聖悠紀「超人ロック」生誕50周年展
第1期アーカイブ


No.00

 「超人ロック」は1967年、手描きの原稿をそのまま綴じ郵送でメンバーに送る同人誌「肉筆回覧誌」の世界から登場した。発表されたのは後に1000人ものメンバーを擁することになる伝説的同人サークル「作画グループ」である。
 当時のマンガ家は一般に、同人誌時代の作品は修業時代のものとして表に出さないことが多いのだが、聖の場合「超人ロック」があまりに評判を呼んだこともあり、その作品リストに同人誌時代の作品名があたりまえのように並ぶ。
 1971年に商業誌デビューした聖が仕事に忙殺され、自然に「超人ロック」から離れかけていたころ、「聖悠紀を弾圧して超人ロックを守ろう会」が突如発足、その応援(?)をもとに描かれたのが第4作「コズミック・ゲーム」(74年)である。
 「超人ロック」はその後50年描き続けられ、多くのマンガファン、また、SFファンが思い浮かべる大半の作品より長く続く、未曽有の超長期シリーズ連載となった。シリーズ単行本は、各エピソードを収録した最初のものを数えあげるだけでも軽く100冊を超える。
 ここに展示した「SFファンと そうでない人に」と入った青い紙は、「超人ロック」第1作に添えられた聖の手による表書きである。ロックファンなら一度は目にしたことのある言葉であり、これからロックを知る人にも心に留めてほしい言葉である。


聖悠紀コメント

「超人ロック」の第1作の表書きには、OP11と入っています。これはラテン語でオーパス11、つまり11作目という意味です。これまでの私の作品リストでは、所属していた同人サークル「作画グループ」(ケース26参照)に発表したものがまず4作並んでいて5作目が「超人ロック」になっていますが、それ以外に6作描いていたということです。3作分は高校時代に友人と作った同人誌(ケース28)に描いたもの。1作分は作画グループ初の女性会員・深沢みどりさんの同人誌に描いたもの。残りの2作は…ちょっと覚えてない。たぶん完成していないものを混ぜていたのじゃないかな(笑)。
赤い表紙の東考社の単行本は、ロックがはじめて印刷出版されたもの。タイトルが鏡文字で入ったイラストは、確かその単行本扉用に描いたイラストです。

No.01
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.02
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.03
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.04
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.05
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.06
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.07
カラーイラスト・ギャラリー

 

No.08
カラーイラスト・ギャラリー

 

 

No.09
「ニムバスと負の世界」

 宇宙海賊ニムバスを追うISC(独立星間コマンド)のアイザック司令は、その追跡中に惑星消失事件に遭遇、事件解決のため伝説的なエスパー「超人ロック」に協力を依頼する。ロックは事件の背後に超エネルギー「プシ陰線」の存在があることを知り、「オメガ」と名乗る謎のエスパーと対決することになる。記念すべき「超人ロック」第1作。


聖悠紀コメント

このケースの原稿は「超人ロック」第1作の巻頭カラーページです。高校3年生の17歳の時に描いて、「作画グループ」に送りました。到着した側はすごく長いので驚いたようです。1作ごとにページ数を増やすことに決めてしばらく実行していました。ロックが最初に女性の姿で出てくるのは、意表を突く登場のしかたを一生懸命考えた結果です。
 となりのケースは、ロックがいわゆるロックの格好をして初登場するページと、ロックが名乗りを上げているページ、そしてニムバスがロックの欠点を指摘するページです。ロックはこの後見栄を切るようなキャラクターではなくなるので、名乗りを上げるシーンはとても珍しい。
 「ニムバスと負の世界」のシリーズタイトルは、東考社版の単行本を出すときに決めました。最初はただの「超人ロック」でした。ニムバスの名はNASAの気象観測用人工衛星ニンバス(Nimbus)からです。神様がまとっている雲「光雲」という意味なんです。「ハリー・ポッター」にも箒の名前で出てきましたね。ただ、こちらは少し綴りと読みを変えてニムバス(Nymbas)としました。

No.10

 

No.11
「この宇宙に愛を」

 ニムバスと共に消失したはずの「負の世界」、その脅威が再来したことを知ったロックは「負の世界」を破壊するための特殊な超能力特性を持ったメンバーを集め、「負の世界」へと突入する。しかし、そこで待っていたのは意外な真相だった。「ニムバスと負の世界」の直接的な続編である第2作。
 1968年に肉筆回覧誌に掲載後、前作同様に1976年に同人単行本として刊行、1978年に「SG企画」発行のB6版単行本が発売された。
 「エピローグ」部分がオールカラーだったことでも注目された。 展示品は、そのカラーページより。手前はロックが初めて緑の髪で登場するシーン。


聖悠紀コメント

 1作目を巻頭カラーにしたので、2作目は巻末カラーにしようと思いました。このときは新しい絵の具を手に入れて嬉しくて。ポスターカラーと普通の透明水彩を使っています。これは当時大変評判になりました。色キチガイとかなんとか(笑)。原画をそのまま綴じる肉筆同人誌だから出来たことですね。

No.12

1977年「超人ロック」は、創刊まもない『月刊OUT』(みのり書房/12月号)で、一度も商業誌に発表されたことの無い状態で特集を組まれ大きな反響を呼んだ。『月刊OUT』は、のちにアニメのファンカルチャー誌として独自のスタンスをとることになるが、「宇宙戦艦ヤマト」特集やこの「超人ロック」特集の成功がその路線を決定づけたといえるだろう。
 この特集の反響から『月刊OUT増刊 ランデヴー』にて「超人ロック」初の商業誌掲載作「新世界戦隊」の連載が開始され、「ジュナンの子」「コズミック・ゲーム」が収録された2冊の新書判単行本(東考社版)が復刊。1978年、シリーズ1・2作のカラーページつきB6判単行本が、「超人ロック復刻会」(のちのSG企画)を発行元として発売された。
 また以前出た「超人ロック」文庫版同人誌の海賊版がでまわったりもした。これらを作画グループ代表のばばよしあきは、「OUT超人ロック騒動記」と呼び記している。

No.13
「炎の虎」

 1979年、当時のSFブーム(前年に映画『スターウォーズ』が日本公開されている)を受けたこともあり、『週刊少年キング』にて「超人ロック」の連載が開始された。この連載は誌名を『少年KING』に改題し、隔週刊化されて以降も継続し、1988年の同誌休刊まで続いた。
 『週刊少年キング』(少年画報社)は、63年、『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』に続く三番目の週刊少年マンガ誌として創刊された一大メジャー誌であった。
 「炎の虎」は記念すべき週刊少年誌連載第1作。次号予告の大きさ、連載初回での巻頭カラーなど、作品への期待の大きさがうかがえる。
 辺境惑星マイア領主ヌールは、原油資源の採掘権を交換条件として、星間商社ユニバーサル・プラスチックに叔父である先代領主の暗殺を依頼していた。暗殺を請け負ったのは「炎の虎」の異名を持つ女海賊アマゾナ。彼女は依頼を成功させるも、口封じに部下を皆殺しにされる。復讐を誓うアマゾナに、ロックは、自身を監視するため派遣された連邦軍情報局の調査員マリアンとともに巻き込まれていく。


聖悠紀コメント

『週刊少年キング』の担当編集者の坂本さんが、僕がオーディオマニアだというのを知っていて「オーディオギャグマンガ」を、と最初言っていたのにいつのまにか「超人ロック」を描くことになっていたんですね(笑)。連載が決まっても、ロックを最初に描いてから10年以上経っていたし「いまさらロックで何を描こうかなぁ」って思ったのを覚えてます(笑)。 
予告に「同人誌の世界から生まれた」とあるのは、『キング』が以前に作画グループの特集を組んで、合作「1000万人の2人」(1978年45-46号)も載せていたからでしょう。
 アマゾナは、少女マンガで女の子を描き慣れていたから出そうと思ったのだったかも。ロックはアマゾナから「光の剣」(当初はサイコスピア)をコピーするんです。

No.14
「魔女の世紀」

 カーン財閥総帥レディ・カーンは配下のエスパーたちを使った人類征服計画「ミレニアム計画」をすすめていた。その動きに警戒感を持った新任の連邦軍情報局長官ヤマキはカーン配下の強力な超能力者に対抗するため、超人ロックに協力を要請する。しかし、かつて協力を断られたカーンは、すでにロックを潜在的な脅威とみなし、彼への対抗手段を準備していた。
 「黄昏の戦士」(左原画)は、「魔女の世紀」で生まれたカップル、リュウ・ヤマキとジェシカの双子の子供「ケンとハルナのシリーズ」中の一作。タイトルは他誌で連載していた「黄金の戦士」(78-80年)をもじっている。この双子は他に「魔女の子供たち」、「エスパーなんてこわくない」といったコメディ作品で主に活躍する。


聖悠紀コメント

「魔女の世紀」は連載当時から評判がよかったです。ヤマキは最初から今もずっと人気のあるキャラクターですね。ヤマキとジェシカ夫妻の双子、ケンとハルナのシリーズは、『キング』連載の頃の「ロック」がわりとシリアスなものが多かったので、コミカルに描くようこころがけました。

No.15
「ロード・レオン」

 星間複合企業体アストリス・コンツェルンは新興の海賊ロード・レオンの執拗な襲撃を受けていた。レオンはアストリス総帥ジョーグ・ロトの孫を手にかけ、事態はレオンとジョーグの私闘の様相を呈する。情報局長官ヤマキの要請を受けたロックはアストリスとレオンの過去の因縁を追う。
 「アウター・プラネット」は、未登録エスパーの増加から、エスパーが大量に存在する未登録植民星の存在を疑うギャラクシーフライヤーズ社部長のエスパー、ライオット・アレクセイが、その星「ラフノール」の存在を突き止める話。アレクセイは赤ん坊に戻ったロード・レオンの成長した姿である。


聖悠紀コメント

「ロード・レオン」は、連載時は「あまり人気が出なかったね」と担当の坂本さんと言っていたのを覚えています。でもその後イメージアルバムが出たりOVA化されたり。「これが好きです」っていう方が後からけっこう出てきて「あれーそうだったのかー」って。
 ロックはロード・レオンから「エネルギー吸収球」をコピーします。ロックの技は基本誰かからコピーしたものなんですよね。吸収球から刀が出てくるシーンは、近作の「ラフラール」でも描いたんですが「ずるい!」って読者の人に言われました(笑)。ルーツは白土三平あたりです。音を出す手裏剣を投げて気を逸らせておいて、死角から別の武器を飛ばしたりするやつです。
 「赤ちゃんに戻ったロード・レオンはどうなったの?」という読者の声があったので「アウター・プラネット」で、アレクセイ部長として登場させました。

No.16
「ロンウォールの嵐」

 植民惑星ロンウォールは人口爆発に苦しむ太陽系連合から送り込まれる大量の移民への対応のため惑星開発を進めることもできず、住民の生活と社会秩序を維持できなくなりつつあった。連合とその代理人である行政府の強権的なやり方に対し、住民たちのあいだでは抵抗運動が広がる。記憶をなくし一市民として暮らすロックもまた、革命の渦に巻き込まれていく。


聖悠紀コメント

「ロンウォールの嵐」は難しかったです。革命に失敗する話ですから。革命を起こせばすべてうまくいくんじゃないかというような考え方が、自分はあまり好きじゃないというか「そんな簡単なもんじゃないだろう」と思ってしまうんですよね。
 右の原画の、ストロハイム大佐のメガネ越しに目がみえるというのは、担当の坂本さんが昼でも夜でもサングラスをかけている人だったんですよね。暗くなるとレンズの色が薄くなるサングラスがあって、以前流行ったんです。それをかけていて、目が本当にこんな感じに見えたんですよね。今考えるとそこから来ています。
 左の原画は「巻末カラー」ならぬ「巻末2色」ですね。最終回の最後が数ページ2色なんです。普通は2色などは巻頭にくるので特別なことですよね。自分で依頼したのではなく、坂本さんがそうしようと言ってきたと思います。「この宇宙に愛を」を意識してくれたのかもしれない。

No.17
「冬の惑星」

 革命戦争を経て独立を果たしたロンウォール。だが、革命の旗手ジュリアス議長の暗殺を機に、ロンウォール独立評議会は理想を見失った謀略と権力闘争の場となり、太陽系連合は再び移民政策を強行しようとしていた。連合の現地責任者として派遣されながら、居住可能惑星の不足から、人類社会全体が袋小路にあることへの絶望感に苛まれるカトーは、死んだはずの独立戦争の英雄と出会う。


聖悠紀コメント

「ロンウォールの嵐」がわりと救いのない話なので、少し希望の持てる話にしようと思って描きました。
 ニケ(左原画&ケース5)は人気がありました。色をどうしようか迷った記憶があります。メカっぽさを出したいけれど、女性型のメカなのでバランスが難しいなと思って。最終的に青にした理由は覚えていないです。

No.18
「サイバー・ジェノサイド」

 障害を負った人間をコンピュータ制御の機械と融合する画期的な技術「サイバー」。太陽系連合軍技術開発局で、その研究に従事するマチコ・グレース博士は、その発明を超人兵士生産プロジェクトとして実用化しようとする。一旦は成功したかに見えたその計画は「サイバー」技術そのものが抱える問題によって徐々に破綻をきたしていく……。
 ケースでは、マチコがひそかに実験用に確保していた幼児の脳レムスが、身体を得て破綻をきたすまでの流れを3ぺージの原画で紹介した。


聖悠紀コメント

「サイバー・ジェノサイド」も救いのない話なんですよね。「超人ロック」の世界でサイバーを禁止することにしたのは、高度なCPUを入れれば入れるほど、CPUが選択する合理的な判断と、人間の意志とがぶつかっちゃうんじゃないかなと思って。技術が進めば進むほどその齟齬は大きくなって壁にぶち当たるだろうという。
 ただ、違法ながらもあるところにはあるんです。例えば「魔女の世紀」のレディ・カーンは自分から進んで肉体を捨てた人なのですが、あれはサイバーなんじゃないかなぁ。あと「エピタフ」には脳だけの船というのが出てきます。あれはレムスと一緒なので完全に違法です。

No.19
「光の剣」

 「皇帝計画」事件(『新世界戦隊』)後、ロック、ランとともに辺境の惑星に隠れ住んでいたエスパー、ニアは強力な超能力を使う暗殺者に襲撃される。
 じつはニアは、過酷な自然環境からほとんどの住民がエスパーとなった未登録植民星(ロストコロニー)「ラフノール」の王族だった。彼女の父を殺して実権を握り、自身をも殺そうとする祭司長グルンベルグに対抗するためニアはラフノールへの帰還を決意する。


聖悠紀コメント

ラフノールはロストコロニーという設定で、独特の用語が使われている世界にしました。いろんなギミックを出しているけど、それがハードじゃない。機械っぽくないけどSFというのが描きたかった。
 そもそも日本ではヒロイック・ファンタジーというのがそれほど無くて、ゼルダの伝説とかドラクエとかが流行ってからワッと広がりましたよね。以前描いた「黄金の戦士」(1978-80年)のときはもっと無かったんです。でも海外にはあった。「ムアコックがSFなんだからいいんじゃないかな」と思って。移民船が壊れて不時着した星でそのまま生き残って、超能力でもなければ生き残れないほど環境が厳しかったから、超能力者だらけの星になった…といったような世界の成り立ちがベースにあってお話が展開するというように、科学的説明があるかどうかがSFであるかどうかの分かれ目かな。

No.20
「星と少年」

 エスパーハンターに両親を殺された少年ラグは自身の「力」を使って逃走する。ストリートチルドレンのグループ、彼を拾った海賊たちと出会い交流するが、強すぎる彼の「力」は行く先々で打算と不信、そして死を生み出してしまう。
 すべてに絶望し、「力」を暴走させる彼の前に、能力をコントロールする術を教えようとした謎の女性、そして伝説の「超人ロック」があらわれる。


聖悠紀コメント

超能力をコントロールするための修行というか、練習をするシーンは、この後もよく出てきます。いろんな方法を考えた中で、一番視覚化してイメージが伝わりやすいと思ったのが、この方法と描き方でした。

No.21
「聖者の涙」

 麻薬「ソーマ」が蔓延する惑星プラタ、そこに新種の麻薬「聖者の涙」を広めようとする新たな麻薬密売組織が出現した。新組織を脅威と感じた「ソーマ」販売組織は「聖者の涙」の製造販売をおこなう組織のボスである「パパ・ラス」の暗殺を「超人ロック」に依頼する。だが、パパ・ラスと聖者の涙には意外な秘密が隠されていた。


聖悠紀コメント

「聖者の涙」(1991年連載開始)は、『少年KING』でのロックが終わって(1989年終了)からだいぶ間があいていたので、久しぶりのロックの連載で気合が入っていましたね。以前特集してもらった『月刊OUT』で描くことになったいきさつは、あんまり覚えていないです。

No.22
「ソード・オブ・ネメシス」

 「超人ロック」誕生30周年を記念して描かれた、「超人ロック」第1作 「ニムバスと負の世界」(ケース9、10参照)のリメイク。
 ゴダン・コーポレイト社の研究施設が二人の研究者とともに消失してしまった。この事件を追うISCのアイザック長官とロックは、事件の背後にかつてロックが友人のハンザ博士とともに研究していた「生きている岩」と、そこに隠された謎の力「第三波動」の存在を知る。その頃、事件とは別に「第三波動」を駆使する宇宙海賊ニムバスが独自の目的をもって動きはじめていた。
 「オメガ」は「ソード・オブ・ネメシス」の続編で、シリーズ第2作「この宇宙に愛を」(ケース11参照)のリメイク。
 かつてのニムバスの部下ヘルガは記憶を失い、療養所で治療を受けていた。謎の男ヤマトと出会った彼女は自らの記憶を取り戻すため異空間に通じるゲートにヤマトとともに身を投じる。そこで待ち受けていたのは、異空間に閉じ込められた結果「オメガ」となったニムバスだった。
 掲載誌の『超人ロックSpecial』は、ビブロスより2000-06年に『Colorful PUREGIRL』増刊のかたちで刊行されていた超人ロック専門のマンガ誌。ビブロス刊行のマンガ誌『MEGU』、『ZERO』でのロック作品の連載を引き継ぎ、新作長編連載、過去発表作の復刻など基本的に「ロックもの」のみで誌面を構成していた。


聖悠紀コメント

「ニムバスと負の世界」と「この宇宙に愛を」を今描くとどうなるのかやってみたくなったんです。
 ニムバスが、海賊のキャプテン・ニムバスとして出てくるところは同じ。アイザックも出てきますが、アイザックは筋肉ムキムキのキャラクターになってしまいました(笑)。ロックが女体化して出てきたりしませんし、だいぶ変ってしまいましたね。「第三波動」の概念も少し変わりました。時間も空間も存在しない世界に同じ人間が無数に存在することになる、その最後の存在が「オメガ」だというところは変わっていません。

No.23
「冬の虹」

 スカイリフト社による軌道エレベータ建設現場に、所属する警備会社から、チームとともに警備担当として派遣された元SAS(英国特殊空挺部隊)の軍人ロックは、国際社会の思惑が複雑に絡み合うその現場で、スパイやテロリストによる妨害工作と戦っていた。そんななかアジアの大国C国軍情報部から派遣されたエージェント、王志明はロックと同じ超能力者(スキャナー)だった。
 現在も続く『ヤングキングアワーズ』での本格連載の最初の作品。「クアドラ」は「冬の虹」の続編。


「凍てついた星座」

 星間企業ジン・コーポレーションを支配するマエケナス・ジンは、不老不死の秘密を探るため伝説の「超人ロック」捕獲指令を発する。任務のために集められたのはいずれ劣らぬ超一流のエスパーハンターたち。壮絶なロック狩りがはじまる。


聖悠紀コメント

「冬の虹」
銀河連邦ができる前の時代を描いています。「ロックはいつの時代からいるのかな。ひょっとしたら今この現代にもいるのかも」という考えから生まれました。超能力者はここでは「スキャナー」と呼ばれています。ロックはまだ超能力をそんなに使えなくて、ノートパソコンを使っていたり、超能力をコントロールするのに視覚が邪魔で目隠ししていたりします(笑)。


「凍てついた星座」
「凍てついた星座」は、出てきたエスパーたちでまた話を描いてみたいなぁと思っているところです。カルベルとパエトンとか4姉妹とか。まだどうなるかわからないですが。

No.24
「エピタフ」

 辺境の惑星に隠棲していたロックは、祖先について調査をしているという歴史学者の訪問を受ける。彼が調査しているという「祖先」の名はブリアン・ド・ラージュー。二人の対話によって、銀河帝国の第一大臣として、ロック自身とも因縁の深いこの人物の秘められた生涯が解き明かされていく。
 現在も続く『コミックフラッパー』での本格連載の最初の作品。


聖悠紀コメント

「エピタフ」はロックがほとんど出てこない話ですね。ホントはブリアンが出世してド・ラージュ大臣になるまでを描こうと思っていたんです。

No.25
聖悠紀コメント

扉絵風のものは作画グループにロックの1作目を送る前、一番最初に思い浮かんで描いたロックのイメージイラストです。「超人ロック」はここから始まりました。タイトルは、ロック歌手ドノヴァンの「狂人ロック」からです。
 無地のレポート用紙に描かれたロックは、その後のロックらしい顔なので、高校時代のノートに大学時代に描いたのかもしれない。横のは「エネセスの仮面」のエネセスですね。テレパシィとかテレキネシスとか超能力用語も書きだしてますね。自分自身はエスパー用語はヴァン・ヴォクトの『スラン』やハインラインで知りました。

No.26

作画グループは1965年ごろ、ばばよしあき、うわだよしのり、関本おさむの3人のマンガ研究会が融合して生まれたようだ。当初の人数は6名。一時は1000人を超すメンバーが所属した伝説的同人サークルである。2016年会長ばばの死去にともない正式に解散した。
 聖悠紀は、66年に同サークルに参加し、肉筆回覧誌『SSM』(『ショートストーリーマガジン』)に「心臓」を掲載。「超人ロック」の1作目はやはり肉筆回覧誌『ストーリィ作品集』に掲載された。また『超人ロック』の最初の単行本は、作画グループシリーズ第2弾として東考社から出版。作画グループシリーズは他にも何冊も出版されている。SG企画として書店流通する会誌『GROUP』を78年に創刊。会員同士の合作を熱心に行い『週刊少年マガジン』に「アキラ・ミオ漂流記」(72年)、『週刊少女コミック』に「ダリウスの風」(77年)、『週刊少年キング』に「1000万人の2人」(78年)を発表した。
 現在作画グループの3羽ガラスである、ばば・みなもと太郎・聖が直接会ったのは、68年に行われた「ぐら・こん」関西支部の会合であった。「ぐら・こん」は新人育成を重視していた雑誌『COM』(虫プロ商事)からはじまった読者交流の場である。
 会誌として『GROUP』『なかま』『ユニオン』なども出していた。他の主な元会員に、あずみ椋、いくたまき、大塚英志、かぶと虫太郎、北原文野、清原なつの、神坂智子、沢田ユキオ、志水圭、中田雅喜、速水翼、belne、山本航暉、横山えいじなどがいる。


聖悠紀コメント

作画グループには高校2年(1966年)の時、『ボーイズライフ』に載った会員募集がきっかけで入会しました。たまたまはがきが2枚残っていたので、2つの会に送ったのだけど、1つは連絡が来なかった。
 作画グループからはガリ版刷りのわら半紙で4ページくらいの講評の載った発行物(『ニュース版』)が来ました。それで何か描かなきゃ、と思って送ったのが「心臓」という作品。『SSM』に載りました。「ロストコロニー」は『グループ』の100号の記念に描きました。

No.27
聖悠紀コメント

緑のスクラップブックは母親が僕の描いた細かなカットとかを集めて貼って作ってくれていたものです。セロテープが劣化してもう全部取れてしまっていますが。

No.28
聖悠紀コメント

『COMICSTRIPS MAGAZINE』は、自分と高校のなかま二人と作った同人誌です。この本で、聖悠紀の名前が初めて使われています。最初はなかまの一人との合作用のペンネームで、苗字は私が古典の授業の時に決め、下の名前はなかまの名前の「良則」を「由紀」と変え「ひじりゆき」と読むことにしました。その後一人で使うようになって「由」の字を「悠」に変え「聖悠紀」表記にしたんです。

No.29

聖悠紀の商業誌でのデビューは少女誌であった。マンガは網羅的に読んでいたが少年向けが主で、少女向けは読んでいなかったという。おそらく少女誌デビューの見通しが立ったころに描かれたのであろう、多くのかわいらしい少女マンガの習作が残っている(ケース27参照)。
 繊細な巻き毛とシャープなメカ、少女趣味と少年趣味がバランスよく同居しているところが、聖作品のもっとも大きな魅力のひとつである。


聖悠紀コメント

商業誌では少女マンガでデビューしました。「この宇宙に愛を」を読んでくださった小学館の編集者・大西亘さんが声をかけてくださったんです。少女マンガを描くことになってから、模写したりしてずいぶん練習しました。当時練習した少女マンガ家さんは、西谷祥子さん、大和和紀さん、水野英子さん、忠津陽子さんかな。他にもたくさんの方の練習をしましたよ。

No.30
「ファルコン50」

 普段は気の弱い「泣き虫」の少年宗方すすむは、じつは常人の50倍の運動能力を持つヒーロー「ファルコン50」だった。事故で生体コンピュータとなった父やファルコンチームの仲間とともに、宇宙人の侵略から世界を守るすすむを主人公としたヒーローアクションSF。
 今も続くファンタジー系のマンガ誌『Wings』の創刊表紙を飾る連載である。創刊当時の寄稿作家には作画グループ所属のマンガ家も多い。


聖悠紀コメント

「ファルコン50」は、以前描いた「スペースマンA」をもっと描いてみたかったのでやってみることにしました。展示のカットは、その「スペースマンA」を描く前の、アイディアの元になったカットですね。

No.31
カーレース作品特集

 「ハヤトの挑戦」(77年)はフォーミュラレースを描いたもの。「GPグリフォン」(89年)はF1。「ミルザンヌの嵐」(単行本)はル・マン24時間耐久レースを舞台としたレースマンガ。聖はごく初期の作品「幸福のかけら」(68年『ぐるーぷ』1/ぐら・こん関西支部)でもF1を描いている。また、少女マンガ作品にも、随所にかっこいい車が登場し(ケース29左参照)、そうとう車好きであることがうかがえる。
 1960~70年代は日本におけるモータースポーツの草創・発展期にあたる。1963年の第一回日本グランプリ開催以降、日本国内でも本格的な自動車レースが行われるようになり70年代半ばのスーパーカーブームの影響や、F1、耐久、ラリーなどの国際的な自動車競技の日本への紹介が進んだ。聖のレースや自動車への興味と愛情はこうした時代背景もあってのものだといえるだろう。


聖悠紀コメント

カーレースものは、出版社から依頼があって描いたことはなくて、何を描いてもいいよと言われると描いていました。
 車大好きです。ドライブするのが好きなんです。そういえば海軍のパイロットをしていた父も、家族を乗せてドライブをするのが大好きでした。

No.32
「忍者キャプター」

 1976~1977年に東京12チャンネル系列で放映された、悪の忍者集団風魔党と正義の忍者チーム「忍者キャプター」の戦いを描く、東映制作による児童向け特撮テレビドラマ。
 聖はドラマのキャラクターデザインを手がけた他、『テレビランド』誌でのコミカライズ版の連載も手がけている。


聖悠紀コメント

キャラクターデザインをしたので、マンガも描くことになりました。風忍がフレンチホルンみたいなのを吹くのですが「ラッパを吹かせたら?」といったのは僕です。
 敵のデザインも考えることになって、シナリオを読んでからデザインして大泉の東映撮影所に持って行き、近くの喫茶店でプロデューサーと打ち合わせをしていましたね。

壁面展示

 

上:テーブルケース展示
左:モニタ展示