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今の自分につながる原点が明治大学だった
(株)ヒップランドミュージックコーポレーション代表取締役社長・日本音楽制作者連盟理事長 野村達矢さん(1986年商学部卒業)

このことを仕事にできたらいいなと思った――。
BUMP OF CHICKEN やサカナクションをはじめ、数々のアーティストを世の中に送り出す野村さん。学生時代、学園祭の企画に打ち込んでいましたが、大きな分岐点となったのは、大学3年生の時にプロデュースしたコンサート。ある出来事からバックステージの野村さんに注目が集まったことが、 音楽業界を志すきっかけとなりました。

プロデュース研究会との出会い

―学生時代はどのように過ごしましたか?

学生時代は、プロデュース研究会というサークルでの活動が中心でした。私は、音楽を演奏することよりも聴くことが好きでしたが、中学・高校では軽音楽部のように演奏をするクラブしかありませんでした。大学入学後、サークルの新入生勧誘でプロデュース研究会の話を聞いた時に、自分が好きなアーティストを学園祭に呼んで、企画・プロデュースするサークルだと知り、音楽と関わる手段として、演奏ではなく裏方を専門とするということに驚きと魅力を感じ、すぐに入部しました。

―プロデュース研究会ではさまざまな経験をされたそうですね。

プロデュース研究会では、代々の先輩からエンターテインメント業界でのアルバイトを紹介してもらえたので、コンサートの現場で搬出・搬入や警備のアルバイトをしていました。そこで、音響や照明のプロの方が、どのように舞台をつくっているかを目の当たりにしたことは、とても刺激的でした。舞台芸術について、もっと理論的に追及したいと思い、図書館に通って勉強をしているうちに、さらにのめり込んでいきました。

―サークルでの活動には、どのような気持ちで取り組んでいましたか?

私が3年生の時はバブル景気が最盛期で、大学の中も含めて世の中が浮かれているような状況でした。

私が大学に入学をする前の1970年代の大学生は、キャンパスミュージックやカレッジフォークという大学生活の中から音楽を表現する人がいて、それが世の中や社会のムードを左右するような影響力を持っているイメージがありました。それが、私が大学生になると、バブルの影響もあってか人に踊らされているような、やらされているような感じがあり、それを嫌だと感じた私は、自分の気持ちを主張できないか模索していました。学園祭では、有名なアーティストを呼んで人をたくさん集めるだけではなく、自分がそこに何らかの楔を打ち、爪痕を残したいという思いがありました。

―その思いが込められた学園祭の企画を教えてください。

私は「RCサクセション(※1)」というバンドが好きで、その中でもギタリストのCHABOさんに魅力を感じていたので、CHABOさんのソロコンサートができないか考えました。どうすれば実現できるかを考えた時に、CHABOさんやマネジメント会社の気持ちを動かすことができるような企画書をつくろうと思い、この企画が世の中に対してインパクトがあるということや、3万人近い明治大学の学生にアピールできるプロモーション効果があるということ、自分自身がRCサクセション、特にCHABOさんのことが好きであるということはもちろん、大学生が今置かれている状況から、私が何かを発信しなくてはいけないと思っているということを、手紙のようにレポート用紙10枚くらいの文書をつくってマネジメント事務所へ持っていき、マネージャーさんにお願いをしました。すると、数日後に電話がかかってきて、「野村君の企画だけど、やるよ」と言われました。とてもうれしかったですね。

当時の学園祭のパンフレット

―野村さんの思いが伝わったのですね。

1人の大学生の企画など相手にされないと思っていたので半ば諦めていたのですが、マネジメント事務所の方に喜んでいただけて、CHABOさんにも話をしてくださり「本人もやると言っています」と言われた時はすごくうれしかったですね。自分の思いが伝わったということを強く感じましたし、そこからは必ず学園祭を成功させようと力を注ぎ始めました。

音楽業界を志すきっかけとなった学園祭のバックステージ

―学園祭では、他にどのような企画を考えましたか?

CHABOさんのソロコンサートを実現できるということが自信になり、さらに面白い企画ができないかと考え始めました。1つ目は、バンドの再結成です。当時、私は「ビジネス(※2)」というバンドも好きだったのですが、既に解散していました。 そこで、ビジネスの関係者の方に再結成をできないか相談したところ、元メンバーの方を集めてくださって実現することができました。現在は音楽に携わる者として解散したバンドが再結成することの難しさをわかっていますが、大学生の自分がそれを実現できたのは、運やタイミングが味方をしてくれたのかもしれません。

2つ目は、当時「学園祭の女王」と呼ばれていた人気アーティスト、山下久美子さんをお呼びすることです。山下さんの事務所へお願いに行ったところ、私がCHABOさんのソロコンサートや、ビジネスの再結成を実現しようとしていることを評価していただき、「山下久美子のライブをやるだけでは面白くない。山下久美子と植木等がミュージックビデオで共演しているから、明治大学の学園祭で2人のコンサートを実現させよう」と提案をいただきました。

3日間開催される学園祭の全ての日に豪華なゲストをお呼びできることになったことは、自信につながりました。

―今お話を伺っていても、豪華な企画で目白押しですね。

それからは、3日間の企画を大々的に宣伝したいと思い、テレビ・ラジオ・雑誌・新聞など、すみずみまでプロモーションをしました。そうすると、初めのうちは企画自体を取り上げてもらっていたのが、企画をした「面白い学生がいる」ということで私に注目をいただけるようになり、私自身が取材を受けることもありました。こうした現象は、一大学生の思いが社会に反映されていると実感し、やりがいがあって面白いと思いましたし、充実感にもつながって、さらに一生懸命プロモーション活動をしていきました。

―学園祭当日はいかがでしたか?

当日、一番うれしかったのは、CHABOさんを大学でお出迎えした時に、マネージャーの方が「彼がすごい企画書を書いた野村君です」と紹介してくださり、CHABOさんから「企画書読んだよ、よかったよ。ありがとうね」と握手を求めてくださったことです。その場では何気ない顔をして握手をしましたが、私はCHABOさんの大ファンで、憧れのアーティストから握手を求められることは考えられないことなので、内心はとてもうれしかったです(笑)。

その後、CHABOさんはリハーサルを終えて楽屋に戻られ、本番前に私が楽屋からステージまで案内したのですが、ステージに上がる直前にステージ袖で「野村君、今日のコンサート頑張るからよろしくね」ともう一度握手をして、ステージに出ていかれました。ステージ袖で見送った時、ステージのセンターに向かっていく後ろ姿がかっこよくて、「ステージに立つ人間になりたかったな」と、その瞬間は思いました。

ステージに立ったCHABOさんは、初めに「今日は明治大学の野村君のおかげでコンサートができます!」と言ってくださったのですが、それと同時に1000人以上のお客さんの視線が私に集まりました。その時、達成感や充実感が一気に押し寄せ、「本当にやってよかった」と思いました。直前までステージに立つ人間がうらやましいと思っていたところでしたが、バックステージにいる方が高揚するのではないか、ステージに立たなくても感じることができる喜びがあるのではないかと気付き、その瞬間に「このことを仕事にできたらいいな」と思ったことが、今この仕事をしている1番の理由です。

―現在のお仕事は、どのようなことをされているのですか?

音楽事務所で、主に新人アーティストを発掘してプロデュースし、アーティストと同じスタンスで明日を共に歩んでいく、ということを仕事にしています。BUMP OF CHICKEN、サカナクション、KANA-BOON などをはじめ多くのロックバンドと関わってきましたが、それは僕がRCサクセションを好きだったということが原点になっています。

私はコンサートの現場が好きで、開演前に客席の照明を暗くした瞬間にお客さんが 「ワー!」となる瞬間は、何度経験してもワクワクします。アーティストがステージに出てくるとまた「ワー!」となるのですが、私はこれらを「ワースイッチ」と呼んでおり、1つのコンサートの中でどのようにこのスイッチを仕掛けるかが自分の中の基準になっています。お客さんに「ワー!」と言って感動や喜びを与えるために何をしたらいいのか、一生懸命演出を考えることが僕のモチベーションとなって、30年以上この仕事を続けています。毎日毎日そのことを考えていますが、全てはCHABOさんのコンサートを実現したあの日につながると思います。

―それほど思い出深い学園祭のコンサートになったのですね。

コンサートを実施した明治大学記念館も、思い出の場所になりましたね。とても古くて、かび臭いような独特なにおいがして、今にも壊れそうだという記憶があるのですが、そこに1000人以上のお客さんが集まったので、本当に崩れてしまうのではないかと心配しながらコンサートをしていました(笑)。今はなくなってしまい少し寂しいですが、現在のリバティタワーは記念館を思わせる意匠が残っているので、御茶ノ水に行くとうれしくなります。

オフィスには所属アーティストによる数々の受賞トロフィーなどが並ぶ

明治大学は今の自分へつながる原点

―野村さんが考える明大生について、お聞かせください。

明治大学の学生の中には、他大学の受験に失敗したコンプレックスを持っていたり、自分たちが1番だとは思っておらず、トップを追いかける2番手の気持ちや、対抗意識を持っていたりする学生が多くいると思います。私も働き始めてからそういう気持ちを持って日々努力をしているのですが、トップにいて追いかけられるよりも、後ろから追いかけていく気持ちがとても大事だと実感しています。トップの人たちを追い越していこうという気概の中で生きていけること、一度負けたから落ちこぼれていくのではなく、そういう悔しさをばねにして登っていこうという気持ちを忘れないでいることが、明治大学の良いところだと思います。音楽業界にも明治大学卒業生の方がたくさんいらっしゃいますが、卒業生同士でよく集まるのも明治大学の特長かもしれませんね。みんなで飲みに行って、「強い者に負けないぞ」と語り合ったり、校歌を歌ったり、愛校心が強いなと感じています。社会人になって、いつまでも校歌を歌うというのは中々ないと思いますよ。それほど明治大学は魅力的な大学だと思いますし、私は今でも大好きです。

―大学生活の4年間は、どのような時間だと思いますか?

大学生活の4年間はモラトリアムという言われ方をされることもあり、人生の中のたった4年間ではありますが、すごく自由な時間だと思っています。義務教育プラス3年の学生時代から社会に入るまでの狭間の期間で、ある種の主体性というか、大人になりながらも社会の責任を負うまではいかない部分があります。精神的には大人ですが、社会的には大人ではなくて済むという少しずるいところもありますが、いろいろなことにチャレンジできるタイミングです。

私は大学を卒業して30年以上経ちましたが、未だに大学生活のことでお話をすることがあるというのはとても貴重なことですし、大事な4年間だったと思います。社会に飛び立つ前に、さまざまな経験や、夢を追いかけることができ、精神的にも肉体的にも余裕がある自由闊達な時間だと思うので、今の大学生にもそのことを感じて、大切な時間を過ごしてもらいたいです。

―野村さんにとって、明治大学とはどのような場所ですか?

自由な大学生活の中でも、明治大学は特に自由な校風で、それが僕にいろいろなことをさせてくれたので、今の自分につながっていると思います。今でこそ自分のやっている仕事を通じて、世の中に広く知れ渡るアーティストと関わりあったり、音楽プロダクション約230社が加盟する音楽団体の理事長を務めたりしていますが、そういう立場になれたということの原点も、学園祭で自分がコンサートを企画したところにあり、その企画したコンサートをできる校風やシチュエーションが、土壌として環境としてあったのが明治大学なので、そういった今の自分につながる原点が明治大学だと考えています。

―明治大学は2021年に、創立140周年を迎えました。

この度は、創立140周年おめでとうございます。私の人生の中で、明治大学で過ごした4年間はとても重要な意味をもたらしていて、学生時代に明治大学だからこそできた経験が、今の自分自身の形成や、人生に影響を及ぼし、今の時代を過ごすことができています。これからも明治大学には、日本の中心の、東京のど真ん中にある大学として、多方面で社会に貢献する、優秀で魅力的な学生を輩出する素晴らしい大学でいてほしいなと思います。

―最後に、今の明大生に向けて、先輩として応援のメッセージをお願いいたします。

大学生活でぜひ、多くの友人をつくってほしいなと思います。コロナ禍では多くの授業がオンライン授業となり、キャンパスへ行く機会が少ない中で難しいかもしれませんが、大学時代の友人は生涯大切な仲間になると思います。大変な日々が続くと思いますが、がんばりましょう。

※1 RCサクセション:ボーカルの忌野清志郎とギターのCHABO(仲井戸麗市)を中心として80年代に時代を席巻したロックバンド
※2 ビジネス:ボーカルに美空どれみを擁するスカバンド

野村さんからの動画メッセージを公開しています

野村 達矢
1962年東京都生まれ。1986 年明治大学商学部卒業後、 同年(株)渡辺プロダクション入社。1989年(株)ヒップランドミュージックコーポレーションに入社し、2019年に同社代表取締役社長に就任。同年、日本音楽制作者連盟理事長に就任