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専任教職員36氏が退職

明治大学の教育や研究に長年尽力してきた専任教職員36氏が、3月31日で定年退職を迎える(定年退職32氏、選択定年制度による退職4氏)。

凝縮回想

理工学部教授 三木 一郎

40年以上にわたり生田キャンパスで過ごしてきた。若い頃はとにかくよそ見をしないで一生懸命やるべきことをやった。大学で育ち、あまり人と接触しない時期もあり、おそらく世間知らずであったろう。私は本学で3人の恩師に出会った。恩師のおかげで少しはまともな社会人になれたのではないかと感謝している。年を重ね内外の学会活動に参加するようになると、交流の幅がいっきに拡大した。30代後半に在外研究で米国に滞在したことは、視野をさらに広げる意味でも非常に有益であった。大学間の移動も含めて車でアメリカを横断した体験は決して忘れないだろう。当時、大学院生だった人達との交流は今でもある。

明治大学では、研究はもちろんのことさまざまな活動が比較的自由にできる。明治大学の大きな魅力であり、大学として重要なことだ。コロナ禍の後、大学は教育システムを含め改革が求められるであろう。どのような時でも明治大学がその存在と価値を世に示せる大学として発展し続けることを心から願っている。

メイジとともに半世紀、ありがとう

商学部教授 栁澤 敏勝

1969年4月に商学部入学後、大学院も含め、私の人生は明大とともにありました。半世紀です。しかし何と激しく動く時をメイジとともに過ごしたことでしょう。入学した途端にロックアウトになり暮れまで授業はありませんでした。阪神大震災で開けた1995年に在外研究の機会を頂戴しましたが、出国直前に地下鉄サリン事件がありました。少しずれていたら命を失っていたかもしれません。留学先のイギリスで真相を知りました。1997年に帰国したら何やら不穏な空気が…。キャンパス正常化に取り組むきっかけとなりました。そしてメイジを卒業する今年、コロナの襲撃です。とはいえ、納谷廣美学長の下での8年間、体育会を含む学生生活の充実に挑戦できたことは幸せでした。元総長、栗田健先生の大きな学恩にはとても応えきれていませんが、志願者10万人が15年も続くような大学づくりの一翼を担うことができたとすれば、少しは恩返しができたのではないかと秘かに思っています。半世紀、実に多くの方々に感謝です。

これからも「ワンチーム」で頑張ってください

調査役 増田 隆夫

いよいよこの3月末をもって、半世紀に及ぶ職員生活に、ピリオドを打つこととなり感無量です。職員生活を振り返りますと、常に過渡期だったようにも思います。

奉職当時の事務処理は、全てが手作業でOA化が進み業務の転換・書式等見直しを余儀なくされました。一方で、入試業務を皮切りに履修・成績処理・学籍処理の電算化が進んでいくことになります。このシステムを、職員自らコボル言語でプログラムするという、無謀とも思えるプロジェクトが動き出しました。その後、教学全般の各種プロジェクトが立ち上がり、要領等の見直しや制度を含む変更・整備が行われ、本学のシステム全容が完成したのが、丁度リバティタワーの完成間際だった記憶しています。

リバティタワーが建ってからは、都市型大学として名実共に変貌を遂げ、社会的な評価も高まり、学生の質、教育・研究の質も目に見えて向上したと感じています。

ここ数年の入試では志願者が10万人を超え、関東の私立大学人気№1となっています。

このことは、我々職員にとっても誇りであり、意気に感じています。これからも職員一人ひとりの努力と協力「ワンチーム」で明大ブランドにこだわり頑張ってください。

明治大学と共に

調査役 坂元 昭一

構造設計事務所と建設会社勤務を経て、1993年に施設課へ奉職しました。最初の仕事は、豚舎の設計と駿河台地区再開発計画でした。随分と守備範囲が広いなと、明治大学の懐の深さに感心したものです。

リバティタワーでは、エスカレーターを計画するよう指示しました。当時のエスカレーターはデパートなどにしか設置されていないため、贅沢ではないかとの意見が理事会などで出ました。学生の交通量計算のデータを示してエレベーターでは処理できないことを説明し、了承を得た結果、日本で初めてエスカレーターを本格的に設置した大学建物が実現しました。アカデミーコモンのホールは座席の筆記台を使用していても前を人が通れるスペースを確保し、講演会や学会などの使用を優先させました。また、ステージの壁面は反射と吸音タイプに反転させられるようにし、コンサートと講演会が両立できるよう計画しました。

明治大学では30棟以上の建物を担当し、クライアントの設計者という稀な経験をたくさんさせてもらい、楽しく過ごしてきました。明治大学で仕事ができたことを誇りに思います。明治大学のさらなる発展を期待しています。