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校友会定時代議員総会(2010年7月25日開催)
学長祝辞
1年ぶりに皆さんとお会いできて嬉しく思います。私もこの明治で育って、学長になるまでに50数年過ぎました。しかし、日本の社会をみても戦後65年、明治維新から数えても140年ちょっとでございます。そういう時期に学長になって一体何ができるのかなと思いながら、過ごさせていただきました。
考えたことは、我々私学というのは、いい人材を出していくこと、教育の場でしっかりとした成果を出していくこと。この1点が、この大学を持続可能な大学にしていくことができるのではないかと、そういう原点に戻りまして、そして我々教職員は「そのために全力をあげて支援していく、育てていく」こういう立場で取り組んでいくことが必要であろうと、こう思いました。若者が20年後、30年後、その社会の中核にポジションをもったときに、どういう活躍ができるか。そのことを考えながら、我々はどういう形でこの現時点で教育を展開したらいいのかということを考えていくべきではないかと、こう考えました。
先ほど村山先生から過大なるご紹介をいただきまして、本当に感謝しております。ありがとうございました。一国の総理大臣を務めた方から明治に対する思いを述べていただきまして、この場で改めて学長としての責任の重さを感じております。また決意を新たにして次へ進まなければならいと、このように思いました。
私がなぜ国際化を考えているかということをちょっとお話ししたいと思います。今いろいろ言われている「グローバル化」とはまた違った意味で、私は考えてまいりました。21世紀に入りまして、どういう状況にわが国が置かれているかということを考えるべきではないかと、こう考えたのです。これは前回もお話ししたかもしれませんけれども大事なことですので、もう一度お話ししておきたいと思います。
明治維新を興してきたときに、我々は世界に支配されてはならない。世界の先進国と言われている国々がアジアに出てきたときに、日本の国をどういう具合にして守って立派な国にしていこうかという観点があったと思います。そういう中でヨーロッパのいろいろな制度その他を導入して、これを日本の国に伝えること。これが近代化という言葉で言われていましたけれども、そういうことのための人づくりを大学はしなければならない。この1点でございました。
ただ、人づくりにおいて明治大学は個々の個人がしっかりとした見識をもって世の中を見ていく、こういう人材を作りたい。これが「権利自由」「独立自治」という、こういう理念のもとで動いてきたことは、皆さんご承知のとおりだと思います。そういう中で国づくりに向けて明治大学は動き出したわけで、この視点だけは忘れてはいけない。このことだけは明治の特色として残しておきたい。こう思っておりました。今、そのことが非常に脚光を浴びていることはご存じのとおりでございます。我々の創立者は、そういう意味での見識をもって100年後の我々に、そういう形でメッセージを出してくださったのだなと思って感謝いたしております。
戦後、65年前、それまでいろいろと考えられたこと(パラダイム)が行き詰まって1つの残念な結果になりましたけれども、物事には失敗もあります。しかし、そこまでに来るまで努力してきたことは無駄ではなかった。そこで培ったいろんなことの中には、日本の国、日本人に大切な伝統として定着してきた。明治大学も同じでございます。そういう中で、この荒廃した国をどういう具合に盛り立てるかということで、我々は一生懸命やってきました。資本主義社会の中で我々が生きていくためにはどうしたらいいか。もう一度原点に戻って、そこでやり直して、そういう時期を迎えて、米ソ対立の構造の中で、日本の国は育ってきた。豊かになってきた。こういう具合に言えると思います。そういうための人材を、我々明治大学を含めた大学は作り出してきたことも事実だと思います。
私自身が東ヨーロッパやその他の国へ行ったときに、明治維新のときの日本人、戦後の日本人のあの勤勉さ、礼儀正しさ、そういうことを学ばしてあげたいということを、相手方の学長からいろいろ言われました。何か我々が忘れていることをもう一度思い出させてくださったような気がしております。その誇りをもう一度若者たちにも伝えていきたいと、こう思っております。
そういう中で私自身が何を考えているかということでございますけれども、昨日の校友会支部長・地域支部長・本部員会の席でもちょっと申しましたけれども、1989年、このときにベルリンの壁は崩壊しました。これは世界的に見ますと米ソ対立の構造が消えていくはっきりした形の流れを世界に発信した年でもあります。もう1つは、この年は昭和64年、昭和から平成に元号が変わった。日本の国で何事か起きると元号が変わりました。たまたまそのときに昭和天皇が亡くなられたということで元号が変わったのですけれども、やはり日本人の精神には、何かが変わる、何かがあるのではないかと、そういうことを感じさせる年でもあったわけであります。
こういうことを考えていったときに、その後の日本の経済をみますと、確かにその数年後にはバブル経済がはっきりとした形で崩壊していく過程があり、今の難しい状況に入ってきていることはご存じのとおりだと思います。こういうときにこそ、大きな変化が生じてくる先見性をもった視点の中で子どもたちが育ってくれれば、きっと10年後、20年後、30年後には、自分たちの活躍する場を探しきれるのではないか。こういう具合に考えました。
事実そういう形で、今、行き先は不透明だと言われていますけれども、こういうときこそ明治の強さ、「どんなことがあっても前に出る」この精神こそが大切だと、私は思います。こういう子どもたちを育てれば、何としてでもこれからのためには必要なこと、いいことではないかと思います。そういうときに世界を見て、世界へ向けて発信していかれるような大学にしていくことが、この子どもたちがいずれ20年後、30年後に活躍する場は、そこではないかと。決して地方は忘れるとか、日本を忘れると言っているわけではありません。日本を知り、明治を知り、そして地方、地元を知って、良さを自覚していただいて、その素晴らしさを世界に発信するのだ。そういうことが大切ではないかということを考えて、今、教育に取り組んでいるところでございます。
「グローバル30」というのは、あくまでも手段です。しかし、ここで5年間かけて、今チャンスだと思っていろんな意味で教育・研究のところに全力あげて取り組んでいるというのが、明治の今の姿でございます。研究の方も、「現象数理学の形成と発展」というプログラムでグローバルCOEをようやく取らせていただきました。これは今月に入って中間報告がありましたけれども、ヒアリングを受けて、相手方の方でにこやかに、よくやっているね、という反応を示していただきました。まだ評価は出ておりませんけれども、そういう具合に、例えば本学のリーディングモデルとなった、そういう研究分野でも一生懸命やっている姿から、世界からいろんな方が集まってまいりました。グローバル30になって、昨日もお話ししましたけれども、協定校も次々と今申し出もあり、我々もぜひ協定させてくださいということでお願いして、125を超えて130に近くになると思いますが、留学生も1,000人を超えています。そのようにいろんな形で環境が変わってきている中で、今の日本人の学生たちもしっかりと自覚して自分たちの役割を見いだしてほしいということで、大学改革に取り組ませていただいているということでございます。
校友会の皆さん方は、世界でご活躍している方がたくさんおられますし、日本の社会でも活躍なされておりますので、ぜひそういう声を大学に寄せていただいて、いろんな意味でご支援をいただきたい。決してお金とか何とかだけではありません。私どもは、ネットワーク、または留学生の就職先だとか、いろんなこともお願いしたいと思っております。いろんな形でご協力いただければ、学長としてもさらに一生懸命努力していきたいと、このように考えております。
スポーツのことは、ことしの1月2日−3日の駅伝その他でご存じのように、いろんな形で表舞台に出るようになりました。卓球の水谷(隼)君、ゴルフでは最近では園田(俊輔)君がいろいろやってくださる。世界レベルで現役の学生が今、活躍しているわけです。もちろんOB選手の活躍もたくさんおります。そういう中で我々、スポーツは強かった大学ですから、元気をもらうためにも、どうしてもこれはさらに強化していきたいと思っておりますので、先ほど会長からもありましたように、駅伝その他で地方に行きましたときには、ぜひご支援をいただいて、彼らに勇気を与えていただきたい。ぜひお願いしたいと思っております。
10分と言われていたのですが、10分を超えてしまいましたけれども、1年に1回の報告でございますので、大学の現状の一端を皆さんにお伝えするのも学長の仕事かなと、こう思いながら時間を無視して、時計を見ながらお話をしてまいりました。それでは、お許しいただきまして、目一杯また1年頑張って皆さんとお会いする日を楽しみにして、今日のご挨拶に代えさせていただきます。どうもありがとうございました。 |
学長 納谷廣美 |
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