ー 現代チェコ・コミックを代表する4人の作家たち ー
このコーナーでは、現代チェコ・コミックを代表する作家たちを特集し紹介した。会期ごとにひとりの作家をピックアップし、壁で原画展示を行い、中央の覗き込みケースでは残り3人の現代作家を書籍とともに紹介した。
現代チェコ・コミック界の貴婦人、ルチエ・ロモヴァー(1964-)は最初のコミックスである若い二匹のネズミを主人公とした単発の作品「アンチャとペピーク、尾行する」を1980年代末に出版した。この美しい線と素晴らしい彩色で描かれ、はっきりした世界観とミステリ的なひねりのあるプロットを持ったファニーアニマルコミックスはこの一作では終わらず、ロモヴァーはこのシリーズをその後10年間にわたり61話発表している。「アンチャとペピーク」はおそらく1990年代もっとも愛された児童向けコミックスのひとつであり、現在も幅広く読まれている(新しい全5巻のコレクテッド・エディションが近年刊行されている)。この作品は人形劇化され、最近ではテレビ放映もされた7本の短編アニメーションにもなっている。
2000年以降、ロモヴァーは創作活動の主軸を大人向けの作品に移し、こちらの分野でも児童コミックスの分野同様、急速にその名声を高めている。彼女のグラフィックノベル作品「アナは飛びたかった」、「野生児たち」、「標的」はまずフランスで、おそらくもっとも著名なコミックス研究者のひとりであるティエリ・グルンステンが設立した出版社・ドゥラン2から出版された。繊細に考え抜かれたルチエ・ロモヴァーのストーリー(彼女は作画だけでなく、自身で脚本も手掛ける作家である)は現代チェコ・コミックの作品群の中でも最良のものであり、チェコとフランスで多くの賞を獲得し、ドイツ語とポーランド語にも翻訳されている。
おそらくチェコでもっとも愛されているファニーアニマルコミックス。オリジナルは1990年代に出版された。「アンチャとペピーク」は雑誌『チティジリーステック』に10年間(1991~2000年)にわたって掲載された。魔法の世界“耳の村”に住む擬人化されたネズミたちを主人公としたこの作品は人形劇になり最近ではテレビアニメーション化された。展示の原画では、アンチャ(ピンクのコート)とペピーク(緑のズボン)が夢のアイスクリームの家に出会っている。ツララはアイスキャンディー!
Anča a Pepík :Ledové víly
アンチャとペピーク・氷の妖精
Lucie Lomová (s. and k.)
ルチエ・ロモヴァー(作・画)
1994
「アナは飛びたかった」はルチエ・ロモヴァーの大人向けコミックス分野へのはじめての挑戦である。それはどれほどの「挑戦」だったろう! この80ページ、ハードカバーのアルバムフォーマットのグラフィックノベル ―最初はドゥラン2社から出版された― は精緻に構築されたストーリーと三層に分けられたレイヤーで語られる、何気ない日常の中の素晴らしい生活を描いた作品である。このグラフィックノベルの4巻の発表で、ルチエ・ロモヴァーは彼女にとって最初の、そしてもちろん最後ではない賞を獲得している。まずはチェコのコミック賞である、「ミュリエル賞」のチェコ・コミック年間最優秀賞部門、次に「金のリボン賞特別賞」である。
「ルチエ・ロモヴァーの典型的なコミックス・アート・スタイル」を定義することはむずかしい。なぜなら彼女は物語のために自分の語りかたを変えることを恐れない作家であるからだ。ここでは、物語は共産主義時代のチェコスロヴァキアに戻り― そのことは画面が鉛筆画になったことで示される ―当時違法だったスロヴァキア経由(描かれている城はそこが首都ブラチスラヴァであることを示すものだ)での西側への移住の試みが描かれている。このロモヴァーの最初のグラフィックノベルはよく調査され、丹念に描き出されたディティールと鋭い観察力に基づく過去と現在の日常生活についての意見で満ちている。
Anna chce skočit
アナは飛びたかった
Lucie Lomová (s. and k.)
ルチエ・ロモヴァー(作・画)
2006
「野生児たち」はおそらく彼女の今までの作品の中でもっとも野心的な作品だろう。この作品でロモヴァーは20世紀初頭に活動したチェコの探検家、旅行家、植物学者そして民俗学者であるアルベルト・ヴォイチェフ・フリッチの自伝的なエッセイをコミックス化している。1908年、南アメリカへの旅から(当時はまだオーストリア=ハンガリー帝国の一部だった)チェコに帰還したフリッチは、ネイティブ・アメリカンの部族チャマココ族のチェルヴイシュを伴っていた。この物語のはじまりかたは文化的ギャップをユーモラスに描くための格好の素材になっている ―たとえばこのシーンではチェルヴイシュは警察官やほかの役人たちのような公権力の存在が理解できず、彼らを邪悪な魔法使いだと解釈し、その自分の状況への理解に従って行動している。しかし、その行動はヨーロッパ人の視点からすると犯罪行為なのだ。
チェルヴイシュにとってヨーロッパでの経験は彼の人生を変えてしまうようなものだった。だが、それはフリッチにとっても同様の意味を持っていた。彼らふたりはともにこの作品のタイトルである「野生児たち」であり、ともに法の定める適切な社会の外側に生きている。この「ミュリエル賞」の二部門(年間ベスト・チェコ・コミック部門とベストライター部門)を受賞したグラフィックノベルは精巧でうまく描かれたさまざまな他者性、人間的なつながりの喪失、独立不羈の精神といったものに関する思索として読むことができる。このシーンでは病気による幻覚が描かれており、ここではおどろおどろしいチャマココ族の呪文とヨーロッパ美術のモチーフ(最下段左のコマに描かれたゴッホの「星月夜」からのそれはすぐにわかるだろう)が組み合わされている。そこではチャマココ族の民族的アイデンティティとヨーロッパからの植民地的影響が混じりあっている。はたしてどちらが勝利するのだろうか?
Divoši
野生児たち
Lucie Lomová (s. and k.)
ルチエ・ロモヴァー(作・画)
2011
「貴重なチェコの童話」でロモヴァーは五編のよく知られたチェコのおとぎ話をコミック化している。三つ首竜との決闘は、英雄的な騎士やお姫様、美女や姫君の救出劇と同様にチェコのおとぎ話における一般的なモチーフだ。ロモヴァーにとって本書は再び年少読者を対象にしたものだが、今回彼女は海外の読者も視野に入れている。本書は(日本語を含む)9か国語で出版されたため、物語は文化の違いを越えて普遍的に理解されるようアレンジされている。
Zlaté české pohádky
貴重なチェコの童話
Lucie Lomová (s. and k.)
ルチエ・ロモヴァー(作・画)
2008
↑中央覗き込みケースのようす。
第二次世界大戦後、しばらくのあいだチェコスロヴァキアでコミックスはブームになり、そのまま戦前の伝統が継承されていくかに見えた。だが、1948年2月の共産党によるクーデターののち、新体制の推進者たちはソビエト連邦のパターンを踏襲し、コミックスに「アメリカの邪悪な大衆コントロール装置」というレッテルを貼った。その結果、ほぼすべてのポピュラーなコミックストリップが出版禁止になり、何人かのコミックスアーティストは海外へと移住し、残ったアーティストたちは公共空間から締め出され、何人かはソビエト風の新しいアートスタイルで描くようになった。
1950年代はじめまで存在を許された、戦前のコミックスキャラクターは「ありのフェルダ」だけだった。それは作者であるオンドジェイ・セコラ(1899-1967)が、フェルダの物語におけるイデオロギー的な立場を大きく変えたためだった。以前はいたずらものの個人主義者だったフェルダは社会主義の推進者へと変身した。結局のところコミックスのような視覚的な物語様式は、この新しい社会にはなじまないと当局は結論付けた。この時期、コミックスは少数の児童向け雑誌でのみ残っていた。そうした場所でも、アメリカンコミックス特有の手法と考えられていた吹き出しや感嘆詞の多用は避けられた。
1956年初めには政治的、文化的状況の厳格さは少しずつゆるみはじめた。そして再び若者やその他の年齢層向けの雑誌にコミックスが掲載されはじめた。この時代の特徴は、検閲の基準が曖昧だったことだ。そのため雑誌や新聞の編集者たちは段階的にことを進めた。たとえば一、二個のフキダシを紛れ込ませ、それが通れば、次にはフキダシを増やした。あるいはソビエトの児童文学や冒険小説、SF小説などからコミカライズした。「思想的に正しい」作家の作品をコミックス化すれば、出版を禁止されにくいからだ。
1960年代の政治的緊張緩和によって、いくらかの西洋コミックスが流入し、1948年以前に活躍していたチェコのコミックスヒーローたちが戻った。特筆すべきは戦前の大人気作「リフレー・シーペ」の復刊である。
この時期のもっとも傑出したチェコのコミックスアーティストは、カーヤ・サウデック(1935-2015)
である。1960年代末には政治状況も緩和され、セクシーな女性が登場する彼の大人向けコミックス作品が公式な出版を許されるほどだった。だが、以前ほど厳しくない当時の検閲にとってさえ、彼のコミックスは「アメリカ風」過ぎたため、彼の作品は出版禁止された。にもかかわらず、サウデックは長編「ムリエルと天使たち」の創作をはじめた。この作品を完成させる前の1968年8月、チェコスロヴァキアはワルシャワ条約機構軍によって占領される。ムリエルは二部作で合計200ページを超える大作となったが、クリエイターたちの様々な努力にもかかわらず、1989年の民主化までチェコスロヴァキアでの出版が許されることはなかった。
1960年代後半のもう一つの重大な出来事は、児童向け雑誌『チティジリーステック』(四つ葉のクローバーの意)の創刊である。1970年代初頭、政治情勢は厳しくなっていたが、この雑誌は低年齢の児童向けという性格から(四つ葉のクローバーの幸運もあって)生き延びることが出来た。この雑誌のタイトルにもなっている作品「チティジリーステック」は4匹の動物のなかよしグループ ―犬の女の子と猫の男の子、子ブタ、子ウサギ― を描いたものである。現在ではこのシリーズはチェコ・コミック史上最長シリーズとなり、1000話以上続いている。
1968年の侵攻後、政治体制は完全に1950年代の状況に戻ったわけではなかった。コミックスに関しても完全に否定されたわけではないが、カーヤ・サウデックの描くものや「リフレー・シーペ」シリーズのような作品はもう出てこなかった。
共産主義体制が終焉する1989年11月の少し前に、チェコスロヴァキアで創刊された雑誌『コメタ』(彗星の意)は、そうした状況ののちに出現した、コミックス専門の定期刊行物である。『コメタ』は、共産主義体制崩壊後に登場した新雑誌とともに、新世代のコミックスアーティストたちの出版の可能性を切り開いた。しかし、多面的な要因からこのコミックスブームはすぐに収束に向かう。そして1993年以降の数年間、チェコ・コミックは再びチェコ社会からほとんど消えてしまった。その間『チティジリーステック』一誌だけがチェコ・コミックを支え続けていた。現在、チェコのコミックスは自由市場の中で新しいあり方を見出すことができている。
1960年代の政治的な規制緩和のひとつの象徴として、長いあいだ禁じられていたジャンルである西部劇が徐々に解禁されていった。この分野のコミックスとしては、このドイツの著名な作家、カール・マイのこの作品のコミカライズが最初に出版された。
Vinnetou ヴィネトウ
Karl May (n.), Gustav Krum (k.)
カール・マイ(原案)、グスタフ・クルム(画)
ともに1966
ドイツの小説家カール・マイと彼のもっとも有名なヒーロー、インディアン(ネイティブ・アメリカン)の酋長、ヴィネトウの人気は子供向けのコミックスにも波及している。カレル・フランタはヴィネトウの少年時代をユーモラスなコミックスに仕立てている。
Malý Vinnetou
小さなヴィネトウ
Karel Franta (s. a k.)
カレル・フランタ(作・画)
1966,1968
1960年代末の西部劇小説のコミカライズとしては他にも多くの著名なアメリカ人作家のものがあった。だが、多くの場合それらは安全策をとり、フキダシを使わない形式で描かれていた。
Poslední Mohykán
モヒカン族の最後
James Fenimore Cooper (n.),
Jan Černý-Klatovský (k.)
ジェイムズ・フェニモア・クーパー(原案),
ヤン・チェルニー・クラトフスキー(画)
ともに1969
1990年代の共産主義の崩壊以降、再び西部劇がコミックス市場にあらわれるようになった。このときは著名な西部劇小説のコミカライズだけでなく、国内の脚本家によるオリジナル脚本の作品も出版されている。
Kamarádi z prérie
プレーリーの友
Magda Ziková, Pavel Kosatík (s.),
Jiří Petráček (k.)
マグダ・ズィコヴァー、
パヴェル・コサチーク(作)、
イジー・ペトラーチェク(画)
1991
共産党の宣伝の一環として、ソビエトの宇宙飛行士の成功は強調されていた。このためある種のSF作品は出版を許された。
Příhody Malého boha
小さな神様の冒険
Vlastislav Toman (s.), František Kobík (k.)
ヴラスチスラフ・トマン(作)、
フランチシェク・コビーク(画)
1974
アーティスト、フランチシェク・コビークは幼少期から飛行機と宇宙飛行士に魅了されていた、そのため機械類の事細かな描写が彼にとってとても重要なものだった。
Vzpoura mozků
脳の反乱
Václav Šorel (s.), František Kobík (k.)
ヴァーツラフ・ショレル(作)、フランチシェク・コビーク (画)
1978
「信じがたい出会い」
テオドル・ロトレクルは1960年代から80年代にかけてのもっとも著名なSFイラストレーターのひとりである。また彼は二作のSFコミックスも制作している。最初の作品は1950年代に描かれ、ここに展示している二番目の作品はその40年後に描かれた。
「クロッカスの国への巡礼」
ヴラジミール・トゥチャプスキーは1980年代実験的なコミックスを地下出版する作家だった。その後、共産党政権が崩壊し彼はチェコのオルタナティブコミックスシーンにおけるもっとも著名なアーティストのひとりになった。
Neuvěřitelná setkání
信じがたい出会い
Vlastimíl Talaš (s.),
Teodor Rotrekl (k.)
ヴラスチミール・タラシュ(作)、
テオドル・ロトレクル (画)
1992
Pouť do Země šafránu
クロッカスの国への巡礼
Vladimír Tučapský (s. a k.)
ヴラジミール・トゥチャプスキー(作・画)
1989
SFコミックスは学生向けのロシア語学習雑誌『アガニョーク』(ともしびの意)にも掲載されていた。この雑誌は裏表紙でソビエトのSF小説のコミカライズが連載されていた。
Konec Atlantidy
アトランティスの終焉
Kir Bulyčov (n.), Miloslav Havlíček (k.)
1990
『コメタ』(彗星の意)は1980年代末の政治的な変化以降に創刊されたもっとも重要なコミックス雑誌だろう。特にその初期の号において、当時のチェコ・コミック界でもっとも重要な作家たちの作品を掲載している。
創刊のころからカーヤ・サウデックも寄稿し、コミックス以外にカバーイラストも手掛けている。
共産主義体制が終焉する1989年11月の少し前に創刊された『コメタ』は、長年の悲しむべき状況ののちに出現した、コミックス専門の定期刊行物を確立しようとする新たな試みだった。1989年の共産主義体制崩壊後、『コメタ』は政変後に登場した新雑誌とともに新世代のコミックスアーティストたちに出版の可能性を切り開いた。
časopis Kometa
『コメタ』
#4, 1989
#11, 1990
Kometa
『コメタ』
#13, 1990
#19, 1991
『コメタ』誌の成功は他の出版社にも影響を与え、多くの類似したコミックス専門誌が創刊された。中でも良質な雑誌が『アレーナ』だが、他の競合誌と同様にかなり短命に終わった。
Aréna
『アレーナ』
#2, 1990
#3, 1990
共産党政権下では許容されなかった政治風刺は、チェコ国内のコミックスシーンにおいては90年代になって確立された新しいジャンルである。このジャンルでもっとも成功した作品は週刊連載されている「緑のラオウル」のシリーズだろう。この作品のスタイルはたびたび模倣されている。
Zelený Raoul
緑のラオウル
Hruteba (s.), Štěpán Mareš (k.)
フルテバ(作)、
シュチェパーン・マレシュ(画)
1996,2011,2012
著名な「リフレー・シーペ」シリーズが、共産主義政権移行期の1948年以降出版されなくなり、その後類似の物語がいくつも描かれるようになった。「リフレー・シーペ」が確立した都会の少年たちのグループがちょっとした冒険をするタイプの作品は、多くの他のチェコのコミックスクリエイターたちによって踏襲されている。例えば展示の「クリフと仲間たち」(1963-1966)、「見張り」(1967-1984)などがそうである。しかし、他のキャラクターたちは共産党の検閲官を「リフレー・シーペ」の主人公たちほど悩ませなかったようだ。
Družina kulišáků
クリフと仲間たち
Jaroslav Foglar (s.), Jiří Krásl (k.)
ヤロスラフ・フォーグラル(作)、
イジー・クラースル(画)
1961
Kronika strážců
ストラージュツェーのクロニクル
Vlastislav Toman (s.),
Lidka Kovaříková, František Kobík (k.)
ヴラスチスラフ・トマン(作)、
リトカ・コヴァジーコヴァー、
フランチシェク・コビーク(画)
1961
「リフレー・シーペ」と同じジャンルに属する「青の5人」のアーティスト、マルコ・チェルマークは1960年代末に描かれた「リフレー・シーペ」の新エピソードのアーティストもつとめている。
Modrá pětka
青の5人
J. B. Kamil (s.), Marko Čermák (k.)
J.B.カミル(作)、
マルコ・チェルマーク(画)
1989
ミロスラフ・シェーンベルクは幼少期からフランス語圏のコミックス(BD)を好んでいた。そのため彼の作品はフランスの作品から多くの影響を受けている。だが、彼のアートスタイルはカーヤ・サウデックからインスパイアされた部分も大きい。
Pirátův odkaz
海賊の遺産
Antonín Jelínek (s.),
Miroslav Schönberg (k.)
アントニーン・イェリーネック(作)、
ミロスラフ・シェーンベルク(画)
1990
子ども向けのコミックスは共産党政権下でも比較的自由に制作することができた。たとえば著名な『ありのフェルダ』の作者オンドジェイ・セコラは再び昆虫の世界にもどり「マルハナバチ・ブンブン」(1954-1956)を描いた。また、「ロボット・エミル」(1961)のようにSFというモチーフは児童向けコミックスにも浸透した。そこではさまざまなロボットたちがユーモラスな冒険を繰り広げるコミックスが人気を博した。
Čmelák Bzum
マルハナバチ・ブンブン
Ondřej Sekora (s. a k.)
オンドジェイ・セコラ(作・画)
1956
Robot Emil
ロボット・エミル
Jiří Melíšek (s.),
Jiří Winter - Neprakta (k.)
イジー・メリーシェク(作)、
イジー・ヴィンテル-ネプラクタ(画)
1961
脚本家スヴァトプルク・フルンチーシュとアーティスト、アドルフ・ボルンは20世紀後半のチェコ・コミックにおいてもっとも印象的なクリエイターコンビの一組である。彼らの手による、猫の父と子のユーモラスな冒険を描いたこの作品は子供向け月刊雑誌『スルニーチコ』(「おひさま」の意)の裏表紙で15年間連載されていた。
Cour a Courek
ツォウルとツォウレク
Jan Kloboučník,
Svatopluk Hrnčíř (s.),
Adolf Born (k.)
ヤン・クロボウチニーク、
スヴァトプルク・フルンチーシュ(作)、
アドルフ・ボルン(画)
1977,1979
「セクとズラ」はアメリカのコミックスによくあるファニーアニマルコミックスのバリエーションである。原始時代を舞台にしたこの作品は、そのチェコ独自のバリエーション展開のひとつである。
Sek a Zula セクとズラ
Miloslav Švandrlík (s.),
Jiří Winter-Neprakta (k.)
ミロスラフ・シュヴァンドゥルリーク(作)、
イジー・ヴィンテル-ネプラクタ(画)
1968, 2004(再録),2005(再録)
共産党政権下のチェコではディズニー作品は通俗的なものとして理解されていたが、チェコのコミックスアーティストの何人かは成功の度合いはさまざまでありつつも、ディズニー的なアプローチを試みている。
Tučňák Ping
ペンギンのピング
František Roleček (s. a k.)
フランチシェク・ロレチェク(作・画)
ともに1970
4人(匹)の動物が主人公である「チティジリーステック」の最大のライバルは、少し先立って連載開始された「ネコのヴァヴジネッツと仲間たち」だった。この作品の主人公も四人(匹)の動物たちである。
Kocour Vavřinec a jeho přátelé
ネコのヴァヴジネッツと仲間たち
Dagmar Lhotová, Zdeněk K. Slabý (s.),
Věra Faltová (k.)
ダグマル・ルホトヴァー、
ズデニェク・K・スラビー(作)、
ヴィェラ・ファルトヴァー(画)
1967
ヴィェラ・ファルトヴァーはチェコでもっとも著名な女性アーティストのひとりである。彼女の作品はファニーアニマルものが多いが、同時に子供たちの生活や冒険をユーモラスなタッチで描いた作品を数多く制作している。
Barbánek
バルバーネック
Jiří Havel (s.), Věra Faltová (k.)
イジー・ハヴェル(作)、
ヴィェラ・ファルトヴァー(画)
1984
犬と猫に加えてブタもファニーアニマルのジャンルではもっともメジャーな動物の一種である。例えば「三匹の子ブタ」(1982-1988)。このシリーズでは3頭の家畜の(擬人化された)ブタが不平屋の野生のイノシシと争う。アフリカや先史時代の動物たちも登場したりするし、さらには、オーストラリアの動物たちもチェコのコミックスには登場する。そのため「クロックとクロチェク」 (1988-1990)のように、カンガルーがメジャーなキャラクターなのは驚くべきことではないだろう。
Klok a Kloček
クロックとクロチェク
Jaroslav Boček (s.), Jaroslav Malák (k.)
ヤロスラフ・ボチェク (作)、
ヤロスラフ・マラーク (画)
1991
Tři prasátka
三匹の子ブタ
Karel Šebánek, Jaroslav Pacovský (s.),
Jaroslav Malák (k.)
カレル・シェバーネック、
ヤロスラフ・パツォフスキー (作)、
ヤロスラフ・マラーク(画)
1983
おそらく共産主義崩壊後もっとも成功したファニーアニマルコミックスは二匹のネズミを主人公とした冒険物語「アンチャとペピーク」だろう。この作品は2回ハードカバー単行本化され、TVアニメ化もされている。今期原画展示作家の子ども向けで成功した作品である。
Anča a Pepík
アンチャとペピーク
Lucie Lomová (s. a k.)
ルチエ・ロモヴァー (作・画)
1992,2017
この時期のもっとも傑出したチェコのコミックスアーティストであるカーヤ・サウデック(1935–2015)は、まずは趣味で創作し、自作をコピーして友人たちに配っていた。彼は独自の風刺をベースにした作風を磨き続けたが、東側陣営下の社会において、彼のアートスタイルはアメリカのコミックブックの影響を受け過ぎていた。そのため彼は1960年代後半までチェコスロヴァキア国内で正式に作品を出版することができなかった。1960年代末には政治状況も緩和されており、しばしばセクシーな女性の曲線美で大人の読者の目を楽しませる彼のコミックス作品が公式に出版を許されはじめた。当時の読者にとって西側のコミックスはなじみがないものだったため、それらの作品は斬新な驚きをもたらし、すぐに大きな人気を獲得した。だが当時、検閲が以前より厳しくなかったにもかかわらず、サウデックのコミックスはあまりに「アメリカ風」過ぎた。そのために彼の作品は完結を待たずに当局から出版を差し止められることになった。
SuperHana v zeleném pekle
スーパーハナ、緑の地獄で
Kája Saudek (s. a k.)
カーヤ・サウデック(作・画)
1966
カーヤ・サウデックは、映画脚本家ミロシュ・マツォウレク(1926–2002)と組んで、美しい女医ムリエルを主人公としたグラフィックノベルを制作した。この作品はジーン・クロード・フォレストのフランスのコミックス作品「バーバレラ」から影響を受けたもので、プロットは、1960年代の高揚した、しかしまだ純朴な文化状況を反映している。不幸にも作品完成前の1968年8月、チェコスロヴァキアはワルシャワ条約機構軍によって占領される。彼らはコミックスを通してこの状況に抵抗しようとした。ムリエルの第2作「ムリエルとオレンジ色の死」を、異星人による地球侵略の物語にすることで、作品を現在の出来事についてのアレゴリーに仕立てようとしたのである。このコンビは1969年に合計で200ページを超える二冊のアルバムを描きあげた。だが、クリエイターたちの様々な努力にもかかわらず、1989年の政変までチェコスロヴァキアでの出版が許されることはなかった。
Muriel a andělé
ムリエルと天使たち
Miloš Macourek (s.), Kája Saudek (k.)
ミロシュ・マツォウレク(作)、
カーヤ・サウデック (画)
2014年 (復刻版)
サウデックはこの作品で19世紀の大衆小説「リップス・トゥリアン」のパロディーのかたちをとることでなんとか「文化監督官」による検閲を出し抜こうとした。しかし週刊誌『ムラディー・スヴィェット』(「若い世界」の意)で連載が開始された1年後にはこれも発禁処分を受けている。
Lips Tullian
リップス・トゥリアン
Jaroslav Weigel (s.), Kája Saudek (k.)
ヤロスラフ・ヴァイグル(作)、
カーヤ・サウデック (画)
ともに1972
1980年代を通じてサウデックのコミックスは事実上、発行禁止処分状態だった。この状況が打破されはじめたのは、体制に政治的綻びが見えはじめた共産主義体制崩壊直前の時期である。
3× Kája Saudek
3×カーヤ・サウデック
Miloš Macourek,
Josef Nesvadba,Ondřej Neff (s.),
Kája Saudek (k.)
ミロシュ・マツォウレク、
ヨゼフ・ネスヴァドバ、
オンドジェイ・ネフ(作)、
カーヤ・サウデック(画)
1989
カーヤ・サウデックはさまざまな実力派ライターとともに仕事をしているが、人気作『リフレー・シーペ』の脚本家であるヤロスラフ・フォーグラルとも組んで仕事をしている。
Jeskyně Saturn
サターンの洞窟
Jaroslav Foglar (s.), Kája Saudek (k.)
ヤロスラフ・フォーグラル(作)、
カーヤ・サウデック(画)
1991
子供向けのコミックス雑誌『チティジリーステック』(四つ葉のクローバーの意)は1960年代末の政治的規制が緩んだ時期に創刊された。雑誌の設立者の一人であるコミックスアーティスト/イラストレーターのヤロスラフ・ニェメチェク(1944-)は幼いときレネー・クラパッチのコミックストリップに親しんでいた。また、のちに彼は海外旅行の際に出会った西ヨーロッパの児童向けコミックス雑誌からインスピレーションを与えられた。この雑誌のタイトルにもなっている作品「チティジリーステック」は4匹の動物の仲良しグループを描いたもの。主人公は擬人化された猫の男の子、犬の女の子、子ブタ、子ウサギという4人(匹、羽)の動物である。
Čtyřlístek č. 2
『チティジリーステック』2号
1991(復刻版)
Figurky protagonistů Čtyřlístku
チティジリーステック主人公たちの
フィギュア
2017
1970年代初頭、チェコスロヴァキアの政治情勢は厳しくなっていた。『チティジリーステック』誌は共産政権下において、月刊で発行できなかった。だが、不定期な刊行スケジュール(不規則に年9冊程度刊行された)ながら、同種の娯楽が他に存在しなかった当時のチェコスロヴァキアで愛された。
1989年以降、『チティジリーステック』誌は突然トムとジェリーや、ミッキー・マウスといった国外のキャラクターのコミックス雑誌との競合にさらされることになった。
『チティジリーステック』誌は共産主義から資本主義への社会の変化と諸問題をくぐり抜け、今日もっとも成功したチェコ語児童向けコミックス雑誌であり続けている。また、コミックス「チティジリーステック」シリーズは、1000話以上のエピソードが発表されており、チェコ・コミック史上最長のシリーズになっている。
Čtyřlístek č. 179
『チティジリーステック』通巻179号
1991
Čtyřlístek - prsťáčci
チティジリーステックの指人形
2017
通常の雑誌のラインに加え、『チティジリーステック』誌は毎年4から6冊の特別号や別冊、増刊を発行している。
Čtyřlístek Speciál
『チティジリーステック』特別号
#2, 1994
#3, 1995
無論、『チティジリーステック』誌は大規模なキャラクタービジネスと結びついている――スタンプ、カレンダー、Tシャツ、プラスティック製のフィギュアなど多くのキャラクター商品が販売されている。
známky se Čtyřlístkem - bločky
チティジリーステック切手 - シート
2010
Kalendář Čtyřlístek
チティジリーステック カレンダー
2014
Figurky protagonistů Čtyřlístku
チティジリーステック主人公たちのフィギュア
2017
Čtyřlístek - prsťáčci
チティジリーステックの指人形
2017
チティジリーステックの冒険物語群は、旧作と描きおろしを織り交ぜたアンソロジー版も出版されている。
Starodávné příběhy Čtyřlístku
『チティジリーステック古代記』
2017
Figurky protagonistů Čtyřlístku
チティジリーステック主人公たちの
フィギュア
2017