監査基準の世界的な収斂(convergence)を目指す国際会議に昨年から出席している。監査基準は、企業が公表する財務情報の信頼性を公認会計士らが独立の立場で検証する際の基準であり、財務情報の信頼性が保てなければ、投資家は判断の根拠を失い、資本市場が動かなくなるので、監査基準は、資本市場を有効に機能させるためのインフラのひとつである。しかも、高度なITの発達もあり、世界の資本市場は単一化の方向に急速に向かっている。監査基準の国際的な収斂が必要な理由もここにある。
出席する会議は、年6・7回。毎回月曜から金曜までの毎日、早朝から夕刻まで、通常は出席者が宿泊しているホテルの会議室で開かれる。出席者は主要十数か国40名程度で、開催地も世界の国々にまたがり、おかげで、はじめて訪問する国も増えた。しかし、会議前日の夜に現地に入り、会議終了日の夜、あるいは次の日の午前の便で帰国するので、観光には縁がない。また、この会議に出席するために、事前に送られてくる千ページ前後の討議資料を短期間に読み上げ、発言要旨をまとめる。したがって、会議後の帰国便では、ひたすら寝ることになり、無論、出発便では予習である。
会議の共通語は英語。そして、私の英語力は、出席者のなかでも自他共に認める最貧。英語の読解力は、「ななめ読み」ができる程度にはあるつもりだが、ノートが取れない、タイミングよく議論に絡めない、受けた質問の真意が読めない等々、私の英語力には問題が多い。日本の経済力の背景がなければ私の発言は相手にされないのではないかと思う。
英語力の問題に加えて、ディベート力にも問題がある。私に限らず、日本人はディベートの訓練を受けていない。「上手な自己主張」が下手である。さらに、議論を重ねても着地点が見つからねば、交渉術、つまり、ネゴとディプロマで問題をまとめることも重要であるが、ここでも、日本独自のシステム、つまり、責任の所在が曖昧なままに国際会議に出されて、私個人が責任を負って交渉したり、決着をつけたりすることができないもどかしさがある。会議の舞台で問題の解決が図られようとする時に、「帰国してから返事する」では相手にされない。また、即座に本国に確かめようにも、欧米での会議の場合は時差という思わぬ障害がある。
このように、一見華やかな国際会議が、私にとっては、毎回、いばらの山である。しかし、監査基準の国際的収斂に自ら関与できる喜びが、その苦労を支えている。いつの日か、明治大学会計大学院の出身者が、このような舞台で私とは比べものにならないくらいの大活躍をしてくれるかもしれない。期待したい。
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