若き情熱さえ伝わってくる。1時間余の会話は、瞬く間に過ぎ、別れがたい気持ちを共有しながら、藤田宅を後にした。

 藤田先輩のご健勝を祈りつつ合掌。
 
ご購読のお申し込みは下記メールアドレスまでお願いいたします。
E-mail:koho@mics.meiji.ac.jp
閉じる