アーカイブ 《「『ぱふ』の50年とコミティアの40年」記念展》

『ぱふ』の50年

展示風景




展示概要


 まんが情報誌『ぱふ』は、マンガ評論の掲載やマンガ情報誌としての役割の一方で、同人誌に関する情報を多く取り上げ、その文化の浸透に大きく貢献しました。
 創作マンガ同人誌即売会「コミティア」もその流れの中から登場しました。『ぱふ』の「同人誌紹介コーナー」をきっかけに、最初から『ぱふ』の協力を得てはじまったのです。
 『ぱふ』とコミティアには、出版社やプロ・アマチュアの垣根無くマンガファンや創作者の交流をうながすコミュニティを作り支えてきたという共通点があります。
 本展示は、会期の前半は創刊から50年の節目にあたる『ぱふ』、後半は開催150回を数えるとともに40周年を迎えるコミティアのこれまでを紹介し、両者をゆるやかにつなげる記念展です。

明治大学 米沢嘉博記念図書館



監修者 ごあいさつ


 1974年にまんが情報誌『ぱふ』(の前身)が生まれて50年。その『ぱふ』の同人誌コーナーの縁から、1984年に創作マンガ同人誌即売会コミティアが生まれて40年。今年2024年に偶然にもそれぞれの節目の年がクロスしたことでこの合同記念展示が実現しました。
 監修者の私・中村公彦自身、双方の媒体にかかわった者として、このような機会をえたことに感謝しています。
 『ぱふ』という雑誌だからできたこと。コミティアというイベントだからできたこと。その時代背景はあれ、それぞれのスタンスでひたすらにマンガと向き合い、懸命に果たすべき役割を果たしての今があります。
 半世紀(50年)という時間の経過の中で、マンガを取り巻く環境にも大きな変化がありました。インターネット以前と以後、紙の本のピークと電子書籍の台頭、雑誌コミュニティの終焉とSNSの日常化…。
 その変化に抗えず、『ぱふ』は休刊し、一方でコミティアはコロナ禍を乗り越えて、次なる50年、100年を目指しています。時代の変化とはそういうものですし、それでも「魂」は受け継がれている、とも言えるでしょう。
 今回の展示を通してその連続性の核となるものを感じてもらえたら幸いです。

中村公彦(コミティア実行委員会会長/元『ぱふ』編集長)



『ぱふ』とは


 1974年末に無題のミニコミ誌として創刊。『漫波』『だっくす』などの誌名を経て1979年より『ぱふ』となる。2011年の8月号にて休刊。マンガの多い冊子から評論誌的展開を経て、1985年より「まんが情報誌」を誌名に掲げる。映画・アニメなどの隣接ジャンルとちがいマンガ情報誌は定着しにくく、30年以上定期刊行した情報誌は他に無い。マンガの社会的地位が定まらない時代からの長期間にわたる豊かな情報は、今となっては重要な文化の記録である。



会期情報


会期 :2024年11月2日(土)-2025年2月17日(月)
◎『ぱふ』の50年
  2024年11月2日(土)-12月23日(月)
  ※みずき健『ぱふ』表紙カラー原画を期間を分けて展示
   その1:11月 2日(土)-11月25日(月)
   その2:11月29日(金)-12月23日(月)

◎コミティアの40年
  2025年1月11日(土)- 2月17日(月)



主要参考資料


ぱふ100号記念特集/ 『ぱふ』1985年5月号 雑草社
『ぱふ』300号記念企画/『ぱふ』2000年2月号
『ぱふ30周年&活字倶楽部10周年 記念本』 2004年12月 雑草社
明治大学 米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館所蔵の『ぱふ』



謝辞


本展示開催にあたり次の方々より多大なご協力を賜りました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

合志マンガミュージアム
三崎尚人
みさき絵美
小森ネコ
夏目房之介
伊藤真由子
明田愛(コミティア実行委員会)
武井千秋(株式会社 桜雲社)
(順不同)




◆壁ケース展示

最上段
ぱふ50年史 年表

高画質版はこちらから


No.01
1970年代 『ぱふ』の前身誌

 『ぱふ』には、無題の1号目および『漫画界』『月刊漫波』『まんぱコミック』『だっくす』という前身誌がある。発行所も、漫画界刊行会、月刊漫波刊行会、点晴社と3年ほどの間に変遷する。
 2号目(『漫画界』創刊号)から誌名が決まり、以降はマンガ界周辺の情報や大学漫研のメンバーおよび投稿によるマンガ作品を掲載した。
 ちょうど同人誌即売会が定着する少し前に刊行が始まった。この時期の販売ルートは、都内を中心に手持ちで搬入できる関東近隣の2、30軒の書店であった。地方へは通販し、定期購読を推奨していた。『ぴあ』や『シティロード』などが最初はそうであったように、当時盛んに作られていたミニコミ誌のようでも同人誌のようでもある。


《展示品》
『漫画界』
1975年8月号 漫画界刊行会

『月刊漫波』
1976年8月号 月刊漫波刊行会

『まんぱコミック』
1977年4月号 点晴社 以上3誌・夏目房之介氏蔵

『だっくす』
1977年8・9合併号 点晴社

No.02
『ぱふ』と特集① (マンガ家特集)

前身誌時代のメインコンテンツは、その最初期から表紙に必ず記される、有名マンガ家へのインタビュー「マンガ家訪問」である。『だっくす』1978年1月号ではそれが「新マンガ家訪問」となり、誌面中央の紙質と色を変えた最も目立つページにおかれ、ページ数もそれ以前の1~3ページから大増9ページとなる。
 リニューアルのため数か月休んだ後の6・7月号では「マンガ家訪問」のコーナー名は無くなるが、インタビューと作家評が一体化した作家特集を29ページ掲載。1月号と、6・7月号を比べると、この作家特集形式は「マンガ家訪問」の発展形であることがわかる。
 この特集ページは、論考、作品リスト、レアな短編の全ページ掲載などが追加され、すぐに2倍3倍に膨らんでゆく。これが今もよく出版されるマンガ家の総特集本の基盤となっている。


《展示品》
『だっくす』
1978年1月号 点晴社 特集 樹村みのり
『ぱふ』 清彗社 雑草社(81年12月号以降)
1979年6月号 特集 大島弓子の世界2
1979年7月号 特集 大友克洋の世界
1979年10月号 特集 メモランダム手塚治虫
1980年3月号 特集 吾妻ひでおの世界
1980年6月号 特集 永井豪の世界
1980年9月号 特集 松本零士の世界
1980年11月号 特集 坂口尚 おおやちき
1980年12月号 特集 萩尾望都
1981年12月号 特集 聖悠紀
1982年1月号 特集 坂田靖子
1982年6月号 特集 あだち充
1982年8・9月号 特集 竹宮恵子 Part2
1983年6月号 特集 ささやななえ
1983年7月号 特集 江口寿史
1983年9月号 特集 清原なつの
1983年11月号 特集 高橋留美子
1984年9月号 特集 山岸凉子・2
1985年3月号 特集 とり・みき

No.03
1970年代 全国誌『ぱふ』

 『だっくす』時代の1978年6・7月号より、出版取次(日販)を通して全国の書店に配本される全国誌となった。出版社名も清彗社に変更し、形体も内容も大きくリニューアルした。サイズはA5版のまま、中綴じから背表紙のある平綴じになり、背表紙に誌名とメイン特集のマンガ家名が入る初期『ぱふ』の定型が出来あがった。この型は85年5月号まで約8年続く。
 最初の特集は、少女マンガブームの折、一家言ある読者たちによる評価の高い大島弓子。斎藤次郎、斎藤正治、小野耕世らマンガに理解ある評論家を迎えることなどによって評論誌的傾向が進んだ。
 全執筆陣のコメントを入れることを目指した「今号の登場」コーナーや、編集長による編集後記だけでなく編集者全員のコメントが入る「ちょっとひとこと」も、以降の『ぱふ』の傾向を知るうえで興味深い。


《展示品》
『だっくす』
1978年6・7月号 清彗社

『だっくす』もくじページ
1978年6・7月号 清彗社

No.04
『ぱふ』の「お手伝い人制度」

 『ぱふ』の「お手伝い人制度」の最初の募集は、おそらく1978年9・10月号。1984年3月号から12月号にも誌面での募集がある。特に募集していなくとも編集部に遊びに来た読者が、マンガを読むあいまに切手貼りなど、軽作業を手伝うことがあったようだ。
 多くは学生時代にお手伝いをし20代で卒業していくが、一度休刊し81年12月号で復刊して以降の3名の編集長・村石憲一(1958-2014年。1981年12月号-88年7月号の編集長)、中村公彦(1961年生まれ。1988年8月号-93年8月号の編集長)、猪飼幹太(1968年生まれ。1993年9月号-2003年8月号の編集長)は皆、このお手伝い人を経て編集スタッフとなり編集長となった。
 読者の声を直接聞くことができ、読者が制作者となる流れをつくるこのしくみが『ぱふ』誌面の充実に大きく貢献したのはまちがいないだろう。


《展示品》
『だっくす』1978年9・10月号
清彗社

『ぱふ』1984年3月号
雑草社 ※p.135左端

『ぱふ』1984年12月号
雑草社 ※p.137左端

No.05
1978-1983年 まんが専門誌『ぱふ』

 「まんが専門誌」とは『だっくす』が1978年6・7月号にリニューアルした際掲げはじめた自誌に対するカテゴリである。誌名が『ぱふ』となった79年1月号以降も受け継がれ、83年12月号まで使われた。この間は、編集方針と経営面の両方で内部に対立が起こり「分裂騒動」が勃発、81年に約1年の休刊をはさんだ時期である。復刊時には、別会社の雑草社に発行が引き継がれたが「まんが専門誌」の冠はそのままだった。
 創刊当時から、掲載されるマンガはアマチュア作品中心で主要記事はプロマンガ家のインタビューだったこの雑誌は、当初はマンガ雑誌を自称していたがマンガ誌としては弱く、さりとてマンガの情報だけで成り立つ雑誌など当時はありえなかったため、アイデンティティがゆらぎ続ける。そんな中、“まんがを専門にあつかう雑誌”という立ち位置が当時としてはもっともしっくりきたのだろう。


《展示品》
『ぱふ』1979年1月
清彗社 ※誌名『ぱふ』に変更

『ぱふ』1981年1月号
雑草社 ※休刊号

『ぱふ』1981年12月号
雑草社 ※復刊号

No.06
『ぱふ』と橋本治

 新しい評論誌として注目されだした1978年6・7月号以降は、橋本治、村上知彦、飯田耕一郎など次世代の若手評論家たちの活躍の場となった。
 特に橋本治は1978年から80年頃に少女マンガに関する長い論考を何本も寄せるなど、当時の『ぱふ』のムードを決定づけたといえる。それらの論考は1979年に刊行され、今も読み継がれるマンガ評論集『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』前後篇(北栄社)に結実した。
 また、結果的に雑草社とふゅーじょんぷろだくとに分かれることとなった「分裂騒動」の際は、編集会議に参加し、疲弊した編集スタッフを自宅で休養させるなど、当時の編集部をずいぶんフォローしている。存続が危うかった『ぱふ』を支えた重要な人物だったことが、81年12月号、82年1月号掲載の「ぱふ分裂日記」に目を通すとわかる。


《展示品》
『だっくす』1978年7・8月号

『ぱふ』1979年4月号
清彗社

『ぱふ』1980年5月号
清彗社

『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』
前篇・後篇 1979年4月1日、6月25日発行 北栄社

No.07
1984年以降 まんが情報誌『ぱふ』

 マンガ家インタビューがメイン記事であるなど、最初から情報誌的側面の強い雑誌ではあったが、『ぱふ』が自ら「まんが情報誌」を打ちだすのは、表紙の誌名そばと背表紙に「まんがファンのための情報誌」と入る1984年1月号から。背表紙に「まんが情報誌」とのみ入るようになるのが同年8月号。
 表紙と裏表紙の2か所に「まんが情報誌」と入るのが88年5月号。表紙、背、裏の3か所に常に入る「大・まんが情報誌時代」は、92年4月号から94年4月号まで。
 また、表紙や背にあるキャッチ「Magazine for Comic fan」(80年代)、「まんがファンのためのナビ・マガジン!」(2000年代)などから、ファンジンとしての姿勢も、情報誌を名乗り始めたころから休刊の2011年まで大切にされていたことが伝わる。


《展示品》
『ぱふ』1984年1月号
雑草社

『ぱふ』1992年4月号
雑草社

No.08
『ぱふ』まんがベストテン

 『ぱふ』の一年で最も大きな目玉は、おもに4月号での年間ベストテン号である。
 全国誌になった『だっくす』78年6・7月号ではじまった、月例「漫画・漫画家人気投票」がもとになっている。年間総決算号の最初は『だっくす』1980年4月号。この号は作家特集との2本立てだった。
 年間ベストテン単独の最初の特集号は1982年4月号(81年ベスト号)。ページの約半分が特集に割かれ、長編部門、短編部門、主演男優・女優、助演男優・女優を選出した。91年4月号(90年ベスト号)になると項目も増え2/3ほどのページが割かれる。ベストテンは休刊する2011年(2010年のべスト)まで続く。
 ちなみに81年の長編部門第1位は山岸凉子「日出処天子」、90年は尾崎南「絶愛ー1989ー」、2000年は峰倉かずや「最遊記」、2010年は荒川弘「鋼の錬金術師」。


《展示品》
『ぱふ』1982年4月号
雑草社

『ぱふ』1991年4月号
雑草社 桜雲社蔵

『ぱふ』2011年4月号
雑草社 桜雲社蔵

No.09
1980年代後半 『ぱふ』の大リニューアル

 なんとか復刊したものの作家特集主体の編集方針に限界もあり、『ぱふ』は大リニューアルを敢行し成功する。
 まずは1985年6月号にて大判化(AB判中綴じへ)し、ビジュアル化、語るより楽しむ誌面に向かっていった。86年1月号より、表紙イラストに同人界で人気のみずき健を迎え、雑誌イメージを一新。同年9月号の「キャプテン翼」特集の人気がその後の方向性を決めた。「C翼」=「キャプテン翼」ブームなど同人界の人気の波にのり、コミックマーケットなど同人誌即売会で活躍する作家とファンを盛り上げることで新境地を開く。リニューアルを境に、編集部員も読者も女性が増えたという。
 マンガ雑誌への持ち込みや投稿でなく、同人界での活躍を元に商業誌デビューを果たす作家を支え、マンガ界に新しい風を吹き込む一端を担うことになった。


《展示品》
『ぱふ』1986年1月号
雑草社

『ぱふ』1986年9月号
雑草社

No.10
『ぱふ』年間まんがリスト

 『ぱふ』の「マンガ家作品リスト」は1980年4月号(1979年ベスト号)からはじまり、2007年4月号まで毎年のベストテン号に掲載された。
 初年度が「少女マンガ作品リスト」だったのは、『ぱふ』が少女マンガをひいきしていたからではなく、マンガリスト作成者として有名な同人グループifのメンバー、杉田健一(ル・すぎたけんいち)作成のリストが少女マンガのみであり、『ぱふ』リストが杉田リストを引き写すことから始まったからである。
 年を経るごとに少年誌、青年誌、女性誌などが追加され、データの量が増大していった。
 この「マンガ家作品リスト」は、情報誌としての『ぱふ』の核ともいえる壮大かつ重要なリストである。このリストのために毎年4月号のみを購入するという読者も多かった。


《展示品》
『if Library 少女マンガインデックス’77』1978年(推定) 中村公彦氏蔵
※杉田健一作成のリストの例
※発行年記載無し。77年12月発行までの雑誌のデータが採取されているので、78年刊行と推定

『ぱふ』1980年4月号
清彗社

『ぱふ』2007年4月号
雑草社 桜雲社蔵

《案内》
 『ぱふ』の「年間マンガ家作品リスト」を本展WEBサイトにスキャンし掲載しています。好きなマンガ家の過去作の探求、マンガ研究の参考にするなど、ぜひご活用ください。
『ぱふ』の「年間マンガ家作品リスト」

No.11
同人誌と『ぱふ』

 前身誌が大学漫研メンバーのマンガを掲載することからはじまっているため、ごく初期から大学の会誌としての同人誌、学祭などそれを売るイベント、大学漫研以外のマンガサークル紹介があった。
 同人誌紹介のコーナー化は『だっくす』78年1月号の「われらが同人誌」から。79年11・12月号では、全国の同人グループを地域ごとに紹介する、驚異の特集号「全国まんが同人誌地図」が出る。この特集では『ぱふ』を東京の同人誌のひとつとして紹介している。
 84年には、6月号の同人誌コーナーでのマンガサークル「TEAM COMPACTA」(ル・ティーム・コンパクタ)を紹介するのをきっかけに、創作マンガ同人誌即売会コミティアに正式に協力することとなる。
 80年代後半の大リニューアル後は、コミケや同人誌の紹介が恒例となり、96年5月号からは「まんが・アニメ・同人誌情報マガジン」にリニューアルした。


《展示品》
『ぱふ』1979年11・12月号
清彗社

『ぱふ』1984年6月号
雑草社

『ぱふ』1987年8月号
雑草社 桜雲社蔵

No.12
『ぱふ』ゆかりのまんが家と“まんが誌”『ぱふ』

 『ぱふ』は前身誌時代からずっと“まんが誌”であろうとしていた。『漫波』時代から森雅之(もりまさゆき)、柴門ふみ(ケン吉)のマンガが注目され、『まんぱコミック』よりデビューした田森庸介(たもりようすけ)(高峰丈名義)の代表作となる「ポポロクロイス物語」は、最初『だっくす』で発表された。
 全国誌となった78年6・7月号から81年1月号の休刊までは「まんがスクール」があった。スクールからデビューしたまついなつきは、文章もうまくマルチな才能を発揮。かるめら姫の愛称で一時同誌のアイドル的存在であった。
 藤島康介は84年頃、編集の「お手伝い人」をしており、『ぱふ』の「話題作」「コミックスレビュー」コーナーへの投稿募集マンガ「(ぱ)の洋子ちゃん」(Y・MINAMIDA)を数回連載した。

 88年には、唯一マンガ作品のみが掲載された『別冊ぱふ』Early Summer号を出版した。同人誌にて二次創作(パロディ同人誌)で活躍する人気作家にオリジナル作品を依頼し収録した画期的な一冊だった。しかし、ある大手マンガ出版社より、マンガ誌を出す場合は競合誌となるので、今後記事に協力できないと告げられ、検討の上「まんが情報誌」に専念する道を選んだ。
 この号からはTONOが商業誌デビューした。デビュー作の猫マンガ「しましまえぶりでぃ」は本誌でも連載され、他誌に移った後も長く続き 2023年最終5巻が出た。
 1989年に「星のズンタコタ」で『ぱふ』からデビューしたひらのあゆも長く愛される作家となった。『まんがタイム』系の4コマまんが誌複数で連載中の代表作「ラディカル・ホスピタル」が、2024年4月時点で40巻まで刊行されている。


《展示品》
雑誌
ケン吉(=柴門ふみ)「カメが出てきた日」掲載号
『まんぱコミック』1977年2月号 点晴社
まついなつき「おかあさんの星」掲載号
『ぱふ』1980年1・2月号 彗清社
Y・MINAMIDA(=藤島庸介)「(ぱ)の洋子ちゃん」連載第1回掲載号
『ぱふ』1984年2月号 雑草社
※ヒット後は『ぱふ』誌で何度か特集が組まれている
『別冊ぱふ』1988年Early Summer(5/16発行) 雑草社
※マンガ作品のみ掲載の唯一の『ぱふ』
TONO「しましまえぶりでぃ」本誌連載第1回掲載号
『ぱふ』1989年1月号 雑草社
ひらのあゆ「星のズンダコタ」連載第1回掲載号
『ぱふ』1994年4月号 雑草社 桜雲社蔵

単行本
森雅之『夜と薔薇』ぱふ叢書① 1980年6月25日発行 雑草社
藤島康介『ああっ女神さまっ』1巻 1989年8月23発行 講談社
柴門ふみ『東京ラブストーリー』1巻 1990年5月20日発行 小学館
まついなつき『笑う出産』 1994年3月10日発行 情報センター出版局
TONO『カルバニア物語』1巻 1995年7月25日発行 徳間書店
ひらのあゆ『ラディカル・ホスピタル』1巻 2004年3月5日発行 芳文社

No.13
1990年代の『ぱふ』

 1990年代は、前半は「まんが情報誌」、後半には「まんが・アニメ・同人誌情報マガジン」に移行した時期である。移行第1号の1996年5月号からは、雑誌サイズがAB判からA4判へとさらに大判化した。メイン特集は「同人誌GET大作戦」。同人誌の作り方ではなく入手法の特集である。描き手ではなく読み手目線の特集名であるのが興味深い。
 アニメがメイン特集の号も増え、中でも「新世紀エヴァンゲリオン」はこの頃くりかえし特集されている。90年代の大きな話題作だったことが分かる。1999年4月号で13年続いたみずき健の表紙が交代する。
 この頃は別冊も多く出ており、高河ゆん、尾崎南など同人誌出身の人気マンガ家単独の大特集号や、『活字倶楽部』『コミック・ファン』など雑誌として続くものも出版した。いろいろな意味で安定していた時期であった。


《展示品》
『ぱふ』1996年5月号
雑草社 
※判型変更。「まんが・アニメ・同人誌情報マガジン」になる

『ぱふ』1997年8月号
雑草社 巻頭特集 新世紀エヴァンゲリオン 桜雲社蔵

『ぱふ』1999年5月号
雑草社
※表紙イラストレーター交代。1999年5月号から2000年4月号までは岡崎武士 桜雲社蔵

No.14
『ぱふ』と特集② テーマ特集

 前身誌時代も、作家特集が定番となった1978年以降も作家特集ではない号は時々あるが、圧倒的に作家特集がメインであった。
 大リニューアルする85年ころには新しい特集の模索がはじまり、バイクまんが(84年11月号)、ラブ・コメ(85年2月号)などジャンルを絞った特集が組まれる。86から87年までには「いい男」「コミケ」「同人誌」という、以降の『ぱふ』の鉄板特集が出そろう。それまで作品につけていた番付をキャラクターにつける「まんがキャラクターおもしろ番付」も人気の特集となった。
 1996年6月号の「男×男的恋愛」特集でも巻頭に使われているが、「ボーイズ・ラブ」の語をジャンルを指す用語として使用したおそらく最初の例は94年の『ぱふ』8月号。ボーイズ・ラブ特集も『ぱふ』の定番であり、ジャンルの普及に貢献した。命名と普及という意味では、池袋の「乙女ロード」の命名が『ぱふ』(2004年5月号)であることも特筆すべき点である。


《展示品》
『漫波』1976年1月号
月刊漫波刊行会 特集 コママンガ早慶戦

『だっくす』1978年12月号
清彗社 特集 今飛び立つ少女マンガの世界

『ぱふ』1985年2月号
雑草社 ラブ・コメ特集

『ぱふ』1992年12月号
雑草社 特集 まんがキャラクターおもしろ番付 桜雲社蔵

『ぱふ』1996年6月号
雑草社 特集 「男×男的恋愛」 桜雲社蔵

No.15
2000年代の『ぱふ』

 1990年代後半から2000年代に入る頃には、インターネットの利用も一般化し情報の速さでは紙の月刊誌はネットにかなわなくなる。
 2003年9月号には「激しくまんがを応援! リニューアル第1号!!」のキャッチがつき、まんがにエールを贈るキャッチがしばらく続く。そこに情報誌の語はない。
 07年7月号に「まんがナビ・マガジン!」のキャッチがついた。09年5月号に「まんがファンのためのナビ・マガジン」に落ちつき、休刊までこのキャッチが表紙の雑誌タイトルそばにある。まんがや関連イベント情報などを提供するだけでなく、お薦めを案内するという方向性であろう。
 2011年8月号にて、次号予告を掲載したまま休刊し(公式サイトにて告知)、のちに清算会社となった。9月号に予定されていた巻頭特集は「大学で学ぶまんが(仮) 京都精華大学、東京工芸大学、明治大学ほか」であった。


《展示品》
『ぱふ』2003年9月号
雑草社
※激しくまんがを応援!リニューアル第1号!!  桜雲社蔵

『ぱふ』2007年7月号
雑草社
※まんがナビ・マガジンの冠が付いた号  桜雲社蔵

『ぱふ』2011年8月号
雑草社
※休刊号 桜雲社蔵

No.16
『ぱふ』の50年

 『ぱふ』の創刊から50年を記念して冊子が編まれた。2011年の休刊から13年経っての刊行である。
 『ぱふ』は読者参加型のファンジンであったことも重要だ。休刊年まで続いた『ぱふ』のメイン特集である、「年間まんがベストテン」は読者投稿によって決定される内容であった。また、『ぱふ』への読者からのコメントやレビューには、文筆を仕事にしていても不思議ではないほど巧みな、あるいはどんな巧みな文章もかなわないほど愛に満ちた文章がたくさんよせられている。読者が編集者になりライターになって『ぱふ』を支え、30年以上続いた。
 50年を祝う記念号であり、終刊号に位置づけられるこの冊子が「関係者64人のコメント集」であること。作っていた者も、書いていた者も、読者だった者も参加して出来上がるその形は、とても『ぱふ』らしい。


《展示品》
『ぱふの記憶 幻の『ぱふ』終刊号』
2024年11月2日発行
コミティア実行委員会/有限会社コミティア



 ケースNO.17-24では、『ぱふ』の別冊と増刊を紹介する。
別冊や増刊からは、その時々の『ぱふ』が何を推してきたか、何を大事にしてきたかがわかる。
※『別冊ぱふ』1985年Early Summer号のみケースNo.13にて紹介。

No.17 別冊・増刊『ぱふ』コーナー

『別冊ぱふ 特集 松苗あけみ』
1985年 Summer 8月1日 雑草社

『増刊ぱふ 特集 内田善美』
1986年3月15日発行 雑草社


《解説》
 松苗あけみと内田善美は、当時『ぶ~け』(集英社)で、その美しく繊細な絵柄と構成が大注目された少女マンガ家たちである。
 後半に特集作家以外の記事も入っている、本誌『ぱふ』の大増版。


No.18
『増刊ぱふ COTTON COLOR』
みずき健 1989年11月1日発行 雑草社 桜雲社蔵

『Greetings ぱふ表紙ALL COLLECTION 1992-1999』
みずき健 2001年3月28日発行 雑草社 桜雲社蔵

『紙彩 まんが情報誌『ぱふ』50週年記念 みずき健『ぱふ』表紙自選イラスト集』
2024年8月18日発行 有限会社コミティア/コミティア実行委員会 個人蔵


《解説》
 みずき健の『ぱふ』表紙イラスト集は、これまで3冊刊行されている。13年ものあいだ『ぱふ』の看板をになった貢献度の高さと人気ゆえである。


No.19
『別冊ぱふ 高河ゆん完全特集』
1992年12月1日発行 雑草社


《解説》
 新しい時代を強く感じさせる同人誌出身のスター作家・高河ゆんの特集号。ワイドサイズで見ごたえがある。カラーイラストコーナー、対談、インタビュー、作品紹介、作品リストなど、これまでの作家特集号掲載の情報をおさえつつ、同人誌リストを掲載しているところが重要。同人誌出身のマンガ家は、この当時は公表しないのが一般的だった。


No.20
『別冊ぱふ 小説特集号 活字倶楽部Special』
1994年5月31日発行 雑草社 桜雲社蔵

『別冊ぱふ 小説特集号 活字倶楽部Special2』
1995年5月31日発行 雑草社 桜雲社蔵

『別冊ぱふ 小説特集号 活字倶楽部Special3』
1996年1月25日発行 雑草社 桜雲社蔵


《解説》
 1992年7月号より本誌で開始した「活字倶楽部」コーナーより発展し、1995年に別冊ぱふとしてSpecial号を発行。96年まで年1回のペースで続き、97年『活字倶楽部』の誌名で季刊化した。1998年夏号までの10冊を別冊ぱふとして発行。同年独立創刊。『ぱふ』休刊後も出版社を変え、誌名を『かつくら(Katsukura)』に変更するなどしつつ2018年まで続く。
 発行時は、すでに活字離れが声高に言われるようになって久しかったが、別世界のように活字好きの言葉であふれている雑誌。



No.21
『別冊ぱふ 尾崎南完全特集 南ーみなみー』
1994年7月31日発行 雑草社 桜雲社蔵


《解説》
 メジャー商業誌『マーガレット』(集英社)での連載で、おしもおされもせぬ存在となった同人誌出身のマンガ家・尾崎南のファンブック。尾崎とそのファンクラブZXのプロデュースによって作られた、丸ごと尾崎南の本。この構成、情報の一冊は、誰かのファンであればみなが求める内容だ。商業誌作品の単行本表紙と同人誌表紙のカラー画像が巻頭近くに掲載されている。



No.22
『別冊ぱふ コミック・ファン』01号
1998年4月28日発行 雑草社

『別冊ぱふ コミック・ファン』02号
1998年9月1日発行 雑草社

『別冊ぱふ コミック・ファン』03号
1998年11月1日発行 雑草社

《解説》別冊・増刊『ぱふ』コーナー
 90年代に、再度「まんが専門誌」の冠とともに登場した新雑誌。新しい時代の波を受けまんが・アニメ・同人誌の情報誌となった本誌に対し、より濃いマンガファン向けに出版された。2002年16号まで発行。



No.23
『ドラマCDカタログ2002』
雑草社 2002年12月20日発行 桜雲社蔵

『声優コレクション2003』
雑草社 2003年9月10日発行 桜雲社蔵

『声優インタビュー2004』
雑草社 2005年2月1日発行 桜雲社蔵


《解説》
 おもに『ぱふ』掲載の情報より、ドラマCDや声優インタビューなどを集約し、ジャンルのファンのためにまとめなおして出版した3冊。



No.24
『別冊ぱふ BL Magazine』vol.1、vol.2
雑草社 2005年10月1日、2006年3月13日発行 桜雲社蔵


《解説》
 BLコミックス、小説、雑誌、CDと、一冊丸ごとBL(ボーイズ・ラブ)情報掲載の雑誌。ランキング本ではないが、2008年に出版された『このBLがやばい!』(宙出版、2019年よりジャイブ、2023年休刊)の先駆的雑誌だったといえる。






◆壁展示

その1 11月2日(土)ー11月25日(月)

W-01
ぱふ1987年12月号

≪みずき健コメント≫
コメントが思いつかない絵

W-02
ぱふ1988年9月号

≪みずき健コメント≫
カラートーン(PANTONE オーバレイ)+エアブラシ併用。カラートーンは今は亡き画材で、スクリーントーンの様にカラーフィルムを貼って使います。重ねる事で混色も出来ます。そこそこの粘着力なので、扱いはスクリーントーンよりストレスかなり高目っすね

W-03
ぱふ1989年3月号

≪みずき健コメント≫
星野架名先生特集で夜空をモチーフに

W-04
ぱふ1989年5月号

≪みずき健コメント≫
多分、季節モノ

W-05
ぱふ1990年4月号

≪みずき健コメント≫
4月号なので桜

W-06
ぱふ1990年7月号

≪みずき健コメント≫
特集の内の「3×3アイズ」を意識して

W-07
ぱふ1990年8月号

≪みずき健コメント≫
うねうねしている部分は、春雨+エアブラシ

W-08
ぱふ1990年1月号

≪みずき健コメント≫
バックの葉と実の方を描きたかった絵

W-09
ぱふ1991年5月号

≪みずき健コメント≫
前半は毎年春頃になると桜かチューリップを描いてましたね(無意識)

W-10
ぱふ 1991年11月号

≪みずき健コメント≫
プラタナスです

W-11
ぱふ 1991年1月号

≪みずき健コメント≫
獅子舞油単部分は水色と薄茶色の2色のカラートーンを重ね、削りで4色(白含む)出してます。花(下地)と葉の部分はパステル。地にはパステルを削った粉を散布してます

W-12
ぱふ 1992年4月号

≪みずき健コメント≫
人物→花の順に塗った段階でタコ足ウインナーが転がってるようにしか見えなかった

W-13
ぱふ 1992年5月号

≪みずき健コメント≫
多分、季節モノ

W-14
ぱふ 1992年12月号

≪みずき健コメント≫
書店で、人物の頭を上にして棚に立てられてるのを見たなあ

W-15
ぱふ 1993年2月号

≪みずき健コメント≫
コメントが思いつかない絵

W-16
ぱふ 1993年3月号

≪みずき健コメント≫
藤島康介先生特集で三姉妹をモチーフに



その2 11月29日(金)ー12月23日(月)

W-01
ぱふ1993年7月号

≪みずき健コメント≫
南の島の夏の夜、という絵

W-02
ぱふ 1993年12月号

≪みずき健コメント≫
コメントが思いつかない絵

W-03
ぱふ 1994年5月号

≪みずき健コメント≫
セーラームーン特集なので月とプリンセスなイメージ

W-04
ぱふ 1994年9月号

≪みずき健コメント≫
夏!部活!

W-05
ぱふ 1995年2月号

≪みずき健コメント≫
コメントが思いつかない絵

W-06
ぱふ 1995年6月号

≪みずき健コメント≫
時代物特集で和風に。バックはエアブラシの後に水筆で抜いてます

W-07
ぱふ 1995年7月号

≪みずき健コメント≫
由貴香織里先生特集で背徳がテーマ

W-08
ぱふ 1995年8月号

≪みずき健コメント≫
危険な男特集でイメージは硝煙の匂い

W-09
ぱふ 1995年12月号

≪みずき健コメント≫
鉛筆線に練りゴムで濃淡つけてます

W-10
ぱふ 1997年6月号

≪みずき健コメント≫
布を被る、という絵も割と多い

W-11
ぱふ 1997年12月号

≪みずき健コメント≫
エアブラシ+カラートーン。服と目にスクリーントーンを使ってます

W-12
ぱふ 1998年10月号

≪みずき健コメント≫
コメントが思いつかない絵

W-13
ぱふ 1999年1月号

≪みずき健コメント≫
一部、金のポスターカラーを使用してます。メタリックな画材を敢えて四色分解の原稿に使うというのもけっこうやってました

W-14
ぱふ 1996年11月号

≪みずき健コメント≫
天禁特集で天使絵




◆ケース展示

ぱふ1994年1月号
≪みずき健コメント≫
描いた絵をジグソーパズル状に刻んでパズル作成中の様に貼り付けた物。自分が描いたアナログ絵の中で一番原画を見てもらいたい一枚かもw 糊(ペーパーセメント)のせいでシミが出来てしまってますw

ぱふ1994年1月号 下絵




◆台付きケース展示

伝説のまんが情報誌
 無題の1号目および『漫画界』『月刊漫波』『まんぱコミック』『だっくす』という前身誌を、誌名はちがえどすべて同じ雑誌とみなすのは、定期刊行物に付与する「通巻号数」(創刊の1冊目から通しでつく号数)が、前身誌を含む形で休刊の2011年までついているからだ。
 確認できた範囲では、この本に最初に通巻号数が入るのは『月刊漫波』1975年12月号の通巻10号。誌名が『ぱふ』になってからの1985年5月号には「100号記念特集号」を刊行し、100号までのふり返りを行うことでその連続が周知された。
 2011年8月休刊号の『ぱふ』の通巻号数は453号。各誌の内訳は、無題全1冊、『漫画界』全6冊、『漫波』全12冊、『まんぱコミック』全10冊、『だっくす』全8冊、本誌『ぱふ』全377冊、別冊・増刊『ぱふ』39冊である。
 『ぱふ』は全国に広く流通する紙の「まんが情報誌」として30年以上続いた。マンガの社会的地位が低い時期からそこに集約された情報は、マンガが文化となり残すべき財産として評価されてゆく今後、より重要なものとなっていくだろう。

《展示品》
『ぱふ』1985年5月号 ※通巻100号
『ぱふ』1992年4月号 ※通巻200号
『ぱふ』2000年2月号 ※通巻300号




◆中央覗き込みケース展示

『ぱふ』とコミティアコーナー
 「コミティア」は『ぱふ』の「同人誌紹介コーナー」をきっかけに、最初から『ぱふ』の協力を得てはじまった。
 当時「まんが同人誌」コーナーで紹介した人気サークル「TEAM COMPACTA」の代表・熊田昌弘と、記事のインタビューを担当した、「JPマニア東京支部」の主宰者・土屋真志が、この時初めて出会い意気投合し、自分たちで同人誌即売会を開催したいと考えた。そして、自分たちの出会いのきっかけとなった『ぱふ』に、この即売会に協力して欲しいと申し出たのである。
 この依頼を直接受けたのは、当時『ぱふ』の編集スタッフであり「まんが同人誌」コーナーの担当であった中村公彦だった。この申し出に意義を感じた中村は、村石憲一編集長の了承と、社長の許可を得て正式に協力することにした。初代代表は土屋真志と熊田昌弘。しかし土屋が仕事の関係で2回目以降代表を続けられなくなり、熊田も代表は降りることにしたため、3回目から中村公彦が『ぱふ』の編集スタッフを続けながら、コミティアの代表に就任したのが1985年である。
 このケースでは、『ぱふ』とコミティアのつながりと、両者をつないだ中村公彦を紹介する。

◆本展監修者 中村公彦プロフィール
 コミティア実行委員会・会長。1961年、東京都生まれ。大学在学中よりまんが情報誌『ぱふ』(雑草社)の編集部員となり、88~93年の退職まで同誌編集長を務める。84年、自主制作漫画誌展示即売会「コミティア」の設立に参画し、85年より実行委員会・代表に。2013年に第17回文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞。2022年をもって代表を退任し会長に就任した。

吉田:
見本誌をしっかり読んでいる、同人誌が好きなスタッフが多いのはコミティアの好きなところの一つですね。中村さんが「ぱふ」のノウハウを持っていたというのが大きいと思いますけど、作品の感想を「ティアズマガジン」というメディアを通して作家に返し続けている。それをここまでしっかり出来ているイベントは他にない。

会長・中村公彦×代表・吉田雄平対談
『コミティアの創り方』2023年2月19日発行より


《展示品》
「ぱふ同人誌コーナークラップ」①②
 中村公彦による『ぱふ』の「まんが同人誌」コーナーのスクラップ帳
 ※以下スすべてクラップ②より

コミティア第1回告知ページ 『ぱふ』1984年8月号
 ※ぱふ編集部協力と小さめに入っている

お便りCORNER 『ぱふ』1984年11月号
 ※『ぱふ』がコミティアに協力する理由が記される

コミティア第1回イベントレポート『ぱふ』1985年 1月号
 ※文の冒頭にぱふ協力とあり

コミティア第2回イベントレポート『ぱふ』1985年5月号掲載
 中村氏著作

『ティアズマガジンのごあいさつ』2012年5月5日発行
 ※帯付きを展示

【中村氏著作】
『ティアズマガジンのごあいさつ』2012年5月5日発行 帯付き

『コミティアの創り方』2023年2月19日発行

山川直人『コミティアの創り方』用装画&挿画 原画 2022年制作