第2期:2017年10月27日(金) - 11月20日(月)



ー 現代チェコ・コミックを代表する4人の作家たち ー
このコーナーでは、現代チェコ・コミックを代表する作家たちを特集し紹介した。会期ごとにひとりの作家をピックアップし、壁で原画展示を行い、中央の覗き込みケースでは残り3人の現代作家を書籍とともに紹介した。

■ カレル・イェリエ karel Jerie

 カレル・イェリエは1977年プラハで生まれた。21世紀の初め、彼は芸術アカデミー(ミハエル・リットシュタインの絵画スタジオ)で学び、最初の短編コミックスを発表している。いわゆるジェネレーション・ゼロ(The Generation Zero/※)の著名なコミックス作家のひとりであり、多くの雑誌やイベント(Aargh!、Komiksfest!、Revue、Pot、Zkrat)、アンソロジー、インターネットなどでコミックスを発表している。 2007年、彼はオイディプス王と、冒険物語の古典をリメイクした架空の歴史物語「巨匠ハンキーの暗号」というふたつの作品を自身の最初のコミックス単行本として発表した。
 近年、イェリエはアートグループ・ナトヴルドゥリーに参加し、グループ展に参加することで、画家としても認知されてきている。それでもなお彼の愛する表現方法は依然としてコミックスであり、2013年以降、彼は3つの新しいグラフィックノベルを出版した。フランスの哲学者ヴォルテールによる古典「カンディード」の壮大な「再話」の二作(三部作最終作は2018年に発売予定)、そして素晴らしい歴史グラフィックノベル『1968年・ドゥプチェクのモスクワ降伏』である。後者において彼は共産主義時代のさまざまな政治的出来事を恐竜になぞらえて描いている。


※ジェネレーション・ゼロ=21世紀に入ってコミックス制作をはじめたクリエイターたちはチェコでは「ジェネレーション・ゼロ」と呼ばれることがある。彼らは出版可能性「ゼロ」の状態から活動をはじめ、収入の見込みも「ゼロ」、そして三つの「ゼロ」がついた2000年に活動をはじめたからである。




Candide Vol.1: Král bulhar
カンディード Vol.1 ブルガリア王
Karel Jerie(s. and k.)
カレル・イェリエ(作・画)
2013
Candide Vol.2: Velký inkvizitor
カンディード Vol.2:偉大なる尋問者
Karel Jerie(s. and k.)
カレル・イェリエ(作・画)
2015
Candide Vol.2: Velký inkvizitor
カンディード Vol.2:偉大なる尋問者
Karel Jerie(s. and k.)
カレル・イェリエ(作・画)
2015




カンディード Vol.1:ブルガリアの王 Candide Vol.1: Král bulhar

 18世紀半ばに書かれたヴォルテールの風刺劇「カンディード」は、最初からイェリエによってコミックス化されるために存在したかのようである。この三部で完結予定の物語で、イェリエは、脚本と作画をともに手がけている。庭いじりの好きな貴族であるカンディードのミス・キュネゴンドへの愛について描かれており、イェリエはそこにさまざまな新しい仕掛けと解釈を施している。にもかかわらず、このグラフィックノベルには「カンディード」という原作小説の文体が持つアイデアやウィットがそのまま息づいている。




カンディード Vol.2:偉大なる尋問者 Candide Vol.2: Velký inkvizitor

 イェリエの「カンディード」の世界では多くの恐竜が闊歩し、奇妙な機械、火炎放射器と人間の発明によってつくりだされる果てのない恐ろしい製品群に満ちている。そこは徘徊と悲鳴の世界である。しかし、同時に、それは静かな戦場であり、抑えた調子で忌み疲れ、浜辺に打ち上げられたひとびとの経験が描かれる世界でもある。ここでは、疲弊した負け犬の視点が最後の段の色の無い3コマによって表されている。読者はこのコマをその主人公と同じ視線で感じることができるのである。




 イェリエのページ構成は革新的であり、彼の色使いは巧みだが、それ以上にすべての要素が高度に組み合わさり機能している。長年にわたる訓練によって、彼は連動的なアートフォームで物語るクリアな形式を発見し、マスターしてきた。 「カンディード」は、フランスのBDアルバムのフォーマットにあわせており、64ページの大判の単行本として制作、出版されている。そして、それは最近のチェコ・コミック界においてももっとも野心的なプロジェクトの1つである。 そのクオリティからいって、カンディード三部作は国際的なレベルのプロジェクトであり、完結後チェコ共和国だけでなく国外でも読者を広げていくことが期待されている。




Češi 1968: jak Dubček v Moskvě kapituloval
チェコ 1968年:ドゥプチェクの
モスクワ降伏
Pavel Kosatík (w.), Karel Jerie (a.)
パヴェル・コサチーク(作)、
カレル・イェリエ(画)
2016
Češi 1968: jak Dubček v Moskvě kapituloval
チェコ 1968年:ドゥプチェクの
モスクワ降伏
Pavel Kosatík (w.), Karel Jerie (a.)
パヴェル・コサチーク(作)、
カレル・イェリエ(画)
2016
Čtyřlístek vrací úder
チティジリーステックの逆襲
Karel Jerie (s. and k.)
カレル・イェリエ(作・画)
2008




チェコ 1968年:ドゥプチェクのモスクワ降伏
Češi 1968: jak Dubček v Moskvě kapituloval

 パヴェル・コサチークはよく知られたチェコのノンフィクションの作家である。 1918年のチェコスロヴァキア第一共和国設立から1992年の大晦日のスロヴァキアとの分離に至るまで、チェコスロヴァキアの歴史の瞬間に焦点を当てた9つの長編映像で構成されたテレビ番組「チェコ・センチュリー」の企画・脚本をコサチークが手掛けた。テレビシリーズの内容を主要なチェコ・コミックのクリエイターたちがコミカライズしたのがこの作品である。彼らは単にテレビ番組をコミカライズすることを求められたのではなく、自由に脚色することができた。カレル・イェリエにとって、これは1968年のロシアの軍事介入を自分の画風で描くいい機会だった。




 コミックスのよき伝統である擬人化されたキャラクターを思い起こさせるかたちで、カレル・イェリエはチェコ共産党の政治家を恐竜の姿で描いている。擬人化することで当時の共産主義者たちを、恐竜と同様の過去の遺物であると暗示しつつ、党の支部同士の権力闘争と党内のリベラル派がつぶされる様を鮮明に視覚化している。




チティジリーステックの逆襲
Češi 1968: jak Dubček v Moskvě kapitulovalČtyřlístek vrací úder

 「チティジリーステックの逆襲」では、チェコの有名な児童コミックス雑誌『チティジリーステック』(四葉のクローバーの意)に登場するキャラクターが活躍する、ジャンル横断的なショート・パロディ・コミックスである。イェリエにとっては、既にあるコミックスやポップカルチャーのキャラクターやヒーローたちを使って遊ぶことは、新しい解釈を生み出す機会を意味する。注意深い読者は『チティジリーステック』には登場しないキャラクターをみつけることができるだろう。例えば、アメコミの有名作、ミニョーラの「ヘルボーイ」や、チェコの代表的コミックスである、フォーグラルとフィシェルによる「リフレー・シーペ」などである。


※「リフレー・シーペ」は今期の特集作品。『チティジリーステック』は3期に詳しく紹介される。




■ チェコ・コミック、1945年以前
  ─ チェコ絵物語とコミックの誕生 ─

 チェコの歴史をひも解くと、バロック時代には、チェコ人の版画家として有名なウェンチェスラス・ホラー(1607-1677)がロンドンに居を構え仕事をし、時にはコミックスを思わせる短い物語を描いた。
チェコ・コミックの前身を「チェコ語で定期刊行される印刷物」と定義すれば、その前身は19世紀中頃までさかのぼれる。ヨーロッパ諸国での1848年の革命(2月事件)の際、報道への監視が一時的に失われ、チェコ語で最初の風刺コミックスが生まれた。
 チェコの最初の著名なコミックス作家はカレル・ヴァーツラフ・クリーチ(1841-1926)である。「ニンジンおじさん」(1867年)は、街に出かけた田舎者の物語で、彼はチェコ・コミック初のレギュラーキャラクターだ。クリーチはのちにウィーンで長期間活動し、1880年代から90年代にかけてイギリスの風刺雑誌『パック』でも風刺画を描いた。
 1905-1906年、カレル・シュトロフがユーモア雑誌『シュヴァンダ・ドゥダーク』に描いた「チョパーセクさん」は、同一キャラクターの連作、フキダシの使用など、現代的なコミックス形式をとったチェコ最初の作品だと考えられる。20世紀に入ると、コミックスは徐々に児童雑誌の一部となる。「児童コミックスの父」カレル・ラディスラフ・トゥーマ(1853-1917)は、特定のキャラクターは使わず、子どもたちの日常の愉快な出来事を描いた。
 チェコ語の出版物の真の盛り上がりは、1918年オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊し、チェコスロバキアが独立した後に始まった。コミックスは日刊新聞にも掲載され始め、現代でもよく知られるチェコ・コミックのヒーローが登場した。ヤロスラフ・ハシェクの小説「兵士シュヴェイク」の挿絵画家として有名なヨゼフ・ラダ(1887-1957)は、「フランティーク・ヴォヴィーセクと雄ヤギのボベシュのいたずら」を日刊新聞『チェスケー・スロヴォ』の週末増刊に寄稿、この作品はその人気からすぐ単行本化された。
 新聞で最も成功したコミックス作家はオンドジェイ・セコラ(1899-1967)だろう。中でも人気が高いのは「ありのフェルダ」だ。陽気でへこたれず、どんな時でもうまいやり方を思いつくフェルダの物語は、1933年、コミックスとして日刊新聞『リドヴェー・ノヴィニ』に連載され、3年後に絵本(コミックスではなく)として単行本化。その後ラジオ、映画、舞台にも登場した。
 第一次世界大戦終結後のセコラ作品のメディア展開は、チェコでのアメリカンポップカルチャーの影響の急速な高まりを示している。最初のコミックス雑誌『コウレ』創刊時、フィリックス・ザ・キャットが掲載され、女性雑誌『リスト・パニー・ア・ジーヴェック』にも犬が登場するアメリカのコミックスが掲載。その反響から、この雑誌の編集者は、「プンチャ」という小さな犬を主人公とするその作品と類似のオリジナルコミックスを企画した。「プンチャ」の作家には、レネー・クラパッチ(1905-1980)が選ばれた。彼はチェコ人だが、ディズニーから影響を受けた彼のアートは国外での実績もあり、フランスの子ども向け雑誌でも仕事をしていた。「プンチャ」は、連載当初から成功し、出版社はその名を冠した『プンチャ』誌を創刊、その爆発的な人気は他の児童向けコミックスが出版される重要な契機となった。
 1930年代半ば以降、チェコ・コミックのジャンルは多様化、探偵ものや西部劇といった大人向けコミックス、ホームドラマなども人気となった。1930年代後半の有名なコミックスはヤロスラフ・フォーグラル(1907-1999)作、ヤン・フィシェル(1907-1960)画のシリーズ「リフレー・シーペ」である。この5人の少年たちの冒険は、一貫してフキダシを用い、物語とダイナミックな描線の双方で読者を魅了した。その人気はチェコ・コミック全体に影響を与え、本作を模した少年達の冒険物語が数多く現れた。
 しかし、チェコ・コミックの発展は、第二次世界大戦により減速してしまう。1939年、チェコはナチス・ドイツによって占領され、コミックスを含むチェコの文化は排除された。転機の訪れは1945年、ヨーロッパでのナチス敗北まで待たなくてはならず、そこからチェコ文化は再生し始めたのである。



フランチーク・ヴォヴィーセックとヤギのボベシュのいたずら
Šprýmovné kousky Frantíka Vovíska a kozla Bobeše (1922-1923)

 ヨゼフ・ラダ(1887-1957)は、ヤロスラフ・ハシェクの小説「兵士シュヴェイク」の挿絵画家として、今日では国際的に有名である。
 チェコ・コミックにおける最初の成功したレギュラーキャラクター(主人公)は、ラダが描いた、フランチーク・ヴォヴィーセック少年と友達のヤギ、ボベシュだ。彼らの物語は『チェスケー・スロヴォ』紙に連載され、その後何度も復刊された。


Šprýmovné kousky Frantíka Vovíska a kozla Bobeše
フランチーク・ヴォヴィーセックとヤギのボベシュのいたずら
Josef Lada (s. a k.) ヨゼフ・ラダ(作・画)
不詳(復刻版)



トンダ・チュタルの冒険 Dobrodružství Tondy Čutala (1928)

 ラダによる成功したコミックスのシリーズとしては他にトンダ少年と犬のジュリークのシリーズがある。彼らはこの作品でアフリカに旅し、様々な珍しい動物と出会う。


Dobrodružství Tondy Čutala
トンダ・チュタルの冒険
Josef Lada (s. a k.)
ヨゼフ・ラダ(作・画)
1999(復刻版)



勇敢なうさぎの話 O statečném králíčkovi (1940)

 ヨゼフ・ラダはほとんどフキダシを使わなかったが、この最後の長編作品「勇敢なうさぎの話」では現代のコミックスにおけるこの特徴的な要素を使っている。


O statečném králíčkovi
勇敢なうさぎの話
Josef Lada (s. a k.)
ヨゼフ・ラダ(作・画)
1969 (復刻版)



ヴォジーシェック Voříšek (1923-1941)

 オンドジェイ・セコラはヨゼフ・ラダと並び、チェコ・コミック草創期の最重要作家である。彼の最初のコミックスキャラクターは犬のヴォジーシェックである。


Voříšek
ヴォジーシェック
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)
不詳



ありのフェルダ Ferda Mravenec (1933-1941)

 ありのフェルダはチェコのポピュラーカルチャーにおいてもっとも成功したキャラクターのひとつである。この楽観的で勤勉なありの物語は日刊紙『リドヴェー・ノヴィニ』の児童向けふろくにコミックス形式で連載された。ありのフェルダのコミックスはくりかえし何度も再刊されており、セコラはそれ以外の活字の本の挿絵でもフェルダを登場させている。


Ferda Mravenec
ありのフェルダ
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)
1938

Ferda Mravenec
ありのフェルダ
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)
2010(復刻版)

Ferda Mravenec
ありのフェルダ(チェコ版絵本)
切抜き3シート
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)

ありのフェルダ(日本語版絵本)
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)
2008



キャプテン・アンリ・ムック、アフリカで狩りをする
Kapitán Ani Muk loví v Africe (1934-1935)

 1920年代にフランス、パリで数年を過ごしたオンドジェイ・セコラは、そこでアフリカ文化と出会い、深く魅了された。以降、彼のコミックスにはアフリカのモティーフが頻繁に登場するようになる。


Kapitán Ani Muk loví v Africe
キャプテン・アンリ・ムック、アフリカで狩りをする
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)
2015(復刻版)



ありのフェルダの影響

 ありのフェルダの大きな成功は昆虫の世界を舞台にしたいくつかのコミックス作品を生み出した。「昆虫と少年ヴォイタ」はその一つである。


Broučci a Vojta
昆虫と少年ヴォイタ
Jan Holub (s.), Hela Büblová (k.)
ヤン・ホルプ(作)、
ヘラ・ビーブロヴァー(画)
3冊とも1942



ウィディー・ビディとフンデラーチェク
Ouidy-Bidy (1932-1933),Chundeláček (1934-1940)

 レネー・クラパッチも青年時代の一時期をフランスで過ごしている。彼のコミックスジャンルでのデビュー作は『Benjamin』誌に連載されたクマのウィディー・ビディ(1932-1933)についての物語である。
 クラパッチは1933年にチェコスロヴァキアに帰国すると、フンデラーチェク(1934-1940)と改名した彼のクマの冒険物語を描きつづけることにとりわけ力を注いだ。


Ouidy-Bidy
ウィディー・ビディ
René Klapa (s. a k.)
レネー・クラパッチ(作・画)
1932-1933

Chundeláček
フンデラーチェク
Jan Holub (s.), René Klapač (k.)
ヤン・ホルプ(作)、
レネー・クラパッチ(画)
1934-1940



倹約家のみつばち Včelka Spořilka (1939)

 レネー・クラパッチはまた多くの広告マンガを描いている。たとえば「倹約家のみつばち」は貯蓄の宣伝のためにつくられたキャラクターだ。


Včelka Spořilka
倹約家のみつばち
Jan Holub (s.), René Klapač (k.)
ヤン・ホルプ(作)、
レネー・クラパッチ(画)
1939



クリフラーシェク Kulihrášek (1926-1935)

 小人のクリフラーシェクの冒険物語ははじめ教訓的な絵本として出版されたが、ギャグと波乱万丈なプロットを持ったコミックスに徐々に変わっていった。


Kulihrášek
クリフラーシェク
Marta Voleská (s.), Artuš Scheiner (k.)
マルタ・ヴォレスカー(作)、
アルトゥシュ・シェイネル(画)
年不詳



『天国の庭の散歩』 Procházka rajskou zahrádkou (1943)

 「リフレー・シーペ」のアーティスト、ヤン・フィシェルはヤロスラフ・フォーグラルの共作者だっただけでなく他の脚本家と組んだ作品も発表している。この短編集『天国の庭の散歩』に収録された作品は子どものカソリック教徒向けの月刊誌に連載された。


Procházka rajskou zahrádkou
天国の庭の散歩
Jaroslav Mácha (s.), Jan Fischer (k.)
ヤロスラフ・マーハ(作)、ヤン・フィシェル(画)
1943



トムとブルム Tom a Brum (1939-1940)

 チェコのコミックス作家たちはアフリカに特別な興味を向けてきたが、彼らはまた自分たちのキャラクターを物語の中でしばしば北米大陸にも送り込んでいる。このインディアンの少年と彼の友人のクマの物語はその一例である。


Tom a Brum
トムとブルム
Emil Posledník (s. a k.)
エミル・ポスレドニーク(作・画)
1940



カッパのヴェンツァ Vodník Venca (1940-1942)

 有名なチェコ民話にはヴォドゥニークと呼ばれる日本の妖怪カッパのチェコバージョンが登場する。ポスレドニークはそのヴォドゥニークを、ヴェンツァという名の水中に住むいたずら好きな男の子として描いている。


手前・左
Vodník Venca
カッパのヴェンツァ
Emil Posledník (s. a k.)
エミル・ポスレドニーク(作・画)
1942
掲載誌(『PUNŤA』#126)表紙と裏表紙


Vodník Venca
カッパのヴェンツァ
Emil Posledník (s. a k.)
エミル・ポスレドニーク(作・画)
1941



『コウレ』 Koule

 チェコ最初のコミックス雑誌『コウレ』(ボールの意)にはオットー・メスマーの「フィリックス・ザ・キャット」のオリジナル翻訳とともに、チェコ作家の作品が並んで連載されていた。


Koule
『コウレ』
1927年12号



ペピナ・レイホルツォバー Pepina Rejholcová (1929-1941)

 両大戦間におけるチェコの有名なコミックスキャラクターのひとりにペピナ・レイホルツォバーがいる。彼女はエネルギッシュだがあまり賢明とはいえない田舎のご婦人だ。彼女は現代社会のさまざまな危険に遭遇することになる。ケース内はすべて1930年代のペピナ(内1点は現代の復刻版)。


Pepina Rejholcová
ペピナ・レイホルツォバー
František Voborský (s. a k.)
フランチシェク・ヴォボルスキー(作・画)
1930年代



絵と詩による、ヨゼフ・チロヴィーチェク氏の物語
Životní román Josefa Človíčka v obrazech a rýmech (1938-1941)

 「日常生活」を描いたコミックスがチェコの出版界に登場するのは1930年代終わりのことだ。「絵と詩による、ヨゼフ・チロヴィーチェク氏の物語」(1938-1941)は、ヨゼフ・チロヴィーチェク氏の交際期間から結婚、子どもたちとの家庭生活にいたる彼の運命を描く。200回以上続いた長期連載である。チロヴィーチェックは「人間」の意。


Životní román Josefa Človíčka v obrazech a rýmech
絵と詩による、ヨゼフ・チロヴィーチェク氏の物語
Zdeněk Tůma (k.)
ズデニェク・トゥーマ (画)
1939,1940



ノヴァーク氏の日曜日 Novákovic neděle (1940-1943)

 「ノヴァーク氏の日曜日」は「絵と詩による、ヨゼフ・チロヴィーチェク氏の物語」と同種のプロットを扱っている、しかしこの作品はフキダシを使っており、より表現が進歩的である。


Novákovic neděle
ノヴァーク氏の日曜日
František Freiwillig (k.)
フランチシェク・フライヴィリク(画)
1947



広告マンガのキャラクター

 洗剤メーカーのオッタ(OTTA)・ラコヴニーク社は商品宣伝のためにコミックスを用い、自分たちのマスコットキャラクターのコミックスを発表していた。それがオターチェク(OTTAで人型をしている)と、ざりがにのラーチェク。
 薬の広告用に描かれた作者不詳のフィリックスもいた。この著名なアメリカのコミックスのキャラクターは、チェコスロヴァキアでもよく知られていたため、しばしばチェコのコミックスに登場するのである。


Otáček a Ráček
オターチェクとラーチェク
Josef Cheth Novotný (s.),
Bohumil Paša (k.)
ヨゼフ・ヘット・ノヴォトニー(作)、
ボフミル・パシャ(画)
ともに1930年代

Kocour Felix
フィリックス・ザ・キャット
neznámý autor (s. a k.) 著者不明
ともに1930年代



偉大なサル、ペピークの冒険
Dobrodružství veliká opičáka Pepíka (1940-1941)

 20世紀初頭から、サルを主人公にしたファニーコミックスは、チェコでは人気があった。サルはチェコ人にとっては二日酔いの象徴で、おかしな混乱を秩序だった人間社会にもたらしてくれる。


Dobrodružství veliká opičáka Pepíka
偉大なサル、ペピークの冒険
Bohumil Schweigstill (s.),
Cyril Kotyšan (k)
ボフミル・シュヴァイクスティル(作)、
ツィリル・コティシャン(画)
ともに1941年



ミステリー・コミックの登場

 ミステリ的なプロットがチェコ・コミックに登場したのは1930年代後半のことで、それらはアメリカの小説や映画の影響を受けていた。


Jirka Detektiv
名探偵イルカ
Václav Mejstřík (s.),
František Postránecký (k.)
ヴァーツラフ・メイストシーク(作)、
フランチシェク・ポストラーネツキー(画)
1934-1940



戦前のミロシュ・ノヴァーク

 ミロシュ・ノヴァークは1945年以降チェコ・コミックにおけるもっとも写実的な作風のアーティストとして知られるようになるが、第二次世界大戦以前はもっとユーモラスなアートスタイルの作家だった。


Veselé seriály
「愉快な」シリーズ
Jan Holub (s.), Miloš Novák (k.)
ヤン・ホルプ(作)、
ミロシュ・ノヴァーク(画)
ともに1940年




特集1: Punťa プンチャ




プンチャPunťa (1935-1942)

 犬のプンチャの冒険はまずポピュラーなチェコの婦人週刊誌『リスト・パニー・ア・ジーヴェック』の子ども向け別冊付録に連載されていた。


Punťa プンチャ
Marie Voříšková (s.),
Julie Kaublová (s.),
Blanka Svačinová (s.),
René Klapač (k.)
マリエ・ヴォジーシュコヴァー(作)、
ユリエ・カウブロヴァー(作)、
ブランカ・スバチノヴァー(作)、
レネー・クラパッチ(画)
1940



 プンチャの物語はすぐに年少読者のあいだで人気を博し、彼は連載開始直後の1935年に早くも自分の名を冠した雑誌『プンチャ』(1935-1942)を持つことになった。


Časopis Punťa
『プンチャ』
1935年3号、9号、1936年21号



『プンチャの冒険』Punťovy příhody (1940-1942)

 プンチャの版権元であるロジナ社はできるだけ多くの読者にプンチャの物語に親しんでもらうため、雑誌『プンチャ』以外に、小さな判型で安価なリーフレットスタイルの雑誌『プンチャの冒険』(1940-1942)を出版した。
 プンチャ関連の雑誌や商品の広告はロジナ社が出版していたすべての雑誌に掲載されていた。


Punťovy příhody a Reklama
na časopisy Punťa
『プンチャの冒険』と
『プンチャ』の広告
ともに1940



 プンチャのメインアーティストははじめルネ・クラパッチがつとめたが、1939年、のちにアニメーション監督として知られるようになるヘルミーナ・ティールロヴァーも時々描くようになった。


Punťa プンチャ
Marie Voříšková (s.), Hermína Týrlová (k.)
マリエ・ヴォジーシュコヴァー(作)、
ヘルミーナ・ティールロヴァー(画)
1939年67号



 1948年の共産主義クーデターののち、ルネ・クラパッチはアメリカに移住し、プンチャのコミックスは終了した。1990年代に彼のストーリーを再編集した復刻版単行本の出版が試みられたが、あまり成功しなかった。


Punťa プンチャ
1991(復刻版)




特集2:Rychlé šípy リフレー・シーペ




リフレー・シーペ Rychlé šípy (1990-1991)

 「リフレー・シーペ」のコミックスは1990年代はじめにも復刊されたが、このときは新作は描かれなかった。


Rychlé šípy
リフレー・シーペ
Jaroslav Foglar (s.),Jan Fischer (k.)
ヤロスラフ・フォーグラル(作)、
ヤン・フィシェル(画)
1941



リフレー・シーペ Rychlé šípy (1967-1971)

 「リフレー・シーペ」は共産主義政権への移行後強制的に終了させられた。が、1960年代後半から70年代はじめにかけてチェコスロヴァキアの政治状況が多少自由になると、いくつかの打ち切られたコミックスが復活した。過去の「リフレー・シーペ」の少年たちのコミックスも再版された。また、ヤロスラフ・フォーグラルは、すぐに新しいエピソードを発表しはじめた。


Časopis Rychlé šípy
『リフレー・シーペ』
1968年3号



 フォーグラルの「リフレー・シーペ」シリーズは小説版もでていたのだが、1970年代初頭、その小説2作もコミカライズされた。


Záhada hlavolamu,Stínadla se bouří
知恵の輪の謎、スチーナドラの嵐
Jaroslav Foglar (s.), Marko Čermák (k.)
ヤロスラフ・フォーグラル(作)、
マルコ・チェルマーク(画)
1990 (復刻版)



リフレー・シーペ Rychlé šípy (1990-1991)

 「リフレー・シーペ」のコミックスは1990年代はじめにも復刊されたが、このときは新作は描かれなかった。


Rychlé šípy
リフレー・シーペ
1巻、4巻、ともに1990年



『フラサテル』 Hlasatel

 1990年代はじめに両大戦間の人気雑誌だった『ムラディー・フラサテル』の後継誌を創刊しようという動きがあった。そのときにも出版社は「リフレー・シーペ」の認知度を利用しようと試みていた。裏表紙のコミックス「リフレー・シーペ」のシナリオはフォーグラル、画はチェルマーク。


Časopis Hlasatel 2
『フラサテル』 2号
1991