株式会社シーエーシー 執行役員 人事戦略本部長 中澤 ルミ

自分の常識が通用しない場所……、
大学で" 社会" とは何かを学びました

中澤ルミさんは4大卒の女性の割合がわずか10%だった1980年代から、今なお"男性中心"の風潮が強い日本のビジネス社会で、数々の業績を積み上げ続けているキャリアウーマンだ。そんな中澤さんの企業人、そして社会人としての基礎は、明治大学で過ごした貴重な4年間で育まれたという。

大学で受けたカルチャーショック

 明治大学の文学部を志望した動機は明確でした。中学のころから古典や江戸文学が好きで、江戸文学の大家である水野稔先生が教授をなさっていた明大に入りたかったんです。入学の時点では、漠然と将来は江戸文学の研究者になりたいと考えていました。私は早く社会人になって、世の中で働きたいという気持ちが強かったのですが、当時は女性が責任を持って一生を懸けてできる仕事といえば、学校の先生か教授くらいしか思い浮かばなかった時代でした。

 実際に大学に入ってみて、カルチャーショックを受けました。大学でいろいろな人に出会い、勉強を続けるうちに学問の厳しさ、そして学者として研究を続けることがいかに狭き門であるかを知りました。卒業後に百貨店を就職先に選んだのは、流通業は女性が活躍できそうな業種と思ったからです。当時は短大卒の女性社員が重宝されていた時代で、一生働きたいと意思表明する女性は少なかったです。

同好会で学んだ" 社会"

 大学では居合道の同好会に入ったのですが、その動機には内向的な自分を変えたい想いがありました。居合道の活動も、自分の常識が通じない世界があることを教えてくれました。部員は男性ばかり。二部学生の社会人の方もいて、彼らを通じて世の中にはさまざまな考え方があると教えられました。居合道部の飲み会は最後に校歌を歌って締めるのですが、明大の校歌は質実剛健な明治の校風を表していて好きでした。在学生やこれから入学を志望される方は、歌詞の「権利自由」「独立自治」などの言葉から、明大の"原点"を考えていただきたいですね。

自分を変えた大学での経験

 転職のきっかけは、百貨店の顧客データを管理するシステムを一緒に作り上げた、情報システム会社の役員の人が声をかけてくれたことでした。社会人として働く今も、内向的な性格を克服したわけではありません。でも社会に出て仕事をすると、自分を演じてでもやらなければいけない場面に必ず直面します。自分で決断しないと、仕事は進みませんから……。社会に出て感じた男性社会の壁は、学生時代に感じたそれよりもはるかに大きかったですが、明治大学での"社会経験"が役に立ったと、今では思います。

Corporate profile
株式会社シーエーシー(CAC)
1966年に日本初の独立系ソフトウェア専門会社として設立。システム構築、システム運用管理、BPOサービスなど、ITと業務を統合した高付加価値サービスを提供する。
〒103-0015 東京都中央区日本橋箱崎町24-1
TEL 03-6667-8000(代表) FAX 03-5641-3200
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History of Rumi Nakazawa

1981年に大手百貨店に入社。93年に日本システムサービス(現シーエーシー)に入社。大手製薬会社のシステム研修プロジェクトなどの業績が認められ、2001年に同社初の女性部長に昇進する。06年からは執行役員を務め、現在に至る。1958年生まれ。東京都出身。
明治大学広報
雑誌 明治
meijin Vol.1

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