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2016年度 卒業式 学長告辞「鳥よりも高く」

2016年度 卒業式 学長告辞「鳥よりも高く」



卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。今日は2017年3月26日。それは何かを記念する日ではないけれど、君たちが明治大学を卒業する日として、君たちの記憶の中で色あせることのない記念の日となる。それは全ての人の記念の日ではないけれど、今日まで君たちを見守ってきた人々が今一度君たちのこれまでの日々を思い起こす確かな記念の日となる。君たちが小学校に入学した時のことを知る人には、今日の君たちの姿は誇らしく見えるのはもちろんのこと、喜びとなつかしさの記念の日ともなる。

君たちが卒業する明治大学は、136年前の創立の時から、青春の大学でした。まだ30歳前後の若き三人の青年法律家によってこの大学は創られました。私立大学としての自由を掲げて創られました。そして今も、明治大学はその思いを受け継いだ青春の大学です。自由と活力を中心にして新しさを求め、未来を求めて前に進んでいます。その活力は君たちの大学生活のうちに確かにあり、これからの日々を支えてくれます。

これから君たちは社会に出て会社や組織に入って行くことになります。そこで必要なことは実はそんなに多くはありません。10数年前、私は、ある銀行のアメリカ駐在員と知り合いになりました。彼は、10年ほどアメリカにいて、バブル崩壊後の不良資産の整理にあたっていたバンカーであり、有名なゴルフ場であるペブルビーチ・ゴルフクラブの整理を担当していました。その彼に、「最近はグローバル人材と騒がしいけれど、グローバル人材とは何だと思うか」と聞いたことがありました。彼は即座にこう答えました。「土屋先生。それはインテグリティーですよ」と。インテグリティーとは、高潔さとか誠実さという意味です。
英語が話せようと、プレゼンテーションがうまくても、誠実でなければ、誰もついてきてくれません。アメリカ現地の従業員の信頼を得るには、日本本社の意向ばかりを考えていてはだめなのです。自ら従業員に向き合い嘘をつかず、自ら決断しなければなりません。そこで他者への誠実さが、インテグリティーが問われるのです。

今の世界から、この他者への誠実さが失われようとしています。排外主義と傲慢な愛国主義が、この世界の多様で自由な姿を否定しようとしています。そこでは国境によって内と外とを断絶して、異なる者たちを排除しようとする野蛮な声が叫ばれています。私たちに必要なことは、この世界が一つの原則によって動いているのではないことを知ることです。世界には異なる声があり、その異なる声の結びつきの中にしか、世界の平和はありません。「一つになれ」という声ではなく、多様なままにあれという主張こそ、世界の未来を開いていく声です。君たちがこれから世界へと出ていく時、自分とは違うものを認め、他者に対して誠実であることが、何よりも求められてきます。自分自身に対してと同じく、他者に誠実であれ。そう世界は、君たちに語りかけているのです。

そのために必要なことは、世界への想像力です。既成の枠組みをこえていく想像力です。詩人であり演出家でもある、現代日本を代表する一人、寺山修司氏はこう言ったことがありました。「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である」。ダーウィンもこう言っています。「想像力は人類に特権的な、最高の能力である。人はこの能力を使うことで、以前いだいたイメージや考えを無関係に結び合わせ、みごとに新しい結果を生み出す」。私もそう思います。目の前の事柄に対して、ちょっと違うラインを引いて見る。誰かの言葉を知って、その言葉から発想してみる。本を読む意味もそこにあります。自分の言葉や、これまで考えてきたことから、ちょっと逸脱してみれば、違う世界が見えてきます。レディ・メイドの枠を逸脱し、日本という国からも逸脱する想像力がなければ、世界を生きることはできないでしょう。
 
今日、君たちは明治大学を卒業します。鳥よりも高く飛ぶがいい。そして羽を休めたくなったら、明治での日々を思い起こして、自由な青春を呼び戻して、何でもできる力を取り戻せばいい。卒業生の皆さん。グッドラック。きっと良い人生があるでしょう。どんな困難があっても、きっと誰かが助けてくれる。絶望など人生には必要はない。全てを捨てるようなことがあっても、まだこの世界には生きる楽しみがある。そして再び全てを得ることができる。70歳になった私が言うのだから、間違いはありません。もう一度言おう。グッドラック。良き人生を。卒業おめでとう。