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2004年度 明治大学人文科学研究所「公開文化講座 高知」

-総合テーマ-『人々の暮らしと自然—父なる山,母なる海』
明治大学人文科学研究所 公開文化講座開催委員会委員長 水野 光二
 

 明治大学人文科学研究所は,日ごろより本学専任研究者と地域の方々との密接な連携のもと,地域文化の現在を研究の現場に吸収することにつとめると同時に,研究成果を地域に向けて開放するという大学と地域との相互化された知の交流をめざしてきましたが,その一環として,毎年各地で公開文化講座を実施してきました。この企画も回を重ね,扱われてきましたテーマも多岐にわたり,その目的は大いに実をあげてまいったものと自負しております。毎回テーマはさまざまに衣替えをしますが,大学を象牙の塔にはしないという情熱は変わることなくこの公開講座を支えてまいった次第です。

 さて,昨今世界の政治情勢はますます不透明になるばかりで,対話よりも,暴力の応酬にはどめがかからない世の中になかなか明るい未来はいまだ展望し得ないでいます。また,今年はいつになく異常気象にふりまわされたことも,記憶になまなましいところです。猛暑の連続記録,台風の記録的な上陸,惨禍をもたらした中越地震—こうした自然災害はある種やむを得ないものと,これからも耐えていくしかないのかもしれません。しかし人里に出没する熊のニュースはさすがに異常気象のもたらした餌不足のせいだけにしてすませられる問題でなく,むしろ人間による自然環境の破壊こそが問題視される格好の事例となりました。

 21世紀のテーマは民族,文化の共生であると同時に自然との共生という問題ももはや一刻も先のばしできない人類の緊急課題と思われるのです。自然は環境破壊という犠牲のうえに経済の繁栄をもとめつづける人間のおごりに必ずや報復するものと思いをいたさねばならないのです。

 こうした問題意識からわたしたちは今回,まだまだ豊かな自然が残るこの土佐,高知において,人々のくらしと自然について考えるひとときをもつことは時宜にかなったことと考え,今回のテーマを選びました。講師の本学理工学部教授遠山義孝氏のご専門は平和の問題,民族の共生の問題ですが,近年登山の精神史的意義についての考察にも意欲をしめされ,また自らも登山を実践されておられます。アルプス登山の魅力をお話しになる背景には,環境破壊にたいしての氏の警告の思いが秘められていると思われます。また今回主催者の望外の喜びは,高知県三原村のご出身で,現在,同村に在住の写真家である松田建一氏をゲスト講師にお迎えできたことです。

 写真はある意味,言葉よりもはるかに多弁であることを実感できるひとときを過ごすことができると思います。

 この公開講座を機縁に,高知の人々と明治大学との交流が今後ますます盛んになることを心から願っています。

日時: 2004年12月11日(土)午後2時30分~4時40分
会場: 高知市文化プラザ「かるぽーと」11階大講義室
主催: 明治大学人文科学研究所
後援: 高知市教育委員会,高知新聞社,RKC高知放送,明治大学校友会高知県支部
聴講: 無料(事前の申し込みは必要ありません。直接会場にお越しください。)
お問合せ: 明治大学人文科学研究所 TEL 03-3296-4135

ふるさと北・南

写真家  松田 建一
 
 FAO(国連食料農業機関)によると,平成13年の世界の海産物の漁獲高は養殖物を除いて約9400万トンであり,日本の漁獲高はその5.2%に当たる約484万トンに過ぎない。だが,全世界の消費量1億87万6千トンのうち,その8.4%の約845万トンを日本が消費している。養殖と輸入に頼る比重が極めて大きいのだ。乱獲は勿論のこと,自然破壊による沿岸の資源減少がそのことに深く関係している。

 「海を見んとすれば森を見よ」と言われて半世紀以上経つ。森は有機物,チッソ,リン,バクテリア,鉄イオンなどを川を通じて海に運び,それらが太陽光線を受けて栄養塩となり,コンブなどの海藻を育て,植物プランクトンを発生させる。その植物プランクトンを餌に貝類や動物プランクトンが成長し,その動物プランクトンを餌に小魚が育ち,その小魚を大型・中型魚が食う。これが「森は魚のふるさと」と言われる所以である。日本の漁獲高の30%強を占める北海道の,オホーツク海沿岸が海産物の豊庫なのは,ロシアのアムール川河口から毎年南下してくる流氷が森の栄養素を抱いているからだ。

 しかし,物質文明の副作用によって地球の温暖化が進めば,流氷もやがて訪れなくなる日がくると危惧されている。にもかかわらず,私たちは大自然への畏怖と感謝を忘れ,物質文明に振り回され,経済を追って地球という生命体を傷つけ続けている。自然破壊・環境破壊の,その最たるものが戦争だ。森が消え,川が汚れ,海は衰弱する一方である。

 地球の表面積の4分の3を占める海は私たちに生命の糧を与えてくれる母なる存在だ。海の恩を思えば自然と人間,人間と人間,国と国との共生の姿勢が根底から問われる。

 大自然のあらゆるものをカムイ(神)の化身と信じたアイヌ民族を始め,北と南の海に生きる人々のスライドが私たちの足元を見つめ直す一つの契機になれば幸いである。

主要著書: 『光る風 四国最南端の村』『カムイの歌』『海の呼び声,地の果ての声』(高知新聞社)など。

登山の魅力とその文化的背景-アルプスを中心に-

明治大学理工学部教授  遠山 義孝
 

 当代随一の登山家ラインホルト・メスナーは「登山は人生の学校である」と語っている。彼が人生の縮図に例えた登山は他のスポーツとは異質のもので,あらゆるスポーツを超越しているといっても過言ではない。つまり登山のいいところは,他のスポーツと違って「競争」ではないことである。各自が自分のペースにしたがって山頂を目指す,それがルールである。登山には経験と知識が必要であるが,高い山ばかりが尊いわけではない。山の高い低いで登山の厳しさが異なることはないし,低い山には低い山なりの魅力が十分にある。そのためであろう,登山ほど魅力豊かな文学を生んだスポーツは他には見当たらない。

 私は長年の哲学・ドイツ文学の研究過程で,洋の東西を問わず少なからぬ文学者や思想家が山をテーマに,あるいは山を媒介に作品を残していることを知った。

 ヨーロッパ圏で「山と文学」の系譜をたどる場合,ペトラルカを嚆矢として,ハラー,ルソー,ゲーテの3人の名が登場する。いずれもアルプスと関わりのある作品を残した文学者たちである。特にハラーの長編詩「アルプス」(1729年)は,それまで醜い岩と氷の塊りとされてきたアルプスが実は美しいものであることを主張,従来の負のイメージを一変させた画期的なものであった。これが近代アルピニズムに連なっていくのである。

 日本には古くから信仰登山があったが,明治期の登山は西洋思想の移入という形で広まった。信仰登山からの断絶としてのアルピニズムの誕生といってよかろう。それから百年余の間に日本は登山大国になった。最近は中高年の登山ブームなどともいわれ,安全登山と環境保護が声高に叫ばれている。登山という行為も人々の暮らしと自然の調和のもとでなされる必要がある。 このような文脈の中で,今回,「登山の文化誌」事始めの一端をご紹介できたらと考えています。

主要著書: 『カント実践哲学と平和の理論』(独文,ドイツにて出版),『ショーペンハウアー』,共著に『哲学—現代の思索のために—』,『ドイツ語の決まり文句』,訳書にC.F.v.ヴァイツゼッカー『核時代の生存条件』,『心の病としての平和不在』,カント『永遠平和のために』(岩波カント全集)など。