7月23日、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんの特別講演会「こころとかたち」が駿河台キャンパスで開催されました。
講演会の3日前に玉三郎さんが重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されるという嬉しいニュースがありましたが、このことについては「私のようなものが……と思いましたが、後進の指導と将来の歌舞伎のためにということだったのでお受けしました」と謙虚なお話ぶりでした。
歌舞伎の世界を代表する女形である玉三郎さんが、歌舞伎の芸の継承と現代の教育が抱える問題点や、舞台上の心がまえを、文学部神山彰教授との対談形式で語った様子をレポートします。
暗黙知の重要さ
普段私たちが生活している中で、無意識にしていることやどこで覚えたのかさえもわからないようなことがありますが、それらを「暗黙知」というそうです。
昔はコツやカンなどの暗黙知が企業などの組織内で代々受け継がれていく文化がありましたが、雇用形態の変化などによって、マニュアルや電子情報などで仕事を教える「形式知」化が進んでいます。
しかし、口伝えで仕事や芸を教える職人や伝統芸能の世界では暗黙知が大切にされてきました。言葉では説明できない、芸のカンのようなものが身につくということで、昔の歌舞伎俳優は主人の家に住み込む内弟子が主だったそうです。
名優十四世守田勘弥の養子となり、共に生活する中から学んだこと
「終演後、夜の22時ぐらいから翌2時頃まで晩酌に付き合うのですが、ほとんどが芝居の話でした。父はそのつもりではなかったかもしれませんが、常に教えていたんでしょうね。他にも父と一緒に暮らす中で覚えたことはたくさんあります。その中で覚えていったことは、とても大切なことでした」
「その人が一番大事にしていることを見るのが一番の学びですし、見たいと思うことが学びたいという気持ちですし、それを見せてあげることが教育者の姿勢だと思います」
二世藤間勘十郎から口伝で舞踊を教わっていた時代
「踊りの手を書いた踊り譜のようなものでさえも、自分たちの時代にはなかった。例えば、先生が3回一緒に立って教えてもらって、覚えられなかったら終わりなんです。なかなか3回では覚えられないものですが、覚えた顔をしてあとから先輩にもう1度教え直してもらう。先輩に教え直してもらうというプレッシャーで覚えたものでした」
これからの教育
「最近では、舞台の映像資料もあり、人と人とが顔を合わせて教え合うことが減りました。一対一でしか稽古ができなかった時代を考えると、先行きを見通すカンのようなものが身につかないのではと危惧しています」
「しかし、私たちの時代でさえ、膝も崩せなかった、暑さ寒さがしのげなかった時代に比べれば随分と楽に稽古ができるようになりました。どんな時代でも変わっていくのが人間の常。溢れる情報や画面に映るものを否定するのではなく、真実を模索し、考え、想像すること、今どういう風に変わり、自分がどのように歩いていくかを見定めることが大切です。自分もお会いしたこともないような先輩俳優の映像を観ることができるというのはありがたいことですし、今後これをどのように使うかが重要になってくると思っています」
舞台上での心がまえ
客観と主観のバランス
「舞台上で見られているという意識がある間はだめかもしれない。ただし、その意識がなくてもだめです。でも、本当にその役に入ったときは、見られていることを忘れますね。だから、客観と主観は同時になくてはならない。鏡を見ることと同じです。鏡を見ては身なりを直すのと同じで、見られてこそ育つのです」
「歌舞伎は動いて台詞を話しているよりも、静止している時間の方が長い。その間にどれほど精神が動いているか。そういう意味での熱演でなければならない。身体的なエネルギーと魂のエネルギーが交錯していくのです」
虚構や“殺し”から生まれる美
「役をやるということも虚構ですが、その前に自分の性(さが)を曲げているので、虚構の虚構ということになります。二重の虚構を真実に見せるということは難しい。しかし、だからこそ純度の高いものができあがるのです。例えば絵画などでも、精密に描いてあるかどうかは別にしても、絵の裏に画家の苦しかった人生がある。ここにあるものでも、絵を通して見る方がはるかに心に訴えかけるものを持っている。これが作品の世界というものなんでしょうね」
女形の玉三郎さんは、背が高いために苦労したそうです。舞台上では、膝を折るなどして体を“殺し”(背を低く見せ)演じてきました。その一方で、“心を殺す”ことは。
「いい意味で気持ちを殺すことはあります。作品の中で解放感を味わうためには、“溜め”がなければならない。例えば和音で開放される前には、必ず不協和音があります。気持ちの“溜め”があって終幕に向かっていくことで、お客さまも心が解放される。強弱をつけなければ、清涼感を与える芝居はできない。体を“殺し”、男である自分を“殺す”ことによって、美しく見せ、作品が成り立っているのです」
「役に枷がかかるという言い方がありますが、条件が重なる役はやりやすい。例えば、『妹背山婦女庭訓』のお三輪は、激しい恋をしている、身分違いの恋である、官女に虐められる……、この枷が破けたときが一番ドラマティックなんです。思いの伝わらなかった女の悲しさを見せるのではなく、彼女の思いの強さを見せたいと思って演じています。これだけ思い込んで、そのために命を費やすことができるほど思いの強い人間がいることがわかればいいのです」
玉三郎さんは、精力的に新作や現代劇、京劇などを演じていますが、古典にも定評があります。
「自分が今の世の中に生きていて、感動できる物語なら、別に古典でなくてもよかった。一瞬一瞬が自分の気持ちの感覚にぴったり合えば、江戸時代のものでも違和感を覚えないからです。逆に、どんなに現代的な脚本を与えられても、共感できなければ近代のものも理解できません。僕は古典をやってきた感覚はあまりないのです。だから平気で近代のものや海外のものもできるんでしょうね」
作品のジャンルに縛られず自分の心に響いたものを演じるという、古典芸能の世界では異質とも感じられる玉三郎さんの信念は、明治大学の「個を強くする大学」という理念に重なるように思います。
若い世代へのメッセージとして「情報に頼らず、実物をよく見ることや体験することを大切にしてほしい」とおっしゃった玉三郎さん。その穏やかな声、品格のある所作、華のある佇まいこそが、「暗黙知」の美というものを雄弁に物語っているようでした。
●坂東 玉三郎(ばんどう・たまさぶろう)
1957年『寺子屋』の小太郎で坂東喜の字を名乗り初舞台。1964年、坂東玉三郎を襲名し十四代守田勘弥の養子となる。数々の受賞歴があり、2012年7月20日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。