『コロコロコミック』創刊号 1977年5月15日号(No.1)
小学館『コロコロコミック』の創刊
R001からR007のケースには、小学館『コロコロコミック』の77年創刊号から、『ゲームセンターあらし』連載最終号までを中心に並べる。100万部雑誌だった『小学一年生』副編集長・千葉和治が低年齢向け季刊マンガ誌として同誌を企画、初代編集長となり、平山隆(3代目編集長)とともに“二人編集部”で出発、創刊。創刊号は「ゆかいまんがと野球まんが特集」で、誌名より『ドラえもん』のロゴが大きい。藤子不二雄『ドラえもん』の学年誌作品総集編200ページ、他の藤子マンガや、ベテランの読切を擁した500ページ超の「ドラえもん雑誌」としてのスタートだった。
順調に部数を伸ばし、78年に隔月刊化、79年に月刊化。
『コロコロコミック』 1978年11月18日号(No.9)
『あらし』本誌初掲載号。
『コロコロ』に“あらし”登場
秋葉原やコンピュータ、ホビーに詳しかったすがやは、1978年、編集者からゲームまんがの執筆を依頼される。
内容は任されたが、主人公は不細工で、宙返りしてゲームさせてほしいと要望があった。同年『コロコロコミック』本誌(No.9)に最初の読み切りが掲載されることとなる。翌79年『コロコロコミック ウルトラマン増刊号』に再び登場、アンケート1位を獲得し、本誌での連載が決まった。
『ゲームセンターあらし』 てんとう虫コミックス 第1巻 1980年2月25日発行(1月30日発売)
単行本第1巻。即日売切れとなり、すぐに増刷された。当時の作品キャッチフレーズは「TVゲームまんがの決定版」。
“あらし”、藤子マンガと人気を二分する
1979年に『ドラえもん』がテレビ朝日系でTVアニメ化、藤子ブームが到来した。『コロコロ』は『あらし』をはじめとする連載作もヒットし、同誌は「藤子&ホビーマンガ誌」として盤石の態勢を築いていった。ミニ四駆、チョロQ、ベイブレードなど同誌から発してブームとなったホビーは数多い。
『コロコロコミック あらし/怪物くん増刊号』 1980年12月22日号(冬の増刊号)
増刊号では、連載数か月分に相当するページ数の読切り長編もたびたび執筆した。
『別冊コロコロコミック』 1982年7月1日号(第8号)
『別冊コロコロコミック』(81年創刊)の『あらし爆進撃お祭り号』。別冊でも人気を博した。
『コロコロコミック』 1982年10月号(No.54)
『あらし』が表紙に『ドラえもん』より大きく入っている象徴的な号。
『ゲームセンターあらし』 第1巻(太田出版、2000年)
『熱血!!コロコロ伝説』 vol.2(小学館、2007年)
再刊単行本第1巻(太田出版全4巻)と、『あらし』第1巻復刻がおまけについたコロコロ30周年シリーズの第2巻(全10巻)。
『ゲームセンターあらし』DVD-BOXセット(メディアファクトリー、2011年)
初回製造特典は「DVD-BOX化記念オリジナル“レトロゲームドットデザイン”Tシャツ。
『コロコロ』本誌では80年に『大長編ドラえもん』が開始(81年劇場アニメ化)、マンガ-アニメの関係がより緊密となる。『ゲームセンターあらし』も1982年に日本テレビ系でTVアニメ化され、全26話を放映(4月5日~9月27日。マンガの連載終了は83年10月号=No.66)。当初は1年間放送の予定だった。制作は藤子アニメを作っていたシンエイ動画。メインのスポンサーは玩具メーカー・エポック社で、同社の電子ゲームが登場するエピソードもある。
主題歌はすがやみつるが作詞、馬飼野康二が作曲・編曲、水木一郎が歌った。2011年3月にDVD-BOX化。
初出:『コロコロコミック』1978年 No.9
サブタイトル「ゲームに賭けた男一匹ド根性!」
『ゲームセンターあらし』連載前の読切り版。最初の単行本では未収録だった「幻の初回」。主人公であるゲーム名人の少年が、立ちはだかるライバルや敵とゲームで対決し、魔球めいた熱血的な必殺技で勝利するという、後の連載の基本フォーマットがすでに確立されている。「あらし」は主人公の名前だが、「ゲームセンター荒らし」と掛けたネーミングとなっている。
アーケードゲームを題材にしたマンガが児童誌に掲載されたことは、当時、健全なイメージを持たれていなかったアミューズメント業界から好意的に注目され、この「初回」は業界誌に転載されるにいたる。この、原稿の紛失を招いた経緯自体が、メーカーとマンガとのタイアップによる、後のホビーマンガというジャンルの成立の、象徴的な予兆にもなっている。
すがや先生よりのコメント:
『ブロックくずし』は石森プロの仕事をしていたころ、桜台の「ラタン」っていう喫茶店で、石ノ森章太郎先生の仕事が一段落するのを待つ間によくやってました。ゲームを見ながらも、そのプログラムがどうなっているんだろうってことばかり考えてましたね。
1978、メーカー:アタリ(米)
『ゲームセンターあらし』に登場するのは、1976年にリリースされたオリジナルの『ブロックくずし』である。日本の遊興施設に普及した中では、最初期のアーケードゲームの一つ。ラケットを左右に操作し、画面上部で壁を成しているブロックにタマを当てて消していくことを目的とする。壁の裏にタマが回ると一気に複数のブロックが崩れるため、パチンコのフィーバーのような快感がある。
展示映像は続編のSuper Breakoutのもの。ブロックが徐々に降下していくことから、このゲームを下敷きにして着想された『スペースインベーダー』との関係がよりわかりやすい。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出:『コロコロコミック』1979年春の特別増刊号
サブタイトル「必殺!つるぎの舞い」
読切り版の好評を受け、コロコロ増刊号に『あらし』が再登場。当時ブレイクし始めていた『スペースインベーダー』に挑む。
以降、本誌で連載開始となる。
すがや先生よりのコメント:
『インベーダー』は喫茶店にテーブル筐体が入るようになってやり始めました。無線仲間の大学生に攻略法を実演してもらい、自分でも必死に勉強してマスターしたのを覚えてます。
『インベーダー』の画面は描くのが大変で、一列だけ描いたものを編集に紙焼きしてもらい、それを切り貼りしてます。
1978、メーカー:株式会社タイトー
『ブロックくずし』のライセンス生産を行っていた日本の遊興機器のメーカーが、同ゲームに着想を得て開発した。ブロックをエイリアンに置き換えてキャラクター性を持たせ、ラケットを砲台に換えて射的ゲームにした。
このゲームは国内外で大ヒットし、国内ではテーブル筐体が数多くの喫茶店に導入され、全国に“インベーダー喫茶”を生むという社会現象を引き起こした。またビデオゲームを主体とするゲームセンターの開店も相次ぎ、そこに供給するための新作ゲームが国内のメーカーにより次々と開発される状況をもたらすこととなった。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出:『コロコロコミック』1980年9月号
サブタイトル「殺されたって負けないぜ!」
『ギャラクシアン』は『パックマン』と並んで『あらし』における登場頻度の高いゲームとなった。
すがや先生よりのコメント:
『ギャラクシアン』って、特別な攻略法は必要ないんです。とにかく反射神経を使って、というゲームですよね。ちょうどこの頃のアーケードゲームが、一番マンガにしやすかった。敵が攻撃してくる感じとか、動きとか。動きといっても、僕自身の関心はそのプログラミングとか、コンピュータの性能とかに向かっちゃうのだけど。
1979、メーカー:ナムコ(現 株式会社バンダイナムコゲームス)
画面上部で群体を成す敵エイリアンを、下から撃ち落としていくというゲーム内容を踏襲しつつ、ゲームを駆動しているコンピュータの性能の向上を反映した、『スペースインベーダー』の正統進化形ともいえるゲーム。
ゲーム開始時にファンファーレが鳴るという音楽性の導入、個々のエイリアンが弧を描きながら急降下爆撃してくるという動きの複雑化などが、ポイントとなっている。
このように、ビデオゲームはコンピュータの性能の向上を映し出すショーケースにもなっていった。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出: 『コロコロコミック』1981年1月号
サブタイトル「TVゲームスパイ大作戦」
新型ゲームの設計図を狙う産業スパイの抗争にあらしが巻き込まれる回。この回を含め、『パックマン』は『あらし』に幾度となく登場。
すがや先生よりのコメント:
『パックマン』はホントに良くできていて、どんどんやってしまう。ゲームとして素朴なんだけれども、でも一番面白かったような。最近でも、これと『平安京エイリアン』はウィンドウズでやりました。あの辺のパズル+アクション系のシンプルな感じのだと、ストーリーの中で応用しやすかったですね。
1980、メーカー:ナムコ(現 株式会社バンダイナムコゲームス)
パクつく口を抽象化したようなキャラクターであるパックマンを操作し、迷路に散りばめられたクッキーを食べ尽くすことを目的とするゲーム。
パックマンを追ってくる四匹のモンスターを避けながら進める必要があるが、パワーアップクッキーを食べると一時的に無敵となり、モンスターを追いかけて食べることができるようになる。
日本国内のみならず、輸出先のアメリカで大ヒットしたゲームで、世界一の出荷台数を誇るアーケードゲームだとギネスに認定されている。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出: 『別冊コロコロコミック』1981年6月号
サブタイトル「ドクロ大帝の挑戦」
背後の監視カメラでゲームの腕前を敵の首領に観測されるあらし。ゲーム機によって秘密裏にある種の能力がテストされるという筋立ては、連載中に何度か登場する。
すがや先生よりのコメント:
『ラリーX』はやったことだけしか憶えてない。こちらが煙幕を出すと敵がキュキュキューって回るところとか、それくらいしか。風営法の関係で子どもだけでゲームセンターに入れなくなってた時期で、50円だったり10円だったりで駄菓子屋にあったかな。
1980、メーカー:ナムコ(現 株式会社バンダイナムコゲームス)
自動車を操作し、迷路状の道に点在するすべてのチェックポイントの通過を目指すゲーム。体当たりを仕掛けてくる敵の自動車を煙幕で撒き、燃料の減少に注意しながら効率的に回る必要がある。
自動車レースを題材にしたゲームはそれまでにもあったが、本作の特徴は、ゲームの内容や操作法が『パックマン』にむしろ近いことである。1981年には、『パックマン』と一部のBGMを共有する『ニューラリーX』が登場している。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出: 『コロコロコミック』1981年11月号
サブタイトル「怪奇!! のろい屋敷」
怪奇現象が起こる洋館で、ミイラと対戦するあらし。『あらし』の中でも屈指のホラー回。
すがや先生よりのコメント:
『ドンキーコング』はすごくやりました。その後のマリオシリーズにつながっていくゲームですよね。ゴロゴロと転がってきてポンポンとよける。シンプルだけどおもしろかった。やっぱり変にストーリー性やドラマ性があるより、ゲーム自体がシンプルなもののほうが、こちら側のストーリーを入れやすいんですよね。
1981、メーカー:任天堂
「マリオ」をプレイヤーが操作し、障害物をジャンプで避けたり、パワーアップアイテムで破壊したりしながら、さまざまな仕掛けが配置されたステージの終着点を目指す。複数のステージデザインや、後にいくつもゲームにまたがって登場することになるキャラクター(「マリオ」)の創出など、ゲーム史においてもさまざまなイノベーションによって銘記される。また、本作のファミリーコンピュータ版は、同機の重要なローンチタイトルとなった。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出: 『コロコロコミック』1980年11月号
サブタイトル「地球を救え」
誤射された幾百のICBMを、ミサイルコマンドを模した迎撃システムを使ってあらしが破壊し、全面核戦争を阻止する回。
すがや先生よりのコメント:
『ミサイルコマンド』はグラフィックの細やかさが印象的で、操作にトラックボールを使うところが画期的だった。これは国産じゃなくてアメリカから来たやつで、ゲームセンターでも最初、歌舞伎町とかのでっかいところに行かないと無かったですね。あらしにミサイル防衛をさせる話は、多分このゲームを見て思いついたんだと思います。
1980、メーカー:アタリ(米)
画面上部から降ってくる敵ミサイルを迎撃し、画面下部の都市をできるだけ多く守り通すことを目的とするゲーム。撃ち落とされた敵ミサイルはその場で爆発し、付近の他のミサイルを誘爆させる。ゲームが進行するにつれて敵ミサイルの動きに合わせて効率的に誘爆を狙う必要が出てくるため、パズル性の高いゲームとなっている。
また、照準の操作にトラックボールというポインティング・デバイスを導入したことが、当時としては画期的だった。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出: 『別冊コロコロコミック』1982年2月号
サブタイトル「ゲーム超獣サラマンダー」
シリーズ中、セクシーな女性を敵役とする数少ない回の一つ。逆に、下記のすがや氏のコメントとは裏腹に、『クイックス』は作中の登場回数が比較的多いゲームの一つとなっている。『ドラキュラハンター』をはじめ、『あらし』で描かれたことによって当時の少年たちに知られることとなったゲームも多い。
すがや先生よりのコメント:
『クイックス』は、なんかホニャホニャホニャ〜っていう敵が出てくる。シンプルな方がいいといっても、僕としてはこのゲームはシンプル過ぎた感じ。
1981、メーカー:株式会社タイトー
マーカーを操作して画面上に線を引き、囲まれた領域を増やして一定以上の陣地の確保を目指すゲーム。陣地の外をランダムに動き回るオーロラのような敵や、引いた線の上を導火線の火のように追ってくる敵を避けながら、陣取りを進める必要がある。
『テトリス』と並び、アーケードゲーム史上もっとも抽象的なゲームの一つだが、後に女性のシルエットの画像の上で陣取りをして露出度の高い画像に塗り替えていく脱衣ゲームを派生させた。
※ 展示中はゲームのデモ映像を流していました。
初出:『ラジコン探偵団』2巻(描き下ろし、1979年)
サブタイトル「ラジコンたいきゅうレース」
『ラジコン探偵団』は、ラジコン好きの少年たちが事件を解決したり、ライバルとレースをしたりするマンガ。作者がはじめてホビーを主題にして描いた作品。
すがや先生よりのコメント:
主人公の機種を『ポルシェ934』にしたのは、その前に連載していた『マシン刑事999』で同じ車種を出していたから。このマンガを描くために、はじめてラジコンを組んだんです。そのときは仕事のためだったんですけど、スピードを上げるために電動アンプを自作したり、いろいろ遊んじゃいました。
1976、メーカー:田宮模型(現 株式会社タミヤ)
所蔵:明治大学 東京国際マンガ図書館 準備室
タミヤの電動ラジコンカーキット第一弾。発売初年度に10万台を売り上げ、ラジコンを趣味として広めるとともに、ラジコンキットメーカーとしてのタミヤの基礎を築いた。定価9,800円(送受信機は別売)。
展示の送信機はサンワの『ミニプロポ2F−2M』というモデルで、当時もっともポピュラーだったものの一つ。
初出:『小学三年生』1980年5月号
『チャレンジ一平』は、「遊びの天才」である少年「一平」が、ラジコンや釣り、電子ゲームなど、さまざまなホビーでライバルと対決するマンガ。
すがや先生よりのコメント:
童夢(社)は『零』のおもちゃの版権収入でル・マン24時間レースに参戦したんですよ。それで子供マンガに対して非常に理解があった。僕の方も、どこかでモノが売れて童夢(社)にロイヤリティが入るんだったらいいな、という思いがあって『零』を選んでたと思う。国産の車を応援する、という意味で。
1978、メーカー:株式会社i.c.モリタニ
所蔵:明治大学 東京国際マンガ図書館 準備室
国産初のスーパーカーという触れ込みで登場した童夢社『零』のトイラジコン。i.c.モリタニは電子ゲームやラジコンなどを手掛けていた玩具メーカー。展示品のセミプロポ方式のモデルは定価13,800円。無段階変速が可能なデジタルプロポ方式の18,800円のモデルも併売された。
初出:『小学三年生』1980年5月号
作者は現在でいう携帯型ゲーム機を主題にした『エレクトロボーイけん』というマンガも手がけており、『デジコムベーダー』は同作でも扱われているゲーム機である。
すがや先生よりのコメント:
『デジコムベーダー』を出したのは、確か編集者が「これにして」って持ってきたと思うんですよ。アニメの『あらし』のスポンサーがエポック社だったから押し付けられた、ということはありませんね。『あらし』がアニメになったのは、このマンガが掲載された2年後の1982年のことですから。
1980、メーカー:株式会社エポック社
所蔵:明治大学 東京国際マンガ図書館 準備室
『スペースインベーダー』の大ヒットを受け、玩具メーカー各社は当時、これを家庭で遊べる形態にした商品を競って発売した。『デジコムベーダー』はその中の一つで、難易度の調整ができるところに特徴があった。定価7,800円。
初出:『小学三年生』1982年2月号
リモコン戦車で対戦する「プラレス大会」に出場する一平。その相手方が駆る機体が、『コンピュータコントロールタンク』をモデルにしている。同機は『こんにちはマイコン』でも紹介されている。ちなみに、「プラレス」という語の使用は『プラレス三四郎』(原作:牛次郎/作画:神矢みのる)に先行する。
すがや先生よりのコメント:
これは自分では買った記憶はないんですが、マイコンでプログラミングできることから作品に出したんでしょうね。
1980、メーカー:田宮模型(現 株式会社タミヤ)
所蔵:明治大学 東京国際マンガ図書館 準備室
タミヤが数多く展開していた有線リモコン付き戦車のキットの中でも、当時としては異色の豪華モデル。定価19,800円。