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学生相談室

「相談室の窓から」~「個を強くする」ことの意味~

2014年09月22日
明治大学

『「個を強くする」ことの意味』
学生相談室 相談員
政治経済学部 教授  加藤彰彦


 例のキャッチフレーズのためだろうか。「個を強くするためにはどうすればよいか」という質問を受けることがある。「個が強い」とは、どういうことであろうか。

 日本人にとって「強い個人」の典型的イメージは、米国的な自己主張する個人のそれであろう。テレビの教育番組では、米国の小中学生が先生の質問に答えようと、先を争って手を挙げている光景が映し出されるのが定番である。彼らは、なぜこうも熱心に発言しようとするのだろうか。答えを一言でいえば、自分の存在を認めてもらうためである。日本的に「居場所を獲得するため」といってもよい。主張しない者は、そこに存在しないのと同じ、ということである。日本では、子どもたちの居場所は他者や共同体から与えられるが、移動性の高い(クラスメートも頻繁に入れ替わる)米国社会では、自分の居場所や存在価値は自力で獲得しなければならない。高校や大学になると、自己主張はディベートという形で、自他の優劣を決める勝負に発展する。こうした事情は、大学の先生でも(国際学会で研究発表を続けない者は学者として存在できない)、大統領選でも(強い者が候補となる)、裁判でも(真実よりも弁護士の雄弁が勝る、)同じである——そこには勝敗を判定する聴衆や陪審員がいる。米国社会の上層は、子ども時代からの生き残り競争を勝ち抜いた個人によって構成されている。

 それゆえ、個を強くするためには、米国に長期留学してネイティブの学生たちと直に競争してみるのがよい。とはいえ、米国的な個人はとても無理という人も多いだろう(強い個にあこがれること自体、個が弱いことの証左だから)。そういう人には、ぜひ日本型の個のあり方を追求してみてほしい。

 過去200年の日本で、最も個人が強かったのは幕末期である。西郷、大久保、坂本らを育てたのは、江戸時代の家制度や若者組など共同体の制度であった。彼らの強い個は、強固な共同体のリーダーが獲得した強さでもあった。近代化とともに、共同体は弱体化し、人物も小粒になっていったが、自治集団のなかで人が育つという仕組みは今日でも生き続けている。

 個を強くするためのマニュアルは存在しない。まずは、身近なゼミやサークルで、合宿・イベントを企画する、役職を引き受けるなど、小さなリーダーシップの経験を、摩擦や軋轢を恐れずに積み重ねることから始めてみよう。