2月4日よりスタートした吾妻ひでお展の関連イベントとして開催された。
沖由佳雄氏は「シベール」創刊前から吾妻氏のアシスタントをつとめており、創刊前の仕事の様子を伺った。高校時代に「二日酔いダンディー」を読んでファンレターを出した。ていねいな返信をいただいた。この後も交流は続き、仕事場に遊びに行くようになった。その流れでいつの間にかアシスタントになっていた。当時、自分以外にもうひとりアシスタントがいらしたが、その方は同人誌には関わっていない。
同人誌との関わりは?という質問には、沖氏は「高校時代に美術部の中に漫研があって、会誌はあったけど一般に売るものではなかった。本格的には卒業してから」、KAZUNA(計奈恵)氏は「絵よりもアニメ関係。当時の代表が大学生で、アニメスタジオに出入りして設定集を出したりしていた。ゆうきまさみさんと知り合いになって一緒に同人誌を出したりも」と回答。
「シベール」の構想は誰が?という話題には、まずは沖氏が頭をかかえて回答拒否。司会者が迫ると沖氏は「ここにはいない人ということで」とさわやかに返答。このころのことは単行本『出家日記 ある「おたく」の生涯』(蛭児神 建(元))の解説まんがとして吾妻氏が描かれており、その図版が投影されました。
「シベール」創刊号は、創刊準備号のふたりに加えて蛭児神建氏、仁科蒼一氏が執筆。KAZUNA氏は、2号から参加。
「シベール」は2号まではコピー誌。コミックマーケットの直前に製本すると召集がかかり、吾妻氏の仕事場で紙折りと製本をした。皆がつかれて手を止めてしまっても、吾妻氏はもくもくと作業していたという。大変なので「オフセットにしましょう」とKAZUNA氏が提案、2号再版からオフセットになった。
コミックマーケットでは、最初から行列ができていた訳ではなかった。「こんな本売っていいのか」と騒ぎながら通りすぎて行った一団がいた。その中のひとりが後でこっそり戻ってきて買っていったということもあった。何回目からというのは記憶にないが、川崎のころには行列ができていた。
次第に参加者が忙しくなって7号で最後となった。似たような同人誌を出す人も出てきて状況が変わった。
当日は客席に当時関係していた方々も多く来場。関係ある質問になると苦笑いをされたり、うつむかれたり。「シベール」が投影された瞬間の「あー…」というあきらめたようなざわめきが印象的でした。客席のほうにもマイクをまわす時間があればさらに充実した内容になったと思います。
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