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明大スポーツ新聞縮刷版を刊行しました

これまで長年にわたり本学体育会の活躍を報じてきた明大スポーツ新聞が、紙齢500号を迎え、折しも本学創立140周年記念の年にあたることから、
これを記念し、縮刷版(第4巻)を制作しました。

今回発刊した縮刷版第4巻では、同紙401号~500号とその間に発行された号外を掲載しており、本学および本学スポーツの栄光の歴史を知るうえで貴重な資料になっています。

今回はその縮刷版の中から、現在もご活躍されているアスリートの方へインタビューを行いました。

縮刷版についてのお問い合わせは こちら(明スポWEB)

田村優さん(ラグビー部・2011年文学部卒)
第402号(2010年11月発行)

インタビュー

――明大ラグビー部に進学した理由を教えてください。

明治大学に進学した理由は、仲が良い友達が行くということを聞いたのがとても大きかったです。高校時代からの友人で、もう今はラグビーはやっていないですが、友達の選手で彼が行くなら行こうと思いました。

――ラグビー部での思い出はありますか。

かなり昔のことで覚えていることはほとんどないですが、大学時代の選手生活は充実していました。今でも会うくらいに(仲が)続いている友達と出会えたので、思い出というか行ってよかったと思います。

――大学時代の印象深い試合はありますか。

やはり早稲田との試合は特別な試合で大きな試合でもありました。本当に早稲田が強いチームだったなと印象に残っています。

――明大ラグビー部のファンの方はいかがですか。

古くからある伝統あるチームで、応援していただけることはありがたかったです。ファンの方と直接交流を取ることはなかったので、なんとも言えないですが、学生も応援に来てくれますし、そこはとても熱烈だと感じていました。

――明早戦の解説を務められていかがでしたか。

本当に強いチームだなと感じましたし、解説をさせて頂く機会をいただけて本当に感謝しています。自分の試合があることが多いので、そうでないときにはできるだけ明治のラグビーは見るようにしています。国学院栃木出身の選手も多いのもうれしいです。

――今後の明大ラグビー部に目指して欲しいチーム像はありますか。

やはり勝っている姿を見たいので、そこは楽しみにしていきたいなと思っています。OBとして嬉しいです。あと、明治卒の選手とは一緒にプレーしてみたいです。

――明治大学、明治大学ラグビー部でどんなことを学びましたか

明治大学やラグビー部を通してチームみんなで目標に向かって頑張ることや、ラグビー以外のこともたくさん勉強させてもらいました。

――学生に向けてメッセージをお願いします。

一度しかない学生生活なので楽しんでもらえたら良いと思います。

小川雄勢さん(柔道部・2019年政治経済学部卒)
第458号(2015年10月発行)

インタビュー

「明治大学は『個』を尊重する大学」

大学時代の数々の試合を振り返って

――お父様(小川直也氏)も優勝なさっている、全日本学生体重別大会(以下全日本)を振り返っていかがでしたか。

幾度となく「俺、大学1年生の時に初めて優勝して」と父から聞かされていました。それが初めての父の日本一のタイトルなんです。その話を聞いていたのもあって、自分がその試合に出ることになった時、1年生であることはあまり気にしなかったですね。優勝できるだろうなとも思っていたので。

――その自信はどこから生まれたのでしょうか?

大学に入ってかなり練習もしていたので、単純に自信がありました。練習しているし、負けないだろうなという謎の自信が(笑)。内容は結構ギリギリだったのですが。

――1年生の時に父親が優勝していたからとか、そういう思いは関係なかった?

そうですね、全然関係なかったです。謎の自信でした。

――ずっと聞かされていたと仰っていましたが、いつ頃から聞かされていましたか。

高校生の時です。高校選手権で優勝して、そのときに初めて日本一を経験したのですが、その際に父と初めての日本一の話をした時に聞きました。

――2年次に全日本で2度目の優勝をなさった時はどのようなお気持ちでしたか。

2回目だから楽とかいうことは全然なくて、逆に身が引き締まる思いでした。2年生の時はまだ上級生の方が多いので、優勝できるだろうというより、もう一度優勝してやろうという気持ちで試合をしていました。

――明スポで一面を飾った初回の全日本優勝の時ほどは大きく取り上げられなかったものの、ご自身の中で印象に残っている試合などはありますか。

やはり負けた試合で1番印象に残っているのは団体戦です。3 年生の時の全日本学生柔道優勝大会決勝で負けました。見事に自分がやらかして負けたんです。それは今でも一番よく覚えています。あれだけはなかなか忘れられないですね…あれがいちばん悔しかったかもしれない。迷惑をかけた感がとても強く、自分があそこで勝っていたら(結果が)違っていたのではないかと今でもたまに思います。負けた試合はあんまり忘れないですね。やはり上級生に申し訳なかったということでよく覚えています。

――勝った試合では(印象に残っている試合は)ありますか。

4年生の時の全日本選抜体重別選手権です。あの大会は、前年の講道館杯で優勝して、グランドスラム東京も優勝した後で、勝ったら世界選手権に出られるかもしれないという状況で勝てたというのがすごく嬉しかったですね。世界選手権に出られるかどうかが懸かっている状態で勝つことって大事なことだと思うので。そこでしっかり勝ち切れたというのは自分の中ですごく自信になりましたし、とても嬉しかったのを覚えています。

明治大学を振り返って

――学生時代を振り返って、部活動のことだけではなく普通の学生らしいキャンパスライフのことなども踏まえていかがでしたか。

学生時代はやはり柔道の活動が多く、入学した年の4月から遠征でロシアに行っていたため、スタートがかなり出遅れて周りはみんな友達ができている状態でした。クラスもある程度、輪ができていて、自分の席を探すところから始まりました(笑)。

――和泉と駿河台のキャンパスライフで、どちらがより印象に残っているなどありますか。

どちらも印象に残っていますが、和泉の方が大変だった印象はありますね。合宿所が目黒にあって、練習場が駿河台の方なので、通うのが大変だった印象があります。

――部活動のお話を伺いたいのですが、4年間振り返っていかがですか。

試合はもちろん、寮生活など、本当にいろいろな経験をさせてもらったなと思いますね。

――大学時代の柔道部以外のエピソードを教えてください。

一度、相撲部に練習に行かせてもらったことがあります。前日に監督から「明日は相撲部に練習行ってこい」と言われて行ったら、足がパンパンになるくらい四股を踏まされました(笑)。四股を踏んで、すり足をやって、石を持たされて、ひたすら脚のトレーニングをさせられたのを覚えています。僕は一回しか行っていないのですが、他の部員も何人か足腰が鍛えられるからという理由で行かされていましたし、自主的に行っている人もいたと思います。

――お父様も明治大学のご出身ということですが、どうして明治大学に進学しようと思われたのですか。

僕の柔道を始めたきっかけが、明治大学で柔道を始めたことなんです。僕が小さい時、父は格闘技の練習として、柔道の練習をしに明治大学に行っていました。その練習について行った時に、その当時の秀島監督に柔道着を着せてもらい、教えてもらったのですが、それがかなり楽しくて。そこから柔道を始めたいと思ったので、明治大学に入りたいというのはありましたね。

――明治大学では何を得られましたか。

明治大学で得たものはたくさんあります。もちろん肉体的にも強くなりましたし、技術的なものも身につきましたが、やはり精神的に大きく成長できました。試合に勝った後のインタビューであったり、こういう機会(取材)も増えたりして、高校生のときはそういうのが苦手で、結構話さないことも多かったのですが(笑)、でもそういうことがしっかりできるようになったというのも、明治大学で学べたことの一つなのかなと思います。

――小川さんにとって、明治大学はどのような大学でしたか。

大学として、「個」を尊重するというのが明治大学にあるじゃないですか。本当にその通りだなと思ったことが多かったです。監督やコーチが部員に柔道を教える時も、僕たちの「個」を大事するというか、全員こうしなければいけないという練習ではなくて、自分で考えてやるというのが結構多かったですね。

――たしかに明治大学って学生主体の体育会の部活が多いような気がします。

そうですね。話を聞くと周りでも結構そういう部活が多かったので、そういうところを大事にしているのかなと思いましたね。

――小川さんにとってお父さんの存在とは。

これは結構色々なところで聞かれるのですが、年齢によって感情が変わるんですよね。それこそ高校生の時は僕が優勝しても、僕が優勝したことよりも父がいるからすごいという見られ方をすることが多く、嫌だと思う時期が多かったです。でも、大学生になってからはそこまで気にしなくなりました。そう考えると、精神面でも大学で成長出来たのかなと思います。柔道をやっていると、父がとってきたタイトルや実績のすごさがわかりますし、僕自身がここまで柔道を続けているからこそわかることもあるように感じます。やっぱり一周まわってすごいなって思います。

――今後の目標をお願いします。

もちろんオリンピックや世界選手権で優勝するというのが一番の目標なのですが、やはりこういう状況になって色々考える時間が増えました。自分があとどれくらいできるのかなということも考えたりするようになって。そうすると、やはり一つ一つの試合で結果を残していくというのが一番大事なのかなと思います。僕は今パーク24に所属しています。学生のときとは違い、お金をもらいながら柔道ができるというとても良い環境にいるので、結果を残していくことが一番大事だと思います。その上でオリンピック、世界選手権を目指していきたいと思います。

――最後に明治大学の後輩にメッセージをお願いします。

今はなかなか自分のやりたいことができない状況にあると思うのですが、それは誰のせいとかじゃなく、みんな一緒だと思います。僕も試合が延期になったりして、なかなか難しい時期が続いています。その中でも、学長(土屋前学長)の言葉を借りるなら「常に前へ出る」ってことしかないですね。僕の卒業の時に「厳しくなったときほど、崖っぷちに立ったときほど前に出ろ」と仰っていました。今は思うように出来ないことが多い状況ですが、常に前を向いて頑張って欲しいと思います。

小川 雄勢さん

小川 雄勢(おがわ・ゆうせい)
1996 年神奈川県生まれ。バルセロナ五輪銀メダリストの小川直也氏(1990 年経営学部卒)を父に持つ。大学在学中に5度の日本一を経験した。卒業後はパーク24株式会社に所属し、オリンピックや世界選手権を目指して日々練習に取り組んでいる。