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学生相談室

「相談室の窓から」~不遜であることもまた重要~

2014年05月20日
明治大学

『不遜であることもまた重要』
学生相談室 元相談員
 文学部 教授  根本美作子
 
アンリー・ミショーというベルギー生まれのフランスの詩人(1899−1984)に、『アジアにおける一野蛮人という』素晴らしい本がある。1930年という非常に早い時期にインドや中国、韓国、日本を旅した彼はそこで、偏見にとらわれずに、自由に、それらの国で観察したことを記している。そのなかでこんな言葉が目を惹く。
 白人が進歩したのは、ひとえに不遜という長所による。
 手持ち無沙汰な不遜は、作り、発明し、進歩せざるを得ない。
 […] 白人を止めるものは何もない。
不遜が「手持ち無沙汰」だというのは、尊敬する師匠や盲目的に重んじなくてはならない伝統といったものがない白人は、「作り、発明し、進歩せざるを得ない」ことを意味している。

不遜は長所である。若い学生諸君に送りたい言葉だ。

親も教員も政治家も医者も皆一人の人間にすぎない。それぞれの経験を活かして参考になることも言うかもしれないが、まったく参考にならないこと、信用できないこと、間違ったことも言う。それを見極めるためには不遜が必要だ。不遜とはこの場合、盲目的に人の言うことに従わずに、自分で情報を集め、自分の頭で考え、判断するということだ。つまり不遜とは、自分もまた親や教員やその他の人間と同じ人間であると認め、それを引き受けることだ。不遜はつまり平等主義である。

年長者であるからといって盲目的に親や教員の言うことに従うのは、一人の人間としての責任を果たすことを避けようとする甘えである。彼らはたしかに経済力があったり、権力があったりして、なかなか逆らうことの難しい相手であるかもしれない。しかしまず相手から距離をとり、自分の考えを強化することによって、自分は成長する、進歩する、新しい考え・解決法を発明し、作りだすかもしれない。

それにはとにかく不遜になることである。自分を一人の個人として認識し、他の人間を自分と同じ個人として理解することを試み、互いの考えを伝え合いながら自己の立場を確立していくこと、不遜はそのために必要な勇気のまたの名であるだろう。