フリーカメラマン 藤代 冥砂

根拠なんてひとつもないけれど、
溢れるだけの自信はあった

グラビアだけに止まらないボーダーレスな活躍で、今最も旬で多忙な売れっ子写真家、藤代冥砂さんは、写真の世界とは程遠い商学部の出身。しかし藤代さん曰く「商学部に入っていなかったら、カメラマンになっていないかも」。はたして大学時代、何が写真の世界へと向かわせたのか。

間違えた学部選びがすべての始まり

そもそも文学部のほうが関心は高かったんですけど、興味のあることは、人に教わらなくても勉強するだろう、せっかく4年も大学に通うわけだから、まったく興味のないことのほうがためになるんじゃないか。そう考えて商学部を選びました。でもそれはとんだ間違い。周りは会計士とか商社への就職とか目指していて、向いているベクトルが僕とは全然違う。それに興味がない分野なので単位を取るのが大変で、4年で卒業できたのは奇跡ですね。だからもし学部選びで悩んでいる人がいたら、声を大にして言いたい。「少しでも関心のある学部に行きなさい」。痛い経験をした僕だから言える、かなり実感のこもったアドバイスです。

「遠回りだったなあ」と思ったこともありましたが、今は「良い経験をした」と笑うことができるし、興味のない方向に行ったからこそ「僕がいるべき所はここじゃない」と、クリエイティブの世界に傾倒するきっかけになった感もある。結局、すべての経験は無駄にはならない、ということですね。

人生、何がきっかけになるか分からない

学生時代に新聞社で校閲のアルバイトをして、企業に適さない人間だと分かったから、就職活動はしませんでした。「なれるものになれればいい」。そんな気持ちで、大学卒業後はとりあえずアンティークショップでアルバイト。きっかけは、原宿で“アルバイト募集”の貼紙をたまたま見た、それだけ。すごく暇でアルバイトが1人いれば十分、というようなお店だったけど、オーナーがたまたまカメラマンの五味彬さんで。別にカメラマンになりたいとは思っていなかったけど、軽い気持ちで「アシスタントをさせてください」と言ってみたら「いいよ」と。そんなやり取りがなかったらカメラマンになっていなかったし、そもそも貼紙を見なかったら、今の自分はいないわけで。本当、何がきっかけになるかわからないですよね、人生は。

自分の力だけは信じて

2年くらいアシスタントをした後、24歳でフリーのカメラマンに。当時は景気が良かったし、編集者たちとの出会いにも恵まれて、こんな自分でもなんとか食ってこられた。今は家庭もあり、「あまり無理はできない」なんて臆病になった部分もあるけど、当時は経験もないのに根拠のない自信ばかりはあって。そもそも規定路線から外れた人間なので、自分に頼るしかないんですよね。もちろん常に順調だったわけではなく、営業に行っても手ごたえがないという時もあったし、経済的に苦しい時もありました。それでも失敗するイメージはなくて、良いイメージしか持っていなくて、自分の力だけは信じることが できた。ちょっと格好いい言い方ですけどね(笑)、だからここまで続けてこれたんです。

Profile of Meisa Fujishiro

2003年講談社出版文化賞写真賞受賞。代表作に『ライドライドライド』(スイッチ・パブリッシング)、『もう、家に帰ろう』(ロッキング・オン)、『旭山動物園写真集』(朝日出版社)他。小説に『クレーターと巨乳』(スイッチ・パブリッシング)、『ドライブ』(宝島社)がある。1967年生まれ、千葉県出身。

明治大学広報
雑誌 明治
meijin Vol.1

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