行事予定

明治大学博物館友の会 行事予定

明治大学博物館友の会創立30周年記念講演会(考古学分野)のご案内

 明治大学博物館友の会総会・創立30周年記念式典に引き続き、下記のとおり記念講演会を開催いたします。会報に同封の出欠ハガキを5月2日(水)必着で氏名・会員番号を明記して申し込みをお願いします。
日 時 5月12日(土)14:00~17:00
会 場 明治大学アカデミーコモン2階 A1~3会議室
参加費 会員・明大教職員・学生(他大学を含む)は無料
一般は1,000円(当日会場にて集金)
(1)明治大学博物館友の会創立30周年にあたっての講話
お 話:大塚 初重氏(明治大学名誉教授・当会顧問)
     熊野 正也氏(元市川市博物館長・当会顧問)

(2)記念講演
演 題:弥生時代をどのように考えるか
講 師:石川 日出志氏(明治大学文学部教授)

【 講 演 要 旨 】
 考古学は歴史学であるから、弥生時代・文化をどのように考えるかはきわめて重要である。近年も藤尾慎一郎氏らが「新しい弥生時代像」と題する議論を提示しているが、それを私は「西高東低の弥生時代観」とみなしている。しかし、歴史学では各地域の人々を歴史的に等価とみなすことから組み上げることを求めている。私は、弥生時代・文化を次のように考える。
 弥生時代・文化は、基本的には「縄文時代から継承した要素」+「大陸に由来する要素」+「弥生時代に特徴的な要素」の3者で構成される。そして、縄文時代・文化の地域性を継承しつつ、大陸との関係の強~弱などが重なり、日本列島を舞台とする歴史のなかでもっとも地域性に富む特徴がある。しかも各地域が刻々と変貌し、どの地域も弥生時代の早い段階と終末段階を比較するとこれを同じ時代・文化名称で呼ぶことに躊躇するほどである。
しかし、この地域性は固定したものではなく,広範囲にわたる連動する社会変動が数回繰り返されるなかで、地域関係とその内実の組換えが進行する。そうした地域性とその動態を包摂する形で弥生時代・文化を理解する。そして、始まりは灌漑稲作の導入、終りは定型的前方後円墳の出現で画す。
講演では、そうした理解を具体例に即してお話しします。

【 講師プロフィール 】
 1954年新潟県生まれ。1978年明治大学文学部考古学科卒、1983年同大学院文学研究科博士課程中退、1991年助教授、1997年教授。明治大学日本古代学研究所長。最近は福岡県志賀島出土の金印について、金印贋作説を否定し、「真印」とする説をとっている。
著書は、『農耕社会の成立』(岩波新書・2010年)『「弥生時代」の発見—弥生町遺跡』(新泉社・2008年)、『考古資料大観1 弥生・古墳時代土器1』(共編著・小学館・2003年)など多数。
 創立30周年記念講演会は以後、近世史分野を6月30日(土)山本博文氏(東大史料編纂所教授)、工芸分野を10月13日(土)小森邦衞氏(人間国宝 髹漆(きゅうしつ) 輪島塗)と合わせ三分野を予定しています。
 
 

〈第13回古代史講演会〉土器圧痕が語る縄文時代の植物利用

 「縄文時代に栽培された食物は存在したか」、皆様はどうお考えですか。従来から狩猟採集の社会であると言われてきましたが、きっとその答えが見つかると思います。お誘い合わせの上、奮ってご参加ください。
 
【 実 施 要 領 】
実施日 2018年6月2日(土)
時 間 14:00~16:00(13:15より受付開始)
会  場 明治大学駿河台キャンパス 12号館 10階 2103教室
講 師 小畑 弘己(おばた ひろき)氏 熊本大学大学院人文社会科学研究部教授
定  員 180名(先着順)
参加費 会員・明大教職員・学生(他校を含む) 無料
一般 1,000円(当日会場にて集金)
申込方法 事前申し込みが必要です。普通はがき・メール・FAXにて「古代史講演会」係と明記のうえお申込みください。
締切日 2018年5月26日(土)
【 講 演 要 旨 】
 12年ほど前、縄文土器の器壁に空いた小さな穴、これが実は当時の人々が利用していた植物のタネやそれらを加害するムシたちの痕跡であることが明らかにされました。このような土器胎土に紛れ込んだタネやムシを検出し、当時の利用植物や生活の様子を復元する研究を「土器圧痕法」と呼んでいます。昨今の土器圧痕法の普及に伴い、縄文時代の関連資料が多数発見され、これまで狩猟・採集生活を送っていたと考えられてきた縄文時代にダイズやクリなどが栽培されていたことが明らかになりつつあるなど、土器圧痕は縄文時代の生活や縄文人観を見直す大きなきっかけとなりました。
 土器圧痕はいわば「人が作った化石」であり、これらを探し出す行為は「第二の発掘」と言えます。この発掘作業を通じて私たちは今までの考古学研究が見過ごしてきた縄文人たちの生の暮らしぶりや心に触れることができるようになりました。発掘法も肉眼だけではなく、X線機器などの最新技術を用いて圧痕を探し出すなど日々進化しています。
 本講演では、土器圧痕の特質や土器圧痕法のしくみなどについてわかりやすく解説し、圧痕法で明らかになった植物栽培や害虫に関する最新の話題、さらには縄文人たちの栽培植物に対する想いなどについてお話しいたします。
(講師より)
【 講 師 紹 介 】
1959年長崎県生まれ。1983年福岡市文化財専門職員、1995年熊本大学埋蔵文化財調査室助教授を経て、2012年より現職。文学博士。専門は東北アジア先史学。著書に、『シベリア先史考古学』(2001年中国書店)、『ジュニア日本の歴史1』(2010年小学館共著)、『東北アジア古民族植物学と縄文農耕』(2011年同成社)、『タネをまく縄文人』(2016年吉川弘文館)などがある。

〈30周年記念講演・近世史〉『鎖国』と『開国』

 講師の山本先生はその著書『歴史をつかむ技法』では日本史全体の学び方にもさまざまな提言をされています。研究・TV・ラジオ等でご多忙中にもかかわらず、今回、とくにご講演をお引き受け下さいました。またとない貴重な機会ですので是非、会場に足をお運びください。

【 実 施 要 領 】
実施日 2018年6月30日(土)
時 間 14:00~16:00(13:15より受付開始)
会 場 明治大学駿河台キャンパス・グローバルフロント1階グローバルホール
講 師 山本 博文氏(東京大学大学院情報学環/史料編纂所近世史料(兼任)教授)
定 員 200名(先着順)
参加費 会員・明大教職員・学生(他校を含む) 無料
一般 1,000円(当日会場にて集金)
申込方法 事前申し込みが必要です。普通はがき・メール・FAXにて「近世史講演会」係と明記のうえお申込ください。
締切日 2018年6月23日(土)

【 講 演 要 旨 】
 江戸時代の日本を特徴付ける「鎖国」は、教科書から消えるのではないかと言われています。これは近世史研究の現状から見てどうでしょうか。
 江戸幕府は、三代将軍徳川家光の時代、日本人の海外渡航と海外にいる日本人の帰国を禁じ、長崎の出島に居住していたポルトガル人を日本から追放し、平戸にいたオランダ人を出島に移しました。この政策の背後には、家光のキリスト教厳禁政策と、ポルトガル・スペインの南欧諸国との対立関係がありました。
 しかし、この時期、「鎖国」という用語が使われたことはありませんし、実際にもオランダ・中国とは貿易を行い、朝鮮とは対馬藩を介して外交関係を結んでいました。これに加えて、薩摩藩が武力侵攻した琉球は、幕府から「異国」と位置づけられ、琉球は中国の明、次いで清から冊封されていました。蝦夷地(北海道)のアイヌは、国家を形成していませんでしたが、松前藩の管理下で日本人との交易を行なっていました。こうした体制は、「四つの口」という用語で説明されるのが現在の学界の状況です。すなわち幕府は、長崎でオランダ・中国と、対馬藩を介して朝鮮と、薩摩藩を介して琉球と、松前藩を介してアイヌと交流しており、「鎖国」ではなく「四つの口」が開いていたとされるのです。「鎖国」という概念を批判する研究者は、この時期、「鎖国」という用語がなかったから使うべきではないと主張します。しかし、「幕府」や「藩」という用語が江戸時代にはほとんど使われていなかったように、歴史を説明する概念が当時なかったからと言って、使ってはいけないということではないはずです。
 それでは、「鎖国」という用語は、いつ使われるようになったのでしょうか。これは、元禄期に日本に来たオランダ商館付きの医師ケンペルの著書『日本誌』の付録の一部を、享和元年(1801)、長崎通詞志筑忠雄が翻訳した際に『鎖国論』と題したことが始まりです。つまり、ケンペルの目から見て元禄期の日本は国を鎖していてそれが「益」があると考えていたこと、志筑はその内題の「全国を鎖して」などの文章から「鎖国」という題名を付けたことがわかります。オランダ人と日常接していた志筑にとっても、日本の体制が「鎖国」と名付けるにふさわしいものだったのです。
 本講演では、「鎖国」と呼ばれる体制がいつ、どのように成立し、それがいつ、どうして「鎖国」と呼ばれるようになったのかをお話し、どのように考えればいいのかを解説していきます。(講師より)

【講 師 紹 介】
岡山県生まれ。1980年東京大学文学部国史学科卒業。1982年東京大学史料編纂所助手。1991年文学博士。2001年同教授。2010年同大学院情報学環教授・史料編纂所教授兼任。2011年情報学環社会情報研究資料センター長。1992年に『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

〈江戸時代を探訪するpartVII〉武蔵野新田開発の足跡と江戸東京たてもの園をたずねて

 今回は玉川上水の分水に沿った武蔵野の地域をたずねて、江戸時代に開発された新田について学び、今なお残る景観にも触れてみたいと思います。また、小金井市文化財センターや「江戸東京たてもの園」を見学します。お誘いあわせの上ぜひご参加ください。
 
【実 施 要 領】
実施日 2018年7月12日(木)
集 合 9時45分 JR中央線国分寺駅改札
予定コース (国分寺駅北口入口よりバスにて移動、小平営業所行きにて武蔵野美術大学正門下車、運賃200円)徒歩で旧小川新田地域(小川寺・小平神明宮<開拓碑>・小川用水等)散策→(東大和駅より西武線乗車、花小金井駅下車(運賃210円)、駅入口よりバスにて移動(運賃200円)「小金井橋」下車→(徒歩)小金井橋・海岸寺見学→公園内にて昼食(各自持参)→江戸東京たてもの園でのレクチャーと見学→(徒歩)真蔵院・川崎平右衛門謝恩塔→(徒歩)小金井市文化財センター見学→現地にて解散16:30<予定>
現地講師 織壁 哲夫会員
塚田 善久氏(小金井市史談会)
定 員 30名(先着順)
参加費 会員800円 一般1,000円(予定) (入館料、ガイド料、保険料などを含む)
当日集金します、釣銭なきようご用意ください。
移動時の運賃は各自払いです。
申込方法 事前申し込みが必要です。(先着順)
往復ハガキ、メールにて(FAX不可)明治大学博物館友の会「江戸時代探訪」係と明記のうえお申し込みください。
締切日 2018年6月30日(土)
*定員になり次第締切としますので早めにお申込ください。

【主な見学場所】
(1)旧小川村(新田)と武蔵野新田
 青梅街道は石灰の産地であった現在の青梅市成木から江戸へ石灰を運ぶための大切な道であった。
 青梅から江戸まで重い荷物を一気に運ぶことはできないので、村から次の村へと荷物を運び、次の村では馬に積み替えてその次の村へと順番に荷物を運んだのです。しかし、箱根ヶ崎村(現在の瑞穂町)から田無村(現在の西東京市)までの間に村がなく、そこで、岸村(現在の武蔵村山市)に住んでいた小川九郎兵衛が、箱根ヶ崎村と田無村の間に新しく村を開き、石灰を運ぶ大切な仕事をしたいと考え、明暦2(1656)年に小川村が開かれました。その後小川新田、小金井新田を含む武蔵野新田の開発は行き詰まりの時期を経て、18世紀初め享保の改革により、大岡越前守忠相を総責任者として本格化しました。推進者として抜擢されたのが、農民の中の有能者(地方巧者)といわれる人々です。なかでも府中押立村の名主、「川崎平右衛門」の指導の下に新田開発が進みました。旧小川村の地域は現在でも当時の短冊状の地割や街道に往時のようすが確認できます。
(2)江戸東京たてもの園
 江戸東京博物館の分館として庄屋屋敷、高橋是清邸をはじめ貴重な歴史的建造物が移築復元され、ボランティアガイドの案内で見学できます。
(3)小金井市文化財センター
 文化財センターは、市内から発見された考古~江戸~近代の資料・古文書・民具等の文化財を保存・展示する施設です。この建物は、元来「浴恩館」と呼ばれ、昭和5(1930)年から青年団講習所として使われた由緒のある建物です。講習所長であった下村湖人の小説『次郎物語』の舞台としても知られ、市史跡に指定されています。

〈30周年記念見学会〉北海道道央地域の遺跡を訪ねて

 今回30周年記念見学会を多くの会員からの要望のあった北海道に焦点を当てて企画しました。道央地域の主要な遺跡など北海道の豊かな文化と自然を堪能していただけることでしょう。
 どうぞ奮ってご参加ください。

【実 施 要 領】
実施日 2018年9月6日(木)~8日(土) (2泊3日)
集 合 9時30分 旭川空港到着ロビー
※参考アクセス JAL551便 羽田7:40→旭川9:20
宿 泊 1日目 ホテルアセントイン札幌
2日目 室蘭プリンスホテル
(2泊ともシングルルーム基本)
同行講師 島田 和高氏(明大博物館学芸員)
見学コース
(予定)
(貸切バスにて移動)
(1日目)
バス出発9:45~旭川市博物館~(昼食)~白滝ジオパーク交流センター・遠軽町埋蔵文化財センター~18:45ホテル着

(2日目)
バス出発8:30~小樽市総合博物館運河館~手宮洞窟保存館~忍路(おしょろ)環状列石~(昼食)~フゴッペ洞窟~洞爺湖ビジターセンター(小休憩)~入江・高砂貝塚館~地球岬~18:30ホテル着

(3日目) 
バス出発8:30~史跡北黄金貝塚公園・資料館~苫小牧市美術博物館~(昼食)~静川遺跡~恵庭市郷土資料館~千歳市埋蔵文化財センター展示室~キウス周堤墓群~新千歳空港17:00(解散)
※参考アクセス
JAL522便 新千歳18:00→羽田19:40
ANA76便  新千歳18:30→羽田20:10 
 定 員 40名(先着順、会員限定)
 参加費 43,000円(予定)
(貸切バス代、宿泊費、食事代、保険料など)
 申込方法 封書・メールにて(FAX不可)
住所・氏名(ふりがな)・生年月日(西暦で旅行保険用)・電話番号・携帯電話番号(お持ちの場合緊急連絡用)・会員番号を記し、「北海道見学会」係と明記のうえお申し込みください。封書の場合は返信用はがきを同封してください。
 締切日 2018年7月28日(土)
注)・航空券の手配は各自対応でお願いいたします。
   ・参考アクセスは一例で、2018年2月~3月の時刻表 によりますので、今後変更されることもあります。

【主な見学場所】
(1)遠軽町埋蔵文化財センター
  遠軽町白滝には地区内を流れる湧別川と支流 の支湧別川流域に世界的に著名な黒曜石原産地と旧石器時代後期の白滝遺跡が分布する。出土品の「細石刃」は東北アジア一帯に分布する特徴的な製作技法である「湧別技法」の標識となっている。センターには白滝遺跡群の出土品が展示されている。
(2)忍路環状列石
 小樽市忍路2丁目、三笠山の麓にある縄文時代後期後半の配石遺構。ほゞ楕円形に高さ1m余の長大な石柱が並列し、南北約30m、東西約23mを有する。中央部にも石柱の一部が残存している。
(3)フゴッペ洞窟
 日本海岸から200mの小丘陵「丸山」の東方に面した岩陰遺跡。間口約4m、奥行約5m、高さ約5m。岩壁に200以上の図が陰刻されており、人が仮装したようなものから動物や船のようなものもあり、何らかの宗教的儀礼の場であったのではないかと考えられている。堆積土層から発見された土器や骨角器の分析からおよそ2000~1500年前の続縄文期に属する遺跡とされる。同じ時代に刻まれた彫刻が小樽市の手宮洞窟にある。
(4)北黄金貝塚公園
 噴火湾をのぞむ海岸段丘上にあり、約7000年から4500年前の縄文前期・中期の貝塚を中心とする大規模集落遺跡。貝塚から人骨の他に北海道最古例の水場遺構が見つかっている。また、6000年前に作られた獣骨による「刀」は刀の形状をとったものとしては現存する世界最古の品になる。
(5)静川遺跡
 標高15~20mの舌状の台地に遺跡が残され、東のA地区からは2軒の住居跡や大環濠が発見され、西側に並行するB地区からは33軒の竪穴住居跡が確認された。縄文時代の環壕は全国初の発見例で、4000年前につくられたとされる。

行事参加の申込み方法
 参加希望の方は、それぞれの締切日までに、各行事の申込み方法によって、住所・氏名・電話番号・会員番号・「○○」係を明記して申込みを行って下さい。
 お申込については特別に事情がない限り会からは返信をお送りしませんので、申込みをされた方は、当日直接集合して下さい。参加できなくなった場合は、友の会又は緊急連絡先に必ずご連絡下さい。

はがき宛先: 〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学博物館友の会○○係
FAX: 03-3296-4365 <博物館気付>
メール: meihakutomonokai★yahoo.co.jp(★を@に置き換えてご利用ください。)

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