アーカイブ 矢口高雄展 夢を見て 描き続けて

《1期》




ごあいさつ


 「釣りキチ三平」、「マタギ」、「おらが村」―――大いなる自然と野性をダイナミックかつ緻密に描き、惜しまれながら2020年に逝去した唯一無二のマンガ家・矢口高雄の画業を、貴重な原画とともに振り返る回顧展

 日本の情景を愛し、ふるさとを描き続けたマンガ家・矢口高雄。手塚治虫作品との衝撃の出会いから「マンガ家になる」という夢を抱くようになった矢口は、地元銀行に就職後、行員として働きつつも絵を描き続け、1970年にプロのマンガ家へ転向します。銀行員からの転身、30歳を越えてからの作家活動と、異色の経歴をもつ矢口の名を一躍有名にしたのが、73年に発表した「幻の怪蛇バチヘビ」と「釣りキチ三平」です。自身の経験や育った地域を題材に、大いなる自然と野性をダイナミックかつ緻密に描いたこれらの作品は大ヒットし、唯一無二の作風を確立しました。
 本展では、2020年に惜しくもこの世を去った矢口の画業50年を、躍動感あふれる数多の原画とともにご紹介します。郷愁を感じさせる普遍的な日本の情景、生きものたちの命のきらめき、感情豊かな愛すべきキャラクターたち。マンガを愛し、マンガの力を信じ、描き続けた作家の迫力の手仕事をどうぞご堪能ください。

明治大学 米沢嘉博記念図書館



会期


全期:釣りマンガの金字塔「釣りキチ三平」
10月14日(金)〜2023年2月13日(月)
※12月9日(金)に展示替

1期:模索の時代
10月14日(金)〜11月7日(月)

2期:独創の時代
11月11日(金)〜12月5日(月)

3期:矢口高雄の肖像
12月9日(金)〜2023年1月16日(月)

4期:ふるさと
2023年1月20日(金)〜2月13日(月)

ほか、制作道具、関連映像(矢口高雄インタビュー「創作の秘密とまんが美術館への思い」)など



矢口 高雄プロフィール

やぐち・たかお
1939年10月28日、秋田県西成瀬村(現・横手市)生まれ。本名髙橋髙雄。高校卒業後、羽後銀行(現・北都銀行)に入行。69年『月刊漫画ガロ』に「長持唄考」が掲載されデビュー。70年に銀行を退職、上京し、本格的に作家活動を開始。
73年には「幻の怪蛇バチヘビ」「釣りキチ三平」が話題を呼び、74年にこの二作で講談社出版文化賞児童まんが部門受賞。76年には「マタギ」で第5回日本漫画家協会賞大賞を受賞。90年代以降、横手市増田まんが美術館の設立に尽力し、名誉館長を務める。2020年11月20日に逝去。



矢口高雄 略年譜


1939 10月28日、秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)に生まれる。
1946 小栗山小学校入学。
1948 手塚治虫の「流線型事件」に出会い衝撃を受ける。以後マンガ家を目指すように。
1952 西成瀬中学校入学。
1958 高校卒業後、羽後銀行(現・北都銀行)に入行。
1963 妻・勝美と結婚。その後二女をもうける。
1969 「長持唄考」が『月刊漫画ガロ』4月号にて入選、誌面掲載される。
1970 プロのマンガ家を目指し、銀行を退職ののち上京。『週刊少年サンデー』に「鮎」が掲載され、プロデビュー。その後同誌で初の連載作品「おとこ道」(原作:梶原一騎)を手掛ける。
1972 「釣りバカたち」、「マタギ列伝」連載開始。
1973 「幻の怪蛇 バチヘビ」連載。「釣りキチ三平」シリーズと「おらが村」連載開始。
1974 第5回講談社出版文化賞児童まんが部門受賞。
1975 「マタギ」、「はばたけ!太郎丸」連載開始。初のエッセー「釣りキチ三平の釣れづれの記」連載開始。
1976 「マタギ」で第5回日本漫画家協会賞大賞受賞。「トキ」連載。
1977 「かつみ」連載開始。
1978 「ニッポン博物誌」連載開始。
1980 テレビアニメ「釣りキチ三平」放送開始。
1983 「ふるさと」連載開始。「劇的・十二支考」連載。
1984 「シロベ」連載開始。
1988 「新・おらが村」、「オーイ‼やまびこ」連載開始。
1989 「激濤 MAGNITUDE 7.7」連載開始。
1991 「夢‼ギンギン」、「あきたこまち物語」連載。「螢雪時代 ボクの中学生日記」連載開始。
1993 「昭和銀行田園支店 9で割れ‼」連載開始。
1995 「野性伝説」(原作:戸川幸夫)連載開始。「増田まんが美術館」開館、名誉館長に就任。
    同館にて「手塚治虫・矢口高雄まんが二人展」が開催される。増田町功労者表彰を受ける。
2000 「バスボーイQ」連載開始。「矢口高雄30年の軌跡展」(於:増田まんが美術館)開催。増田町名誉町民章受章。
2001 「釣りキチ三平 平成版」連載開始。
2007 中国の漫画賞「金龍賞」で海外漫画傑出貢献賞受賞。
2008 横手市功労者表彰、秋田県文化功労者表彰を受ける。
2009 映画「釣りキチ三平」公開。文部科学省の地域文化功労者表彰を受ける。
2016 秋田空港の出発ロビーに「釣りキチ三平」をモチーフにした大型陶板レリーフが設置される。
2020 画業50周年を迎え、「矢口高雄画業50周年記念展 故郷清明」が横手市増田まんが美術館で開催される。
    11月20日、すい臓がんにより逝去。
    追悼展として、過去に館長を務めた石ノ森萬画館で「釣りキチ三平展」、横手市増田まんが美術館で「追悼展 矢口高雄 マンガ万歳 画業50年への軌跡」が開催される。
2022 「矢口高雄展 夢を見て 描き続けて」(於:北九州市漫画ミュージアム、明治大学 米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館)開催。




◆ギャラリーコーナー

 矢口高雄は生涯に、膨大な量のカラーイラストを描いた。「釣りキチ三平」が『月刊少年マガジン』に掲載される際は毎回カラーページがあったため、数多くの美しいカラーイラストが誕生したという。
 このコーナーでは、そうして鍛えられたセンスと技巧が詰まった珠玉の彩色画と、「三平」などの代表作の迫力ある見開きページを展示する。水彩画の技法とマンガ表現の合体。雄大な自然を感じさせる奥行きあるレイアウト。矢口の技術と情熱が結集した原画の数々である。



《1期》ギャラリーコーナー

W-01
釣りキチ三平 桜吹雪カラス鯉 トビラ

月刊少年マガジン(講談社)1976年5月号

W-02
カラスウリ

W-03
釣りバカたち

W-04
ユキシロヤマメ

W-05
鮎群泳2011

W-06
釣りキチ三平

第6章 O池の滝太郎
週刊少年マガジン(講談社)1975年6月15日(24)号

W-07
釧路湿原のイトウ

W-08
釣りキチ三平

最終章 釣りキチ同盟
週刊少年マガジン(講談社)1983年1月1・5日(1・2)合併号




◆壁面・ケース展示



《1期》模索の時代

 幼年期からマンガに夢中だった矢口高雄。そんな彼が手塚治虫の作品に出会ったのは、小学三年生の時でした。「流線型事件」―1948年、手塚が19歳の時に発表したこの単行本は、あらゆる面で矢口少年に衝撃を与えます。絵のスタイリッシュさ。科学的題材を論理的に扱った内容。しばしば「映画的」とも評される、キャラクターが紙面を飛び出してくるといった躍動感ある描写。たちまち手塚作品の虜にりますますマンガにのめりこんだ矢口は「マンガ家になる」という夢を抱くようになります。

 農家であった実家の手伝いや学業のかたわら、中学、高校と、マンガを読み、描き続けましたが、地元銀行に入行後は家庭をもったこともあり、一時その夢から離れていました。しかし、26歳のとき、白土三平の「カムイ伝」がマンガへの情熱を再燃させます。白土が連載をもっていた『月刊漫画ガロ』に作品投稿を始め、69年に完成させた「長持唄考」が入選。ついに憧れの雑誌に掲載を果たします。プロ作家を目指し、一念発起して上京した矢口は『週刊少年サンデー』を有する小学館に自身を売り込みます。それがプロデビュー作「鮎」(1970年)に繋がりました。

 本コーナーでは、69年から73年にかけて発表された、キャリア初期の短編作品を中心にご紹介します。少年誌、青年誌、少女誌とさまざまな媒体で活動していたこの時期は、原作付き作品に挑戦するなど、作風も多様で、ペンタッチもそれに合わせて調整したりと、独自の表現に到達するまでの模索期と言えるでしょう。一方で、先に挙げた地元・秋田に伝わる民謡を題材にした「長持唄考」、そして銀行員時代に没頭した鮎釣りが主題の「鮎」などは、のちの矢口が繰り返し描くテーマ「ふるさと」「釣り」が既に現れており、その後の飛躍へ繋がっていきます。夢を実現した作家の第一歩を、まずはじっくりとご覧ください。


No.01
長持唄考(ながもちうたこう)
《あらすじ》

 囲炉裏(いろり)に誤って落ち、顏の半分にやけどを負ってしまった娘を哀れに思う母。嫁ぐことが難しい娘の将来を憂い、母は狂気に支配され娘を殺害してしまう。


『月刊漫画ガロ』に初入選した作品。
「長持唄」とは、婚礼の唄を総称したもの。秋田県に伝わる「秋田長持唄」も同様で、嫁入りの様子と嫁ぐ娘の心情を描写している。この民謡に発想を得て描かれた、愛と哀しみにあふれた一作。


《展示品》
長持唄考
月刊漫画ガロ(青林堂)
1969年4月号





No.02
鮎(あゆ)
《あらすじ》

 普段はうだつの上がらないサラリーマンである主人公は、鮎釣りの解禁日を迎えると目の色が変わる。待ちに待った鮎との再会に、胸を躍らせながら川へ向かって「友釣り」にいそしむ主人公。そこには鮎釣りの師匠である源さんと、その孫の鮎子がいて、主人公と鮎子は一緒に釣りに挑戦するが……。


 上京後に執筆したプロデビュー作品。
 銀行員時代の矢口が熱中したのがまさに本作で描かれる「鮎の友釣り」である。この作品が代原※として採用され、矢口はプロ作家として歩み始めた。
※代理原稿の略。雑誌で発生した空ページを急遽埋めるための原稿


《展示品》

週刊少年サンデー(小学館)
1970年8月2日(32)号





No.03
おとこ道
《あらすじ》

 ヤクザの孫として生きる相馬富士男は毎日喧嘩(けんか)をして過ごすような反抗的な少年だったが、進学した中学校で担任になった教師・津川桂子に恋をしてしまう。しかし富士男と津川との間には因縁とも呼べる繋(つな)がりがあった。そのことを知った富士男は事件を起こし、逮捕されてしまう。数日後、事件のせいで人を信じられなくなっていた富士男のもとを、あるキリスト教牧師が訪れた。彼が語る言葉によって、富士男の閉ざされていた心の扉は徐々に開いていった。
 ムダな怒り、ムダな虚栄、ムダな欲望……そんなムダばかりの過去と決別し、富士男は新しい未来へと突き進んでいく。


 「熱血スポ根」作品で時代の寵児であった梶原一騎原作で、矢口初の連載作品である「おとこ道」。そしてケレン味たっぷりの物語で人気を博していた小池一夫原作の「燃えよ番外兵」(ケースNo.08)。ともに「男の生き様」を荒々しく描く作品だが、ここでの矢口のタッチは他作品と比べて、丸みの少ない、力強いものになっている。男くさい雰囲気の原作にトーンを合わせていたのだろう。


《展示品》
おとこ道 
  原作:梶原一騎
週刊少年サンデー(小学館)
1970年8月23日(35)号〜71年6月6日(24)号
原画初出:翌檜(あすなろう)編※
週刊少年サンデー(小学館)
1971年4月18日(17)号

※「翌檜編」はのちに「青春編」と改題





No.04
岩魚(いわな)の帰る日
《あらすじ》

 一人の青年が岩魚を釣るために山奥の渓谷へと向かった。都会の喧騒を離れ自然の中で釣りをする醍醐味を感じていると、一匹の蛇が川を泳いでいるのが目に入ってきた。すると突然、水面下から巨大な魚がヘビを捕(とら)らえて跳ね上がった。その魚は背中に赤いホクロのような模様がある巨大な岩魚「赤星」だった。青年は、宿泊先で出会った少女の紹介で、赤星を狙う老人・源じいさんと出会い、翌朝赤星を釣りに行くという彼についていくこととなった。


《展示品》
岩魚の帰る日
週刊少年サンデー増刊号/男どアホウ甲子園総集編②(小学館)
1971年3月15日号





No.05
火の山にて
《あらすじ》

 とある青年が投稿した深夜ラジオのメッセージをきっかけに、悩める男女六人が「火の山」に集まった。メッセージを投稿したのは、一浪の受験生、熊谷一郎。彼のメッセージを聞いて集まった若者たちは、悩みや怒りを一人で抱えながら生きる、似た者同士だった。
 時間を忘れ、暗くなるまで騒いでいた六人は、近くに一人で住んでいる老人のところに押しかけ、一晩を過ごした。さらに数日を過ごしたある日の朝、一人の女性が遺書を残していなくなっていた。うろたえるばかりの若者たちを老人は一喝し、彼らと共に女性を探し始めた。


《展示品》
火の山にて
週刊少年サンデー春休みまんが増刊号(小学館)1971年4月10日号





No.06
ウリとナスビの子守歌
《あらすじ》

 釣りに出かけた帰りに、一人の男に話しかけられたマサシとチヨコ。話をするうちに、その男が違法とされているドブロク作りを取り締まる役人だということに気づく。二人は急いで村に戻ったが、役人は最初に訪問した家でドブロクを見つけ出してしまった。その後、マサシとチヨコの家を訪れ、そこにもドブロクがあることを知ったのだが、両親はとぼけてやり過ごそうとする始末。そんな大人たちの態度を見て思うところがあったのか、役人は、勧められた酒を飲み、堰を切ったように子供たちへの思いを話し始めた。


《展示品》
ウリとナスビの子守歌
別冊少年サンデー(小学館)1971年7月号





No.07
峠のタロ
《あらすじ》

 牛の力比べの大会に出場したタロと父、そして牛の黒。見事優勝し、黒は三年連続で横綱となった。その帰り道、東京から来たという女性に出会い、三人で川辺で一休みすることに。黒に水を飲ませたり鮎を捕まえたりしていたところへ、マタギの辰さんがやってきた。「近くで大熊が出たから気を付けろ」と言われ周りを見渡すと、黒の姿が見えなくなっていた。すると、茂みの奥から動物の唸り声が聞こえてきた。静かに近づいてみると、そこには大熊と対峙する黒の姿があった。


《展示品》
峠のタロ
週刊少年サンデー(小学館)
1971年7月4日(28)号





No.08
燃えよ番外兵
《あらすじ》

 赤道直下、灼熱のメタルレ島。日本軍第三十二師団の駐屯するその島は、「獄門島」と呼ばれ、全国各地の刑務所から応召されてきた囚人たちが番外兵として奴隷のように働かされていた。ある日そこに一機の戦闘機が墜落する。操縦していた男は、脱走兵たちに助けられたのだが、彼らに襲いかかり、逆に身ぐるみをはがされてしまった。気を失っていたところを師団の兵士に助けられ、本部に連れていかれたのだが、自分の身分を明かすことを拒否し、拷問(ごうもん)されてしまう。正体不明のこの男はいったい何者なのか。


《展示品》
燃えよ番外兵
原作:小池一夫
週刊少年チャンピオン(秋田書店)
1971年7月12日(29)号~11月8日(46)号
原画初出:
週刊少年チャンピオン(秋田書店)1971年11月8日(46)号





No.09
風の太郎丸

 本作をはじめ、初期作品の絵柄については矢口が敬愛する白土三平の影響が色濃く見える。白土はマンガ界に忍者ブームをもたらした作家でもあるが、本作も白土作品からの薫陶を大いに受けていると思われる。
 注目してほしいのは、木の上での激しいバトルシーンにおける変則的なコマ割り。闘いのスピード感を見事に表現している。


《あらすじ》

 太郎丸は百宅(ももやけ)マタギと呼ばれる特殊な集団の一人。吹雪レッチュウ(=マタギ集団)のシカリ(=長)を務める祖父の辰五郎と共に、百宅の里に暮らしていた。ある日、道場破りを見事な腕で懲らしめて里へ戻ると、レッチュウの中でも一、二を争う術者である半助が何者かによって殺されており、太郎丸の家の戸口には挑戦状が貼り付けられていた。辰五郎は、百宅の里に代々伝わるマタギ忍法の秘密の書が狙われているのではと考え、レッチュウを集めて里を見張るよう指令を出した。会合を終えた後、何者かの気配を感じ外に出ると、そこには笠で顔を隠した一人の侍がいた。果たしてこの侍が挑戦状の差出人なのか、太郎丸が立ち向かう。


《展示品》
風の太郎丸
別冊少年チャンピオン(秋田書店)
1971年11月号、72年2月号
原画初出:
別冊少年チャンピオン(秋田書店)
1971年11月号





No.10
泣くな!ケン
《あらすじ》

 祖父・権じいと共に暮らす少年・ケンは日本一の牛飼いを目指している。ある日権じいのもとに、ヒグマの「耳カケ」が出たという知らせが届いた。耳カケはケンの父を殺した大熊であった。息子の仇を討ち、耳カケを倒すために山へ入った権じいだったが、その耳カケにケガを負わされてしまう。父の死の真相も知り、怒りに燃えるケンは、権じいから教わった鉄砲の扱い方を心に、愛犬・カムイと共に耳カケを討つべく山へと向かった。


《展示品》
泣くな!ケン
原作:きだい三郎
小学生文化新聞(聖教新聞社)
1972年1月1日号~12月23日号





No.11
鮫殺し
《あらすじ》

 人喰いザメが現れ混乱に陥っている漁場に「鮫殺しの三十郎」と名乗る男がやってきた。三十郎は、両目の上に白い模様があり、「四ツ目」と呼ばれて各地で恐れられているその人喰いザメを追っていた。ある日、「兄を思いとどまらせて欲しい」と頼む女性が三十郎のもとを訪れた。その女性・サヨの兄・ジンは四ツ目によって片腕を失っており、復讐に燃えていた。しかし、三十郎もまた、父と三人の兄を失っており、その敵討ちを強く望んでいた。兄を死なせたくないと願うサヨの思いもむなしく、三十郎と相棒の鷹・太郎丸、そしてジンは四ツ目の潜む大海原へ船を出した。


《展示品》
鮫殺し
週刊少年サンデー(小学館)
1972年1月9日(2)号





No.12
狼三十郎
《あらすじ》

 「餓狼剣(がろうけん)」という技をもつ武芸者が城下でいくつもの道場を打ち破っていることを聞きつけた殿様が、その妙剣を見たいと言い、探らせた結果、狼三十郎という男に行きついた。三十郎は、殿様の御前で馬場軍兵衛という男と試合をすることになったのだが、藩が用意した胴具を着用することを軍兵衛が拒んだため、試合の中止を申し出た。そんな三十郎の言動に腹を立てた軍兵衛が、竹刀を真剣と同じように扱えると言った三十郎に対し、その技を見せてみろと言う。三十郎は、城内にあった石灯籠(いしどうろう)に向かい竹刀を振り下ろす。一瞬の静寂の後、石灯籠は見事に二つに崩れたのだった。面目を潰された軍兵衛は、その場を立ち去った三十郎を追いかけ、山中で野試合を挑む。


《展示品》
狼三十郎
別冊少年サンデー(小学館)
1972年4月号





No.13
吹雪という少女
《あらすじ》

 雪山登山の最中に雪崩に遭い遭難していた青年・山下を見つけ出したのは、一羽の鷹・太郎丸と、鷹使いの少女・吹雪だった。吹雪とその祖父の住む家で三日ほど静養し回復した山下は、吹雪の話し相手になってくれという祖父の頼みを受け、いろいろと東京の話をしてみるも、吹雪はほとんど反応を示さない。太郎丸と共に、毛色の赤いきつねの「アカゲ」を倒すため、ただひたすら訓練に明け暮れていた。山下が帰る日が近づいたある日、吹雪は彼を鷹狩りに誘い出した。そこで彼らはアカゲを発見する。


《展示品》
吹雪という少女
別冊少女フレンド(講談社)
1972年11月号





No.14
わたしのBOO(ブー)
《あらすじ》

 純粋な秋田犬だと思われて白木家に迎えられた犬・BOO。コンクールで入賞できる犬に育てたいと思っていた父だったが、成長しても耳も尾も垂れたまま。そんなBOOを娘のユミと祖母はかわいがっていたが、父の態度は次第に冷たくなっていった。そしてある日突然、父は別の秋田犬を迎え入れ、BOOを他人に譲ってしまった。ユミと祖母はひどく悲しみ父を責めたが、BOOが戻ってくることはなかった。
 それからしばらく経った風雨の夜、祖母が発作を起こし倒れてしまった。うそのように晴れた翌朝、心配で眠れない一夜を過ごした家族のもとに、BOOが姿を現した。


《展示品》
わたしのBOO
別冊少女フレンド(講談社)
1972年12月号





No.15
月のしずく
《あらすじ》

 遠くでダムの建設を行う父のもとに、母と喧嘩をして家を飛び出してきた娘・百合がやってきた。翌日、父が工事現場で捕まえた子ギツネを連れて帰ってくると、百合はその子ギツネをとても気に入り、世話をすると言い出した。それを許した父だったが、彼は趣味の鉄砲で子ギツネのもとへやってくる母ギツネを狙っていたのだった。母ギツネは毎晩やってきては子ギツネを取り返そうと鎖を噛んだり引っ張ったりした。そんな母ギツネの姿を見た百合はその姿を自分の母親に重ね、喧嘩をして家を飛び出してきたことを反省し始める。父を説得し、子ギツネを母ギツネのもとに返そうと外に出た百合だったが、そこで母ギツネが驚きの行動に出た。


 矢口が手掛けた少女マンガ4作品(ケースNo.13-16)は、いずれも動物と少女の絆を描いたもの。動物と子供たちの心の交流は矢口が得意とするテーマだが、子犬や子猫のけなげな姿を主に描く「ペットもの」 は少女マンガの定番ジャンルでもあった。原稿を見ると、少女マンガならではのきらきらとした効果が美しい。


《展示品》
月のしずく
  別冊少女フレンド(講談社)
1973年4月号





No.16
ゴンベのリボン
《あらすじ》

 主人公・かおると姉が飼っていた犬のゴンべは、かおるより断然姉のほうに懐いている。しかし姉が結婚し家を出たため、その後を追ってか、行方知れずになってしまった。ゴンべがいない間、これまでのゴンベへの態度を反省したかおるは、これからは優しく真心をもってゴンベに接すると誓う。ゴンベが家を出てから三日が経った土砂降りの夜、突然ゴンベが帰ってきた。翌朝、ゴンベはかおるのリボンに興味を示し、首輪にリボンをつけてもらった。そしてかおるが学校に向かうと、ゴンベはかおるの忘れ物に気づき、それを届けようと家を飛び出した。


《展示品》
ゴンベのリボン
別冊少女フレンド(講談社)
1973年6月号








釣りマンガの金字塔 釣りキチ三平


    

 矢口の代名詞とも言える「釣りキチ三平」シリーズは、「釣り」をエンターテインメントに昇華させ、ジャンルを開拓したという点で、マンガ史上重要な作品です。しかしそれ以上に語られるべきなのは、誕生から約50年が経過した現在まで、多くの人々に記憶され、愛される魅力はどこにあるのか、という点でしょう。

 「釣り人のバイブル」と評され、あまたの読者を釣りの世界に誘った「三平」。本作は釣りがメインテーマとしてあるものの、「少年の挑戦と成長」をはじめとして、さまざまな要素が盛り込まれた作品です。

 まずひとつに、「旅」。三平は未だ見ぬ魚や漁法と出会うべく、日本全国、果ては海外にまで赴きます。ネットも無く、情報を得るツールは限られ、遠い土地は今以上に「未知の場所」であった連載当時、津々浦々の風物を紹介する「三平」には、「読む世界旅行」的な楽しみがありました。

 もうひとつ、少年たちの心をワクワクさせたのは、三平と対決する「怪魚」たちの存在でしょう。巨大であったり、真の姿が謎であったり、伝説的な逸話をもつ幻の魚たちは、ネッシーのような未確認生命体と同様の興味と興奮をもたらすものだったのではないでしょうか。三平は大人たちをも圧倒する天才的釣り少年であると同時に、秘境を旅する探検家であり、トレジャーハンターでありました。この多層的な面白さによって、「三平」は釣りマンガの金字塔を打ち立てたのだと言えるでしょう。

 秋田の地域性に根差しながらも、それぞれの地域の自然と自然をめぐる人々を、釣り勝負を通して豊かに描き出した「釣りキチ三平」。ここではその名シーンの一部を原画でお楽しみいただきます。見るこちらも思わず力んでしまいそうな人と魚の力くらべや、精緻に描きこまれ、躍動感と存在感にあふれた怪魚たちの姿にご注目ください。



No.17
釣りキチ三平
 10年にわたり連載が続いた、矢口の代表作のひとつ。魚を愛し、自然を愛し、人を愛する少年・三平三平(みひらさんぺい)が、様々な釣りに果敢にアタックする、自然派釣りマンガの金字塔。
 一般的に「釣りキチ三平」といえば週刊少年マガジンでの連載を指すが、同時期に月刊少年マガジンでも連載しており、さらに平成に描かれた新シリーズも長期連載となった。この事からも、その人気の高さがうかがえる。

《「釣りキチ三平」掲載誌と連載期間》

週刊少年マガジン(講談社)1973年7月 29日(32)号~1983年4月27日(19)号
月刊少年マガジン(講談社)1973年8月号、1975年3月・5月・9月号、1976年1月号~1983年11月号
週刊少年マガジン増刊号(講談社)1979年1月25日号、5月25日号 他

《「釣りキチ三平 平成版」掲載誌と連載期間》

週刊少年マガジン特別編集/釣りキチ三平 平成版(講談社)2001年9月18日号~2010年1月3日号
釣りキチ三平CLASSIC(講談社)2004年1月5日号~2005年10月5日号

釣りキチ三平 第1章 水のプリンセス

《解説》
 「釣りキチ三平」の記念すべき第一作は、鮎釣り大会で幕を開ける。「『釣りキチ三平』は鮎に始まり鮎に終わる」と矢口が語るように、鮎は本シリーズの影の主役だ。第一話で注目したいのが、主人公である三平が冒頭では一切姿を見せず、54ページ目にしてようやく「初登場」するという異様な構成。満を持しての登場であったからこそ、印象深いシーンになっている。


《展示品》
釣りキチ三平 第1章 水のプリンセス
  原画初出:週刊少年マガジン(講談社)
1973年9月2日(37)号





No.18
釣りキチ三平 第1章 水のプリンセス
《あらすじ》

 晴天の中開催された全県鮎釣り大会。前年度のチャンピオンを抜いて優勝したのは、まだ幼い三平だった。
 しかし、三平の優勝が気に食わない大人たちが、三平は大会への参加資格がないから失格にするよう本部にクレームを入れてしまった。祖父の一平や、周りの人たちのおかげもあって、結果的に三平の優勝は取り消されなかったが、腹のムシが収まらない大人たちが三平に勝負を申し込んだ。


《展示品》
釣りキチ三平 第1章 水のプリンセス
週刊少年マガジン(講談社)
1973年7月29日(32)号〜9月22日(40)号
原画初出:
週刊少年マガジン
1973年8月5日(33)号





No.19

《展示品》
釣りキチ三平
講談社コミックス2巻カバー
講談社 1974年2月20日





No.20
釣りキチ三平 第3章 夜泣谷(よなきだに)の怪物
《あらすじ》

 かつて猿たちも数多く生息していたという、山深い場所にある「夜泣谷」。岩魚の宝庫である豊かな渓谷で、三平は地元の炭焼き・銀次の導きにより「左膳岩魚」なる巨大魚に挑む。一方銀次は、夜泣谷をダム開発しようとする息子と対立していた……。


《展示品》
釣りキチ三平 第3章 夜泣谷の怪物
週刊少年マガジン(講談社)1973年12月9日(51)号〜1974年4月7日(15)号
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1974年3月17日(12)号





No.21

《展示品》
釣りキチ三平 第3章 夜泣谷の怪物
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1974年3月24日(13)号





No.22

《展示品》
釣りキチ三平 第3章 夜泣谷の怪物
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1974年3月24日(13)号





No.23
釣りキチ三平 第6章 O池(オーいけ)の滝太郎
《あらすじ》

 山奥の「O池」※には、滝太郎と呼ばれる幻の巨大魚が生息しているという。噂を聞きつけた三平は、腕に覚えのある数多の釣り人らとO池へ向かう。三平が兄とも慕(した)う釣りの師匠・魚紳(ぎょしん)とともに作った丸木舟に乗り、ついに滝太郎と対峙するが、幻の魚は地震の発生とともに水底の割れ目に消えてしまうのだった。
※山形県の大鳥池がモデル


《展示品》
釣りキチ三平 第6章 O池の滝太郎
週刊少年マガジン(講談社)
1975年2月2・9日(5・6)合併号〜7月20日(29)号
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1975年7月6日(27)号





No.24

《展示品》
釣りキチ三平 第6章 O池の滝太郎
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1975年7月6日(27)号





No.25

《展示品》
釣りキチ三平 雑誌表紙
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1979年7月15日(29)号
※第13章 ハワイのブルーマーリン 連載開始号





No.26
釣りキチ三平 第13章 ハワイのブルーマーリン
《あらすじ》

 「カナダのサーモンダービー」に続く、海外遠征編。スポーツフィッシングの対象として、世界的に人気の高いカジキ(=マーリン)。ハワイに飛んだ三平と魚紳は、過去に知り合ったロバートの招きでカジキ釣りの世界大会に参加することに。自身の何十倍も体重があるカジキに、果たして三平は勝利できるのか!?


《展示品》
釣りキチ三平 第13章 ハワイのブルーマーリン
週刊少年マガジン(講談社)
1979年7月15日(29)号〜1980年8月3日(32)号
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1979年9月2日(36)号





No.27

《展示品》
釣りキチ三平 第13章 ハワイのブルーマーリン
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1979年9月2日(36)号





No.28
釣りキチ三平 最終章 釣りキチ同盟
《あらすじ》

 魚紳が三平とのこれまでを振り返るシーンで始まる最終章。祖父・一平との別れ、それにより茫然自失となった三平が自分を取り戻すまでを丁寧に描く。
 物語は、全国の釣り人が三平を中心に一団となり、釣りと、自然を守るため活動する「釣りキチ同盟」を結成し大団円を迎えた。


《展示品》
釣りキチ三平 最終章 釣りキチ同盟
週刊少年マガジン(講談社)
1983年1月1・5日(1・2)合併号〜4月27日(19)号
原画初出:
週刊少年マガジン(講談社)
1983年1月1・5日(1・2)合併号 





No.29

《展示品》
釣りキチ三平 最終章 釣りキチ同盟
原画初出:週刊少年マガジン(講談社)
1983年4月20日(18)号





No.30

《展示品》
釣りキチ三平 平成版 雑誌表紙
原画初出:
釣りキチ三平CLASSIC特別編集
2004年5月7日増刊
釣りキチ三平 平成版 総集編2





No.31
釣りキチ三平 雨沼の鱗剥(うろこは)ぎ
《あらすじ》

 雨沼にある鯉の養殖いけすが竜巻によって壊滅的な被害を受けた。釣り仲間とともに、沼に逃げた鯉を釣りに行った三平だったが、鯉八のとっつあんのアイディアに乗り、養殖いけすを再建させようと、逃げた鯉の捕獲に奮闘する。鯉はどんどん釣れるが、その中に右腹のウロコが欠落している鯉がたくさん混じっていた。


 矢口が最後に描いた「釣りキチ三平」シリーズ。アフリカのタンガニーカ湖にいる魚をモデルにし、鱗を食べる魚を題材にしたストーリーだったというが、矢口自身に思うところがあり、未完成のまま筆を置くこととなった。


《展示品》
釣りキチ三平 雨沼の鱗剥ぎ
  2012年頃(未完)
原画初出:
矢口高雄画業50周年記念展 
2020年10月10日





No.32

《展示品》
釣りキチ三平 雨沼の鱗剥ぎ
2012年頃(未完)
原画初出:
矢口高雄画業50周年記念展
2020年10月10日








◆中央・覗き込みケース展示



T-1
特別寄稿:
矢口マンガで学んだマンガの〈リアル〉
すがやみつる

 矢口高雄先生の商業誌デビュー作「鮎」(『週刊少年サンデー』1970年8月2日号)を読んだとき、鮎釣りのリアルさに驚き、腰を抜かしそうになった。小学生のときから地元の川で毛針を使って鮎を釣り、夏休みには友釣りをする叔父について川歩きを続けていた。「鮎」に出てくる釣りの情景は、子どもの頃から親しんだものばかりで、懐かしささえ覚えたほどだ。
 釣り描写のリアルさに、作者が釣りの経験者であることを確信した。
 72年に『漫画アクション』で「釣りバカたち」を連載した矢口先生が、翌73年に『少年マガジン』に発表した「幻の大岩魚アカブチ」を読んで、またビックリ。登場人物はアマチュア無線(ハム)家なのだが、出てくる無線機もアンテナも交信の様子もリアルそのものだったのだ。なぜ、そんなことがわかったのかといえば、私は中学生の頃からマンガを描きながら無線にもハマり、ハムの免許も持っていたからだ。矢口先生もハムの免許を持っているのだろう。そう信じていた。
 マンガは、絵空事を楽しむだけでなく、読者に新しい知識や情報を伝えるメディアにもなる。手応えを感じた私は、やがて、ラジコン、ゲーム、パソコンなどのホビー題材にしたマンガを数多く手がけたが、その原点は間違いなく「鮎」に始まる矢口マンガだった。
 ちなみに矢口先生は、ハムの免許を持っていなかったとのこと。リアルなハムの描写は取材によるものだったのだ。この事実にも、また敬服した。

幻の大岩魚アカブチ
週刊少年マガジン(講談社)1973年6月3日(24)号


※2階閲覧室の展示関連書籍コーナーにて、「鮎」を単行本(汐文社版)で、「幻の大岩魚アカブチ」を初出の雑誌(『週刊少年マガジン』1973年6月3日(24)号)で読むことができます。

T-2
すがや みつる プロフィール
1950年、静岡県富士市生まれ。高卒後、マンガ家アシスタント、編集プロ勤務を経て石森プロに所属。71年「仮面ライダー」でデビュー。独立後の83年、「ゲームセンターあらし」「こんにちはマイコン」の二作で第28回小学館漫画賞受賞。その後、大人向け学習マンガ、小説などを多数発表。2013年より21年まで京都精華大学マンガ学部教授をつとめる。近刊「コミカライズ魂」(河出新書)。

T-3
鮎(あゆ)
週刊少年サンデー(小学館)1970年8月2日(32)号

《すがやみつるコメント》
この見開きの左側のページが、素朴ですがリアルだと感じた最初でした。

T-4
鮎解禁
釣れづれの四季 画文帖(講談社)1980年11月5日




◆映像展示


矢口高雄インタビュー「創作の秘密とまんが美術館への思い」(5:14)


「まんが美術館」の立役者
 この展覧会でご覧いただいている原画は、矢口の仕事のごく一部に過ぎません。総数約4万2千枚を数える全原画は、矢口のふるさと・秋田県増田町(現・横手市)に1995年開設された「横手市増田まんが美術館」で保管されています。
 日々〆切に追われるマンガ家にとって、原画の保存と管理は厄介なもの。週刊連載になると、1年あたり千枚を軽く超える原画がどんどんと積み重なっていきます。保存場所の確保や整理整頓の負担の大きさから、未整理のままの作家が大半でしょう。
 しかし、きちんと整理・保管すれば、展覧会などを通じて、多くの人に深い感銘を与えることができます。特に、自分でもマンガを描く方には何よりの教材となるでしょう。
 2005年に合併して「横手市」となる以前から、増田町は矢口作品を活用した地域振興に熱心に取り組んでいました。まんが美術館は、行政のそんな熱意に矢口が応えることで成立したのですが、「矢口高雄記念館」ではなく、100名以上の古今様々なマンガ家たちの原画を常設展示する総合的な美術館となったのは、原画がもつパワーを広く伝え、後世に残したいという矢口の信念に基づくものでした。
 2019年には、原画収蔵機能などを大幅に拡張し全面的にリニューアル。「マンガの蔵」と名付けられた原画収蔵室には約45万枚の原画が保管されています。文化庁事業「マンガ原画アーカイブセンター(MGAC)」の中核施設でもあり、マンガ原画の包括的な恒久保存に尽力しているのです。
 横手市増田まんが美術館は、世界に誇る日本のマンガ文化を後世に伝える国内随一の文化拠点と言えるでしょう。その開設の立役者である矢口高雄は、全国で70館以上を数えるマンガ文化施設すべてにとっての、大恩人でもあるのです。




◆カウンター横・ケース展示

制作道具
 こちらのケースでは、矢口が実際に使用していた制作道具を展示している。定規や羽根ぼうき、下書き用と思しきシャープペンシルや水色鉛筆のほか、ペン入れ用のペン先とペン軸、製図用マーカーなどがある。特に毛筆の種類は細いものから太いものまで幅広い。なおペン立てに使われている湯呑は、矢口が足繁く通っていた馴染みの寿司屋のもの。




《展示品》
・定規
・湯呑(ペン立て)
・開明墨汁
・PILOT証券用インク
・ギターポスターカラー(ホワイト)
・ギターポスターカラーの空容器(カッター刃入れ)
・ペン先入れ
・ペン立てに入っていた筆記具
 内訳:筆15本、筆ペンカートリッジ1本、羽根ぼうき1本、ペン軸3本(ペン先付き内1本)、ペン先2個、製図ペン6本、水色鉛筆2本、鉛筆1本、蛍光マーカー1本、ボールペン2本、万年筆1本、シャープペンシル4本、はさみ1本、トーンカッター軸1本