

コミックマーケットの源流
ファンのファンによるファンのための市場はいかに生まれたのか?
1970年代は、まんがファンが、自ら発信する場や媒体を獲得し始めた時代でした。同人誌を発行するサークルが多数出現し、商業流通の外に自分たちの市場を作りだしたのです。そしてその潮流の申し子が、1975年に誕生した「コミックマーケット」でした。
今や3日間でのべ約56万人を集める、世界最大規模の同人誌即売会へと発展したコミックマーケットは、当時、いかに生み出されたのか。
この企画展示コーナーでは、コミックマーケット準備会初代代表、霜月たかなか氏の監修協力をもとに、初期コミックマーケットの姿を浮かび上がらせます。
謝辞
展示にあたりご助言、ご協力いただいた関係者の方々に深く感謝の意を表します。
京都国際マンガミュージアム
コミックマーケット準備会
コミティア実行委員会
作画グループ
昭和漫画館青虫
伊能正明
門倉純一
小谷真理
真田幸治
式城京太郎
想田 四
巽 孝之
山本孝一
米澤英子
他、多くの方々にご協力いただきました。
(敬称略・五十音順)
1.「日本漫画大会」まで
(1960年代末-70年代初め)
1967年に創刊された『COM』は、1947年創刊の『漫画少年』のように、新人まんが家の発掘と育成に力を注いだ。その一環として「ぐら・こん」の名の下、全国の漫画研究会と創作同人の組織化が試みられ、日本初のまんがファン(描き手)による全国ネットワークの形成に着手。
やや遅れて、1962年から続く「日本SF大会」のまんが版ともいうべき「日本漫画大会」も第1回(1972年)が開催され、読者にすぎなかったまんがファン(受け手)が、みずからの力でコンベンションを立ち上げていた。
このようにしてファン同士が交流し、集う「場」が作られていく中で、過去に例 のない“まんが同人誌即売会”成立の条件が整っていった。

《展示品》
第1回 日本漫画大会 御案内
漫画大会運営委員会,1972,個人蔵
『漫画少年』
『漫画少年』は戦前の月刊誌『少年倶楽部』(講談社)編集長だった加藤 謙一が立ち上げた学童社から、1947年に創刊された児童漫画月刊誌。
戦後の漫画雑誌の原型的な雑誌であり、特にまんが投稿欄からは石ノ森章 太郎、赤塚不二夫ら多くの新人作家だけでなく筒井康隆、横尾忠則など、 のちにまんが以外で名を成す人物を多く輩出したことでも知られている。
学童社内の「日本児童漫画研究会」は『漫画少年』の投稿者の会で、会報 『漫画研究』を発行した。

《展示品》
「漫画少年 復刻版 全7巻」
(国書刊行会,1983,個人蔵)
「漫画研究」
(日本児童漫画研究会,1954)
『COM』(ぐら・こん)
1967年に虫プロ商事から創刊された『COM』は「まんがエリートのためのまんが専門誌」を標榜し、当時のまんがマニアを中心とする青年層に愛読された。
各号の巻末には情報ページ「ぐら・こん (GRAND COMPANION)」が設けられ、新人発掘のためのまんが投稿作品を募る一方、まんが同人誌の紹介などを通して全国に点在するまんがファンを結び付けた。
1968 年の別冊付録「ぐら・こん」には新人作家たちによる成果が、プロ作家の作品と共に掲載されている。

《展示品》
「COM 1967年3月号」
「COM 1968年4月号」
「COM 1969年11月号」
「COM 1971年5月号」
「COM 1973年8月号」
「ぐらこん2(「COM」1968年6月号ふろく)」
「ぐらこん3(「COM」1968年7月号ふろく)」
「ぐらこん4(「COM」1968年8月号ふろく)」
「ぐらこん5(「COM」1968年9月号ふろく)」
「ぐらこん6(「COM」1968年10月号ふろく)」
「ぐらこん7(「COM」1968年11月号ふろく)」
「ぐらこん8(「COM」1968年12月号ふろく)」
(虫プロ商事)
「ぐら・こん」参加漫画研究会
投稿まんが作品の採点と読者向け情報を柱としていた「ぐら・こん」であったが、1967年3月号以降、『COM』から読者に呼びかけ、全国のまんが同人 (まんが家予備軍)の組織化を開始する。
それに応じて参加した漫画研究会や個人作家たちによって九州、関西、北海道など地方ごとに「ぐら・こん」支部が作られた。
各大学の漫画研究会のほか「作画グループ」、「アズ漫画研究会」、「奇人クラブ」など、当時の主要なまんがサークルの多くがこの「ぐら・こん」に参加している。

《展示品》
「アイ 創刊号」
岡田史子 和田彰信 木村満男 他 [編集]奇人クラブ [編集責任]岡田史子
(東考社,1968,個人蔵)
「アイ 第2号 フローリアの恋」
和田彰信 村岡栄一 八瀬晴江 他 [編集]奇人クラブ [編集責任]岡田史子
(東考社,1969,個人蔵)
「あず 30」
(アズ漫画研究会,1997,個人蔵)
「あず漫画研究会 40周年記念展 パンフレット」
(あず漫画研究会40周年記念展実行委員会,2006,個人蔵)
「ぐるーぷ 1」
五反田啓二 みなもと太郎 聖悠紀 他 [編集]ばばよしあき
(作画グループandぐら・こん関西支部,1968,個人蔵)
「ユニオン 5」
(作画グループ,1976)
「なかま 35」
(作画グループ,1979)
「なかま 44」
(作画グループ,1983)
「ぐら・こん」以後のミニコミや同人誌など(1)
『COM』の編集方針の転換、さらに1972年の同誌休刊によって「ぐら・こん」は解体を余儀なくされる。
この時期に「ぐら・こん」 会誌として構想されたのが『マンガジュマン』で、担当編集者が『COM』休刊後に、「ぐら・こん」支部員と共にガリ版刷りで創刊 (1972年)。第3号まで発行された。
また『あっぷる・こあ』は『マンガジュマン』にも参加した元「ぐら・こん」関西支 部メンバーにより、1973年から1975年まで刊行されたミニコミまんが誌。

《展示品》
「マンガジュマン」
(マンガジュマン編集部,1972,個人蔵)
「マンガジュマン NO.1 春の号」
(マンガジュマン編集部,1972,個人蔵)
「マンガジュマン NO.2 夏の号」
(マンガジュマン編集部,1972,個人蔵)
「マンガジュマン NO.3 秋の号」
(マンガジュマン編集部,1972,個人蔵)
「季刊 空飛ぶまんが あっぷるこあ 第1号」
(あっぷる新社,1972,個人蔵)
「季刊 チャンネルゼロ 創刊号」
どんぐり 田辺香 いしいひさいち 他
(チャンネルゼロ工房,1975,個人蔵)
「季刊 空飛ぶまんが あっぷるこあ 第5号」
(あっぷる新社 アイマンガ企画,1975,個人蔵)
「情報機関誌 GRAND・COMPANION 創刊号」
(新生ぐらこん編集局,1975,個人蔵)
「情報機関誌 GRAND・COMPANION 第2号」
(新生ぐらこん編集局,1975,個人蔵)
「ぐら・こん」以後のミニコミや同人誌など(2)
1970年代には商業誌と同等の体裁を整えた創作同人誌も登場し、1972 年には勝川克志が参加した東京の「跋折羅社」がミニコミ誌『跋折羅』を創刊。学生運動の流れの中でまんがの在り方を模索した。
また大阪で結成された「チャンネルゼロ工房」は1975年に季刊創作同人誌『チャンネルゼロ』を創刊し、株式会社化して、いしいひさいちや川崎ゆきおの単行本を出版した後、季刊まんが雑誌『まんがゴールデンスーパーデラックス(漫金超)』を5号まで発行している。

《展示品》
「あんぐらああと VOL.2」
(あんぐらああと編集部,1970,個人蔵)
「まんがコミュニケーション No.1」
(現代子どもセンター(KK子ども調査研究所企画部)
「まんがコミュニケーション」
(編集室,1971,個人蔵)
「まんがコミュニケーション No.2」
(まんがコミュニケーション編集室,1971,個人蔵)
「跋折羅 NO.2」
勝川克志 朋杳二 片桐慎治 他
(跋折羅社,1972,個人蔵)
「跋折羅 NO.3」
秋山真砂 勝川克志 眞読久詩 他
(跋折羅社,1973,個人蔵)
「跋折羅 NO.4」
秋山真砂 片桐慎二 勝川克志 他
(跋折羅社,1974,個人蔵)
日本SF大会(1)
SFコンベンションはSFファン同士の交流を目的とした欧米のイベントで、SF小説が最初に流行した1930年代から開かれている。コスプレなども行われる一種の祭典。
「日本SF大会」はこれら欧米のコンベンションをモデルにして、1962年に東京で初開催。以後、毎年行われている。現在は全国のSFファングループの連絡組織である「日本SF ファングループ連合会議」の承認を受け、立候補した主催グループがその地元で開催するのが恒例となっている。

《展示品》
「宇宙塵 1957年5月号 創刊号 復刻版」
(宇宙塵,1992,個人蔵)
「KYUKONプログラム号 てんたくるす No.56」
(九州SFクラブ,1969,個人蔵)
「KYUKONレポート号 てんたくるす VOL.4 No.9」
(九州SFクラブ,1969,個人蔵)
「TENTACLES DEC, 1970 No.72」
(松崎真治,1970,個人蔵)
「ファンダムニュース 第1号」
(日本SFファングループ連合会,1972,個人蔵)
「MIYACON 第13回日本SF大会 プログラム」
(MIYACON実行委員会,1974,個人蔵)
「HINCON 第16回SF大会 プログラムブック」
(HINCON実行委員会,1977,個人蔵)
「SF大会写真 7点(パネル)」
(個人蔵)
日本SF大会(2)

《展示品》
「MEICON 第5回日本SF大会プログラム」
(中部日本SF同好会ミュータンツクラブ,1966)
「SFストーリィ 創刊号」眉村卓 他
(SFストーリィ編集室,1971)
「SFフェスティバル'71 プログラムブック」
「EDOCONパンチ SFフェスティバル'74 公式プログラムブック」
(SFフェスティバル実行委員会,1971-1974)
「ファンダムニュース 第3号」
(日本SFファングループ連合会,1972)
「黎明 第二号」
(ADO,1972)
「科学魔界 No.35」
(SF・SOCIETY THE・HUMANOIDS,1974)
「BAMU 16」
(BAMU,1975)
「SFクリスマス イン トウキョウ '74」
(第5回SFクリスマス実行委員会,1975)
「SF大会写真 7点(パネル)」
以上、すべて個人蔵
日本漫画大会(1)
「日本漫画大会」は、「漫画グループ連合 漫画大会運営委員会」の主催により1972年に開始された。以後毎年夏に開かれ、第10回まで継続。プロ作家を招いてのパネルディスカッション、人気作品へのファン賞授与、合宿などが行われ、ファンが自主開催する初のまんがコンベンションとなった。
1974年の第4回大会では、参加申込者の一人が主催者側から参加を拒否される事件が起き、このことが「自由な集いの場」を目的とする「コミックマ ーケット」設立のきっかけとなった。

《展示品》
「第1回 日本漫画大会 プログラムブック」
(漫画大会運営委員会,1972,個人蔵)
「第一回 日本漫画大会 公式レポート」
(漫画大会運営委員会,1973,個人蔵)
「漫画大会参加証 第1回」
(個人蔵)
「第2回 日本漫画大会 プログラムブック」
(漫画グループ連合大会委員会,1973,個人蔵)
「漫画大会参加証 第2回」
(個人蔵)
「第3回 日本漫画大会 プログラムブック」
(第3回日本漫画大会運営委員会,1974,個人蔵)
「第三回 日本漫画大会 御案内」
(不明,1974,個人蔵)
「漫画大会参加証 第3回」
(個人蔵)
「あるふぁ No.7,号数不明」
(コミックA(エース),1972,個人蔵)
日本漫画大会(2)

《展示品》
「第三回日本漫画大会写真 (パネル)」
(個人蔵)
「第4回 日本漫画大会 プログラムブック」
(第四回日本漫画大会運営委員会,1975,個人蔵)
「漫画大会参加証 第4回」
(個人蔵)
「第5回 日本漫画大会 プログラム」
(第五回日本漫画大会運営委員会,1976,個人蔵)
「第5回 日本漫画大会 御案内」
(第五回日本漫画大会運営委員会,1976,個人蔵)
「第五回漫画大会レポート」
(漫画大会を告発する会,1976,個人蔵)
「漫画世代」
(漫画グループ連合,1975,個人蔵)
「漫画世代」
(漫画グループ連合,1979,個人蔵)
「漫画大会に異議あり! NO.2」
(月刊S・T 迷宮'75 CPS 旧MJ マンガジャーナル,1975,個人蔵)
2.「迷宮」結成のころ
(1973-75ごろ)
萩尾望都ファンクラブを母体として、1973年に結成された東京のまんが評論サークル、「CPS(コミック・プランニング・サービス)」の原田央男(霜月たかなか)と、同年に創刊された大阪の評論同人誌『まんがジャーナル』 (2号は『漫画ジャーナル』)の亜庭じゅん・高宮成河。そして「明治大学SF研究会」に所属していた米沢嘉博らにより、1975年にまんが評論サークル「迷宮」が東京で結成された。「迷宮」コピー同人誌「漫画新批評体系」を発行する一方、その理念に沿ってまんがファンが創造的に交流する「場」の構築を模索。そこから“まんが同人誌即売会”が構想され、「迷宮」運営(初期のみ)のコミックマーケットが誕生した。
萩尾望都・竹宮恵子(現・惠子)人気 を中心とする少女まんがブームと、「宇宙戦艦ヤマト」のヒットを起爆材とするアニメブームによって、まんが・アニメのファンが激増した1970年代。それらのファンクラブが数多く作られたほか、今も活動が続く「楽書館」が1973年に結成されるなど、『COM』や『ガロ』の影響で創作サークルの誕生にも拍車がかかった。
ほかにも『漫画新批評大系』を始めとする評論同人誌や作品の資料集などが、できたばかりのコミックマーケットを通してファンの手に渡るようになる。その背景には青焼きコピー機の普及により、同人誌製作が簡単になったことが挙げられる。こうして百花繚乱の同人誌の時代が、幕を開けることになった。

《展示品》
「漫画新批評大系 VOL.1 創刊号」
(迷宮'75,1975,個人蔵)

《展示品》
「月刊 楽書館 4月号 NO.31」
(楽書館,1976)
「月刊 楽書館 NO.55」
(楽書館「e!」工房,1978,個人蔵)
手塚治虫、石ノ森章太郎ファンクラブおよび『まんがのむし』
手塚治虫のファンクラブは1979年に公式のものが発足し、その会誌が『手塚ファン magazine』。また「手塚治虫ファンクラブ京都」は『ヒョウタンツギタイムス』で、独自に手塚作品の復刻を行った。
ファンクラブ中最古参であり今も続く「石森章太郎ファンクラブ」(1968年、現・石ノ森)も、会誌『風のたより』を発行している。
「全日本マンガファン連合」はコレクターによる情報交換の場として発足したまんがファンクラブで、会誌『まんがのむし』を発行した。

《展示品》
「ミュータント・サブ」
(石森章太郎ファンクラブ,1970)
「まんがのむし 2号 72年」
(全日本マンガファン連合書記局,1972,個人蔵)
「風のたより 1月号」
(石森章太郎ファンクラブ,1972)
「漫画新選組 創刊号」
(戦後少年少女漫画雑誌研究倶楽部,1973,個人蔵)
「まんがのむし 1号 74年」
(全日本マンガファン連合書記局,1974,個人蔵)
「March Fool NO.3」
(マーチハウスエンタープライズ,1976,個人蔵)
「手塚治虫ファンmagazine 1980年1月号,1981年2月号,8月号」
(手塚治虫ファンクラブ,個人蔵)
「ヒョウタンツムギタイムス 第29号」
(手塚治虫ファンクラブ京都,1990)
萩尾望都・竹宮恵子ファンクラブ
昭和24年前後に生まれた少女まんが家たちを総称する「花の24年組」 のなかでも、萩尾望都と竹宮恵子(現・恵子)は少女まんがを大きく変革。1970年代に男性も含めた多くの読者から支持され、ファンクラブも多く作られた。
会誌も竹宮恵子公認ファンクラブ発行の『さん・るーむ』を筆頭に、『バタのおはなし』(萩尾望都竹宮恵子ファンクラブ)、『モトのとも』(モトのとも)、『三月兎通信』(三月兎集団)、『メルヘン』(メはメルヘンのメ)などが発行されている。

《展示品》
「さん・るーむ 創刊号」
(竹宮恵子後援会,1972,個人蔵)
「さんるーむ 第3号」
(竹宮恵子後援会,1976)
「さんるーむ 第7号」
(竹宮恵子後援会,1977)
「むらさきまこのページ」
(個人蔵)
「バタのおはなし 第1号」
(もーさまケーコタンファンクラブ,1972,個人蔵)
「別冊モトのとも」
(萩尾望都ファン連絡機関,1973,個人蔵)
「三月兎通信 7月特大号 通巻9号」
(三月兎集団,1974,個人蔵)
「萩尾作品リスト No.1 1969-1973,8」
(メはメルヘンのメ,個人蔵)
SF研究会
大学のSF 研究会は60年代後半から70年代前半にかけて全国で次々と発足し、「コミックマーケット」が初開催される75年には既に30以上の大学にSF研が存在。創作、翻訳、評論を中心とする会誌を発行していた。
76年に関東の大学 SF研を組織する「関東大学SF研究会連絡会議」(通 称:関大連、最盛期は22団体が参加)、翌77年には関西の大学SF研を組織する関西学生SF研究会連盟(通称:関連、最盛期は9団体)などの団体が発足し、80年代中盤まで大学SF研の活発な動きを支えた。

《展示品》
「GORI 3,5」
(明治大学SF研,1975)
「SF漫画考」
(明治大学SF研究会和泉支部編集局,1975,個人蔵)
「アステロイド 8」
(ワセダ・ミステリ・クラブ,1976)
「SF図書大系」
(明治大学SF研究会和泉支部,1977,個人蔵)
「天狼 第4号」
(慶応義塾大学SF研究会日吉支部,1978)
「ALEPH ZERO vol.2 No.3」
(広島大学SF研究会)
「COSMOS 8」
(お茶の水女子SF研究会)
「Divergence・1」
(東北大学SF研)
「MAXIMUM VOL.6」
(埼玉大学SF研究会)
「Oookayama SF vol.2 ちゃわん虫」
(東京工業大学SF研究会)
「Oookayama SF vol.4」
(東京工業大学SF研究会)
「アステロイド 10」
(ワセダ・ミステリ・クラブ)
「メトセトラ 6」
(一橋大学SF研究会)
学漫
「学生漫画研究会」略して「学漫」は、風刺漫画やーコマまんが作家志望者が集った大学のまんが研究会に端を発し、1960-70年代にストーリーまん がも扱う現在のような大学まんが同好会に変わっていった。長い歴史をもつ学漫も多くあり、また学漫同士の交流も伝統的に行われている。今では中学や高校の漫研やその会誌も含めて「学漫」と呼ばれることも。
学校所有の印刷機を使えることから早期からオフセット同人誌が製作され、学園祭などで配布・販売されたりしている。

《展示品》
「白い紙と黒い墨汁 VoL.1,VoL.2」
宗岡泉 伊東ミナ子 原田央男 三東宗一郎 指宿邦彦 他」(和光大学まんが研究会 まんぐわ,1972-1973,個人蔵)
「MORE VOL.5」
斉藤倫男 くぼたてるお いしかわじゅん 他
(明治大学漫画研究会,1973,個人蔵)
「早稲田漫(赤三角改題) 第2巻(通算.8巻)」
ひめひめの ごみ・としお 中川正 他
(早稲田大学漫画研究会,1973,個人蔵)
「Ed NO.1」
斉藤かほり 山形彰吾 他
(EDアマチュアプロダクション,1976,個人蔵)
「黒煮込 第2号」
祟陽兵衛 くりのみみる いたはししゅうほう 他
(京都芸術大学美術学部漫画研究同好会,1976,個人蔵)
迷宮(1)(2)
このケースと左のケース(R010)には、コミックマーケットを創設したまんが評論サークル「迷宮」関係の資料を収めている。「迷宮」発行の同人誌のほか、 サークル立ち上げ時の相談内容を記入したメモ、活動を日記ふうに大福帳 に書き留めた『迷宮閻魔帳』・・・・・・など。
写真は初期の「コミックマーケット」開催時に記念に撮られたもので、「迷宮」 メンバーとその関係者たちが写っている。

《展示品》
「迷宮会議メモ 4点(目次案・サークル名案)」
(個人蔵)
「迷宮閻魔帳 迷宮'76を記述する試み」
(個人蔵)
「迷宮写真(パネル)」

《展示品》
「漫画新批評大系 vol.0 創刊準備号」
(迷宮'75,1975)
「漫画新批評大系 3・4合併号」
(迷宮'76,1976)
「漫画新批評大系 4・5合併号」
(迷宮'76,1976)
「漫画新批評大系叢書 vol.1 萩尾望都に愛をこめて」
(迷宮'76,1976)
「漫画新批評大系叢書 vol.2 ときめき」
(迷宮'77,1977)
「漫画新批評大系別冊 迷宮通信 No.2」
(迷宮'78,1978)
ダイナビジョン
1972年、「ゴルゴ13」のまんがのコマを着色、撮影し、音声をつけたアニメがテレビ放映。「ダイナビジョン」と名付けられたこの手法にインスパイアされた数尾望都ファン有志の発案で、1973年に「11月のギムナジウム」のダイナビジョン化が開始された。撮影は8ミリカメラで行われ、翌1974年に45分の音声付きフィルムとなって完成。以後、公会堂や高校・大学の学園 祭などで無料上映会が行われ、当時の萩尾作品の人気をファンの側から裏付ける形となった。

《展示品》
「ファンダム・マガジン 0号」
(CPS内MJ企画部,1973,個人蔵)
「ギムナジウム裏話ルポ」
(ばらとりんち,1974,個人蔵)
「ダイナビジョン「11月のギムナジウム」上映会リーフレット」
(MJ,1974,個人蔵)
「ばらとりんち 第4号」
(ばらとりんち,1974,個人蔵)
「MAXIMUM VOL.4 萩尾望都特集」
(埼玉大学SF研究会,1975,個人蔵)
「「エグドン・ヒース」台本」
(和光大学,1977,個人蔵)
「「エグドン・ヒース」プログラムパンフレット 青版」
「「エグドン・ヒース」プログラムパンフレット 赤版」
(和光大学,1977,個人蔵)
「ちくわみかん vol.3, vol.4」
(どぎゃん会,1977,個人蔵)
アニメファンクラブ
1970年代に若者がファンとなって盛り上がったアニメ人気は、劇場版「宇宙戦艦ヤマト」 (1977年)のヒットにより大ブームに。ファンクラブも「宇宙戦艦ヤマト」を中心に数多く作られ、初期コミックマーケットの主要ジャンルの一つとなった。それら同人誌の内容も活動を反映して、作品ごとにファンの交流の場を提供したり、製作スタッフや声優など作り手の後援会的な性格をもっていたり、作品製作用の資料を編集したりと様々なものがある。

《展示品》
「FILM 1/24 16&17合併号」
(アニドウ,1977,個人蔵)
「エスカリブ 創刊号」
(アニメディア,1977,個人蔵)
「季刊 ファントーシュ 第6号」
(ファントーシュ編集室,1977)
「試衛館 創刊号 特集ルパン三世」
(新撰組,1977,個人蔵)
「Battle Jet 第10号」
(アニメ研究会フェードイン,1978,個人蔵)
「CONDOR VOL.9」
(JOE FAN CLUB,1978,個人蔵)
「月刊アニメロイド 20号・最終号」
(アニメロイド,1978,個人蔵)
「GUNSIGHT PHASE 1」
(機動戦士ガンダムFC,1979,個人蔵)
「海のトリトン後援会会誌 NO.13」
(海のトリトン後援会,1979,個人蔵)
「試衛館 第五号 特集森康二の世界」
(新撰組,1979,個人蔵)
「「ルパン三世」 VOL.1」
(スタジオ・ルパン三世とその一味+1,1980,個人蔵)
「迷宮」のルーツとなった同人誌
「迷宮」結成の前、メンバーの原田央男(霜月たかなか)は東京でまんが評論サークル「CPS(コミック・プランニング・サービス)」を仲間と立ち上げ、 1973年にガリ版刷りの『いちゃもん』を発行。同じく「迷宮」メンバーの亜庭じゅんと高宮成河は、大阪で青焼きコピーのまんが評論同人誌『まんがジャーナル』(2号は『漫画ジャーナル』)を同時期に発行していた。

《展示品》
「まんがジャーナル 創刊号(コピー)」
(どくろ仮面社,1973,個人蔵)
「漫画ジャーナル Vol.2」
村上智彦 高宮成河 他
(どくろ仮面社,1974,個人蔵)
「いちゃもん 創刊号」
(CPS内アラーの支社,1973,個人蔵)
「この手のマンガシリーズ 愛はバラ色」
(CPS内アラーの支社,1973,個人蔵)
「いちゃもん 第2号」
(CPS内アラーの支社,1974,個人蔵)
「この手のマンガシリーズ 恐怖新聞 日曜版」
(CPS内アラーの支社,1974,個人蔵)
「いちゃもん 第3号」
(CPS内アラーの支社,1975,個人蔵)
「75全国漫研不完全リスト」
(CPS内アラーの支社,1975,個人蔵)
評論・情報系同人誌
1960年代後半から劇画ブームが起こり、青年から大人までがまんがを読むようになっていったのに合わせて、1967年には日本初のまんが評論同人誌『漫画主義』が創刊された。
それまでは子供限定と思われていたまんがの批評・研究が盛んになり、まんが家論、作品論などを載せた評論専門誌や、散逸しがちなまんが関係の データをまとめた情報誌などがミニコミブームを背景に誕生。コミックマーケット初期には少ないながら、それらの同人誌が1ジャンルを形作っていた。

《展示品》
「漫画主義 No.5」
(漫画主義発行所,1968,個人蔵)
「MOB No.1」
(MOB出版,1975,個人蔵)
「別冊MOB1 「岡元敦子特集」」
(MOB企画海賊出版部,1976,個人蔵)
「if Special '77 12月号」
(グループIF,1977,個人蔵)
「別冊エカルテ NO.1 11人いてはるわ!総集編」
(ユニヨン・エカルテ,1977,個人蔵)
「CAPRICE VOL-2」
(アネックス・オブ・アネックス,1978,個人蔵)
「週刊セブンティーンインデックス 創刊号-74年12月」
(発行元不明,1978)
「TUCS 1979 spring」
(東大まんがくらぶ,1979)
「弾道 創刊準備号」
(跋折羅社,1979,個人蔵)
「螺旋 創刊号」
かつかわかつし 片桐慎治 林文康 他
(東考社,1980,個人蔵)
3. 「コミックマーケット」誕生以降
(1975年以降)
1975年12月21日、第1回「コミックマーケット」が東京・虎ノ門の日本消防会館で開催された。プロ作家とファンの交流を中心に据えたまんがコンベンションとは一線を画し、同人誌の売買を通して、まんがファン同士が交流する画期的なイベントであった。
1回目は一般参加者700人というささやかなものだったが、コミックマーケッ卜準備会初代代表を務めた原田央男が第12回で引退した後、2代目代表となった米沢嘉博の元で、参加者 50 万人にまで規模を拡大。2006 年に米沢が他界した後は、3名の共同代表に引き継がれた。現在でも世界最大規模の同人誌即売会として、東京ビッグサイトを全館借り切り、毎年夏と冬に3日間ずつ開かれている。

《展示品》
「COMIC MARKETチラシ」
(コミケット準備委員会,1975)
即売会(コミックマーケット以外)
「コミックマーケット」の定着と共に、同人誌即売会が次々誕生。1976-7年 には同人サークル「東京文芸」主催の「同人誌ミニコミフェア」が東京で、1978年には「グループドガ」中心の「コミカ1」が名古屋で開催された。また 1976年の出版社主催イベント「まんがカーニバル」では、コミックマーケットと名付けた同人誌即売コーナーが設けられている。
80年代にはさらに数を増して、現在では毎週のように大小様々、多彩な内容の同人誌即売会が各地で開催されている。

《展示品》
「COMICA1REPORT パンフレット」
(1978)
「第3回 同人誌ミニコミフェア」
(東京文芸出版部,1978?(発行年不明))
「COMIC FAIR・2」
(ミニコミ・フェスティバル実行委員会,1979,個人蔵)
「COMICA REPORT VOL.3 ガイドブック」
(1979)
「MGM 8 メモリー」
(MGM,1982,個人蔵)
「コミカ1リスト」
コミケット前夜
1975年春、東京の「CPS」と大阪の「まんがジャーナル」の接近により、マンガ批評サークル「迷宮'75」が結成される。その「迷宮'75」が主体となって 「コミックマーケット」は誕生した。プロを呼んでのショー形式で開催されてい た「日本漫画大会」のようなイベントとは異なり、同人誌即売を中心に据え、ダイナビジョン上映、古本即売等、併設のイベントも用意した。

《展示品》
「月刊ぴあ 12月号」
(ぴあ,1975,個人蔵)
「第四回日本漫画大会 (秘)公式レポート」
(漫画大会を告発する会,1976,個人蔵)
「第1回コミックマーケットアンケート用紙」
(個人蔵)
「まんが大会に異議あり」
(個人蔵)
「漫画大会を告発する会 原稿」
(個人蔵)
『コミックマーケットレポート』
ファンジン・フェアとしての「場」の存続を目指し後につなげるべく、「第1回コミケット」の総括として最初のコミックマーケットレポートは制作された。以後、 開催の度にその総括としてレポートは書き継がれることになった。

《展示品》
「第1回 コミック=マーケット <WINTER> レポート (VOL-1)」
(コミケット準備委員会,1976,個人蔵)
「第2回 コミック=マーケット レポート (VOL-2)」
(コミケット準備会,1976,個人蔵)
「コミック=マーケット・2 レポート (VOL.3)」
(コミケット準備会,1976,個人蔵)
「コミック=マーケット・4 レポート (VOL.4)」
(コミケット準備会,1977,個人蔵)
「コミック=マーケット・5 レポート (VOL.5)」
(コミケット準備会,1977,個人蔵)
「コミック・マーケット6 レポート (vol.6)」
(コミケット準備会,1977,個人蔵)
「コミック・マーケット7 レポート (VOL.7)」
(コミケット準備会,1978,個人蔵)
「コミック・マーケット10 レポート (VOL.10)」
(コミケット準備会,1979,個人蔵)
会場
サークル数と参加者が増えるにしたがい、より大きな会場を求めて、会場を渡り歩いた。
1.虎ノ門日本消防会館ホール(C1)
2.板橋産業連合会館(C2~4)
3.大田区産業会館(C5~8、C10~11)
4.四谷公会堂(SP・C9・一橋祭)
5.都立産業会館台東館(C12~13)
6.川崎市民プラザ(C14~17)
7.横浜産業貿易ホール(C18)
8.晴海国際見本市会場(C19~30)

《展示品》
「コミックマーケット会場(虎ノ門消防会館~晴海国際見本市会場)写真 8点(パネル)」
(個人蔵)
サークル配置図
C4までは当日のくじ引きで配置を決定していたため、C5より配置図を作成するようになった。C5では手描きした配置図を青焼きコピーして参加者に配布した。大田区産業会館で開催されたC13まではサークルを一覧できる配置図だったが、川崎市民プラザ以降、配置番号が導入されるようになった。

《展示品》
「コミックマーケット サークル配置図 第5回,第8回,第11回,第12回,第14回,第15回,第18回,第19回,第20回」
(コミケット準備会,個人蔵)
コミケット年鑑(COMIC MARKET年鑑)
「コミックマーケット」の開催履歴を資料として残す目的で『コミケット年鑑』が発行された。
第1回~11回までをまとめたものが最初で、参加者へのアンケート調査結果、過去の開催概要、参加サークルリストで構成されている。
その後、第12回~14回までをまとめた年鑑、第15回~19回までをまとめた年鑑が作成された。

《展示品》
「コミックマーケット年鑑 第1回-11回」
(コミケット準備会,個人蔵)
「コミケット年鑑 Vol.3 12-14」
(コミケット準備会,個人蔵)
「コミケット年鑑 15-19」
(コミケット準備会,個人蔵)
「コミケット・レポート号外版(COMIKET年鑑'78刊行のお知らせ)」
(コミケット準備会,個人蔵)
「コミックマーケット マニュアル1」
(コミケット準備会,個人蔵)
番外イベント
夜ケットは C6(大田区産業会館)の併設イベントであり浅草木馬館で開催された合宿企画。夜の10時から午前3時まで、ダイナビジョン上映、サークルの自己紹介、同人活動を考えるティーチ・インなどが行われた。最初のコミケットスペシャルは1978年に赤字救済の目的で開催され、大ホールでのイベントをメインとし、なつまん部屋、自主上映部屋、即売部屋の3部屋も用意された。同年、一橋大学の一橋祭とタイアップするかたちで「コミックマーケットIN 一橋祭」も開催されている。

《展示品》
「夜ケット 1st 案内」
(コミケット準備会,個人蔵)
「コミックマーケット in 一橋祭」
(コミケット準備会,個人蔵)
「コミケット'78 SPECIAL 進行表」
(コミケット準備会,1978,個人蔵)
「コミケット'78 SPECIAL タイムスケジュール」
(コミケット準備会,1978,個人蔵)
「コミケット'78 SPECIAL プログラムパンフレット」
(コミケット準備会,1978,個人蔵)
◆中央・覗き込みケース展示


同人誌と印刷
マンガ同人誌はその性質上、図版の複製技術の普及と進歩に伴って発展してきた。
最初期の同人誌は印刷による複製を前提としない、生原稿そのものを製本した「肉筆回覧誌」であり、マンガ原稿を複製可能にする技術の進歩や経済的な環境の変化によって、それらが個人レベルで利用可能になったことで、同人誌は複数の人間に対して本そのものが領布可能な出版物となった。
印刷同人誌でまず最初に試みられたのは、鉄筆と原紙を使って印刷用の版そのものを手作りする「ガリ版(謄写版)」による同人誌の作成だった。このやり方は版の作成、刷りのすべてを手作業でおこなうため非常に手間がかかり、版の作成者の技術によって元図版の再現性も左右される。マンガの複製手段としては適切なものではないと、言わざるを得ないだろう。
以後、マンガの同人誌がアマチュアレベルで盛んに作られるようになるため には、元図版をそのまま複写できるコピー機の普及を待たねばならなかった。 それも70年代半ばまでは感光紙に複写する「青焼き(ジアゾ式)コピー」が 主流であり、コンビニや文具店などで、それまで高コストだった普通紙コピーが気軽に利用できるようになるのは1980年代以降のことである。
さらに1970年代以降、「軽オフセット印刷」が普及したことによって、個人やサークルレベルでの印刷業者への発注に対する敷居が低くなり、1970年 代末頃からオフセット印刷による同人誌が増加していく。1980年代以降は同人誌を専門に扱う印刷業者も登場し、現在ではこのオフセット印刷による同人誌がマンガ同人誌の中心となっている。
《展示品》
T001-1
肉筆同人誌『SSM 185』
(作画グループ/1985)
T001-2
ガリ版刷り同人誌『CRAFT-MAGAZINE MOB No.5』
(MOB 出版/1976)
T001-3
ガリ版用原紙・鉄筆・ローラー
T001-4
青焼きコピー誌『"METROPOLIS "MAGNIFICENT SEVEN"』
(手塚治虫ファンクラブ"東京"/発行年不明)
T001-5
普通紙コピー同人誌『天津甘栗』
(丹下拳闘倶楽部/1998)
T001-6
オフセット印刷同人誌『ルイス=ドッジソンの日記から ぼくだけのへや』
(みなもと太郎/2004)
◆壁展示
第3回コミックマーケット配置図
第3回コミックマーケットは、1976年7月25日に板橋産業連合会館3階 ホールにて開催された。参加サークルは56サークル、推定参加者は500名であった。
まだ現在のように事前にスペース番号をふる形式ではなく、当日抽選で決められた配置図を模造紙に清書し、掲示していた。
手書きの配置図はすべて廃棄されたと考えられていたのだが、当時のスタッフによって持ち帰り保管されていた貴重な1枚が、今回の展示にあわせて見つけだされた。イベント時に掲示されて以来、初めての掲示となる。


◆モニター

映像展示『COM』座談会
コミックマーケットが誕生した1970年代、商業まんがに依存するしかなかった当時のまんがファンに自立をうながした雑誌として、虫プロ商事発行の『COM』があった。まんがと主体的に関わるアマチュア作家と読者を生み出 したことによって、『COM』はコミックマーケットの成立を間接的に後押ししたともいえる。
2009年にはそんな『COM』を振り返るイベントとして、「伝説のマンガ月刊誌『COM』を語る」が京都国際マンガミュージアムで開催。
2010年には東京でも同人誌即売会「COMITIA92」の会場で、その第2回が行われた。
当館では「コミックマーケットの源流」展開催と絡めて、『COM』関係者の30数年ぶりの同窓会ともなったこの二つの座談会の様子を、ビデオ収録映像を通してお伝えします。
●「伝説のマンガ月刊誌『COM』を語るー休刊38年目の座談会」
2009年8月2日(日) 京都国際マンガミュージアムにて収録
約2時間
●「伝説のマンガ雑誌『COM』を語る~休刊39年目の座談会」前半
2010年5月4日(火) COMITIA92 会場にて収録
約1時間
●「伝説のマンガ雑誌『COM』を語る~休刊39年目の座談会」後半
2010年5月4日(火) COMITIA92 会場にて収録
約1時間
※上記3本を日替わりで流します。
※記録映像のため画質・音質が悪い場合があります。ご了承ください。