大切にしている言葉「有由有縁」
―芸術家と聞くと、つい「気難しい方なのかも」と身構えてしまうところがあったのですが、お会いした瞬間から非常に優しく、柔らかな雰囲気で、とても安心しました。
芸術家なんてそんなに難しい人たちではないですよ。他の人とは目の付け所や感性がちょっとずれていると言いますか、少し変わっているだけです。かつて娘に「うちのお父さんは変わっています。枯れ葉を拾ってきれいと言っています」と作文に書かれた記憶があります。ただその娘は小さい頃、雪道にコロンと落ちた椿を拾っては「キレイ!」とはしゃいでいましたから、本人が気づいているかどうか分かりませんが、父の〝変わった部分〞を十分受け継いでいるのでしょう。
―目に映るものを見て、きれいだなとか、温かいなとか、何かを感じること、それが〝感性〞ですよね。
世の中にきれいな花なんて存在しないのですから。「きれいと感じる心」がそこにあるだけです。映画監督の大林宣彦は私の親戚筋にあたるのですが、彼から過去に「人間だけに与えられた特別な能力は何だと思う」と尋ねられたことがあります。彼いわく、それは人間だけに与えられた〝真っ白なスクリーン〞なのだと。私たち人間はそこに歌をのせることもできるし、詩を書くこともできる、スクリーンの形を変えることもできる、つまり何でもできるのだ、と。それは非常に喜ばしいことだし、人世にとっての財産だから、大いに活用してほしいと言っていました。
―ということは、みんなそれぞれにスクリーンを持っているのですね。ただ、私はそのスクリーンをうまく使えているかというと、あまり自信がありません。
みんなこう言います。感性なんて無いし、芸術なんて分からないと。しかし、よく考えてみてください。その洋服も、髪型も、自分がいいと思って選んでいるわけでしょう。そういった種類の好みと、芸術の好き嫌いは同じことです。感性に自信がないのなら後から磨けばいいだけです。道端の石ころひとつにしたって感性は十分に刺激されます。
―そんなお話を伺うと、スマートフォンを片手に道を歩くなんてもったいないと思えますね。
スマートフォンが必要な場面ももちろんあるとは思いますが、何でもスマートフォンで調べて最短ルートで動いてしまうと、思いがけない出会いを逃してしまう気がします。私が以前ウイーンを旅した時、ロマネスクの展覧会が見たくてタクシーに乗ったのですが、目的地をきちんと伝えたにもかかわらず、まったく違う博物館に着いてしまったことがあります。タクシーを降りた後に間違っていることに気づき、「あれ、困ったな」と思いながらふとポスターを見たら、なんとその博物館で憧れていたヴィレンドルフのヴィーナスが展示されていることが分かりました。ヴィーナスを見た瞬間にすごいパワーを感じて、「あぁこれは偶然でなくては出会えなかった、すなわち与えられた運命だったのだ」と感じました。
―偶然を「導かれた」とお感じになるあたりが、山田先生らしいお考えです。
川端康成が「有由有縁」という言葉を残していますが、まさにその通り。全ての縁は理由があって結ばれていると考えています。
