プロデュース研究会との出会い
―学生時代はどのように過ごしましたか?
学生時代は、プロデュース研究会というサークルでの活動が中心でした。私は、音楽を演奏することよりも聴くことが好きでしたが、中学・高校では軽音楽部のように演奏をするクラブしかありませんでした。大学入学後、サークルの新入生勧誘でプロデュース研究会の話を聞いた時に、自分が好きなアーティストを学園祭に呼んで、企画・プロデュースするサークルだと知り、音楽と関わる手段として、演奏ではなく裏方を専門とするということに驚きと魅力を感じ、すぐに入部しました。
―プロデュース研究会ではさまざまな経験をされたそうですね。
プロデュース研究会では、代々の先輩からエンターテインメント業界でのアルバイトを紹介してもらえたので、コンサートの現場で搬出・搬入や警備のアルバイトをしていました。そこで、音響や照明のプロの方が、どのように舞台をつくっているかを目の当たりにしたことは、とても刺激的でした。舞台芸術について、もっと理論的に追及したいと思い、図書館に通って勉強をしているうちに、さらにのめり込んでいきました。

―サークルでの活動には、どのような気持ちで取り組んでいましたか?
私が3年生の時はバブル景気が最盛期で、大学の中も含めて世の中が浮かれているような状況でした。
私が大学に入学をする前の1970年代の大学生は、キャンパスミュージックやカレッジフォークという大学生活の中から音楽を表現する人がいて、それが世の中や社会のムードを左右するような影響力を持っているイメージがありました。それが、私が大学生になると、バブルの影響もあってか人に踊らされているような、やらされているような感じがあり、それを嫌だと感じた私は、自分の気持ちを主張できないか模索していました。学園祭では、有名なアーティストを呼んで人をたくさん集めるだけではなく、自分がそこに何らかの楔を打ち、爪痕を残したいという思いがありました。
―その思いが込められた学園祭の企画を教えてください。
私は「RCサクセション(※1)」というバンドが好きで、その中でもギタリストのCHABOさんに魅力を感じていたので、CHABOさんのソロコンサートができないか考えました。どうすれば実現できるかを考えた時に、CHABOさんやマネジメント会社の気持ちを動かすことができるような企画書をつくろうと思い、この企画が世の中に対してインパクトがあるということや、3万人近い明治大学の学生にアピールできるプロモーション効果があるということ、自分自身がRCサクセション、特にCHABOさんのことが好きであるということはもちろん、大学生が今置かれている状況から、私が何かを発信しなくてはいけないと思っているということを、手紙のようにレポート用紙10枚くらいの文書をつくってマネジメント事務所へ持っていき、マネージャーさんにお願いをしました。すると、数日後に電話がかかってきて、「野村君の企画だけど、やるよ」と言われました。とてもうれしかったですね。

当時の学園祭のパンフレット
―野村さんの思いが伝わったのですね。
1人の大学生の企画など相手にされないと思っていたので半ば諦めていたのですが、マネジメント事務所の方に喜んでいただけて、CHABOさんにも話をしてくださり「本人もやると言っています」と言われた時はすごくうれしかったですね。自分の思いが伝わったということを強く感じましたし、そこからは必ず学園祭を成功させようと力を注ぎ始めました。