本施設の最大の特徴は、長らくコミックマーケット代表を務め、優れたマンガ評論家でもあった故・米沢嘉博氏の個人蔵書をもとにつくられた図書館だ、という点にある。
ベースが個人の蔵書であるため、他の類似施設と比べると純粋なマンガ図書館として使用するには収蔵資料の網羅性に欠け、シリーズ全巻が揃っていない単行本が散見されるなど不便な部分も多い。しかし、逆にいえば、そのような蔵書の偏りにこそ、米沢嘉博という稀有な「個人」から見た「マンガを中心としたサブカルチャー」の姿があらわれているともいえる。
今回はそのような所蔵資料の特徴のひとつである、村上知彦、竹内オサム、中島梓、橋本治などの同世代の書き手とともに現在につながるマンガ言説の在り方をつくった「マンガ評論家・米沢嘉博」としてのコレクションから、彼らに先行する石子順造や鶴見俊輔、草森紳一などの著作から、それら先行世代と米沢らの世代以降の「マンガ観」の変質、断絶を探った。
ゲストで登壇していただいた伊藤剛氏は主著『テヅカ・イズ・デッド』(NTT出版刊、2005年)において米沢らの世代のマンガ言説を「ぼくら語り」と呼び、そこにあらわれた一種の党派性をすでに批判していたが、本イベントにおいては、米沢らの世代が否定し、排除しようとした具体的な先行世代の「マンガ」として、かつて「大人マンガ」と呼ばれていたカートゥーン、カリカチュアといった一コママンガの存在に焦点を当てている。
「大人マンガ」の存在とその排斥が1960年代から1970年代にかけての「マンガ」概念の変質にどのように影響したのか? 来場していただいたみなさんにそのような問題提起として聞いていただけたとしたら幸いだと思う。
(小田切博)
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