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先輩から渡されたバトンをつないでいくことが使命
彫刻家・山田朝彦さん(1966年商学部卒業)

明治大学の架け橋として、先輩から渡されたバトンを言葉にしてないでいくことが使命。大学への思いを語る彫刻家・山田朝彦さんの根底には、全ての縁に理由があるという「有由有縁」という言葉があります。商学部に学び、柔道部で汗を流す大学生活を送った山田さんがなぜ彫刻家を目指したのか、お話を伺いました。

大切にしている言葉「有由有縁」

―芸術家と聞くと、つい「気難しい方なのかも」と身構えてしまうところがあったのですが、お会いした瞬間から非常に優しく、柔らかな雰囲気で、とても安心しました。

芸術家なんてそんなに難しい人たちではないですよ。他の人とは目の付け所や感性がちょっとずれていると言いますか、少し変わっているだけです。かつて娘に「うちのお父さんは変わっています。枯れ葉を拾ってきれいと言っています」と作文に書かれた記憶があります。ただその娘は小さい頃、雪道にコロンと落ちた椿を拾っては「キレイ!」とはしゃいでいましたから、本人が気づいているかどうか分かりませんが、父の〝変わった部分〞を十分受け継いでいるのでしょう。

―目に映るものを見て、きれいだなとか、温かいなとか、何かを感じること、それが〝感性〞ですよね。

世の中にきれいな花なんて存在しないのですから。「きれいと感じる心」がそこにあるだけです。映画監督の大林宣彦は私の親戚筋にあたるのですが、彼から過去に「人間だけに与えられた特別な能力は何だと思う」と尋ねられたことがあります。彼いわく、それは人間だけに与えられた〝真っ白なスクリーン〞なのだと。私たち人間はそこに歌をのせることもできるし、詩を書くこともできる、スクリーンの形を変えることもできる、つまり何でもできるのだ、と。それは非常に喜ばしいことだし、人世にとっての財産だから、大いに活用してほしいと言っていました。

―ということは、みんなそれぞれにスクリーンを持っているのですね。ただ、私はそのスクリーンをうまく使えているかというと、あまり自信がありません。

みんなこう言います。感性なんて無いし、芸術なんて分からないと。しかし、よく考えてみてください。その洋服も、髪型も、自分がいいと思って選んでいるわけでしょう。そういった種類の好みと、芸術の好き嫌いは同じことです。感性に自信がないのなら後から磨けばいいだけです。道端の石ころひとつにしたって感性は十分に刺激されます。

―そんなお話を伺うと、スマートフォンを片手に道を歩くなんてもったいないと思えますね。

スマートフォンが必要な場面ももちろんあるとは思いますが、何でもスマートフォンで調べて最短ルートで動いてしまうと、思いがけない出会いを逃してしまう気がします。私が以前ウイーンを旅した時、ロマネスクの展覧会が見たくてタクシーに乗ったのですが、目的地をきちんと伝えたにもかかわらず、まったく違う博物館に着いてしまったことがあります。タクシーを降りた後に間違っていることに気づき、「あれ、困ったな」と思いながらふとポスターを見たら、なんとその博物館で憧れていたヴィレンドルフのヴィーナスが展示されていることが分かりました。ヴィーナスを見た瞬間にすごいパワーを感じて、「あぁこれは偶然でなくては出会えなかった、すなわち与えられた運命だったのだ」と感じました。

―偶然を「導かれた」とお感じになるあたりが、山田先生らしいお考えです。

川端康成が「有由有縁」という言葉を残していますが、まさにその通り。全ての縁は理由があって結ばれていると考えています。

衝撃を受けたボルゲーゼ美術館での出会い

―明治大学を卒業されて彫刻の道に進まれるのは珍しいように思います。芸術や美 術の大学だったら分かるのですが。

それも「有由有縁」を感じる出来事がきっかけです。大学を卒業して父の会社 ((株)日本金属工芸研究所)で見習いをしていた頃、おそらく「これから頑張れ」という意味のご褒美だったのでしょう、父が私を世界一周旅行に出してくれたのです。それも神父さんから紹介された世界巡礼の旅で、大きな目的はローマ法王への謁見でした。謁見の際、大勢の人がいる中で、部屋の隅に立っていた私の前にローマ法王(パウロ6世)が歩いてこられて、私の両手を握りしばらくの間いろいろと話をしてくださいました。

その翌日、同じグループにいらっしゃった絵描きのご夫婦から、「美術館に行くけど一緒に行かない?」と誘われました。正直、疲れていて興味もなかったので迷いましたが、他に予定もなかったので、「お供します」と連れていってもらいました。それがボルゲーゼ美術館でした。

―まさに「有由有縁」。ローマ法王謁見の後というところも意味深長です。そしてその美術館で衝撃的な出会いをされたわけですね。

そのご夫婦は絵描きさんなのでスーッと絵を見に行ってしまわれて。私はよく分からないまま近くにあった部屋に入っていくと、そこが彫刻家のベルニーニの部屋でした。もう見た瞬間に衝撃といいますか、ショックといいますか、頭に雷が落ちたような感覚がありました。あれを人は感動と呼ぶのでしょうね。

―ベルニーニの部屋で彫刻家を目指すことを決意されたのでしょうか。

いやいや、それはずっと後のこと。出会ったその日は食事も喉を通らないくらいにヘトヘトに疲れて、寝込んでしまいました。大学時代、柔道でもたびたびヘトヘトになることはありましたが、あの時は食べればたちまち元気になっていましたから。それとは違った、圧倒的なパワーを受けたことによる、精神的な疲れだったのだと思います。

―ご自身が彫刻に取り掛かられたのはいつ頃になるのでしょうか。

ベルニーニと出会ってから3年くらい後でしょうか。仕事は一生懸命にやっていましたが、夜は仲間と麻雀に明け暮れる日々で、「このままでいいのかな」と思い始めた頃です。ふとルーブル美術館で模写している若い人たちがたくさんいたことを思い出して、絵を習ってみようと研究所に通い始めました。26歳くらいの頃で、高校生に交じって1年ほどデッサンを学びました。

そしてこれもまた〝たまたま〞なのですが、紹介されて行った別の研究所で見つけた粘土に何気なしに触れた瞬間、「これはおもしろいかもしれない」と思ったのが始まりです。あの瞬間は、自分の意思で決めたというより、むしろその世界にグッと引き込まれたような感覚がありました。それから50年続いているわけですから、これも運命だったのでしょうね。その研究所に行かなければ粘土には出会わなかったわけですから。

柔道を通じて培った「体力」が創作活動の礎

―彫刻と出会われてからは没頭する毎日だったのでしょうか。

仕事もありますし、その時には家庭を持っていましたから、全ての時間を彫刻に費やすわけにはいきませんでした。それでも毎日、仕事が終わってわずかな時間でも研究所に通って彫刻は続けていました。お付き合いのゴルフをした後も帰りに研究所に寄るような、そんな生活を12年間続けていました。父親に「彫刻はやめて経営の勉強をしろ」と言われたこともありましたが、歯牙にもかけずに彫刻を続けていたら、いつのまにか言われなくなりました。

―奥様をはじめ、ご家族も協力的だったからこそ続けられたという側面もあるのかもしれませんね。

妻の協力と理解があったからだと思います。子どもたちは、「父親とはそんなものだと思っていた」と言っていましたね。20代、30代の私はタバコをやめたくてもやめられなかったのですが、一度何かで妻とケンカになった時に、「彫刻を取るか、タバコを取るかどちらかにして!」と言われて。それを機にピタッとタバコをやめることができました。あれも妻のおかげですね。

―山田さんが社会人になり、家庭を持った後に彫刻の道を進まれたように、人生のどこで運命の仕事に巡り合うかは誰にも分かりませんね。

「これだ!」というチャンスは誰にでもあるものだと思います。あとはそれに気付くかどうかと、選択するかどうか。何をなりわいに選んでも、必ず苦労はあって当たり前。私の仲間でも生活が大変だと言う人はたくさんいますが、「自分がその道を選んだのだ」と腹をくくっているから、続けられるのだと思います。

―続けるからこそまたチャンスが訪れるのでしょうか。

何でも積み重ねですから。私も30分でもいい、1時間でもいいと毎日彫刻に触れ続けてきたからこそ、今があるのだと思っています。気力と精神力に加え、〝体力〞があったおかげです。ここで生きたのが他でもない、大学時代の柔道の経験ですよ。コツコツ続けるにはまず健康でなくては話になりませんし、とくに彫刻には強い足腰や腕力も必要。当時は彫刻なんて考えてもいませんでしたが、結果的に必要なもの全てを、柔道を通じて培っていたのです。

「これだ!」というチャンスは誰にでもあるものだと思います。あとはそれに気付くかどうかと、選択するかどうか。何をなりわいに選んでも、必ず苦労はあって当たり前。私の仲間でも生活が大変だと言う人はたくさんいますが、「自分がその道を選んだのだ」と腹をくくっているから、続けられるのだと思います。

―山田さんが所属されていた当時、明治大学の体育会の柔道部は非常に厳しい世界だったのでしょうか。

練習は厳しかったのですが、楽しい思い出ばかりですよ。何より素晴らしい先輩方にたくさん出会えました。尊敬する先輩の一人に1964年の東京五輪に出場した神永昭夫先生(1959年商学部卒業)という方がいて、残念ながらもう亡くなられたのですが、亡くなられる1カ月ほど前にたまたまお会いすることができました。その時先輩は「人生とは親から子へ子から孫へ、先輩から後輩、時代から時代、いろいろな意味で次の代へ伝えていく架け橋だ」と話していただきました。素晴らしい言葉でしょう。こういう先輩に出会えたことこそ、私の人生にとって大きな財産です。自分の身体を作ってくれて、そして素晴らしい先輩と出会わせてくれて、明治大学には心から感謝しています。

大学は感性のふるさとである

―駿河台キャンパス紫紺館の1階ロビーには、山田さんの作品『SEED』が飾られています。

ちょうど日展の会員賞を取った頃でしょうか。ロビーに作品を置きたいといわれて、彫刻を設置させていただきました。実は、創立130周年の時に創立者肖像レリーフ記念碑の制作を依頼された時は、荷が重すぎると言って一度、お断りしているのです。しかし、当時の理事長だった長堀さんが「名誉なことだから」と背中を押してくださいました。

―あの像にそんな経緯があったとは驚きました。どのように作品をつくり上げられたのでしょうか。

日本芸術院賞を受賞した際に、当時の皇后陛下である美智子様に「彫刻というのはただ形を写しておしまいではなく、そこにメッセージを込めなくてはいけないし、思いや優しさ、希望、品格、悲しさ、つらさなど、そういうものを一瞬ではなく、時空間を込めてつくるから、作品に力が宿るのです」とお話をさせていただきました。

創立者の岸本辰雄氏、宮城浩蔵氏、矢代操氏がどんな人たちだったのかを知るために、資料を読み漁ることから始めました。すると三人の夢やパワーに圧倒されまして。日本が文化国家として遅れてはいけないという使命感で動いていたのだろうと感じ、より一層、明治大学への愛情が深まりました。また三人というのがいいじゃないですか。人間、一人でできることは限られていますから。仲間も必要だし、ライバルも必要、先輩も後輩も、先生も必要。そしてその場をつくるのが大学なのだと思います。

―オンライン授業が増えましたが、できる限り学生にはキャンパスを訪れて、山田さんの作品に触れたり、友人と直接交流したりして欲しいですね。

現場に行って本物に触れるというのはとても大事ですね。私は芸術作品の展示の情報を聞くと、新聞などで記事を読む前に必ず美術館や博物館に足を運び、現場で実物を見るようにしています。ネットやテレビでも写真は載っていますし、どんな作品なのかの情報も知ることはできるのでしょうが、「感動」は実際に見なくては味わえません。ちなみに美術館や博物館にあるイヤホンガイド、あれはお勧めできません。聞きたいなら後にすること。まずは自分の目を信じて欲しいです。自分がいいと思う作品が一番いい。学問ではないのですから、好き、嫌いで十分です。

―自分の感性を信じていいということですね。18歳からの4年間という時期に、たくさんの人や学問と交流できる大学というのは、感性への影響力が大きいのではないでしょうか。

まさに大学は感性のふるさとです。真面目に勉強することも大切ですが、思いっきり遊んで、たくさんの人と交流して、感性を磨いてほしいと思います。人から無駄なことだと指摘されても、「無駄があるから人生は楽しいのだ」という気持ちを大切にしてほしいです。

『SEED』(駿河台キャンパス紫紺館)

『こもれび』(2012年・文部科学大臣賞)

『朝の響き』(2015年・日本芸術院賞)

建学の精神の必要性を改めて実感

―今年、「明治大学特別功労賞」を受賞されましたがお気持ちをお聞かせください。

プレッシャーを感じています。調べたら柔道の姿先生に始まり、そうそうたる方たちの名前が並んでいて、私がこの中に入っていいのかと考えてしまいました。しかし、だからこそもう一段、二段とステップアップして、賞の重みにかなう人間でありたいなと身が引き締まりました。目指すは明治大学の大先輩、佐藤慶太郎さん。彼は私が最も尊敬する方で、東京都美術館に私財を寄贈し、その創設に寄与した方です。私も東京都美術館に行く時は後輩としていつも鼻が高いです。佐藤さんのように、後輩たちから自慢に思ってもらえる先輩でありたいです。

―山田さんの存在は、明治大学の学生にとっては十分に名誉なこと。山田さんとのコミュニケーションを楽しみにしている学生も多いと思います。

私、本当は話すのがどうにも苦手なのです。時々学生の前で話す機会をいただく時、最初は断りたくなってしまうのですが、やはり伝えていかなくてはならないと、自分を奮い立たせています。私は先輩から渡されたバトンを言葉にして次につないでいくことが使命だと考えています。

―明治大学が創立140年を迎えます。この重みについて最後にメッセージをいただけますでしょうか。

大学というのは学生だけがいればいいわけでも、先生だけがいればいいわけでもありません。学生と指導者、経営者が三位一体となって動き続けることが重要で、どれも欠けることなく、またどこかが大きくなりすぎることもなく、140年続けられてきたことは本当にすごいことだと思います。

また、新型コロナウイルス感染症で社会が大きく変わった今だからこそ、明治大学の建学の精神である「権利自由」「独立自治」という言葉の大切さが身に沁みます。学生の皆さんには、この建学の精神を胸に、どのような環境の中でもまっとうできる意志力と実行力、そして仲間を、明治大学を通してつくって欲しいと思います。

山田 朝彦
1943年生まれ。1966年明治大学商学部卒業。大学卒業を期に訪れたローマの美術館の作品に感銘を受け、1970年に太平洋美術研究所に入所し彫刻家を志す。1972年に日彫展で初入選後、2012年の文部科学大臣賞や2015年の日本芸術院賞など数々の受賞歴がある。2021年にはこれらの顕著な実績から明治大学特別功労賞に選出。日本芸術院会員。日展理事。日本彫刻会常務理事。(株)日本金属工芸研究所取締役会長。